今宵、ホテルのバーで謎解きを~最強のセキュリティー編

若奈ちさ

最強のセキュリティー編

 ホテルの最上階にあるバー。

 窓際には、ぽつぽつともる灯りとぼんやり漂う湯けむりを見下ろせる席がぐるりとあって、カウンターは5席ほどであった。

 近くに等々力以外の客はいなかった。

 まずはバーボンをロックで。口の広いグラスに氷山のような無骨な氷がふたつ。オレンジの皮を乗せてくれといったら、ペティナイフでくるくると薄くむいてグラスの縁に引っかけた。


 女性客を魅了するという端正な顔つき、客の注文には何でも応える確かな腕前。

 この男だろうか、と声をかけてみる。


「聞くところによると、裏メニューがあるとか?」

「そんな大袈裟なものではないですよ」

 バーテンダーは控えめに首を振った。

「お客さまとお話をしながら、きょうはこんな気分のカクテルはどうかなって、お出しすることがあるんです」

「ひとりで来ておいてなんだが、酒を楽しく飲むには話し相手がいないことにはね。ここは接客するようなバーではないだろうけど、すこし話しをしても?」

「ええ、もちろん」


 バーテンダーは少し離れたところに立っていたが、さりげなくこちらに寄ってきて、カウンター内の台を拭いたりしはじめた。


「こういう客は珍しくないのかな。話し相手を求めてやってくるような客は」

「そうですね。お客さま同士で意気投合することもありますよね。私ともなんとなく会話が始まっていることもありますし。逆にお客さまによってはおひとりで静かに飲まれたい方もいらっしゃいますから、そんなときは隅でひっそりとグラスを磨いています」

「詮索はあるでしょ。きれいで色気のある女がひとり、そっとしておいてっていう雰囲気でいたら、ねぇ。俺だったらたまらなくなって声をかけたくなるけど、バーテンはそういうわけにはいかないよね」


「若い女性がおひとりで気兼ねなく時を過ごすには、ここは最適です」

 そういって声を潜めた。

「だから、ここだけの話しにしておいてください。想像をすることはありますよ、尋ねはしませんが」


 おもしろい男だ。彼ほどの男なら声をかけただけで勘違いする女もあるだろうに。


「観察眼には長けているってところかね」

「とんでもない。確認していないのですから、たんなる空想です。人を見る目があるわけじゃないですよ」

「俺はどんなふうに見られているのかな。世界を飛び回る実業家には見えてないよね」


 白髪の方が多い髪をオールバックになでつけ、ツイードジャケットにノーネクタイというラフめの格好は、小洒落た年金暮らしのじいさんにも見えなくない。


 バーテンダーは「ん-」と口の中でうなるような声をあげ、悩むような仕草を見せた。

「一番難しいです。このあいだは警察OBの方がいらっしゃいましたけど、とうとう最後までわからなかったです」

「ふうん。職業当てゲームは確かに難しい」

「名探偵ホームズのようにはいきません」


 やけにまじめにいうバーテンダーを笑い飛ばす。

「まるできみが探偵業を兼務しているようないいかただな。だが、目利きは必要だ。偽物をつかまされたくはない」

「なにかの商品のお取り扱いを?」

「まぁそんなところだ。めいめい各業界でみなプライドを持ってやってるものさ」

「わかります。多方面にお知り合いがいらっしゃるのでしょうね」


「そうそう」

 無駄話はこのくらいでいいだろうと、等々力は今思いついたかのようにいった。

「俺の知り合いでね、危うく金庫を破られるところだったというヤツがいてね」

「金庫というと、会社の?」

 バーテンダーは手を止めて話しに食いついてきた。


「いいや、自宅だよ。自分の書斎に自分の身の丈ほどの大きな金庫が置いてあるんだって。身の丈といっても、彼は身長160cmにも満たないのだがね」

「いえいえ、金庫としては充分大きいですよ。それで金庫破りですか。それだけ大きければそうやすやすと運び出せないでしょうから、中身を頂戴するには扉を開けるしかないということですね」

