翠国第四王子は受難を楽しむことにした

江東うゆう

秘密


みどりひめでございます」


 国元から連れてきた私の幼なじみが、頭を床にこすりつけた。磨かれた石が貼られた床はさぞかし冷たかろう。


すいこくのいちばんの美女だそうだが」


 宮殿の中央、玉座に続く階段の脇にいた者が口を開く。喉仏があるが声は男のものより高い。黒い衣装からして、宦官かんがん、だろうか。

 

 ――宦官、初めて見た。


 まだ年若いのだろうか、肌は白く、柔らかそうだった。

 私は少し上げていた視線を下げ、袖の中に顔を埋める。


 ――私より、あの者のほうが適任ではなかろうか。


 女物の衣装に炊き込めた香のにおいにうんざりしつつ、そう思う。

 女の使う香は男の使う香とは違う。

 少なくとも、わが国では。


 わが国の名前はまだない。村ごとの名前はあったが、他の国とのつきあいが薄いから、東の国、などいい加減な呼び名でごまかしてきた。今回は、私が翡翠ひすいかんざしを身につけているのを見て、「翠国の翠姫にしよう」と父上が決めた。


 ともかく、急に申し入れをしてくる隣国が悪いのだ。

 隣国は領土を拡大するにあたって、わが国にも交流を求めてきたらしい。国いちばんの美人を後宮に入れろという。

 そもそも、どこまでがわが国なのかもはっきりしない。そこで、王族から最も美しいものを選ぶか、ということになった。

 誰もが認める美人は、姉の白露しらつゆだったが、あいにく、既婚である。では二番目は、というと、四男の私、未明みめいである。

 王位は生き残っている年長の男子から、いちばん歳の近い男子へと受け継がれていくのがならわしだ。我が一族はだいたい百年は生きるという長命だから、一つ年上の兄がいる私には、王位が回ってくるとは思えない。

 

  ――妃の性別は、決められておらぬのだな?

 

  父上は非情にもそう言い、私に隣国に行くことを命じた。

  正月に十五になったばかりの私は、成人の儀式も取りやめて、こうして女の姿で異国に来ている。


「よくお越しくださった。部屋が用意してございます。侍女は? そちらの従者は男のようだが」

「侍女はおりません。供は私一人でして」


 幼なじみは、ごりごりと床に額をすりつける。

 あんまりこすると血が出るだろうよと思いながら、私は父上の言葉を思い出す。


 ――弟の娘が異国に行きたがっておるが、まだ小さくてな。まあ、三年もすればおまえとこっそり入れ替わってもらうから、少し辛抱せい。


 三年は短くない。私も国元にいれば武芸の訓練に明け暮れていたであろう三年間だ。それに、父上は簡単に入れ替われるような口ぶりだったが、見た感じ、この国の宮殿は我が国と違って鍵が厳重……のような気がする。


「そうであれば、そちらさまは、下がられよ。あとは姫お一人で」

「えっ」


 幼なじみがとりつくろうこともできずに驚いている。

 そりゃあそうだろう。後宮は女の園だと聞く。そこに、十五の男が紛れ込んで、どうなると思うのだ。

 私は、幼なじみの靴をつつき、目配せする。

 大丈夫だ、という合図だった。


「で、でも」


 幼なじみの頬が震えていた。父上の予想と多分に違うこの国の様子に、すっかり怖じ気づいている。

 私は密かに笑みを送り、黙らせると、そうっと数歩、前に出た。


「一人で大丈夫でございます」


 か細い声で言う。まだ、声変わり前でよかった。なんとか、男とばれずに済むだろう。


 ――とはいえ、このあとどうごまかしたらいいのか。


 秘密を分かち合う幼なじみが退出させられるのを見ながら、そう思った。


 ☆☆☆☆☆☆☆


 鳳凰ほうおうこくの王である。

 ……というのは、嘘だ。


 先日、双子の弟が「勉強はいやだ」と言って王宮から逃げた。

 そのことは、母上と私、側におる者数名の秘密にしてある。

 折しも、西方の国との戦争に備えて、東側にある諸国との同盟関係を深めておこうとしていて、各国から国いちばんの美人が嫁いでくるところだった。

 美人に囲まれるという誘惑も、弟の勉強嫌いには勝てなかったらしい。

 急ぎ、姉の私が王の振りをすることになった。

 幸い、鳳凰国では王はべんかんをかぶる。前後に垂れる玉飾りが顔を隠しており、弟に化けることは容易だった。


 弟、つまり本当の王は、まだ若く、十三歳だ。同じく、姉の私も十三歳。

 子作りだなんだには、少し早い、と言い訳のできる年齢だった。


 でも、あと三年もすれば?


 私は、どうにかして弟を連れ戻さなければ、と思いながら、嫁いできた翠国の王女の姿を眺めていた。


〈おわり〉

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