三、海辺の街の時間

三、海辺の街の時間


 さて、そろそろ僕が囲炉裏で潮風に思いを馳せる時間にも終わりが近づいている。もう少しだけ、あとちょっとだけ「まんが」の話をさせてほしい。

 今年の九月に、『アリスとテレスのまぼろし工場』という劇場アニメーション作品を観に行った。監督・脚本は岡田麿里で、制作スタジオのMAPPAとしては初のオリジナル劇場アニメだったらしい。ここからはあまり褒めないので申し訳ないのだが、正直に言えば、非常に前時代的な価値観を登場人物が共有しており(そこから例外的にはみ出たキャラクターは淘汰されてしまう)、いってしまえば「セカイ系の煮凝り」のようにすら感じた。なぜ急にこの話をするかというと、物語の始まりとなるSF的な基本設定が「海辺の街で時が止まり、閉じ込められ、その世界を壊さないように「変化」を禁じられる学生たち」というものなのである。『潮舞い』とここまで根本的なところでの世界観の共通性が見受けられながらも、こうも違う作品になってしまうのかという新鮮な驚きがあった。つまり、「海」というモチーフは置いておいても、ある学校に通う子供たちの日々に想像しうる「永遠」という時間設定はフィクションにおいて非常に相性がよく、手垢がついた設定でもある。例を挙げれば、時が止まり、少年少女がそこに閉じ込められる……という「永遠」をモチーフにしたSF作品としては今年発売された『ファミレスを享受せよ』というゲームがあり、これはSF的な捻りが効いていてとても面白かった(のだが、さすがにこれ以上脇道にそれる訳にはいかない)。『潮舞い』がセカイ系と呼ばれていたであろう、世界を個人のビジョンへと極端に中心化していく作劇からいかに外れているかを反面教師的に実感することができたのだった。

 もうひとつ、『潮舞い』と並べて読んでみたいのは、昨年の八月にいしいひさいちが自費出版として刊行した『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』(以下『ROCA』)である。『ROCA』は少々ややこしい作品で、現在も朝日新聞にて連載中のいしいひさいち『ののちゃん』(前身の『となりのやまだ君』を含めれば三十年以上の長期連載)に登場する「吉川ロカ」という少女を主人公にしたいわばスピンオフ作品である。作品の序文には「これはポルトガルの国民歌謡『ファド』の歌手をめざすどうでもよい女の子がどうでもよからざる能力を見い出されて花開く、というだけの都合のよいお話です。」という作者の言葉が添えられている。主人公の吉川ロカとその友人のヤンキー柴島美乃の二人の少女の友情物語、と一旦は言っておこう。この文章の主旨としてどうしても物語の終わりとそこで描かれる〈海〉に触れざるを得ないので、そこはご容赦いただきたい。

『潮舞い』のラストシーンは百々瀬とバーグマンが手を取りあって海に足を浸しているというものであり、『ド嬢』のアンチ・ラストシーン(と僕が勝手に呼んでいる【友情編】の第13話)もまた、神林が海辺でここにいない町田さわ子を想い、SNSのメッセージを送るというハッピーエンドと言っても差し支えないものだった。そして、『ROCA』のラストシーンであるが、極力ネタバレをせずに書けば、それは刹那的な、読者によっては無常観すら感じる結末である。作中で語られていた、切ないだけでない、儚いだけでないファドの感情表現「サウダージ」であるかもしれない。そのラストショットには二人は不在のまま、背景には〈海〉が広がっている。

この「終わりの時間」にはしかし後日譚がある。今年の九月に続編となる『花の雨が降る ROCAエピソード集』が出版されたのである。しかし公式サイトには「続編ではありません。念のため。」と書かれ、そのあとがきには「作品はすべて(筆者注:単行本『ROCA』の)あとに描いた新作です。われながら未練がましいと思います。」と書かれている。たしかに作中の時系列で『ROCA』より後の時間に物語が進むことはなく、『ROCA』の余白を埋める形で物語は語られ、やがて『ROCA』のラストシーンの〈海〉が再び描かれる。筆者はこちらのラストの方により激情と寂寥を感じた(いしいひさいちは「あとがき」でフェリーニの映画『サテリコン』のラストシーンを意識したと書いている)。いしいひさいち自身が「未練がましい」と語るように、これは最早作者によって終わらせることができなくなってしまった作品なのかもしれない。フィクションはそれ自身が物語を生み出し、その終点に〈海〉がある。物語の終わり、旅の終わりとは、ただ道がなくなるだけなのかもしれない。行き止まりにたどり着いてしまったのなら、引き返すか、その〈海〉を見て、自分で物語を語ってみるしかない。

