同一犯

姫路 りしゅう

同じ犯罪

「そう警戒するなよ。俺はお前に危害を加えようなんて思っちゃいねえんだ」

 崩れかけた雑居ビルに声が反響する。

 このあたりの区域は既に戦火に焼かれているはずなので、雑居ビルが雑居ビルの形をしていること自体が奇跡的だった。


 小鷹琢磨こだかたくまはゆっくりと両手をあげながら奥に見える人影に近づいていく。

「だから警戒するなって。

「あと一歩でも近づいたら撃ちます」

「……」

 日本本土で戦争がはじまってからもうすぐ半年が経つ。

 そんな状況なので、銃の一つや二つが出てきても小鷹は全く驚かなかった。

 小鷹は落ち着いたまま銃を持った男の指示通りそこで足を止める。

「できればそのまま後ろを向いて帰ってくれませんか? こんなご時世でも、もう人殺しは避けたいんですよ」

 銃を持った男は長い髪を後ろで縛っていて、前髪で顔が半分隠れていた。

 濁った眼をしている彼は、器用に煙草を咥えたまま言葉を吐いた。

「まあ、帰ってもいいんだが――」

 小鷹はその煙草を見て、自分がかつてヘビースモーカーだったことを思い出した。

「――煙草、一本くれねえか?」

「……」

 押し黙って銃を構え直す男に、小鷹は両手をあげたまま言葉を投げる。

「お前、このご時世にこんな廃墟に立て籠ってんだ。どうせろくでもないやつなんだろ。そうだな、犯罪者か」

「それが?」

「図星か。がすると思ったぜ」

「……もしかして、貴方も犯罪者なんですか」

「けひっ、まあ、誇ることじゃあないけど、昔ちょっとな。結構珍しい犯罪を犯した。で、まだ捕まってない」

「なるほど」

 銃を持った男は少し警戒心を解いた。彼も相当珍しい犯罪を犯していたからだ。

「貴方、名前は?」

「小鷹。小鷹琢磨」

「小鷹さん……。聞いたことない名前ですね」

「まあ指名手配とかになってるわけじゃねえからな。そういうお前は?」

「私は、大鷲おおわし大鷲真人おおわしまひとです」

 大鷲は銃を降ろして、廃材に腰を下ろした。

 小鷹もそれに倣って座る。

「ちなみに貴方はどんな犯罪を?」

 小鷹はたっぷり考えてから「説明が難しいんだが……」と頭を掻いた。

「わかりやすく言えば、そうだな。唆したというか……ってところか」

「……えっ」

「どうした、そんなに驚いて」

「いや……私も同じなんです」

「同じって、何が?」

「私も、んです」

「……マジか」

 こんなところで人と出会うことがまず低確率なのに、お互いが犯罪者で、お互いが同じような罪を犯しているだなんて。二人は素直に驚いた。

「もしかして俺たち」

「私たち」

「『同じ罪状の犯罪者なのかも!』」


**


 小鷹琢磨。

 犯した犯罪:動物使嗾しそう狂奔きょうほんの罪

 動物使嗾・狂奔の罪。

 人や家畜に対して、動物などをけしかけて驚かせる犯罪。

 軽犯罪のひとつであり、基本的に逮捕されることはない。


 大鷲真人。

 犯した犯罪:外患誘致がいかんゆうち

 外患誘致罪。

 外国に働きかけて日本国に武力を行使させる犯罪。

 例外なく死刑に処される。


**


「煙草、吸いますか?」

「おお、サンキュー。欲しいって言ったのは俺だが、いいのか? 貴重品だろ」

「いえいえ。まだまだたくさんストックはありますから」

 煙草とマッチを差し出す。

 大鷲は日本で唯一戦争が起こることを知っていた人間なので、事前に煙草などの嗜好品を買いためることができていた。

 小鷹がゆっくりと煙を吐く。その妖艶な姿に一瞬だけ大鷲は目を奪われた。

「美味しそうに吸いますね」

「あぁ……美味いからな」

 同じ罪状の犯罪者に出会えた(と思い込んでいる)二人の間には奇妙な絆が形成されつつあった。


「小鷹さん、けしかけたって言ってましたけど一体何をけしかけたんですか?」

「あ? ああ、だよ豚。豚けしかけたらひっくり返っちゃってさぁ!(人が)」

「(国が)ひっくり返っちゃったんですね。私も同じだ。それにしても豚って」

 日本に対して武力行使ができるくらいの人間のことを豚呼ばわり。

 きっと相当な大物なんだろうな、と思った。

 日本に武力を行使してきた国は一国ではなかったので、偶然同タイミングで別の国に働きかけたのだと大鷲は予想する。

 実際はそんなことなく、外患誘致罪を犯したのは大鷲だけである。


「お前は? 何をけしかけたんだ?」

「ブライアン=マークソンです」

「名前いかつ!」

 ブライアン=マークソンのことを豚か馬だと思っている小鷹は声をあげて笑った。小鷹は外国の要人なんて知らなかった。


「ヤッたあとのよぉ、気分はどうだった?」

「まずは何より達成感でしたね。まず間違いなく人生で一番の大仕事でしたし」

「そんなに!?」

 豚をけしかけて人を驚かせることが!?