「そういうこと。なんでも、その泥棒はプロ中のプロで、自分に開けられない金庫はないと豪語する大泥棒だったんだとか」

「危うくってことは、開錠に失敗したということですよね。泥棒とはいえ、プライドもズタボロだったのでしょうね」


 泥棒の側に立って話しをするとはますますおもしろい男だが、湧き立つ感情はどうにか抑え込む。


「そうさ。さいわいと、なにも盗み出せないうちに退散したようだね。セキュリティー会社からの通報で警察まで出動したっていうし」

「セキュリティーのある邸宅に忍び込むとは度胸がありますね」

「家人が在宅だとセキュリティーを切ってるんだよ。いちいち反応して面倒だとかで……っていう、下調べまでされていたんだ」


「それはまた不用心ですけど、じゃあ、どうしてセキュリティー会社から通報が?」

「寝静まったころ、こっそりと侵入したのに家人と泥棒が鉢合わせしてしまったんだ」

「ええ! 危険な目に遭われたのでは?」

 バーテンダーが大袈裟に驚くので、即座に「いいや」と首を振った。

「それはない。強盗と遭遇した時点で危険な目に遭ったというのであれば、そうかもしれないが、前科七犯の大泥棒も傷害罪で服役したことはないんだと」


「そうですか、前科七犯……」

 バーテンダーはなにか思考を巡らせているようだった。


「そのとき、泥棒は捕まってないんですよね」

「そうだ。だから前科七犯のままだ」

「その泥棒の素性はわかったということでしょうか」

「え?」


 どういう意味だと一瞬戸惑った。洞察力の優れたバーテンダーだとは聞いていたが、こちらの手の内すべてを知られるわけにはいかない。

 だが、等々力もすぐに軌道の修正を図る。


「ああ、そうだな。警察が調べて、侵入の手口とか防犯カメラの映像を解析して、犯人が誰だったかまではわかったらしい。今どこにいるかはわからないが、まぁ、少なくとも檻の中ではない」


「なるほど。ともかく、ケガもなくて不幸中の幸いでしたね。それにしても、そんな大きな金庫になにを入れて置いたんでしょうか。隠し財産なら警察の介入は避けたかったでしょうけど」


「だとしたら愉快だがね。どうやら、現金とか証券以外の物もあるようで。なにが隠されているのか教えてくれないんだ。それをいうと開錠のヒントになるとかなんとか」


「気になりますね」


「そもそもその知り合いは成金趣味がひどい男でね。風呂上がりはハイブランドのバスローブを身にまとい、大きなグラスにバカラのボトルに入ったコニャックをわずかばかり注ぎ、プレミアムシガーをくゆらせ、傍らに猫を侍らせている」


「侍らせている」

 繰り返していうと、バーテンダーはその場面を思い浮かべたのか愉快そうに笑った。


「ああ、そうだよ、まさに侍らせている。エジプトの壁画に描かれているような背筋の伸びた黒猫で、きっとそいつも由緒正しい血統書がついた高い猫なんだろうけど、鈍い色に光る目がさ、不気味なんだよ。光の加減なのか片方の目だけが金色っぽい赤に見えて」


「もしも猫ではなくドーベルマンを侍らせておいたら、噛みつかせることもできたかもしれませんよ」

 バーテンダーは冗談めかしていうが、笑えない事態になる。


「それ以前にまず吠えていただろうね。猫ならせいぜい盛りがついたな、程度だろうけど、犬はね、やっかいだ」


「不審者に反応する……ひょっとして犬は最強のセキュリティーなのでは?」


「だったりしてな。だが相手が猫と老人とあって、泥棒は落ち着いたもんだった。家主の方は灯りを付けた途端に書斎に誰かがいるもんだから驚いた。でも、視力が弱いのか、誰だかわからず、初めは家の者だとでも思ったらしい」


