思い出のチョコミントアイス

依月さかな

……今日もない。

 昼下がりの午後、決まって僕は無意識に氷室を開ける。

 蓋を開けたとたん、ひんやりとした空気が頬を撫でた。期待を込めてのぞきこむ。いつだってこの目に映るのは水が入ったピッチャーだけ。


「……チョコミントアイス、今日もない」


 ひどくがっかりした。今回も僕は肩を落として氷室の蓋を閉める。


 僕の幼なじみエリアスが城から追放されるまで、僕の氷室にはチョコミントのアイスクリームが常備してあった。

 宰相としての仕事が忙しいはずなのに、彼は激務の合間にチョコミントアイスを買ってきていつも氷室の中に入れておいてくれたのだ。蓋をちょっと開けるとあふれてくるくらいたくさんあったアイスも、今はもうない。もうエリアスは僕の近くにはいないことを突きつけられたみたいで、ひどくさみしくなった。

 エリアスは限度ってものを知らない。昔からそうだ。僕が好きだと言えば、なんでも箱いっぱいに買ってくるんだ。食べきれないって言ってもあふれるくらいに持ってくる。その度に怒っていたのが、もう遠い過去のように思えてきた。


 早く迎えにきてよ、エリアス。さみしいよ。


 でも僕の幼なじみは近いうちに城に舞い戻って、必ず迎えにくると約束してくれた。僕はその約束を信じよう。

 エリアスが戻ってくれば、彼はきっとまた箱いっぱいにアイスを買ってきてくれるに違いない。そうなったら、僕の氷室はまたパンパンになってチョコミントアイスがあふれてしまうはず。


 そういえばあの時もそうだったっけ。エリアスが十五歳の頃、彼は初めて僕にアイスを買ってくれた。

 十年くらい前かな。ただあの時は足を怪我したばかりで、杖なしじゃ歩けなくなるだろうと医者から言い渡された時だった。




 + + +




 カーテンが開かれた窓からは明るい光がさしてきた。ベッドの上にいた僕の膝にもあたたかな光が落ちてくる。僕はそれを無表情で見つめていた。

 医師から元のように歩けなくなると言われたのに、僕はひどく落ち着いていた。不思議と悲しい気持ちはなかった。彼自身が五体満足に無事だったからなのかもしれない。


「スノウ!」


 突然ばたんと大きな音がして、扉が大きく開かれた。うわ、びっくりした。びくりと震えれば、僕の長毛の尻尾がぶわりと膨らんだ。



「エリアス、うるさい」

「……あっ、悪い。ごめんな」


 勢いよく飛び込んできたのは僕の幼なじみだ。短い赤い髪と翡翠色の目をもった男の子。走ってきたみたいで軽く息が上がっている。僕が軽く軽く睨むと、エリアスは形のいい眉を下げて肩を落とした。

 いつだってエリアスの反応は素直だ。僕がどんなにきつい言い方をしてもしゅんとして小さくなるだけ。すぐに立ち直って僕に寄り添ってくれる。置いてけぼりにしないんだ。そんなエリアスの優しさに甘えてしまう。彼と一緒にいると感覚がなくなった心の氷が溶けて、じわりと熱を持つ。エリアスには、少しだけ素直になろうと思える。


「別に、謝ってくれたからいいよ。それよりエリアス、何か用?」


 素直なエリアスに比べて、僕はちっともかわいくない。いつも冷たい言い方で突き放してしまう。なのに、エリアスはどんな時でも嫌な顔をしないし、離れていかない。

 この時も太陽のように明るい笑顔で、大きなギフトボックスを差し出してきたんだ。


「これ、スノウのために買ってきたんだ!」


 両手で抱えるほどの、大きな箱だった。結構な大きさだ。さっき大股で走ってきたくせに、エリアスの箱を差し出す時の動作は慎重で、まるで宝物を扱うような手つきだった。


「何これ」

「いいから開けてみろよ! びっくりするぜ。ほら、早く!」

「わかった。わかったから、そこのテーブル取って」

「おう!」


 エリアスは嬉々として、そばに置いてあった簡易テーブルを持ってきた。小さな車輪がついた移動式のテーブルだ。持ち上げて運ばなくていいから、子どもでも持ってこれるのが便利なんだよね。

 さっきからせかしてくるし、僕は箱を開けてみることにした。テーブルの上に箱をのせて、蓋に手を伸ばす。やたらきれいな装飾のシールを剥がしてからそっと開けると、ひんやりとした空気を感じた。


「これ……」


 蓋を開けたら、色とりどりのカップアイスが並んでいた。ピンク、緑、茶色、オレンジ、白……。たくさんある。まるで宝石みたい。


「エリアス、これ何?」

「アイスだぜ! スノウ、アイス好きだろ?」

「うん、好きだけど。そういうこと聞いたわけじゃないよ。こんなにたくさんどうしたの?」


 エリアスは今年で十五歳。僕と同じく、まだまだ大人に養われなくちゃ生きていけない子どものはずだ。当然、自由に氷菓子を買うお金を持っているはずがない。


「だから買ってきたって言ってるだろ! こづか……じゃなくて、初めて給金もらったから」


 そっか、小遣いか。なるほど、納得。まったく、この屋敷の大人たちは子どもに甘いよね。だから裏世界の孤児院とか言われるんじゃないの。

 エリアスは《宵闇のしるべ》という闇組織に入ってから、最近仕事を始めた。まあ、仕事と言っても皿洗いとか屋敷の掃除とか街までの買い出しとか、雑用ばっかりだけど。一応、仕事はしてもらったから給金という名目のお小遣いをもらったんだろう。


