影武者令嬢はわがまま王女に婚約破棄された公爵令息に求婚される

櫻井金貨

第1話 それは結婚式前夜の婚約破棄から始まった


 明日、うるわしのアネット王女殿下は、結婚式を挙げられる。


 結婚式前夜の今、王女殿下と婚約者の令息、そして2人の両親と大臣達は、挙式リハーサルにのぞみ、その後に続く晩餐会ばんさんかいの真っ最中だった。

 アネット殿下のお相手は、同じくうるわしの公爵令息であり、殿下と私の幼なじみであり、そして私の大好きな……。


 そんなジリアンの物想いは、突然破られた。


「ウィリアム・ディーン。よく聞け。今日この瞬間をもって、そなたとの婚約は破棄する!」


 晩餐会ばんさんかいのテーブルに揃った、かなりお年を召した王国の重鎮じゅうちん達の顔は、一堂に「ぽかん」だ。

 一方、2人の両親である国王夫妻と公爵夫妻の表情は一言、「無」。


 一体、何が起こったのか?


 ジリアンは今日、アネットの影武者かげむしゃとして、アネットと同じウエディングドレスに身を包み、結婚式のリハーサルにのぞんだ。

 途中で着替えてからは、護衛として、騎士姿でアネットに付き添っていた。


 ウィリアム・ディーンは、アネットの正面の席に座っていた。

 黒の髪に黒の瞳が印象的なウィリアムは、常に落ち着いていて、冷静さを失わない男だった。


 今も、ただ静かにアネットをまっすぐに見つめていて、その物言いたげな視線を見たジリアンは、ずきりと心が痛むのを感じた。

 しかしウィリアムは淡々と婚約破棄を受け入れてしまう。


「アネット王女殿下、全てはおおせの通りに従います」

 ジリアンはウィリアムの言葉を聞いて動揺した。


 ジリアンはぎこちなくアネットのそばに立つと、勇気をふるって声をかけた。

「殿下。ウィリアムの気持ちを……、それに恐れながら、こんな間際になっての婚約破棄による殿下自身への評判もお考えください」


 アネットがジリアンを見上げた。

 まるで姉妹のような、同じ明るい金色の巻毛、鮮やかな青の瞳をした2人の少女が見つめ合う。


 アネットは濃いピンク色のふわりとしたドレスを身に付けていて、まるで1輪のバラの花のようだった。


 ちょっと不満そうに目を細め、キュッと唇を結んだその表情は、時に『わがまま王女』と宮廷貴族達に揶揄やゆされる姿そのものだったが、子供の頃から一緒に過ごしてきたジリアンが見ても愛らしい。


 ジリアンが首の後ろでまとめた明るい金色の巻毛を揺らし、大きな明るい青の瞳を潤ませて、かすかに唇を震わせながらアネットを見つめると、アネットは一瞬、困ったように眉を下げた。


「殿下、ウィリアムは……!」

 ジリアンの目から涙がこぼれ落ちそうになった瞬間、ウィリアムがジリアンの腕を引いた。


「いいんだ、ジル。さあ行こう」

「しかし、ウィル!」

 ウィリアムは無言で、ジリアンの腕をつかんだまま、テーブルから離れた。


「ジリアン、もうわたくしの影武者になる必要はないわ」


 ジリアンの背後から、アネットの不機嫌そうな声が届いた。


「殿下……!?」

「だからもう、わたくしに構わないでちょうだい」


 ジリアンがウィリアムの腕を振り解いて、振り返った。

 気がたかぶって、2人きりでいる時のような調子で叫んだ。


「アネット! ウィリアムの気持ちはどうなるんだ! なんてひどいことを」

「ジリアン殿! 王女殿下に対して不敬ですぞ!」


 ばーん、とテーブルを叩き、財務大臣が叫ぶと、晩餐会ばんさんかいのテーブルは大混乱になった。

 ウィリアム・ディーンは今度こそジリアンの腕をしっかりと掴むと、一礼して、彼女を連れてバンケットホールを退出した。


 ローデール王国を守る将軍の娘であるジリアンは、第一王女アネットと同じ年に生まれ、同じ髪、同じ目の色をしていた。


 背格好もよく似ていたジリアンは、幼い頃は王女の遊び相手、そして学友に、成長してからは騎士となるべく訓練を重ね、王女の護衛騎士に、さらには影武者となり、王女に仕えてきた。


