恐怖のたるみなき頂点

平山文人

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 くわぁ、マジでこんなもん来るんじゃなかった。体が小刻みに振るえる。草木も眠ってそうな暗い夜道のなか、ぼろいカローラのハンドルを握っている吉広も恐怖を隠せない声で言う。

「い、いま、の婆さん、なんだろうね」

「知るかよ。なんであんなとこにいるんだろ」

 俺たちは今、寂れた人気のない山道を走っている。それで、家も何もない林に囲まれた場所を通り過ぎようとしたところで……。

「白い着物着てたね。死に装束みたいな」

「しかも俺らになんか手招きしてたよな。こえええぇ」

 俺は思わず後ろを振り返った。さっきの婆さんが走ってついてきているような気がしたからだ。幸い何もいない。

「お前、お守りとか魔除けグッズは持ってきてんだろうな」

「う、うん。清めた塩とお守りと数珠とお札とお経と十字架とニンニクと……」

「ニンニクはいらねーだろ。ドラキュラがいんのかよ。まあ今のは徘徊してたボケ婆さんということにしよう」

「そだね」

 眼前の道はどこまでも暗く、目的地の廃ホテルはまだ見えない。ここから山を登るS字カーブが続く。

「幸人知ってる?ここって走り屋とかが攻めるとこなんだけど、しょっちゅう事故って死んでるんだよね」

「そんな情報いらねー」

 俺はため息をついた。腕時計を見ると夜の11時過ぎだ。彼女もいない暇人の週末、しつこく誘ってくるオカルトマニアの吉広のお願いなんぞは、いつもは二つ返事で断っていたのだが、競馬で負けて金もろくすっぽなかったので、つい魔が差して承諾してしまったのだった。

「んー、遅いなぁ。わざとかな?」

 と、吉広がつぶやく。前には一台の黒いスポーツカーが走っている。

「あんまピッタリくっつくなよ。煽ってると思われんぞ」

「でも遅いんだよ。なんだよ20㎞って」

「どっかで追い越せよ。あーでも二車線の山道じゃ無理か」

 確かに前を行くシルビアか何か分からんが、やたらシャコタンの車の速度は遅い。安全運転第一のゴールド免許保持の優良運転手なのだろうか。の割には車高低いな。

「ねぇ、幸人……なんかおかしいんだけど」

「なにが?」

「前の車の運転席、誰もいないっぽいんだけど……」

「はぁ? んなわけないだろ。ちょっとギリギリまで寄れ」

 寄ってもらったがいかんせん暗いし、リアガラスにスモークを 貼っているようで車内は見えない。

「よく見えないけどお前なんでそう思った」

「さっき大きく右に曲がるとこあっただろ。その時誰もいないように見えたんだ」

「気のせいだ。それより車間距離取れ。どうせもうすぐ着くんだろ」

 わかった、と返事して吉広はブレーキを踏んだ。すぐ先に急激なカーブがある。吉広は慎重にハンドルを切る。すると……。

「あれっ。いないね?」

「ほんとだ……。いくら何でも一気に突き放せないよな、これだけS字続いてると……」

 二人は思わず息を飲んだ。そして次の瞬間、全てを忘れることにした。その時、どこからか低い男の声が聞こえてきた。

「おい、なんかお経みたいな声が聞こえるんだが」

「俺にも聞こえるよ。ラジオつけた?」

 確認したがもちろんついていない。音楽もかけていない。

…故知般若波羅蜜多古是大神呪…

 俺は辺りを見渡す。どこから聞こえてくるんだ。

「お前なんか仕込んでんじゃないだろうな、ぶっ飛ばすぞ」

「そんな事してないよ。なんか下のほうから聞こえるような」

「下ってお前、俺には後ろからに聞こえる」

「ああ、着いたよ、廃ホテル『グレートサンセット蓬生』に」

吉広は左折して薄暗闇の中に入り込んでゆく。街灯がこんな魔境のような所にまで引いてあるので、目の前に見事にそびえたつ廃ビルが暗がりの中でもおぼろげに見える。まだ耳に忍び込んでくる謎の読経が怖くて仕方ないので俺は飛び出すように降りた。

