猫島
@d-van69
猫島
「確か君は、船舶免許を持っていたよな?」
姿を現した乾晴彦は挨拶もそこそこにそう切り出した。
「なんだよ、いきなり」
眉根を寄せる私の向かいの席に腰掛けた彼は、「まあこれを見てくれ」とスマートフォンの画面をこちらに向けた。
ネコだ。それも画面の至る所に数え切れないほど写っている。薄暮の中で撮られたものらしく、無数の目はフラッシュを受けて輝いて見えた。
またかよと私は内心呆れ果てた。大学教授を生業とする友人は無類のネコ好きだ。それが高じて生物学の博士課程を修めたといっても過言ではない。学内でも有名らしく、学生からネコの画像や動画が頻繁に送られてくるようだ。それを会うたび披露してくれる。犬派の私にとって、それは上司の子供の運動会のビデオを無理やり見せられているような気分になる。
辟易する私に気づくことなく、彼は鼻息荒く話を続ける。
「これさ、うちの学生のSNSで拾った画像なんだ。猫島だって。そこに連れて行ってほしんだ。君に」
「どうして私が。船ぐらい出てるだろう」
「いや、それがさ……」と晴彦は画面のネコをみつめながら、
「SNSに書き込まれた情報によると、この島は無人島で、和歌山県の加太ってところにあるそうなんだけどね。地元では、なんでもこの島に入ると祟りがあるとかで、誰も近寄ろうとはしないらしいんだ。だから船も出ていない」
「じゃあ諦めろよ。そこじゃなくても猫島と呼ばれるものなら他にもあるだろ」
「それがそうはいかないんだ。ここを見てみろ」
友人は再びスマートフォンの画面をこちらに向けると、画像を拡大させた。
どうせまたネコだろう……と、眺めるうちにあることに気づいた。画面の端に、ありふれたネコに混じって見慣れぬものが映っていたのだ。大きさは標準よりもひと回り大きいくらい。顔は明らかにネコのものなのだが、その毛色が異彩を放っていた。最初はグレーやサバトラが光の加減でそう見えるのかと思っていたがそうではない。銀色に輝いているのだ。
「これ、なんだよ?」
「なんだと思う?」
「知らないよ。この写真を撮った学生の話は?」
「それがさ、連絡がつかないんだよね。メールを送ってはいるんだけど」
「ほんとうにネコなのか?これ」
私の疑問に彼は「もちろんそうだろう」と自信満々に言ってから、
「僕はね、きっとこれは新種のネコじゃないかと思うんだ。それをこの目で見たいんだよ。そしてあわよくば、このネコの第一発見者として、僕の名前を冠したいんだ」
確かに、ネコの学名に自分の名が刻まれるとなれば、ネコ好きとしては最高の誉れだろう。しかし私にはどうでもいいことだった。そもそも、この画像にしても加工されている可能性だってあるのだ。学生のいたずらとも考えられる。
「悪いが私には興味のないことだ。わざわざ和歌山まで行く気にはなれないよ」
「そんなこと言わずにさ。向こうは海の幸が旨いらしいよ。温泉もあるしパンダだっている。ほら、高野山だって和歌山だ。ついでに観光すればいいじゃないか。もちろん、費用は全て僕が負担するからさ。頼む。君だけが頼りなんだ」
晴彦は頭を下げた。自然と旋毛が目に留まる。最近薄くなったと気にしていたにも係わらずそんな姿をさらすとは、余程あのネコにご執心らしい。それにしたって気は進まないが、一つ貸しを作っておくのも悪くないかもしれない。彼の言うとおり、観光気分で行くのもいいだろう。おまけに只ときている。
「しょうがない。行ってやるよ」
私の返事に、顔を上げた彼は喜色満面の笑みを浮かべた。
加太は和歌山県の北部に位置する港町だ。初見の人は『かた』と発音することが多いが、正確には『かだ』と読む。太平洋戦争中には砲台や弾薬庫が設置され、その遺構は今では某アニメの舞台に似ているとかで人気があるらしい。
晴彦と私はまず地元の漁師に話を聞いた。やはり祟りという言葉が出てきた。止めておけと警告をくれたが、学者肌の友人は意に介しない。
