エリエリってなんですか?
映画監督、青山真治が亡くなった。
あまりにも突然で、ぽっかり穴が空いていた。
それから追悼上映で『EUREKA』を観たりしたが、気持ちの整理もうまくできないまま、一年が経った。なぜこんなにモヤモヤしていたかというと、「青山真治」という名前は邦画史において燦然と輝いているのに、その感覚がいまいち掴めなかったからだ。どの映画も面白く、自分にとって必要だと感じるけれど、それが何故なのかよくわからない。そして蓮實重彦や黒沢清が「エリエリはすごい」「エリエリは映画を超えてしまう何かだ」などと(うろ覚え)すごい言葉で紹介していた『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』を観に行った大学生の時も、よくわからなかった思い出がある。そもそも「Eli, Eli, Lema Sabachthani?」というヘブライ語のタイトル(和訳すれば「神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや」)も難しいし、その頃熱狂的にハマっていた作家の中原昌也と浅野忠信が主演と聞いて観に行ったくらいだから、そりゃあ面食らうのも仕方がなかったのかもしれない。そして、原作というか発想元であるらしい森敦の小説『意味の変容』に至っては、大学3年の授業の演習で扱っていたころから珍紛漢紛だった。蓮實重彦や黒沢清のトークも面白かったけど、わからないところだらけだった。
そして、一周忌企画として、恵比寿ガーデンシネマで上映されたのが『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』であった。これも、青山真治と蓮實重彦の対談を収録したリーフレットが配られるというのが目当てだったかもしれない。しかし、これが、ものすごく、良かった。ちょっと信じられないくらい感動してしまった。最後の百葉箱のようなお墓の扉を開く場面では思わず涙してしまった。全然関係ないけれど、『ビッグ・リボウスキ』の最後のあの崖のシーンとかも思い出す。海風で灰を全部被っちゃうやつ。これは共通するところもあって、しょーもない悪ふざけ仲間だったものが逝ってしまって、それを私はどう悼むのかという問いがある。これはやっぱり『EUREKA』での喪失者への眼差しやユーモラスな死生観のようなものにも通じていて、『EUREKA』後の宮崎あおいが再び登場することや、最初は突飛だと思った「レミング病」の設定だってだんだんと腑に落ちてきた。誰かが自殺することは起こり得ることだし、それを理解することはできないけれど、死者と一緒に生きていく方法はある。ここに筒井康隆をキャスティングした力強さも感じるし、釧路で撮ったという暖かな日差しの荒野をMTBとカートでゆるゆると滑っていく浅野忠信と中原昌也が死者の世界を行き来する旅人のようだった。観終わってなんでこのタイトル?というのもわかった気がして、絶望と共に底抜けの希望も見えてくるような素晴らしいラストショットは、それだけでも観てほしいと思う。
あとひとつ、嬉しかったのは、ずっと一人でへんな映画だなぁ……と思っていた『エリエリ』を、「エリエリってなんですか?」と聞くこともなく、読書會の友人三人が観に行ってくれたこと。これは一番嬉しいことだ。しかも随分と楽しんでくれたみたいだし。この体験で、僕が思っていたよりこの作品が開かれた楽しい映画だったと教えてもらったと思う。そういう意味で、またひとつ、この映画は、貪欲に、あたりまえの顔をして、生き延びたのである。とりあえず今を生き延びること。「生きろとはいわん。死なんでくれ」とは『EUREKA』の役所広司の台詞である。この台詞を口にする、この台詞を書く、その誠実さには頭が下がる。自分にとってそういう監督だった。不幸なことに主演の一人であった中原昌也は現在リハビリ療養中だという。とにかく、生きていてほしい。死なないでほしい。そういうことをもっと色々な人に言わなくてはいけない。みんな、生きていてほしい。
三つの追悼文 石川ライカ @hal_inu_
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