「思ってたより高いビルだなぁ」

車のキーをポケットに入れ、後ろのトランクを開けながら吉広が答える。

「バブルのころに建てられたんだ。まぁ、当時からたいして流行らなかったらしいんだけど。それですぐに潰れてオーナーも販売会社の社長もみんな首吊って死んだらしいよ」

 なにかの匂いが鼻をつく。なんだこれ?線香の匂いか?思わず鼻をこすると、じんわりと汗をかいている。もう10月で少し肌寒いはずなのだが、ここに来るまでに恐怖イベントが地味に続いているので冷や汗をかいているのか。

「読経聞こえなくなったな」

 吉広はうなずき、懐中電灯を渡してくる。自分は何か分からんが頭につけたライトと手元の懐中電灯の二段構えだ。そして背中には登山用の大きなリュックを背負い、さらに左手にはビデオカメラだ。

「おい、動画撮るのかよ」

「だってyoutyobuに上げたら金稼げるもの」

「お前最初からそれが目的か?なら俺に収入の半分寄越せよ」

「いくらかはあげるよ」

 とのたまうと、さっさと歩いていく。改めて暗闇に浮かぶやたら高層な建物を見上げる。入口からしてガラクタが散らばり、回転ガラスの入り口ドアは割れまくって見る影もない。さっきから鼻をつく線香のような匂いが更にきつくなった気がする。俺の本能は全力で「ここには入るな」と言っているが、吉広の手前今さら怖いから帰ろう、とは言えない。ぬぐぐ、行くか、と蛮勇を振るい、真の闇である廃ビルに一歩踏み込んだ。吉広はあちらこちらに懐中電灯の光を当てている。そして、ぷぎゃあっと大声を上げた。俺のキンタマも縮み上がった。光の先に裸の女の大きな絵画が壁に飾ってあるのが見える。

「大きい声出すなバカ」

 と俺は大きい声を出した。だってぇ、と吉広は震え声で何か言う。途端に、天井のほうからどん、というような衝撃が響いた。思わず二人は立ち尽くす。次の瞬間、頭の上をぶわっさという音と共に何かが通り過ぎたのを感じた。

「なんか飛んでるるぅ。ここ、コウモリかな?」

 取り乱す吉広の頭のライトが何かしら黒い飛行物体を照らす。次の瞬間彼はリュックを下ろし、何かを取り出し始める。

「おいまさかニンニク出すんじゃないだろうな。そんなの効かねーよ」

 と俺は吉広の尻を蹴飛ばした。そうか、とリュックを背負いなおした後、上の階で何か足音みたいなのがしたよね、行こう、と進みだす。

「お前のその勇気はどこから来るんだ」

「見てみたいんだよ、幽霊とやらを、この目で」

「見てどうすんだ。憑りつかれて死にたいのか」

「いやぁ……とにかく見てみたいの。幸人だって見てみたくない?」

「俺に何の害もないならな。後怖くないなら」

 何も返事せず、吉広はずんずん二階への階段を上り始める。こいつ転がり落ちて死なねーかな、とか内心思いながらついていく。いつの間にか線香の匂いはしなくなったが、二階へ上がった途端、何とも言えない生臭い、腐った魚みたいな匂いがしてくる。ぴゅう、という音も聞こえる。どうやら空いている窓から風が入ってきているらしい。足元には汚ねぇタオルだのボロボロのパンフレットだの壊れたトースターみたいなものだのが散乱していてまさしく廃ホテルの観がある。

「部屋の中を見てみよう」

「お前だけ行ってみてこい」

 吉広は不満も言わずドアが開け放してある真っ暗な部屋に侵入してゆく。途端になんだこりゃあと絶叫する声が聞こえたので慌てて俺も飛び込む。

「なんでこんなパンツだらけなの?!」

 懐中電灯をかざして見れば、部屋の至る所にパンツ、トランクス、ショーツ、ブラジャーが散乱している。男物も女物もある。ひとつ手に取ってみると、うっすら濡れていてまことに気持ち悪い。しかも……生暖かいではないか。

「おい……もしかしてここ、誰か住んでるんじゃねーか」

「そ、そりゃ、あり得なくもないけど。浮浪者とか?」

 二人とも動くのをやめて耳を澄ませた。遠くから何らかのケダモノの遠吠えのようなものが聞こえたからだ。

「お前、武器みたいなのは持ってきてるか?」

「持ってきてない。幸人柔道の有段者だろ、頼むよ」

 このボケ俺頼みかよ。むしろこいつをここで投げて締め落とすのが最善な気がしてきた。そして車のキーだけもらってとっとと帰る。俺が吉広の間抜けな後姿を見ながらその誘惑に必死に耐えていると、こちらにビデオカメラを向けてくる。