プレジャーボートを借りて出港したのが正午過ぎだった。それから20分ほどで目的の島は見えてきた。無人島と聞いていたがちらほらと建物の屋根が見える。過去には人が住んでいたようだ。
海岸線には桟橋もあった。そこには一艘の小型の船が停泊していた。それと並ぶように船を着けて上陸する。
「先客がいるようだな」
隣の船を覗き込むようにしながら桟橋を歩いていく。中には誰もいないようだ。
「ぼやぼやしてられないぞ。僕と同じことを考えた輩がいてもおかしくないからな」
意気盛んに足を速めた晴彦の後を慌てて追いかけるうち、彼が急に足を止めた。ちょうど桟橋から砂浜に差し掛かろうというところだ。
「どうした?」
訊ねる私に「あれ」と指差してから、彼はそちらに進んでいく。その先に何かが落ちていた。それを拾って戻ってくる。
「スマートフォンじゃないか。誰のだ?」
「そんなこと僕が知るわけないだろう。ただ、幸いロックはかかっていないから、立ち上げることは出来るな」
言いながら画面の上で指を動かし始める。
「おいおい、勝手にそんなことするもんじゃないぞ」
「かまうものか。落とし主を確かめるためじゃないか」
やがて「ん?」と指を止めた彼は、スマートフォンをこちらに向けた。
そこには見覚えのある画像が映し出されていた。この島に来るきっかけになった写真。先日友人が私に見せた、あのネコだ。
「これって、もしかして……」
「そのようだな。偶然にもあの学生のもののようだ。こんなところに落としていたとは。連絡がつかないわけだ。本土に帰ってから届けてやることにしよう」
それをポケットに納めた友人は、「さて」と前方に視線を向ける。
「急ごう。ライバルに先を越される前に、あいつを見つけるぞ」
とりあえず海岸線を一周することになった。元の位置に戻ってくるまで2時間半もかかってしまった。しかしその間、一匹のネコも見かけなかった。
「おい、どうなってるんだ?骨折り損だ」
桟橋に座り込んだ私を見下ろす晴彦は、全く疲れた素振りも見せずに笑顔で応じる。
「ここは無人島だぞ。恐らく、人間という見慣れない動物を見て警戒しているんだろう。今頃きっとどこかに隠れて、こっちの様子を伺っているはずだ」
「隠れてるって、写真には山ほど写ってたじゃないか。警戒してるようには思えないけど」
「君は知らないのか?ネコってのはね、日中はあまり動き回らないものなんだ。夕暮れ時と朝方の、薄明かりの時間帯が一番活動的になる。あの写真もそうだっただろ?」
言われて見ればそうだ。フラッシュの焚かれた画像は完全な夜ではなく、薄暮の中で撮られていた。
「それならまあいいんだけどさ。でも、少しおかしいとおもわないか?」
「なにが?」
「人と会わないじゃないか。声すら聞こえない。あの船の連中はどこにいるんだ?」
ちらと桟橋を振り返る俺に、友人は「そこだよ」と声を潜める。
「きっとあいつらはネコを捕まえる気なんだ。例の新種をね。だから音も立てず、どこかで罠でも張ってるに……」
そこで彼は急に落ち着きをなくし、
「そうだよ。そうに違いない。よし、こんなところでぐずぐずしてはいられない。行くぞ」
「行くってどこへ」
「ネコが潜んでいそうな場所だよ。ほら。海から屋根が見えたじゃないか。そこへ行くんだ」
かつては鮮やかなレンガ色だったであろうその建物は、今では至る所苔むし、土埃が積もり、時の流れを感じさせた。入り口や窓の戸板はとうの昔に朽ち果て、内部にまでつる草が侵入している。
「ここももしかしたら旧日本軍の施設だったのかもしれないな」
言いながら一歩足を踏み入れた。ガランとして何もない。
「うん。このあたりの島には砲台跡や弾薬庫があるらしいから、ここも倉庫のようなものだろう」