 小鷹にとってのそれはせいぜい幼い頃に綺麗なトカゲを捕まえた程度の達成感だったので思わず大声を出しそうになった。

 でもまあ、過去は人それぞれだもんな。よっぽど退屈な人生だったみたいだ。

「でも達成感は一瞬で。その後すぐに複雑な気分になりました。本当に良かったのかなって」

「なんだお前、後悔してんのか?」

「いや……後悔はしてないです。明確な信念に基づいてやったことなので」

「明確な信念に基づいてやったの!?」

 明確な信念に基づいて家畜で人を驚かせたの!?

 小鷹は心のなかで叫んだ。

「逆に小鷹さんはなかったんですか? 信念」

「なかったなぁ」

「じゃあなんで」

「なんでって言われると……つい、悪戯心で」

「悪戯心で!?」

 悪戯心の結果がこの惨状?

 大鷲は窓から焼けた街を眺めた。

「私は、明確な信念に基づいてたつもりだったんですが、この景色を見ると、もうわかんなくなったんですよね」

 正しいと思って罪を犯した。しかし、その結果生まれた惨状を見て、本当の正しさとは何か彼には分らなくなっていた。

「そうだよな。俺もこの景色見たらもうどーーーでもよくなった」

「人間ってそこまで割り切れるもの!?」

 小鷹は豚をけしかけて人を驚かせただけなので、戦争が始まった今自身の犯罪がどうでもいいのも当たり前だった。

「今さら俺一人を血眼になって探して捕まえにくることもないだろ」

「いや、それはどうでしょう……」

 外患誘致を行った人間は言うまでもなく大罪人だ。国家が機能していればすぐにでも見つけられ、絞首台に送られるだろう。しかし、国家が半ば機能していないのも事実なので、小鷹の言うことも一理あった。

「私たち、捕まればですからね」

「は?」

「え?」

「んー、うん、まあ俺達のヤッた行為はだよな」

 動物をけしかけて人を驚かすのは、間違いなく礼節を欠いている。

 小鷹は一瞬『捕まったら死刑』だと聞こえたが、死刑なはずがなかったので聞き間違いだと判断をした。


「まあでもよ、大鷲。そう暗い顔すんなや」

 小鷹は吸い終えた煙草を足ですり潰して両手を広げた。

「たまたまだけど、こうして罪を分かち合える相手と巡り会えたんだ。暗い顔をする理由がどこにある」

 もし罪を分かち合ってしまったら小鷹が大変なことになるのだが、彼はそれに気が付いていない。

「……」

 大鷲はうざったい前髪を掻き揚げた。

「私は、正しかったんですかね」

「正しくなかったんじゃねえの? 犯罪なわけだし。でもよ、それで犯罪だーって言われても俺はあんまり納得しないよ」

 確かに豚をけしかけて人を驚かすのは犯罪だと言われても「それはそうかもしれんけど」みたいな顔になる。


 しかし大鷲はこの言葉を全く違った風に受け取った。

 と受け取った。

 だから、外患誘致を犯罪だと言われても、彼の中では正しいことなのだから、納得がいかない。

「……思想犯しそうはん

「あ? ああ、確かそんな感じだ」

 『動物使嗾しそう狂奔きょうほんの罪』の使嗾と『思想犯』の思想は全く違うのだが、彼らはそれに気が付かない。


「ありがとうございます。なんだか、気が楽になりました」

「(動物をけしかけたくらいで)思い詰めすぎなんだよ。でもほら。俺と話して気が楽になったのなら、それは煙草のお礼だと思ってくれ。こちらこそサンキューな」

 小鷹はゆっくりと立ち上がった。

 本当はもっとたくさん話したかった。

 戦争で、明日を生きられるかわからない日々の中、自分と同じ犯罪を犯した男と話せた体験はとても貴重で、それでいて楽しかったからだ。

 しかし煙草を吸い終わった今、もう小鷹がここにいる理由がなかった。

 もともとこの雑居ビルを訪れたのも、珍しくビルの形を保っていたからであって深い意味はない。


「あの!」


 しかし、立ち去ろうとする小鷹を大鷲が止めた。

 大鷲にとって、一緒にこの国を終わらせた人間との話は楽しく、また、彼の自由奔放なところに大きな刺激を受けていた。

 だから彼は自然に小鷹を呼び止めていた。


「もしよかったら、今晩ここに泊っていきませんか?」


「……いいのか? 俺はきっと煙草、ねだるぜ」

「いいですよ。何本でも吸ってください」

「けひっ、じゃあさっそくもう一本貰おうかな」


 終わりゆく国の中で、国を終わらせた男と、豚をけしかけて人を驚かせた男の奇妙な共同生活がはじまろうとしていた。


 小鷹はマッチを擦って、煙草に火をつけた。


 少しだけマッチの火を見て、すぐに息を吹きかけて火を消した。

 ろうそくを吹き消すかのように誕生日おめでとう

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