「この人が相棒の幸人。かなり怖がっています」

 などと言っていてるのでますます殺意のボルテージがあがって、怒りで怖さというものがどうでもよくなってきた。

「では隣の部屋に向かいます」

 などと言っている吉広がムカつくので俺が先に行ってやろう、とずかずか隣の部屋へ向かい閉まっているドアを開ける。一気に鼻にお香のような匂いが飛び込んでくる。

「おおうぅおっ!」

 と俺は悲鳴を上げた。左の壁にずらりと人形が並んでいるではないか。西洋人形、日本人形、こけしとかなんかわからんけどとにかく人形だらけ。

「ふうわぁ……何このお菊さん」

 吉広のヘッドライトが照らす日本人形は、TVの恐怖映像などで見たことあるような、髪の毛がざんばらに伸びているではないか。

「ででぇ……これは……」

 などと言いながら吉広は平気で手に取る。こいつ、ある意味では怖いもの知らずだな、と後ろから見ている俺は思う。髪の毛をなでたり引っ張ったりした後、無造作に足元に置く。俺は部屋を見渡しているが、人形ども以外は普通のホテルの一室という感じではある。

「そうそう、皆さんにも幸人にも説明します。実はこのホテルの最上階にはレストランがあるんだけれども、そこに女の幽霊が出るとの目撃証言が多数あるのです。ですからこれから向かいます」

 馬鹿かお前わ、と俺は口に出していった。なーぜわざわざそんなデンジャラスポイントに向かわなければならんのだ。

「あれどうしたの。幸人ビビってるの?」

「なんだとこの野郎。誰がビビるか」

 なんて言ったばっかりに、この後12階までひたすら階段を昇るハメになるわけだ。ふと割れた窓から外を見ると、小雨が降っているようで、少し肌寒い。俺たち二人の足音だけがさく、ざっと広い廃ホテルに響いている。ホントまじでなんでこんなとこに来たんだろう、と足元の古雑誌を蹴飛ばしながら俺は不満と不快の極みであった。

「ああ、多分ここが最上階だよ。ほら」

 と、吉広が指さす重そうな木製の扉にはスカイレストランアメジストとか書いてあるのが読めた。中に入ってみると、確かにお洒落なレストランだった雰囲気はある。側面が全部ガラス張りになっていて、見下ろす街のネオンがとても綺麗である。

「おお、空にも星が瞬いている」

 と俺は言ったが、返事はない。どこ行った、と見渡しても吉広はいない。

「よしひろ、どこいったよ」

 しかしまたも虚しく俺の声だけが消えていった。ああん?俺は懐中電灯をあちこちに向けた。やはりいない。

「はぁ? こんなとこに俺一人とかマジすか」

 頼りないぼんくらでも、いないとこんなに不安になるものなのか。焦った俺は大きな声でよしひろーぅ、と何度も呼んだ。無駄。DIO様並に無駄無駄無駄。と、その時、奥を照らす光に誰かが動いたのが見えた。

「なんだお前そこにいたの……」

 そこで俺の言葉は止まった。目に入ったのは、髪の長い、細いシルエットの何かである。お、おんな?と思った次の瞬間、こちらに向かって歩いてきた。

「ちょちょ、あ、あなたはだれですか?」

 これでもかというぐらいの震え声で俺は尋ねる。返事はない。距離がどんどん詰まってくる。刹那、その女性か何か分からん生き物が両手を上にあげた。俺の選択肢はただ一つ。振り向くやいなや全速力で出口に向かう。100メートル走なら5秒台が出たはずの速度で

走ったので、勢い余って転がるようにこけてしまった。ふぐふぁ、と声を上げて再び走ろうとした時━━

「幸人大丈夫!これドッキリ!!」

 突然幾つかの光に照らされた。眩しくて思わずふらつく。ド、ドッキリだと?懐中電灯で吉広の声のするほうを照らすと、そこにはにやけながら、申し訳なさそうにビデオカメラを回している野郎の間抜け面が見える。その横に3人ぐらいいるようだ。