一通り見渡してからに外に出た。10メートルほど離れたところにもう一棟建物があった。そこに向かおうとしたところで、「ちょっと待て」と晴彦がしゃがみこんだ。見ると足元の土がこんもりと盛り上がっている。
「なんだよ、それ」
問いかけると、彼は落ちていた小枝を拾い、それで土を掻き分け始めた。それと共に異臭が鼻をつく。
「おい、まさか……」
「そう。ネコは自分の糞をこうしてきっちり埋めるんだよね」
言う間に黒い棒状の物体が姿を現した。
「そんなもの掘り返してどうするんだよ」
「もちろん調べるのさ」
彼が背中から下ろしたデイパックの中からボックスティッシュほどの金属の箱が現れた。上面にモノクロの液晶画面と、いくつかのボタンが並んでいる。その一つを押すと、側面から小さな引き出し状のトレイが飛び出した。
「これはね、うちの大学の工学部と某医療機器メーカーが共同研究中の代物なんだ」
「そんなもの、こんなところに持ち出してもいいのか?」
「実験に協力するといったら喜んで貸し出してくれたよ」
可愛くないウィンクを見せてからもう一度デイパックに手を突っ込んだ。取り出したのは綿棒とシャーレ状の小さな皿。それらを使って糞を掬い取り、件の装置のトレイに乗せた。手動でそれを閉じると、金属の箱は小刻みに震えだした。
「で、何を調べるんだ?」
友人の動作が止まったところを見計らって訊ねた。
「DNAさ」
「DNA?こんな機械でか?」
「そう。こいつは持ち運びができるDNA分析装置なんだ。主に犯罪現場で早急にDNA検査が出来るようにするのが目的で開発されているのだが、いずれはもっと小型化して、一般人でも手軽に使えるようにするのが最終目標だそうだ」
「一般人って、自分の子供が誰の子かを調べるためか?」
「それもあるけど、例えば、食品だ。今は原産地にこだわる人が多いだろ?ところが表示と内容物が異なることが少なくない。そんな時、これを使えば安心ってわけだ」
「はぁ……。なるほどね」
唸りを上げる装置を感服の思いで見つめながら、
「しかし、糞なんかからDNAが分かるのか?」
「問題はそこだ。運よく……って糞だから駄洒落で言ってるんじゃないぞ」とくそ真面目な表情を作りつつ
「運よく大腸壁の細胞が糞に付着していれば、この糞の持ち主のDNAが分かるし、仮にそれが分からなくても、糞に残った残骸から、どんなものをエサにしているのかが分かるんだ。何を食べているのかが分かれば、その生息域も絞り込める。つまり、発見もしやすくなるということさ」
晴彦が話し終えると同時に装置の振動も止まった。
「おっ。結果が出たらしいぞ。ちょっと待ってくれ」
次に彼が取り出したのは衛星電話だった。番号を入力し耳に当てる。
「ああ、乾だ。DNAデータを抽出できたから、今からそちらに送るよ。照合を頼む。特に、ネコを中心にね。よろしく」
一旦通話を切ってから、装置と電話機をコードでつなぎ、再び番号を入力した彼は、
「今後の課題はこれだな。今はこうして大学内のデータベースを利用しなけりゃならないが、いずれインターネットを利用するなりして誰でもどこからでも照合できるようにするべきだ」
送信が終わったのか、手早く一連の装置をデイパックに納めると、
「さて、照合にはまだ時間がかかるだろうから、その間に次の建物を見てみよう」
外観は先ほどの建物と変わりなかったが、その中は打って変わって物で溢れていた。壁際にぎっしりと並んだガラス棚。十数基の作業机の上にはクスリ瓶や古びた機材が散乱し、風に飛ばされたのか色あせた書類の類は床の至る所に撒き散らされていた。
それらを避けるようにして歩みを進めていく。
「なんだろう。病院だったのかな?こここは」
指先で空のクスリ瓶を小突きながら言うと、晴彦は演技めいた仰々しい表情で口を開く。
「いいや。もしかしたら何かの研究施設かもしれないぞ。ほら、731部隊のような」
「ああ。生物兵器の開発をしていたって言う、旧日本陸軍のあれか」
