死神巫女は清楚系女子

緋村燐

第1話

 薄闇の中、原田はらだ壱夜いちやは駆けていた。

 こめかみから流れる汗も拭わぬまま、足裏が熱くなっても、膝がもう無理だと悲鳴を上げてもまだ走る。


(なんだよ……なんなんだよあの幽霊!)


 乾ききった喉を無理矢理つばをのみ込んで潤し、その痛みに顔を顰めて軽く後ろを見た。


 パタパタ

 ペタペタ


 身軽そうな足音のわりに大きな図体ずうたいの人に似た形をしたモノ。

 白と黒で出来上がったその体は半分透けていて、生きている人間ではないことは明白だった。


(あんな幽霊、見たことねぇぞ⁉)


 壱夜は物心ついたときから幽霊が見えていた。

 生きている人間と同じには見えるが、幽霊は半透明なので区別はつく。

 なので基本的には関わらないことでいままで霊的なトラブルは起きたことがない。


 だが、高校二年の夏休み。

 友人たちと、男だけで少々悲しく思いながら夏祭りに行った帰りにアレと出会った。


 見た瞬間、人の形をしてはいても人間には到底見えなくて、思わずビクッと震えてしまう。

 透けていることで幽霊なのは分かったが、丸に近い胴体と細すぎる手足が明らかに人間とは思えなくて……。

 今まで見た幽霊はちゃんと人間に見えていたこともあり、その異様さにゾッとした。


 なんとか見えることを気付かれないように通り過ぎようとしたが。


 ニタァ


 丁度横を通るとき、その幽霊の口が大きな三日月形になったのが見えた。

 直感的にマズイと思った壱夜はすぐにしゃがみ込む。

 すると頭上に風を感じた。


 ガギィ!


「おわっ⁉ なんだこれ? いきなり電柱壊れたぞ⁉」


 近くを歩いていた通行人の声に電柱を見ると、大きな爪にでも引っかかれたように三本の傷がついていた。

 コンクリートの柱は抉られ、ポロポロと破片が落ちている。


 それが今自分の横にいる得体のしれない幽霊の仕業なのではないかと、考えるより先に体が理解する。

 逃げなくてはと思う頃には、足がアスファルトを踏みしめていた。



 そのまま全速力で逃げ続けるも、得体のしれない幽霊は重そうな体を軽快に揺らして壱夜を追いかけてきたのだ。


(こっちは全速力で走ってるってのに、なんで引き離せねぇんだよ⁉)


 ちくしょう、と悪態をつきたくなるが、涸れた喉はかすれた音を立てるのみ。

 このままだと追いつかれるのは時間の問題だ。


(確か、こっちの方には神社があったよな?)


 とくに考えもなく走って来た壱夜だったが、打開策を求めて周辺の地図を思い出す。

 この手のものから逃げるには神聖な場所に逃げるといい――と、ついこの間読んだばかりの小説に書いてあった。

 作り物の話を信じるなんて馬鹿げているが、藁にもすがる思いだった壱夜は破れかぶれな気分で神社を目指す。


 杉林を通りぬけ、大きな鳥居が見える。

 だが、見えたのは鳥居だけではなかった。


「え? 壱夜、くん?」

純佳すみか、さん?」


 杉林から鳥居までの間の石畳の上に、巫女さん姿の同級生がいた。


(なんで純佳さんがこんなところに!)


 ストレートロングの黒髪を持つ原田はらだ純佳は、壱夜と同じクラス、同じ苗字。ついでに言うと隣の席の女子だ。

 大きなメガネをかけていて見た目は真面目で大人しそう。

 だが、サラサラな髪や見ただけで分かる白く滑らかな肌、そしてピンク色のかわいい小ぶりな唇は男子の間でひそかに清楚系女子として人気だ。


 そんな相手が、黒髪が映える白い巫女装束なんぞを着ているのだ。

 状況が状況でなければ拝んでじっくり目に焼き付けておきたいところ。


 だが、今はどう考えてもありがたがっている場合ではない。

 後ろからはパタパタという足音が変わらず聞こえてくる。


(っくそ!)