「あのお姉さんも生きてる人だから。心配ないよ」

 後ろを振り返ると若い女の子が申し訳なさそうに歩いてくる。よく見たら普通の恰好である。

「ちょちょ、待てよ。という事は、全部仕込みなのか?」

「そうなんです。あ、初めまして。吉広くんのオカルト仲間というか、田代と申します」

 と、暗闇であいさつしてくるのは少し小太りの、しかし人は良さそうなおじさんである。その横にいるのが同じく仲間の田中と山田、だそうだ。女の子は水本。

「本当にすみません。道中で起こった怪奇現象は全部私たちの仕込みなんです。これは私たちのyoutyobuの企画でして……」

 田代いわく、彼らはいつも怪奇スポットの探検に行っているが、みんな怖がりなのでぎゃあひぃ叫ぶのでリスナーに馬鹿にされていると。そこで、いや、誰だって怪奇スポットに行ったらそうなる、というのを実証したかったのです、とのこと。

「もちろんお礼というか、出演料は払います。ですからどうか怒らないでください」

 と、一同神妙に頭を下げてくる。取りあえず怒りというより、ホッとしたのがまずあって、吉広は帰ったら必ず殺すけど、他のメンツはまぁ許すことにした。

「では、夜も遅いですし帰りましょうか」

 田代の声にみんな従い、足早に歩きだす。本音ではこの廃ホテルはやはり怖いのだ。吉広がすまなさそうにしながら横に来る。

「幸人本当にごめんね。出演料ははずむから」

「一億円よこせ、さもなくばお前には死だ」

 その時、先頭を歩いていた田中が声を上げた。

「あれ、おかしい、空かない」

 重い扉がいつの間にか閉まっていて、押しても引いても全く動かない。田代が体当たりしても開かない。

「あれ……来た時どうやって開けたっけ」

「観音開きだから鍵でもかかってない限り開くはずだ」

 二人が取っ手を持って押したり引いたりしているのを見ていると、ふととんでもなく辺りが寒くなっているのに気付いた。吉広も気づいたらしく、不安げに辺りを見回している。

「おい、このレストランに女の幽霊が出るってのもネタなんだよな?」

 聞くと、吉広は唾を飲み込む。そして絞り出すように言う。

「い、いや……その話自体は本当なんだ。噂というか、このレストランはこのホテルのオーナーの愛人が経営していたけど、捨てられて自殺したらしく……」

 ここに未練があるのか、とか思った次の瞬間、体が動かなくなった。なんだ?! と思ったら、声まで出ない。そんな俺の目に飛び込んで来たのは、ちろちろ動く火の玉ではないか。寒さはますます勢いを増すどころか、強烈な風が吹き荒れ始めた。テーブルの上にあるものが落ちる音が響き渡る。せめて声が出せればっ……横にいる吉広の姿こそ見えないが、激しい呼吸音だけが聞こえている。そして……

━━ここは私の部屋。何故勝手に入ってきた━━

 耳元で恐ろしいドラ声が聞こえたので、かろうじて動く目の玉だけ動かすと、すぐそばに瞳を烈火に燃やした、口から血を流した女の顔があった。俺、もう駄目。完全に失神。



 どれぐらい時が経ったのか分からないが、ふと気づくと俺は砂利道に寝そべっていた。太陽の光が眩しい。なんか痛いな、と気づくと吉広が俺の股間に顔をうずめているではないか。あひゃあなにやってんだ、と後ろずさり、ついでに顔を二、三回蹴ると、目を覚ました。

「いてて。……う~ん、ここは……」

 などと言っている吉広を尻目に立ち上がると、横には田中と山田が尺取り虫みたいなポーズで眠っており、田代と水本は水本が横になってタワーブリッジをかけている状態でお互いまだ夢の中のようだ。あの幽霊のお姉さん、ロビンマスクのファンだったのか……。目の前の朝日に照らされる廃ホテルを見て俺は思った。もう二度と心霊スポットに肝試しだので行かない。死者に敬意を持とう。おら、こいつら起こせ、帰るぞ、とまだ座っている吉広の背中を蹴飛ばしながら、俺はそう誓っていた。(終)

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恐怖のたるみなき頂点 平山文人 @fumito_hirayama

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