父と呼ぶもの

南雲 皋

彼女の願い

「タクマくんってさ、私のこと、好きだよね。私の秘密、知りたい?」


 放課後の教室、想いを寄せているクラスメイトの美少女からそんなことを言われて、知りたくないと答える男がいるだろうか。いや、いない。


 当然のように俺は頷き、彼女は微笑んで俺の手を取った。

 促されるままに席に座る。


 前の席の椅子を動かして向かい合うように座った彼女は、ビー玉みたいな瞳で俺を見て、そうして自分の秘密を語った。

 その秘密は到底信じられないような現実味のないもので、けれど俺にとって彼女は絶対で。


 だから彼女の口から出た言葉は全て真実なのだ。

 たとえ、それがどれほど荒唐無稽な話だったとしても。


「そ、それで、ハラダさんは俺にどうしてほしいの?」

「高校卒業したら、私と結婚して」

「……なんで、お、俺?」


 控えめに言って、俺はブサイクに分類される外見だという自覚がある。

 そして、性格もまぁ、良くはない。

 脳内でならこんなにも流暢に話せるというのに現実では小さい声しか出せないし、めちゃくちゃどもる。

 いわゆる陰キャと呼ばれる生き物であり、クラスでは常に後回しにされる類の人間である。


 そんな俺に、なぜ。


「タクマくんは、私のためなら何でもしてくれるでしょ? 知ってるんだよ、タクマくんの部屋に何があるのか」


 嫌な汗が背中を流れた。

 俺の部屋にあるもの。それは。


「私の隠し撮り、いーっぱい貼ってあるもんね?」

「うっ、え、いや、そっ、その」

「いいの、別にそれは。タクマくんがストーカーだろうと。私のお願い、聞いてくれる?」

「だ、大学、行かないで、は、はた、働いた方が、いい?」

「二人で暮らせるなら何でもいいよ」


 流されるままに大学を受験するつもりだった俺は、就職活動をすることに決めた。

 出来のいい兄と姉と違って、俺は元より期待されていなかった。高卒で就職すると言えば、浮いた学費で二人の欲しいものを買うに違いない。

 家を出れば、俺の部屋が姉のウォークインクロゼットと化す未来が見える。

 あの家に俺の居場所はなかった。

 彼女のために生きる覚悟を決めるのは、ひどく、簡単だった。


 ◆


 季節はあっという間に進み、俺は内定をもらった。

 ほとんど出社せずに勤務可能で、社員同士の会話はもっぱらチャットで行われるという、俺にとって最高の職場だった。ここ以外では絶対に働けないと思ったおかげか、採用通知が届いた時は柄にもなくガッツポーズをしてしまった。


「内定おめでと。今週末、いい?」

「う、うん……大丈夫」

「失敗は許さないから、本当に、お願いね」

「い、いっぱい練習した、から」

「ならいいけど」


 そうして俺は、彼女の家に挨拶へ行くことになった。

 彼女の家は高校から自転車で十五分程度のところにある一軒家で、似たようなデザインの家が立ち並ぶ中の一つだ。両親と彼女の三人で暮らしている。


 就職活動の時にも来ていたスーツに身を包み、インターホンを鳴らすとすぐに彼女が顔を覗かせた。

 促されるままに家に入ると、玄関先には少し古めかしい家族写真が飾られている。

 リビングに通され、勢いのまま挨拶をした。

 顔を上げると、聞いていた通りのこわい父親がいた。


 リビングに置かれた大きなテーブルに、父親と母親が隣り合って座っている。俺は父親の正面に、彼女は母親の正面に座った。

 テーブルの下、彼女の手が俺の手を握る。


 失敗は、許されない。


「ハラダ、キミチカさん! 娘さんと、け、結婚させてください!」

「しあわせにしてやってくれ」

「は、はい! ありがとうございます、ハラダキミチカさん」


 彼女が差し出す婚姻届に、父親が記入する。乱雑に書かれた名前は確かに、ハラダキミチカと読めた。

 こわかった父親が、玄関先に置かれていた写真の中に映る優しげな父親になっていた。


「おめでとう、幸せにね」

「ありがとう、お母さん。お母さんこそ、お幸せに」


 手早く婚姻届を回収した彼女と共に、二階に上がる。通された部屋は、彼女の匂いで満たされていた。


「あは、あはははは、ありがとうタクマくん、成功したね」

「う、うん、お父さんに、な、なってた……」

「やっと。やっとだよ。家の中に入れるのは簡単だったのに、パパに成り代わらせるのがこんなに大変だと思わなかった」


 荒唐無稽な彼女の秘密は、全て真実だった。

 大好きな父親が、母親の手によって殺され、行方不明にされたことも。

 母親に復讐するために化け物を家に呼び入れたことも。

 その化け物を父親にしたいということも。


 彼女から前もって外見を聞いていても、気を緩めれば悲鳴が漏れそうなくらいに怖かった。口も目も鼻も耳も複数あって、訳の分からない言葉を全ての口が呟いていた。

 バラバラに動いていた口が一斉にしあわせにしてやってくれと言ったときには、気を失うかと思ったほどだった。彼女の爪が手に食い込んでいて、ギリギリ正気を保てたが。


 俺と彼女の二人でアレに父親の名前を付け、書面で縛り、これからさらに不特定多数の人間に父親として認識してもらう。

 そうしてアレはどんどん本物になっていくのだ。本物の、ハラダキミチカに。母親の命を蝕みながら。


「新しいおうち、探しに行こうね」

「う、ん」

「安心して? 私もこの家を出たら普通になるから。ママみたいに不倫したりしないし、理不尽な教育ママにもならないよ。幸せな家庭をつくろうね」


 幸せな家庭をつくろう。

 それが彼女の次なる願いと言うならば。


 彼女の母親の行く末さえも、些細なことと捨て置ける。

 得体の知れないナニかのことを、父と呼び慕うことだって、できるのだった。


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父と呼ぶもの 南雲 皋 @nagumo-satsuki

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