不可思議な秘密は、ルールを守った後で

龍神雲

不可思議な秘密は、ルールを守った後で

 SNSで話題になっている【坩堝るつぼ調しらべ


 【坩堝の調】とは、福田ふくだメルこと、私が住んでいる地域の外れにある、小さな水族館、ナギラ海洋水族館の女子トイレの一室に付けられた名称だ。

 ナギラ海洋水族館の一階の女子トイレには個室の洋式トイレが六つ、設置されている。

 女子トイレに入って右奥、三番目の個室が話題の【坩堝の調】だ。

 個室に入ってから洋式トイレの蓋を開け、トイレに向かって三回、手を打ち鳴らした後――


『坩堝の調を聞かせて下さい』


 そうお願いすると、勝手に水が流れ、見知らぬ誰かの映像を水面越しに見せてくれるという。

 しかし一度流れ出したら最後まで見なければならないのがルールで、途中で退室した瞬間、見ていた者の最も大事な記憶を奪い取ってしまうという――

 実際に記憶を奪われた人が複数いたそうだ。

 しかし何れも、数ヶ月から半年以内に不慮の死を遂げ、SNSでは反響を呼んでいる。

 私としてはオカルトや与太話に全く興味はない。だが、【坩堝の調】は私が住んでいる地域から比較的近い場所にある。

 ――もしかしたら、インフルエンサーになれたりして? 十三歳インフルエンサー福田メル……なんて? うん、行ってみよ!

 好奇心が上回り、早速、ナギラ海洋水族館に向かう――


      †


「うっわぁ〜、大分荒れてるし……汚っ!」

 ナギラ海洋水族館は一年前に閉館した水族館だ。

 ちなみにナギラ海洋水族館は私が住んでいる家から歩いて十五分の場所にある。

 林道を抜けると真っ青な海と共に、広大な海岸からの綺麗な風景が見える。

 ――うん。勿論、絶景だ!

 しかも今日は緩やかな潮風も吹いている――良き!

 それからテトラポッド、漁船の数々を目で追いながら歩いて行くと、海と空の境界線の中心地、頑丈なコンクリートの上に、小さいながらも我が地域の閉館した水族館、ナギラ海洋水族館が建っている。

 年々、観光客が減るどころか地元の住人も遠退く寂れ具合で、閉館する半年前からすでに閑散としていた。

 とまれ、今は完全に閉館している。ナギラ海洋水族館の入口のゲートは閉ざされ、立入禁止のバリケードテープも貼られているが、ゲートも立入禁止のバリケードテープも、知らないしで気にせず跨ぎ、足を踏み入れていく。


     †


 ナギラ海洋水族館の正面玄関扉前まで行くと、扉下のガラスが割られ、ポッカリと空洞が空いている。身長一四五㎝しかない細身の私なら、そこから難なく潜って中に入れそうだが――

「てか、施錠されてないし、普通に入れるじゃん」

 よくよく見れば、扉の鍵は掛かってない――ということで、そのまま扉を開けて館内に侵入する。


「ほんと、寂れてるなぁ。ていうか誰も、いないよね……? けど、おっ邪魔しまーす……」

 なんて言いながら、館内のフロアをスタスタと我が物顔で歩いていく。

 昔から知っている場所なので歩き慣れてはいるが――

「わっ! 危なっ!」

 チャリっという音が足元で聞こえ、視線を足元に向ければ、ガラスの破片が散っており、危うく踏み抜くところだった。

 よくよく見れば館内のフロアは缶ジュースや紙くず等のゴミが散乱し、フロアもだが、壁も塗料が剥離している。

 足元に気をつけながら慎重に歩くこと数分、一階の女子トイレ、【坩堝の調】がある女子トイレの前に着く。


     †


「ここかぁ……」

 問題の【坩堝の調】がある女子トイレには赤い☓印がくれてあった。SNSで話題になっているせいか、女子トイレと表記されている札にも、【坩堝の調は一番右奥のトイレ】と黒い油性のマジックで書かれている。

 ちなみに閉館する前、ナギラ海洋水族館のトイレを利用したことがある。利用の目的は【坩堝の調】ではなく、普通にトイレに行きたくなり利用しただけだ。それにその頃には【坩堝の調】は存在してなかった。閉館して一ヶ月が過ぎた頃に、突如として話題になったのだ。

 ともあれ、一番奥のトイレの場所は分かるも書かれた文字を読み、それから女子トイレの扉を開けた。

「ひぇっ! 暗っ!」

 今は昼間なのに、トイレの中は真っ暗だ。

 ――これじゃ別の何かが出そうなんですけど……

「こんな真っ暗なの絶対やだし! ていうかスイッチは確か……、この辺りだったかな?」

 壁に手の平を押し付け、手探りでスイッチを探していけばよく知る形の突起物が手に触れる。

「あった!」

『パチッ』

 人差し指で軽く押せば、ジジッというノイズ後に、蛍光灯が少しチラつきながらも点灯し、室内がパッと明るくなる。

「良かったぁ、点いてぇ……」

 一応ライトは持ってきていたが、推し活用のペンライトなのであまり使用したくはない。

 とまれ、明かりが点いたので安心だ。閉館して寂れてはいるが、見た目は極普通のトイレだ。ホコリや汚れが目立つが、別段、何かが出そうな雰囲気は電気が点いたのもあってかない。

 ――こんなんで、本当に何かが起きるのかな……?