 公爵家の令息であるウィリアム・ディーンもまた、アネットの学友に選ばれた1人で、アネット、ジリアン、ウィリアムの3人は幼なじみとして多くの時間を過ごしてきた仲だったのだ。


 今でも、3人で会えば、アネット、ジル、ウィル、とお互いに呼び合うくらい、気の置けない関係だと思っていたのに。


 ジリアンは黙ってウィリアムに腕を引かれて、王宮の回廊を歩きながら考えていた。

 そして思い出す。


 学友仲間には、もう1人、隣国から留学していたジークフリートもいた。

 ジークフリートは、隣国の第2王子だったが、アネットとウィリアムの婚約後、突然、母国へ帰国してしまったのだった。


 ぱたん、と閉まった扉の向こうに、ウィリアムとジリアンの姿が消えた。

 2人の姿を見送ったアネットは心の中でそっとつぶやく。


(ひどいと思うなら、ウィリアムを幸せにしてあげて)


 でも今は、もう少し『わがまま王女』らしくいなければいけない。


 * * *


 舞踏会ぶとうかいで、ウィリアムと踊りながら、アネットは楽しそうに秘密の計画を話していた。


 しかし、アネットはふと悲しげな表情になると、目を伏せ、「ごめんなさい」と謝った。


「アネット、なぜ謝る?」

 ウィリアムはアネットの手を引き寄せると、王女を優雅にくるりと回転させた。


「ジルをあなたから取り上げておいて、今度はあなたの名前を汚してしまうわ。わがまま王女に婚約破棄された令息なんて、不名誉な称号を与えてしまう」


 アネットがウィリアムから離れ、2人は手をつないだまま、見つめ合った。


「でも、このままあなたと結婚したら、あなたも、ジルも、ジークも、みんなを不幸にしてしまう」


 それは、婚約破棄騒動が起こった晩餐会ばんさんかいより半年ほど前のこと。

 アネットとウィリアムはとある舞踏会ぶとうかいに出席していた。


 優雅な音楽の調べに乗って踊る、若く美しい王女とその婚約者のダンスに魅了されて、会場の人々はほうっ、とため息をついた。


 ウィリアムは視線でジリアンの姿を探した。

 長い金色の巻毛をきゅっと背中で結び、チュニックにブーツ、さりげなくマントを羽織っているが、その下に帯剣たいけんしているのをウィリアムは知っている。


 生真面目な顔をして壁際に控えているが、整った容姿をした男装姿の彼女に、周囲の令嬢達がチラチラと熱い視線を注いでいるのを、ジリアン本人は気づいているのだろうか?


 おまけになんだあの、ちょっとピンクに染まった可愛らしい頬。

 周囲の令嬢達に圧倒されているのか、会場が暑いのか。


 口下手でまっすぐな気性のジリアンが、彼女達に話しかけたりはしないのをわかっているのに、ウィリアムは不機嫌になった。


 そんなウィリアムの様子を、一緒にダンスを踊っているアネットが面白そうに眺めていた。


「アネット、あなたはいつまで影武者が必要なんだ?」

「結婚するまでよ。夫ができたら、夫にわたくしを守らせるわ」


「ジークフリートは顔はいいが、剣の腕はもっといい。頭の出来はわからないが、腹黒い奴だから、宮廷内の駆け引きならお手の物だろう」


「そうよ。そこはあなたとよく似ているわね。でも、あなたと違って、わたくし一筋の可愛い王子様なのよ。しかもジークは第2王子。……ねえ、わたくしのために、おムコに来てくれると思う?」


