災難を呼ぶ男
蒼井アリス
災難を呼ぶ男
「
カフェのテーブル席で提出期限が迫っているレポートを書く手を止めて、幼馴染の
文句だろうが肩口を拳で小突かれようが幸生は甘んじて受ける。むしろ一時間も待ってくれていたことに感謝している。
朗はアイスカフェラテが入っていただろうグラスを持ち上げ、ストローを吸い上げたが「ズズッ」と音を立てて空気だけを吸い込んだ。
「チッ、空かよ」
「奢るよ、アイスカフェラテでいいか?」
朗の舌打ちを聞いた幸生がすかさずドリンクを買いに行く。遅刻したことへのせめてもの償いだ。
ドリンクをトレイに乗せ、幸生が席に戻ると、朗は自分のドリンクをトレイの上からヒョイと取り上げ「何があった?」と聞いてきた。
「横断歩道を渡ってたらすぐ前を歩いていたじいさんが左折してきた車に轢かれそうになった」
幸生が簡単に説明すると、朗は「またかよ」と言ってアイスカフェラテを一口飲んだ。
朗が「またかよ」と言うのには理由がある。幸生が事件や事故に巻き込まれやすい体質だからだ。
それでも今まで大きな怪我もせず無事でいられるのは「幸生」という名前のせいなのかもしれない。
幸せに生きるで「幸生」。昔、朗が「祝福されている名前だな」と言ったら「いや、呪われている名前だよ」と返してきたことがあった。
幸生の考察はこうだ。
「運のいい名前も持つお前ならこれくらいの災難は回避できるだろ」的なノリで神様が采配している。だからこの名前は祝福の名前ではなく、災難を呼んでしまう呪われた名前だと。
「考えるより先に身体が動いてしまうお前のことだ、今日もそのじいさんを庇ってお前が怪我したんだろ」
幸生の袖口からちらりと見える包帯に視線を落としながら朗が幸生に聞く。
「大したことない。ちょっと擦りむいただけだ」
****
カフェを出て駅へと向かう途中、幸生が突然立ち止まり「一日に二度は勘弁してくれ」と言ったかと思うと今度は全速力で走り出した。
朗が幸生の走って行く先に目をやると、橋の細い欄干の上でゆらゆらと空へと昇っていく風船に飛び付こうとしている猫がいた。このまま飛び付いたら間違いなく川へ落ちてしまう。
猫が風船に向かって飛び上がった。どう考えても欄干の上に着地できない角度で飛び上がった。
それを見た朗も走り出す。
猫の手が一瞬風船の紐を掠めたがするりと抜けて無情にも風船は上昇を続け、猫は川へと落下し始めた。
猫は「しまった」という表情をした後、川に落ちる覚悟を決めたのか無我の境地に達した禅僧のような顔をした。
そのとき、幸生の手が猫の胴体をガシッと掴む。猫の表情が禅僧から驚きの「えっ?」に変わる。
それと同時に幸生の顔も「えっ?」に変わった。
勢い余って身体が欄干から飛び出しそうになったのだ。このままでは猫と一緒に川にダイブ。
今度は幸生が無我の境地の禅僧になる番だ。川に落ちてびしょ濡れにはなるだろうが死ぬことはないだろう。仕方がないなと諦めた瞬間、物凄い勢いで身体が後ろに引っ張られた。
「グゲッ」
幸生から変な声が出た。
朗が幸生のシャツを掴んで思いっきり引っ張り、襟ぐりが喉を圧迫して出た声だった。
気がつけば幸生と朗は歩道の上にへたり込んで座っていた。真冬に猫と一緒に川で水泳という事態は何とか回避できた。
猫は幸生のシャツに爪を立ててしばらくしがみついていたが、「にゃあ」と一言だけ鳴くと走って逃げていってしまった。
「おいおい、礼くらい言ってけよー」と文句を言う幸生の顔は嬉しそうに笑っている。
「こんな状況にピッタリの言葉があるな」と朗が幸生に聞く。
「『ファイト一発!』だろ」と幸生がドヤ顔で答える。
「それを言うなら、『危機一髪』だろ」と朗が幸生の額をペチンと軽く叩く。
二人は安堵の息を吐くと、弾けるように大声で笑いだした。
災難を呼ぶ男 蒼井アリス @kaoruholly
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