「家の者が勝手に書斎に入り込んでいる、というほうが現実感がありますからね」


 実際のところはどうだろうか。

 暗くても視力が悪くても、家族ではないことぐらい気づきそうなものだが、そうはならなかった。


「まさか泥棒とは思わなかったようだが、聞き覚えのない声で金庫を開けるように命じられて、中の方に入ってきた。そしたらデスクの上に置いてあったメガネをかけて泥棒をまじまじと眺めたんだよ」


「家主の方も肝が据わっていますね」

 バーテンダーは感心したようにいった。


「ああ。そんな家主に遭遇したことはなかったね。まぁ、そんなことでひるんでいられないから、開錠方法を教えろと脅したんだ。その金庫にはダイヤルも鍵も付いていなかった。昔ながらの金庫ならなんとかなっただろうに、なにかを読み取るようなプレートがついているだけだったんだ」


「生体認証でしょうか」


「うむ。そう思って、主の手を引っ張って、押しつけてみた。右も、左も」

「指紋や指静脈でもない」

「顔をかざしてみたりね。虹彩というのでもないらしい」

「家主は金庫の『鍵』ではなかったと」


 家主はやけに従順で落ち着き払っていた。

 自信があったのだ。この金庫はそんなことでは開かないと。


「考えられないが、ほかの家の者が『鍵』になっているかもしれないと、家中の人間を呼び集めた、らしい。嫁と娘と、秘書と運転手と家政婦と庭師と、ええと、それだけだったかな」


「本当にお金持ちなんですね」


「そうだよ。憎らしいほどに金は持っている。だから、愛人を認証に使ってるんだろ、ここに呼び出せっていったら、嫁のほうがわめきだして。あなた愛人がいるの?どういうつもりなの。だいたいあなたは見栄ばかりなんだから、早く金庫開けて中身をくれてやんなさいよって。そうこうしているうちに、家人の誰かがセキュリティー会社へ異常を知らせていたのか、外が騒がしくなって、退散していったというわけ」


 等々力は負けたのだ。

 その悔しさといったらない。

 家主は金庫が破られることはないと、絶対の自信を持ってセキュリティーを解除していたのだ。


「まぁ、常識から考えて、自室の金庫なんですから、他人がいなければ開けられないというのは不便ですよね。よこしまな感情が湧き起これば持ち去られてしまうこともありえますから――。どうぞ」


 すっと、バーテンダーはコースターを置いて新しいグラスをさしだした。


「ん? これは、もしや?」

 何やらごそごそしていると思ったら、酒を作っていたらしい。


「ええ、今宵はおもしろいお話を聞かせていただきましたので、これはサービスです」


「ほほう。裏メニューね。こんな何層にもなった飲み物は初めてだな。よく若い子がカフェラテだのタピオカだのって、やたら大きなコップに入った飲み物を持ち歩いてるけど、きれいなもんだね」


「ありがとうございます。青紫色はすみれのリキュール。緋色の上層はハーブのリキュールで、苦みが強く、おとなの味わいになってます」


「真ん中の透明なところは? 氷の間に緑の丸い物が挟まっているけど」

「青い小梅の砂糖漬けです。毒も苦みもすっかり抜けていますのでご安心を」

「ふぅん。きょうの俺の気分、か」


 ひとくち飲んでみる。


「……うん、そうだね。ビターな味だね」

「気分と言いますか、きっと、これが答えなのではと」

「裏メニューのカクテルが?」


 寸胴のグラスをぐるりと一回り、眺めてみるがどの位置からも同じように見える。

 赤から青へのグラデーション。真ん中にあせた緑の玉。こんな酒は見たことがない。

 これに解錠の鍵となるヒントが隠されているというのだろうか。


 お手上げのように目配せすると、バーテンダーは満足そうに微笑した。

「キャッツアイ、とでも名付けましょうか」


「猫の目か――。ああそうだ言い忘れていた。猫の首根っこを捕まえて同じように肉球を押しつけたり、あの変わった色の目をかざしてみたり、ちょっと腹をつまんで鳴かせてみたり、いろいろ試してみたがダメだったんだ」