 再びそう巡らすも、問題の右奥の個室トイレの扉を開けて中に入る。


「ううーん……? やっぱ普通じゃん」

 【坩堝の調】と言われるような感じはない。汚れてはいるが、普通の洋式トイレだ。トイレの蓋を開けて確認してみるが、水が溜まっている。手入れされてないので水が茶色く濁っているが、気になるところはない。

 半信半疑だが、一先ず手順通りにやってみる。

「先ずは……三回、手を打ち鳴らすと」

 両手をパン、パン、パンと打ち鳴らしていく。

 乾いた音がトイレの室内で反響する。だが、何も起きそうにない。

 ――これでいいんだよね?

 そして次の手順に移る。

「坩堝の調を聞かせて下さい」

 ――ていうか、本当にこんなんで流れるの?

 なんて思っている内に、洋式水洗トイレからチロチロと音がし、水が流れていく。

「へぇ! 本当に流れるんだぁ! 面白ぉ〜。てか、どういう仕組みなんだろ?」

 怖いというよりも、ワクワクとした感情が起こる。

 それから水面が虹色に輝き始め、何かの映像が映り出す。

 どこかの田園風景がひたすら流れていき、じきに映像は一人の男性に向けられていく。

 ――ん〜? 誰よ、この人……?

「誰だか知らないけど、ま、いっか」

 気にせず水面に映し出される映像をじっと見ていた。

 映し出されたのは老齢の白髪の男性だった。年齢は八十ぐらいの、腰が折れ曲がった、痩せ型の男性で、半袖白Tシャツにグレーのジャージのパンツ姿で畑に立っている。

 何となくだが、家庭菜園をしているような雰囲気だ。

 季節は夏なのか、日差しが強い感じがする。よくよく見れば、老齢の男性の両肩には白いタオルが掛けられている。矢張り季節は夏なのかもしれない。

「ていうか、何やってるんだろう……。芋掘りでもしてるのかな?」

 老齢の男性はひたすらクワを使い、掘り進めている。

 手付きは慎重だ。深く掘り進めているので、じゃがいものような物を掘り起こすのかもしれない。

 いや、もしかしたら――

「タイムカプセルだったりして?」

 少しだけ夢が広がる。

 直に、老齢の男性は掘っていた場所にゆっくりと屈み込み、何かを両手で掴んだ。

 ――んん? 何だろ……?

 男性は両手で何かを掴んで、思い切り引っ張って、後退していく。

 音はしないが、何となくズルっや、ボコッとした音が合うかもしれない。

「えっ……」

 そして私の視界に、奇妙な光景が映り込む。

 老齢の男性の両手で引っ張り上げられた物――それは、遺体だった。

 アールグレーの髪色のポニーテール。スカイブルーの半袖ロングワンピースに、チャコールブラウンのグラディエーターサンダルを履いた――私によく似た子。

 ――なによ、これ……? どういうこと……? なんで、私が……!? いやいやいや、あれは私によく似た、見知らぬ誰かだよ……

 そう巡らすも、バクバクと心音が煩く鳴っている。

 ――だって、ありえないでしょ。ていうか、何なの……?

 そう考えている内にも映像は流れ、進んでいく。

 老齢の男性は私に似た少女の遺体をその場に掘り起こして引っ張った後、その場で両膝をつき、胸の前で両手を組み合わせて頭を垂れた。

 まるで祈りを捧げるような仕草だ。その間にも私の心音は煩くバクバクと鳴り、もやもやとした不快感が訪れる。

「何なのこれ……? この映像、いつまで見てなくちゃいけないんだろう……」

 ――早く、終わってよ……!

 そう巡らした時だ。今まで無音だった映像に音が流れ、不意に、老齢の男性の声が私の耳に届く――

『坩堝の調を、私に聞かせて下さい』

 ――えっ……? どういうこと……?

 次の瞬間、水面に映し出された映像の中にいる老齢の男性と目が合った。

 ――私を、見てる……? いやいや、気のせいだよね? 偶然、目が合っただけだよね……?