「うん。あれは満州にあったけど、実は国内にも拠点があったりしてね」
「おいおい。まさかそんなヤバイ兵器の残骸はないだろうな」
不安を覚え、あたりに目を走らせていると、彼は「ハッ」と鼻で笑った。
「心配いらんだろう。万が一そんな危険な研究をしていたところなら、終戦直後に完全に焼き払われているはずだ」
と言うものの、やはり気になって仕方ない。出来るだけ物には手を触れないようにしながら出入り口へと足を向ける。
「先に出るぞ」
振り返り声をかけると、友人は散乱した書類の一枚に真剣な眼差しを向けていた。
「どうした?」
「いや、この絵……」
そのとき彼のデイパックの中から電子音が聞こえた。衛星電話の着信音だ。彼は言いかけた言葉を飲み込み、電話に出た。
「ああ、僕だ。なんだ。もう結果が……」
彼が何を言おうとしていたのか気になる。いったい絵とはなんのことなのだ。
晴彦が会話をしているすきに、私はそちらに歩み寄った。床に目を落とし、彼がどの書類を見ていたのか探す。
と……、精巧なネコの挿絵が目に付いた。それはあの写真にあった、例の新種ではないかというネコの姿と酷似していた。
思わずしゃがみこみ、紙を凝視する。そこにはこんな一文があった。
『……我ワレハ、新種ノ猫ヲ造リ出セリ。是ハ、人ヲ襲ヒ、人ノ肉ヲ好ンデ食ス獣ナリ。是ヲ繁殖サセ、敵基地ニ解キ放テバ、敵兵ヲ速ヤカニ抹殺セシム……』
は?人を襲う?食す?なんだよ。これも生物兵器なのか……。
「おい」と肩を叩かれビクリと立ち上がる。
晴彦は蒼白な顔でこちらを見ていた。
「すぐに帰るぞ」
「いやその前に、お前が見てたのはこの書類か?なんかとんでもないことが書いてあるぞ」
私が指差すと、彼は再び足元の書類に目を落とした。しゃがみこみ、例の文章を読むうちに、ばね仕掛けが弾けたかのように勢いよく立ち上がった。
「帰るぞ。早く」
彼は強引に私の手を引いて、建物の外に飛び出した。いつの間にか太陽は西に傾き、あたりはオレンジ色に染まり始めている。
「おい待てよ。なんだよ」
手を振りほどき、足を止める私に、彼は切羽詰った顔で口を開いた。
「君も読んだだろう。あの書類を」
「読んだよ」
「だからそういうことだ」
「そういうことって……」
まさか?と思っていると、それが伝わったのか晴彦はコクリと肯いた。
「照合結果が出たんだ。糞の主は新種のネコだ」
よかったじゃないかと思わず口から出そうになったが、それよりも先ほど読んだ一文が脳裏に甦った。
「そして……」と彼は話を続ける。
「糞から出た食べかすのDNAは、人間のものと一致した」
知らず知らずに足が動き出していた。
2人とも無言のまま、ただひたすら来た道を戻る。徐々に足早になり、最後には駆け足になった。
間違いない。作り出されたネコは交配を繰り返して現在までその遺伝子をのこしてきたのだ。あれが地元の人間が祟りと呼ぶ原因に違いない。あれがいるから彼らはこの島に近寄らないのだ。そしてあの写真を撮った学生は、おそらくあのネコの餌食になったのだろう。もしかしたら旧日本陸軍の人たちだって終戦を待たずに……。
息せき切り、海が見えるところまで来て、私たちはたたらを踏んで立ち止まった。
船に乗るための桟橋。そこを封鎖するように、その手前に大量のネコがいた。その全てがじっと私たちのことをみつめている。太陽は西の水平線に沈みつつあった。
「あれは、普通のネコ、だよな?」
「たぶん」と友人が答えると同時に、集まったネコたちが左右に分かれ始めた。
その間を、銀色に輝く毛並みが進んでくる。
彼は夕陽を受けて光る目を細め、「ニャア」と鳴いた。
その瞬間、ネコの一群は私たち目がけて突進してきた。
猫島 @d-van69
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