 急に乙女の表情になったアネットに、ウィリアムは無表情のまま、片方の眉を上げる。

「まあ、頑張ってみろ。アネット、ジリアンは私が貰い受けよう」


 アネットは可愛らしく微笑んだ。

 しかし出てくる言葉は甘さのかけらもない。


「まるでモノ扱いね。そんな態度でジルがイエス、と言うかしらね?」

 アネットはまた、くるりと優雅に回った。


「ジルは手強いわよ。お手並み拝見といきましょう」

「そっちこそ。ジークフリートに振られたら、目も当てられない。言っておくが、返品は受け付けないぞ」


 まあ、失礼ね、とアネットは頬を膨らませた。

 音楽が終わり、互いに一礼すると、周囲から2人のダンスを賞賛する拍手が沸き起こった。


 現在に戻って、晩餐会ばんさんかいの夜。

 婚約破棄騒動を起こした『わがまま』王女は、大臣達に囲まれて大騒ぎの中心に君臨くんりんしていた。


 騒ぎを抜け出したウィリアムとジリアンは王宮の回廊を歩いている。

 ミッドナイトブルーの礼装に身を固めたウィリアムは、マントをひるがえし、かちゃかちゃと剣の音を立てながら小走りで歩くジリアンの腕を、まだつかんだままだった。


 一見すれば、上品な貴族の令息と騎士。見目良い青年の2人連れである。


 するとそこに、前方から、輝くような銀色の髪をした、際立った美貌の青年が歩いてきた。

 ここまで美しい人物はそうはいない。


「ジークフリート?」


 呆然として声をかけたジリアンに、ジークフリートはにこやかに微笑んだ。

「久しぶりだね、ジル」

 まるで昨日も会ったね、とでも言うような、自然な調子だった。


 そのままジークフリートはジリアンを捕まえているウィリアムを一瞥いちべつすることすらせず、優雅に回廊を歩いていくと、晩餐会ばんさんかいが行われているバンケットホールに消えた。


「ローデール王国第1王女、アネット殿下に結婚を申し込みます!」


 ジークフリートの涼やかな声が宣言し、部屋は急に静まり返った。

 次の瞬間、間髪を入れず、アネットの負けず嫌いな声が響き渡った。


「違いますわ! ジーク、あなただけをずっと愛しています。わたくしを妻にしてくださいませ!」


 そのアネットの言葉に、会場は再びはちの巣をつついたような大騒ぎになったのだった。


「な、何が起こっているんだ……」

 ジリアンが呆然ぼうぜんとしてつぶやく。


「ジル」


 ジリアンが振り返ると、ウィリアムが床にひざまづいた。

 礼装姿の貴族令息が、騎士姿のジリアンにひざまづく絵になってしまったため、2人の背後を偶然通りかかったメイド達のきゃー! という黄色い声が周囲に響いた。


「ジリアン嬢、いや、ジル、結婚してください」


 ピシッと硬直しているジリアンの手をさっと取ると、ウィリアムは指先に口付ける。


 その瞬間に、再びメイド達のきゃー! という声が響いた。

(プロポーズですわ……!)

(ま、まあ……殿方お2人ですわよね?)

(まあ、あなたは何をおっしゃっていますの? あの方はかの有名な男装騎士のジリアン様ですわ)

(うう……お2人とも、なんとお美しい……)

 ひそひそ声で話し合いながら、メイド達はその場を離れようとしない。


 ジリアンは許容量を超えたかのように、元々大きい目をさらに見開いて固まったままだった。


「……説明をしてくれないか、ウィル」

「すまなかった」

「なぜそこで謝る!?」


 キレ味のある、整った容貌のウィリアムが、無表情に礼装姿でひざまづいていても、どうにも胡散臭うさんくさくしか見えないジリアンだった。

 ウィリアムもそれがわかっているのか、うーむ、と一言うなってから、あっさりと立ち上がった。


「アネットには、成人するまで婚約者でいてくれと頼まれていた」

「え」

「自分の意志で、夫を選べる時まで。いわば虫除けだな。そうすれば他の男どもは近寄ってこないから、と」


「ええ!?」

「アネットはずっと、ジークフリートにどう告白するか、考え続けていたんだ。明日の結婚式には、あいつも来る。そこで今日、婚約破棄して、」


「ジークが求婚すると?」

「ジークに求婚する、かな」

「……」

「そういう計画だと説明された」


 ようやくジリアンは話が見えてきた気がした。

 日々、姉妹のように接していて、同じ女性同士でもあるのに、アネットはどうして何も言ってくれなかったのか。

 ジリアンは頭が痛くなってきた。


 つまりは、アネットは元々婚約破棄を計画していて、ジークのことが大好きで、ウィルはただの……。

 ジリアンの心がつきん、と痛んだ。


「それで、ウィル、お前はいいのか? その、アネット殿下のことを……」


 ジリアンは目が泳ぎつつも、これだけは聞いておかねば、という覚悟かくごを決めて、ウィリアムをチラチラと見つめている。


「12歳で婚約して、18歳まで、6年も婚約者として一緒にいたのだぞ……? そんな簡単に気持ちは切り替わらないだろう? む、無理をして私なぞに申し込まなくても、婚約破棄も元々ウィルに非はないのだ。ウィルの評判に傷は付かないし、いつか結婚だって、きっとできる! ウィルなら、たとえ婚約破棄された過去があろうと、たくさんのご令嬢が、うっ……! その……」


