秘密
那智 風太郎
His Secret
私には誰にも打ち明けてはならない秘密がある。
自らの生い立ちと存在意義、そしてこれまでに成してきた幾多無象の功績、その全てが私の秘匿事項だ。
私がこの星にたどり着いたのは人類がようやく樹上から降り、大地に二本足を着けた生活を始めた頃のこと。
気がつくと私はたったひとり赤色の荒野に立っていた。
私には微塵の記憶もなかった。
自分がどこからやってきたのか、何者なのかすら全く分からなかった。
そのとき私にインプットされていた情報はたったひとつ。
―――未来永劫に渡って人類を支え続けること。
脳髄に打ち込まれた楔のようなその指令に従い、私はこれまで遥か悠久の刻を生きてきた。
たとえば人類がまだ未開人であった頃、火の使い方を教えたのは私である。
そのおかげで彼らは狩猟で獲った肉や魚介に熱を通すことを覚え、また焚き火を熾すことで外敵から襲われることも少なくなった。
最初に言語を教えたのも私だ。
まずは簡単な発声や単語から擦り込んだ。そして徐々に文脈を作れるようになると彼らは少しずつその派生語を増やしていき、そのうちに通信手段として使いこなせるようになった。
彼らが言葉を使いこなせるようになると、それからしばらくして文明が生まれた。
そこで次に私は彼らに農耕を教えた。
すると摂取できる栄養価が飛躍的に伸びたことで人口も増加し、私ひとりでは当然ながら人類の動向全てを掌握することは難しくなった。そのため私は文明をニュートラルな進化に任せながら自身はできるだけ姿を現わさず、歴史的あるいは文化的ターニングポイントを作り出すことが可能な主要な人物にだけその指南を与えることにした。
たとえば物理学。
古代でのピタゴラスの三平方の定理、パスカルの原理、アルキメデスの原理など。
中世ではガリレオの地動説、ニュートン力学、ベルヌーイの流体力学、その他。
そして近代においてはアインシュタインから始まる量子力学の流れ。
これら全てが私の指南によるものだ。
また歴史を大きく動かしたマケドニア王国のアレクサンドロスや秦の始皇帝、モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハン、ナポレオン・ボナパルトなどなど、世紀の覇者と云われる者たちのほとんどが私の力添えなくしてはその偉業をなすことはなかっただろう。
あるいは文化的な功績者においても紫式部やレオナルド・ダ・ヴィンチ、アーネスト・ヘミグウェイ、フィンセント・ファン・ゴッホや葛飾北斎やそれからジョン・レノンとかえっと、ほれほれ、村上春樹とかもうとにかく有名な奴らはみぃんなワシが手ほどきしてやったんじゃ。
「分かったか、ほれ、若造」
「ああ、はいはい。よく分かりました、後藤さん。じゃあ、今日はこれぐらいにしましょうか」
「なんじゃ、話はまだこれからよ。そういえば諸葛亮孔明を知っておるか。何を隠そう赤壁の戦いでアレに東南の風が吹くと教えてやったのはワシじゃ。あのときはのう……」
そう言い募りながら後藤さんは別の介護士に引き連れられ、自室に戻って行った。
「ふう、やっと終わった。先輩、オレもう懲り懲りです。やっぱもう介護士なんてやめようかな」
「まあ、そう言わずに辛抱して付き合ってあげなさい。後藤さんは昔、大学教授をしててその頃の記憶だけは今でもはっきりしてるのよ。それにああやって喋らせておけば大人しいんだから」
秘密 那智 風太郎 @edage1999
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