泡 沫

東 里胡

第1話

 きっと、叶わないものだから。

 深い深い海の底に、そっと沈めてしまいましょうか。


 私の大好きな王子様には。

 それはそれはお似合いのお姫様がおります。



 駆け寄るお姫様に王子様は手を伸ばす。

 クシャクシャとお姫様の頭を撫でる優しい手。

 お互いを愛しむように見つめ合って笑いあう。


 二人の姿が眩しくて、眩しすぎて。

 そっと目を伏せた。


 その手が。

 その瞳が、私だけのものならば……。


 私は人魚。

 思いを声に出来ない憐れな人魚。

 海の上の王子様に恋をして。

 誰にもそれを話せぬままで。

 きっといつか泡と消えてしまうの。




 窓の向こう側、校庭の風景を眺めながら大きくついたため息。


 それを拾ってくれたのは王子様ではない。

 恐々と顔を上げ、声の主をみた。


「野上、俺の授業は随分と退屈みたいだな?」


 片側だけ顔面を上げ嫌味な笑いを浮かべた英語教師の目はしっかりと私を捉えていて。

 そのまま丸ごと1ページぶっ通しで英文を読まされた。




「バッカだねえ、まーた見惚れてたの? 理央リオ先輩に」


 1ページもの長文を読み終え、燃え尽き真っ白になった私は休憩時間も机に突っ伏していた。

 そんな私をバカな子だね、と撫でてくれるミユにされるがまま。


 どうしようもない恋をした、と嘆く私に

『いつまで経っても夏芽のモノにはならないんだよ? とっとと諦めなよ』と笑うのにも、もう飽きた、悲しくなるとミユが言う。

 ミユの言っていることは絶対に正しい。

 彼女のいる人を好きになった自分が悪い。

 心配かけてごめん。

 

 でも。


「私だってすぐに諦められるって思ってたよう」


 ブーッって尖らした唇をミユの指がギュッと握りつぶす。


「ねえ、その顔ブスだから止めな、ね」


 何て労わりのない言葉、親友って何?!


 ……親友って何? いつかミユから言われそうで、それは飲み込んだ。




「理央先輩、遅いです!」

 

 今日はアンケートまとめるよ、と生徒会長リオセンパイに言われてしまったならば。

 書記わたしにはサボる拒否権はない。


「あれ? 夏芽だけ?」


 なんてトボけてるけれど。


「先輩、本当に皆に連絡回しました?」


 どうだっけ? とスマホを確認して誤魔化すようにふにゃりと笑う。

 その柔らかな笑顔はずるい。

 きっと私しか呼び出していないんでしょう?

 


 私が数えた集計をパソコンでまとめる理央先輩の隣でじっと終わるのを待つ。

 それに気づき、私をチラリと見てあの柔らかな笑顔を零す。


「健気、ワンコみたい」


 制服のポケットから出したポッキーを私の口に一本つっ込んで。

 頭を撫でてくれる、その手が好き。

 ねえ、優しい目で見つめないで?

 横顔だけ見ていたいの、今だけは。

 こうして隣で見る先輩の横顔だけは私のものでいて?

 祈るような気持ちでじっと見つめていたらまた気付かれてしまって。


「見過ぎでしょ?」


 と苦笑して、また一本ポッキーを与えられた。

 まるで私先輩のペットみたい。

 待て、と言われたらずっと待ってられる。


「先輩、今日体育ありましたね」


「そうそう、見えてた?」


「サラ先輩と仲良しでした」


「あー……、ね、そうね」


 私の気持ちなんてとっくに先輩にはお見通し。

 揺らめく波間のキラキラの欠片のような瞳で私を見つめて。


「ごめんね? 夏芽」


 言葉とは裏腹な先輩の指は私の長い髪の毛を櫛を通すように撫で、そのまま私の首筋を這って。

 辿り着いた先にあるセーラー服のネクタイをクルクルと弄ぶ。

 

 グッと唇噛んで泣きだしたいのを堪えて先輩を見上げたら。


「夏芽の泣きそうな顔、可愛くて好き」

 

 先輩の声で名前を呼ばれるのが大嫌いで大好き。

 その好きはサラ先輩のと同じ?

 シュルリと私のネクタイを解く細く器用な指先に私の心はざわめいた。


 優しくしないで、諦めきれなくなってしまうから。

 期待してしまうから。



 目を閉じて唇に触れた熱を受け入れながら、うっとりと漂う波間で。

 いつか私は誰にも秘密で泡沫となる。



―――ただそばにいたい、それだけなのに。

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泡 沫 東 里胡 @azumarico

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