「せっかくお金もらったのなら、自分のものを買えばいいじゃん。そりゃ僕はアイス好きだけど、こんなに食べれないよ」

「残りは氷室に置いとけばいいだろ。見舞いだよ、見舞い! 俺、スノウのためにしてやれることはこんなことくらいだから、さ……」


 ふいに弾んでいた声が沈んでいった。彼は僕の左足へ視線を落としている。


「スノウの足が動かなくなったのは、俺のせいだから」


 医者か父さんから僕の怪我について聞いたのかもしれない。まったく、余計なことを言って。僕はたまらずに溜め息をついた。


 僕たちが暮らすゼルス王国は子どもたちが生活するには危険な場所だ。裏通りや人気が少ないところに入れば、必ずさらわれる。

 悪い大人に捕まった子どもたちがたどる道は最悪だ。どこかの娼館や闇組織ギルドに売られるか、人喰いの魔族に殺されてしまうか……。それは僕たちだって例外じゃない。


 数日前、《宵闇》のアジトでもあるこの屋敷に泥棒が入った。彼らが狙っていたのは《宵闇》が養育していた子どもたちで、留守番していた僕とエリアスは悪い大人の手に捕えられ、拉致されてしまった。


 僕は半竜の子どもだ。髪の間からは長い獣の耳が突き出しているし、羽毛の翼や長毛の尻尾だってあるからわかりやすい。だから、すぐに目をつけられたんだよね。

 竜の子どもは高く売れるみたいで、悪い大人たちは子どもたちをいっぱい押し込めていた部屋から僕を連れ出そうとした。そんな僕をエリアスは助けてくれたんだ。

 僕と同じでまだ子どもだっていうのに、彼は自分の身を顧みずに誘拐犯に立ち向かった。僕を守ろうとしてくれた。でも相手は子どもを得体の知れないところに売り飛ばそうとする、悪い大人だ。全力で体当たりしてきたエリアスに向かって、誘拐犯は剣を振り下ろそうとしたんだ。


 気がつけば、僕は飛び出していた。竜に戻って、エリアスを突き飛ばして。そうして振り下ろされた剣は僕の足に……。


 幸運だったのは、駆けつけたリーダーと父さんたちによって僕たちが救われたことだ。おかげでエリアスは怪我もなく無事だったわけだし。

 たしかに自由に歩けないくらいひどい怪我をしたけれど、僕はこうして生きている。生きているなら、エリアスのそばにいられる。


「エリアスのせいじゃないでしょ。君は僕を守ってくれたんだから。悪いのはあいつらだ」

「でも……!」

「あっ、僕このアイス好きなんだよね」


 エリアスが言いたいことはわかってる。でもあえて僕は無視をした。

 僕が選んだカップアイスは、淡いミントカラーにチョコの欠片が練り込まれたものだ。箱の中に入っていたスプーンですくって、ひと口食べてみせた。

 舌の上でやわらかなアイスとチョコが溶けていく。冷たくって甘い。チョコの濃厚な甘さとミントの清涼感が口いっぱいに広がっていく。ひんやりしてておいしい。


「スノウ……?」


 困惑した顔でエリアスがこっちを見てる。口の中のアイスが溶けきってから、僕はにこりと笑ってみせた。


「僕の人生は僕だけのものだし、この怪我だって後悔してないよ」


 もしも、後悔するとしたら、あのまま何もせずエリアスが殺されるのをただ黙って見ていた自分自身だ。だから満足している。


 僕は人には言えない秘密を持っている。


 一つは僕自身のこと。

 僕は一般的に言う、人族じゃない。いにしえよりながい時を生きるいにしえの竜と人との間に生まれた半竜だ。そのため氷竜である母から受け継いだ特別な力を持っている。


 二つ目は胸の奥に閉じ込めた気持ち。誰にも言ったことがない、僕だけの——。


「うじうじしてるエリアスなんて嫌いだよ。きのこ生やしたいなら、いつまでもそうやってれば? その間にこのアイス全部食べちゃうから」

「ええっ! こんなに食べれないって言ってただろ!?」

「食べちゃだめなの? 僕のお見舞いなのに? 僕のために買ってくれたんでしょ?」


 意地悪く聞いてみたら、エリアスがやっと笑ってくれた。見ているこっちまで胸が弾んでくる。

 そう、エリアスはそれでいい。だって君は笑った顔だとてもきれいであたたかくて、暗い顔なんかちっとも似合わないんだもの。


「ああ、それはスノウへの見舞いだ。好きなだけ食べていいんだぜ」

「んー、じゃあエリアスも一緒に食べようよ。僕だけ食べてもつまんないもん」

「なんだそれ」


 笑ってカップアイスを一つ手渡すと、エリアスは満面の笑顔になった。

 彼が笑ってくれると僕もうれしい。とてもしあわせな気持ちになる。


 君は僕が初めて認めた人族の子どもで、大切な幼なじみだ。太陽のように明るくて、凍てついた空気を溶かしてくれる炎のようにあたたかくて。

 いつだって僕だけを見てほしい。好き。誰よりも僕が一番、君のことが大好きなんだ。

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