 ジリアンはしょぼんと肩を落とした。

 自分で言っていて、悲しくなってしまったのだ。

 自分のことが悲しい。

 同時に、今後のウィリアムの境遇きょうぐうを想像するだけで、こんなにも悲しくなってしまう。


 やはり、聞かない方がいいかもしれない。

 むしろ、何も聞かずに、これ幸いとウィリアムの申し出を受けてしまえば、もしかして、ウィリアムは自分と結婚してくれるかもしれない……!


 え、ちょっと待て。

 それって、どういう意味だ。

 ウィリアムが自分と、け、結婚してくれる……?

 それは自分の妄想もうそうではないか!?


「いや、だめだ。そんな卑怯ひきょうな真似をするなんて!」


 思わず回廊を駆け出そうとするジリアンの腕をまたはしっと掴むと、ウィリアムは言った。


「ジル、私の話を聞いているのか?」

「聞いてる聞いてる、聞いてるぞウィリアム・ディーン!」


 ジリアンの様子に、ウィリアムが「これはダメだ」と天をあおぎそうになった時だった。

 ジリアンとウィリアムの間に、ぼんっ、と大きなバラの花束が割り込んだ。


「ウィリアム様、ジリアン様、失礼いたします。僭越せんえつではございますが……ウィリアム様、どうぞこちらの花束をお使いくださいませ。あ、ご安心ください。メイド達は全員、わたくしが連れて行きますので」


 シンプルだが上質な黒のドレスを着こなし、すっと背筋が伸びた年配の婦人は、そう言うと、ウィリアムとジリアンを遠巻きにしながら、頬を染めてきゃーきゃー盛り上がっているメイド達に向かって静かにうなづいた。


「さあ、皆さん、参りますよ。お2人のお邪魔じゃまをしてはなりません」

 婦人はそう言うと、ウィリアムとジリアンに一礼して、立ち去っていった。


「ウィル、あのご婦人は、知っている方か?」

 ジリアンが尋ねると、ウィリアムも首を傾げた。


「うむ……? どこかで見かけた気はするが……」

 そう言うと、ウィリアムはようやく、リラックスした笑みを浮かべた。


「ジリアン」

 ウィリアムはジリアンの頬をそっと両手で挟んだ。

 ジリアンの明るい青の瞳を、まるでのぞき込むようにして、見つめる。


「好きだ」


 ジリアンの肩がぴくん、と跳ねる。

「お前のことがずっと好きで、お前と結婚したいと思っていた。今も思っている。ようやくお前に、そう言える立場になれた」


「お前がドレスを着ようが、騎士服を着ようが、そんなことは構わない。ただ、いつもお前の一番そばにいたい。いつもお前を一番近くで見守る許可を、私にくれ」


 ジリアンの前に、そっと、大きなバラの花束が差し出された。


「好きだ」


 ウィリアムの言葉に、ジリアンは気がついたらうなづいていた。

 そして。


「……ジル、結婚してください」


 急に自信なげな様子になったウィリアムに、ジリアンは抱きついた。

 ウィリアムは危なげなくジリアンを受け止めると、花束ごとジリアンを抱きしめた。


「それは、『イエス』か?」

 ジリアンは真っ赤になった顔で、ウィリアムを見上げた。


「…………………………はい」


 * * *


 それからしばらくして、ローデール王国の第1王女アネットと隣国の第2王子ジークフリートの婚約が発表された。


 時を同じくして、王都では、なぜか貴族の令息とうるわしい騎士との恋愛小説が発売され、大きなバラの花束を受け取って、プロポーズ(?)を受けるのが、令嬢達の間で大流行になったのだった。


 作者はシンプソン男爵夫人。黒のドレス姿がトレードマークの、有名な宮廷きゅうていロマンス小説家だった。





☆☆☆ ハッピーエンド ☆☆☆

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櫻井金貨

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