「そうでしたか」

 バーテンダーはちっともがっかりした様子を見せずにいった。

「ならば、コンタクトレンズというのはどうでしょう」


 コンタクト? どこからそんな言葉が浮かんできたのだろうか。


「お知り合いの家主の方は普段メガネをかけておられるんですか」


 どうだっただろうか。あのときメガネをデスクから取って侵入者が何者かを確認していたぐらいだから、視力は悪いのだろう。

 家のことはしっかり把握するものの、人の顔なんてまるで興味はなかった。

 ただ、メガネは特徴として覚えやすいから、印象にないということは普段はしていないのか……だが、確信できないことを口にするのはためらわれた。


「ええと……普段は……」

「どちらでも構わないのですが」

 バーテンダーはむげもなくいう。

「生体認証というのは欠点があるそうで。個人宅におかれる金庫レベルならなおのことでしょうが、生きている細胞でなくともロックが解除できるそうなんですよ」


「指紋ならあり得そうだが、瞳の虹彩も?」


「ええ。高精細画像をコンタクトにプリントするだけでセキュリティーを解除できるのだとか」


「本当か?」


「試してみたことがありませんので」


 適当なことをいってるのかわからないが、バーテンダーはニヤリと答えた。

 本当かと聞かれても、それは知るわけないだろう。


「メガネなら高級なフレームが使われているとかで盗まれることもあるかもしれませんが、コンタクトは盗もうと思うでしょうか」


「ないだろうね」


「コンタクトレンズは盗まれることも気づかれることもない『鍵』になりうるということです。誰の虹彩をプリントしたかは定かではありませんが、書斎に無造作においてあっても関心を寄せられることもなく、最強のセキュリティーになりますよ」


「まぁ、ない話しじゃないね」


「ええ、たんなる想像です。もしかしたら、猫の目のほうに疑似虹彩がプリントされたコンタクトレンズがはめ込まれているかもしれませんしね」


「ええと、つまり、片方の目の色が違うあの猫は、実はコンタクトをしていて、それを外して本物の猫の目をかざしたら……ということか?」


「ええ。かもしれないという話です」


 時代は進んだ。

 あり得るのかあり得ないのかさっぱりとわからない。

 だが、試してみる機会があるのなら、やってみる価値はある。


「まぁ、与太話にしてはおもしろかったよ」

「ありがとうございます。こちらも楽しませていただきました」


 噂どおり、謎解きを趣味にしているらしいバーテンダーは満足そうに微笑んだ。


「そうなると金庫の中身が気になるところだが。家主は方々で珍しい宝石を手に入れたと自慢しているようでね」


「アレキサンドライトキャッツアイ、なら面白いでしょうね」


「あの黒猫の目のように、光源の違いで青にも赤にも光る、あれか。いいね。ぜひいただきたい――いや、お目にかかりたいね」


「二度目ともなると、次はお屋敷に入ること自体が難しいかもしれないですよ」


「そのときは、ああ、いや、そんな予兆を感じたと知り合いから聞いたら、またセキュリティー強化の知恵を借りに来るよ」


「お待ちしております」


 野暮なことを聞かぬバーテンダーは等々力の素性を知ってか知らずか、うやうやしく頭を下げた。

 もしかしたら、等々力がもう一度あの家に盗みに入ったとしても、なにも持ち出せないと思っているのかもしれなかった。


 さて。どうなるか。

 それくらいの物が盗まれたらニュースになるだろうか。

 そんな風の噂を届けてやろうじゃないか。

 等々力はグラスを空けると、打ち明けなかった秘密とともにバーを後にした。

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今宵、ホテルのバーで謎解きを~最強のセキュリティー編 若奈ちさ @wakana_s

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