もう全然『潮舞い』の話してないじゃないか! と言われればぐうの音も出ない。本当に本当の最後に、阿部共実が「終わり」を終わらせなかった漫画を一本だけ引いてこの長話を綴じることにする。それはRPGゲーム『MOTHER』シリーズの公式トリビュートコミック『Pollyanna』に阿部共実が寄稿した「大人も子供もおねーさんもポーキーも」という短編である。このタイトルは『MOTHER2 ギーグの逆襲』発売時のキャッチコピー「大人も子供も、おねーさんも。」に「ポーキー」というキャラクターの名前を足したものである。ゲームをプレイした人ならば、この時点でこの短編がゲーム本編に対して非常に批評的な位置から描かれているとわかる。なぜなら、「ポーキー」とは『MOTHER2』の主人公ネスのいじわるな友人であり、またラスボスの名前でもあるからである。つまり、最後にこの短編について書くということは、この短編を「阿部共実の二次創作」として読むということである。この文章が『潮舞い』のトリビュートとして書かれているように。

この短編を初めて読んだときは、周りに収録されている作品に比べて、阿部共実の本気度を感じた覚えがある。いまいちど『Pollyanna』の目次を確認してみれば、阿部共実が描いた16ページはぶっちぎり最長である。ページを開くとポーキー対ネスたちの最終決戦の場面から始まり、ここのSFビジュアルの描き込みやダイナミックな構図は他の阿部共実作品でもなかなか見ることができない緻密さである。そしてこれがポーキーを主題にとり、最終決戦から始まる短編であるということは、阿部共実は二次創作として「終わりの向こう側」を描こうとしているということでもある。読者(≒かつてのゲームプレイヤー)にとって忘れがたいプレイ体験の最終部分つまりMOTHER体験の現在ともいうべき地点は非常に高度に、また再現性も高く描かれている。そして原作通りポーキーが捨て台詞を言って姿を消してから、読者にとっての未来ともいうべき創作された時間が始まる。そこでは阿部共実一流の水玉表現と余白とせめぎ合う台詞のふきだし(これもまた泡のようだ)によって漫画表現のレイヤーが一気に更新されていく。そして、その後はポーキーの一人語りが泡になっている「未来」の時空と、ポーキーが思い出すネスと過ごした「過去」が交互に描写されていく。その溶けあった時間を彼はこんな呪文によってつくりだす。


PK

サヨナラ!

だ!


 これが阿部共実が二次創作という魔法によってポーキーにあたえた呪文である。とてもセンチメンタルな短編ではあったが、筆者はこれを読んだとき一人のプレイヤーとして救われた気がした。僕も彼にずっと「PKサヨナラ」を言ってあげたかったのだ。これは文字通り、未来を、新しいフィクションを描くための呪文である。そして思い出してほしい。百々瀬もまた、おなじ呪文をバーグマンに唱えていたのではなかったか。


最後にバーグマンへのオマージュをひとつ。

ここまで何度もあの最終話を、バーグマンの台詞を思い返してきた。そして、『潮が舞い子が舞い』というタイトルについて考えてきた。ついつい人は百々瀬の髪を揺らす潮風が気になってしまうけれど、ほんとうは、潮風は吹いている必要すらないのだ。舞っているだけでいいのだろう。それはダンスであり、百々瀬が言ったようにつねに終りがあり、またつねに始まりがある。『MOTHER2』の話をしたので、もうひとつだけ。すべての物質、すべての生命はダンスをしているのだ、というだけの『EVERYTHING』というゲームがある。プレイしていると、木やライオンや惑星がくるくる踊る。そしてたまに哲学者の朗読がどこからか聞こえてくる。でも別に聞かなくてもいい。そこではすべてがダンスをしており、終わりもない。きっとバーグマンならこんなまわりくどい、やっと寄り道が終わったかと思ったら今度は元の道を見失ってしまうような、結末の見えない文章も笑ってくれるんじゃないかと思う。あの最終話が白い光のなかに(よく考えたらそれは印刷された紙であるはずなのだけれども)ひらかれているほど、彼女たち二人のクィアな未来の可能性を思えば思うほど、ずっと坂道を駆け下りていくあてどない空白に進んでいく水木のその後を祈ってしまう。水木は一つの理想の男の子であったかもしれない。それ故にいまここにないより良き未来の空白を背負って旅立たざるを得ないのではないかとも思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

潮風は長編漫画の夢を見るか? ――阿部共実と施川ユウキと黒田硫黄の〈海〉、そして無風状態―― 石川ライカ @hal_inu_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