「純佳さん、こっちだ!」

「え? ええ?」


 胸の内で悪態をつき、壱夜は純佳の腕を掴み引く。

 もしかしたらあの幽霊は見えていない人間には興味がないのかもしれない。

 狙われているのは自分だけかもしれない。

 だとすると、こうして一緒に走ったら巻き込んでしまうのかもしれない。


 そんな考えもあったが、万が一純佳が先程の電柱のように切り裂かれてしまったらと思うとそのまま放置は出来なかった。


 だが、「どうしたの?」と不思議そうに問う純佳が後ろを振り返ると、その小さな唇が思いもよらない言葉を紡いで壱夜を驚かせる。


「……ああ、アレに追いかけられてたんだね?」

「え? もしかして純佳さんも見えるのか?」


 驚くと同時に、やっぱり一緒に逃げて良かったと安堵する。

 あのまま放っておけばあの幽霊の標的が彼女に移ってしまっていただろうから。


 ただ、あの気持ち悪い幽霊を見ても冷静でいられる純佳に違和感を覚える。


「そっか、壱夜くんって見える人だったんだ? 悪霊に目をつけられるなんて災難だったね?」

「純佳さん?」


 走り、丁度鳥居をくぐった辺りで彼女の足が止まる。

 つられて壱夜も止まるが、早く逃げなければという焦燥は残っていた。


「純佳さん、逃げないと」


 目的通り鳥居をくぐったけれど、あの幽霊が入って来られないという確証があるわけではない。

 促しても足を動かそうとしない純佳に苛立ちが湧く。


「見えるんならおかしいってわかるだろ⁉ 逃げるぞ!」


 怒鳴り、強く腕を引く。

 だが、どうやってか純佳は腕を掴んでいる壱夜の手からスルリと抜け出した。


 動きに合わせ、艶のある黒髪が月明りに照らされながらサラリと舞う。

 自由になった小鳥の様な純佳は、壱夜に向き直り妖しくも見える笑みを口元に湛えた。

 ペタペタと足音が聞こえる中、細い人差し指が桃色の唇に触れる。


「んー。私、仕事しなきゃないから逃げるわけにはいかないんだ」

「は? 仕事? なに言って……?」

「人に見られると困るんだけど……壱夜くん、アレに食べられるつもりない? 死んだなら見られたってことにはならないし」

「は? な、なにを……食べられたいわけないだろ?」


 純粋そうな可愛い顔で非人道的なことを口にする純佳に、壱夜は頭の中がバグってしまいそうな感覚がした。


(こいつ、本当に原田純佳だよな?)


 そんな不信感に似た疑問が浮かぶ。

 月光が照らす美しい少女は、実は幽霊と似たような存在なんじゃないかとすら思わせる。


「やっぱりダメかぁ」


 フフフ、と笑う純佳は、口にした言葉が言葉でなければ純粋に可愛いと思えるもので、尚更壱夜の脳内はバグっていった。


「じゃあ、秘密だよ? 今から見ることをちゃんと秘密にしてくれるなら、助けてあげる」


 小首をかしげ、上目遣いでなにやら交換条件を出してくる。

 ねだっているようにも見えるそのしぐさに、壱夜は不覚にも心臓をキュッとさせた。


(か、かわっ……)


 どうやって助けてくれるというのか。

 それはまったく分からなかったが、純佳の可愛さに魅了された壱夜はひとまず頷いた。


「分かったよ。秘密にすればいいんだな?」

「うん! 良かった」


 無邪気にニッコリと笑った純佳は、ほんの数メートル先まで近付いて来ていた得体のしれない幽霊に向き直り、スゥッと弧を描くように右手を上げる。

 すると描かれた先から黒光りする刃が現れ、その繊細な右手が何かを掴んだと思ったときには大きな黒い鎌が現れていた。


「……」


 あまりにも驚いた壱夜は声すら出せない。

 見開いた目に、ずんぐりとした幽霊と大鎌を持った巫女姿の少女を映すのみだ。


「じゃあさっさと終わらせるね。悪霊になった霊を消すのが、死神としての私の仕事だから」


 壱夜に背を向けたまま宣言した純佳は、黒髪の残像を残し悪霊に向かっていく。

 足を止めず、すれ違うと同時に大鎌を素早く振る。


 純佳が悪霊の陰になるところで立ち止まったと思ったら、悪霊の大きな体が音もなくサラサラと砂のように崩れ消えていった。


 何が起こったのか理解出来ない――と言うより、したくない壱夜は目を見開いたまま動けない。

 純佳は恐ろしいほどの美しさを纏い、妖艶とも取れる笑みを浮かべ壱夜の元に戻ってくる。

 目の前に来た彼女は、きらめく刃の大鎌を壱夜の首に当てた。


「っ!」

「と、いうことで。ちゃんと秘密にしてね? じゃないと私、こうやって壱夜くんの首切らなきゃならないから」


(首、切るって……冗談だよな?)


 冗談だと思いたかったが、純佳のずっと変わらない笑みからは嘘を感じ取る事が出来ない。

 壱夜はカラカラに乾いた喉を震わせ、掠れる声で頷いた。


「ああ……ちゃんと、秘密にする……」


 壱夜の答えに、純佳はまるで花開く月下美人のように美しく微笑んだ。


END

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