 しかし老齢の男性は明らかに私をじっと見ていた。

 強い眼光はないが、私の隅々を覗くような奇妙な視線だ。

「マジで何なの? 気持ち悪い……」

 やがて老齢の男性は口の端を引き――



「見つけた」



 と、たった一言呟いた。たった一言だが、不快感以上に底知れない恐怖が私の体を駆け巡り、次には悲鳴を上げて個室のトイレを、女子トイレを飛び出していた。


『途中で退室した瞬間、見ていた者の最も大事な記憶を奪い取ってしまう』


 ――やばっ……! 大事な、記憶……


 しかし私にとって大事な記憶はなく、思い浮かびもしない。

 そもそも十三年という人生で大事にしていた記憶はないのかもしれない。自堕落に生きていたし、何かに夢中になって取り組んだこともないが――

 ――あれ? なんか、変だな……

 頭がモヤモヤとし、たった今見ていた【坩堝の調】の記憶が、急激に閉ざされていく。

 そしてその二ヶ月後、私の人生に、ある転機が訪れる。


      †


 【坩堝の調】を見てから二ヶ月が過ぎた頃、【坩堝の調】を見ている途中で退室してしまった私は、解決手段を得られなかったせいで老齢の男性に殺され、土の中に遺棄された。

 あの時、途中退室しなければ、私は今も、生きていたのかもしれない――


      †


『視聴者のみんなぁ〜! こぉんにっちわぁ! オカルトハンターアイコだよぉ! 今日もアイコと一緒にオカルト対談を聞いて! 暑い夏を涼しく快適に過ごそうね!』


 大手動画サイト、【REAL☆TUBE】で老若男女に大人気の現役JK、オカルトハンターのアイコが画面越しに明るく告げ、【オカルトハンターアイコの秘密クラブ】のオカルト生配信が始まる。

 生配信の映像はアイコが用意した、ポップでパステルカラーのグリーンの色合いが中心の小部屋が映っている。

 その小部屋のソファには主役のアイコと、アイコが招待したゲストが向かい合わせで座り、今話題のネタでゲストと共に対談しながらの生配信が展開されていた。

 ちなみに今回のネタは、【坩堝の調を実体験した者達の告白】だ――


《ケース1:二十代の男性.会社員オクトパスさん》

 ――SNSで話題になっている【坩堝の調】を最後まで見たそうですね?

 アイコが率直に聞くと、会社員オクトパスは頷く。

 ちなみにオカルトハンターアイコは実体だが、会社員オクトパスの全体のシルエットはタコのアバターで、匿名性が守られている。

 会社員オクトパスはアイコの質問に一拍したのち、おもむろに口を開く。

『はい、最後まで見ました。物凄く気持ちが悪かったんですが最後まで見ました。そしたら一週間が経った頃ですかね……突然、【坩堝の調】で見てきた映像を思い出して……。それで、危機を免れた感じです』

 ――なるほど、第六感みたいな感じでしょうか? スピリチュアルみたいな?

『はい、そんな感じです。ナギラ海洋水族館の女子トイレ、【坩堝の調】で見た映像とは違う、逆行した映像が僕の頭の中で突然、流れ出して……。その映像が流れなければ僕は車に轢かれて……恐らく今、こうしてインタビューを受ける機会はなく、亡くなっていたと思います』

 ――そうなんですか! 危機回避能力パネェな! ていうか、閉館した女子トイレに訪れる勇気もスゴー! ちなみに【坩堝の調】を最後まで見て良かったなと思いますか? 

『はい、退室せずに【坩堝の調】を最後まで見ていて良かったなと、今は思います。それに、憧れのアイコさんにも生で会えたので嬉しいです』

 ――わぁ〜! どうもありがとう! アイコもめちゃ嬉しいよ! ではでは改めまして、どうもありがとう御座いましたぁ!


《ケース2:五十代の女性.主婦たまごさん》

 ――SNSで話題になっている【坩堝の調】の映像を最後まで見たそうですね?

『はい、ネットに書いてあった手順通りにやって、最後まで見ました』

 ――ぶっちゃけ、どうでした?

『物凄く、気味が悪かったわ……。でも最後まで見ておかないと、最も大事な記憶を奪われるって話題になってたじゃない? 私、普段から忘れっぽいし、途中で退室して大事な記憶を奪われて、これ以上何かを忘れてしまっても困るから、最後まで見たのよぉ〜。それに、流れていた映像に興味もあったからねぇ』

 ――なるほどぉ、そうなんですね! 最後まで見てみていかがでしたか?

『そうねぇ、最後まで見たおかげで、今もこうしてピンピン生きてるわ。もし最後まで見てなかったら私は恐らく、一ヶ月前に飛行機事故で亡くなっていたわ。ほんと不思議よぉ? あの時、トイレで見ていた光景が逆行して私の頭の中で流れ出したんだから! 虫の知らせって言うのかしらねぇ? とにかくそれを思い出してからは、空港を引き返して、家にとんぼ返りよぉ』

 ――そうなんですね! アイコに教えていただき、どうもありがとうございます!


     †


 【坩堝の調】を最後まで見た者達は助かった。

 だが途中で退室した者達は見た記憶を奪われ、見た記憶の日時の瞬間になっても何も思い出せず、不慮の死を遂げたという。

 一体なぜ、そのような不可思議現象が起きたのか――?

 しかしその謎を解明しようにも手段はない。

 ナギラ海洋水族館にあった【坩堝の調】が見れる女子トイレも、ナギラ海洋水族館も、跡形もなく、取り壊されてしまったからだ。

 【坩堝の調】の謎は謎として残り、今も時折、SNS上で話題に上がり、動画等で語られている――

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