エピローグ
平民騎士
――事件から一ヶ月後
――イースト・エンド
「お前ら、その資材はあっちに運べ! それはこっちだ!」
現場にフラトンの生き生きとした声が響いていた。部下の憲兵たちも、そこかしこでやる気に満ちた声を上げている。
現在、ここでは憲兵隊主導で崩壊したイースト・エンドの復旧作業が行われているところだった。
現場にいるのは憲兵隊だけではなく、地元住民たちの姿もあった。みなで協力して、破壊された街並みを復旧させているのだ。
フラトンは水筒で水を飲み、建物の木陰に入って適当なところに座った。
すると、そこには先客がいた。虚ろな眼をした男が、ぼうっと座っていたのだ。
「よお、あんた。そんなところで何してるんだ?」
「……」
男は答えなかった。
フラトンは気に留めた様子もなく、さらに話しかける。
「おっと、失礼。おれは怪しい者じゃない。憲兵だ。アラン・フラトンという。いま復旧作業をしているところなんだが、まだ手が足りないんだ。手伝ってくれたらもちろん賃金は払う。あんたも暇なら手を貸してくれないか?」
「……だ」
「ん? 何だ?」
「……無駄だ。何度新しく作り直しても、どうせまた魔人に壊される。作り直すだけ無駄だ」
「そんなことない。あんたは知らないかもしれないが、これからこのイースト・エンドは大きく生まれ変わるんだ。クローイ王女殿下が、直々にこの地区の復旧を援助してくださると約束してくださったのだ」
「……そんなことをして何になる? ここは他にあったスラムの中で、唯一再開発を免れたところだ。だからここに全てのゴミクズが集まって来た。ここが消えてしまったら、いまここにいるゴミクズはどこに行けばいい?」
「大丈夫だ、これからもう、そんな場所は必要なくなる。今までみんな、ここから目を背けて無かったことにしていたが……それではダメだとあのお方が教えてくださったのだ。みんなの手で、ここをもっと〝普通〟の街にしよう」
フラトンは立ち上がり、男に向かって手を差し伸べた。
男はじっとフラトンを見上げた。
「……そんなこと、出来ると思うか? ここにどれだけのゴミクズがいると思っているんだ、お前たちは」
「それだけのゴミクズが手を貸してくれたら、おれは絶対にやり遂げられると信じているがね」
「……」
男はやはりじっとフラトンを見ていたが――やがて、その手を掴んだ。
ぐい、と男を引っ張り立たせた。
「あんた、名前は?」
「……ハーヴィー、だったような気がする」
「オーケー、ハーヴィー。じゃあ、さっそく手伝ってくれ」
……こうしてまた1人、手を貸す者が増えた。
イースト・エンドの復旧作業は順調に進み始めていた。
μβψ
「……あー、退屈だ」
ライラはベッドの上でごろごろしていた。
むくり、と身体を起こした。
「それにしても……この部屋慣れねえな」
彼女は改めて部屋の中を見回した。
めちゃくちゃ豪華な部屋だった。
この部屋と比べれば、以前イースト・エンドで生活していた部屋など本当に犬小屋だろう。ジェイドがそう言いたくなるのも今ではよく分かる。
どうしてライラがこんなところにいるのかと言えば――それはクローイに〝保護〟されているからだった。
アーヴァインが起こしたあの事件から、すでに一ヶ月ほどが経過していた。
ライラにはいまいちよく分かっていないのだが、聞いたところによればいま貴族たちの社会はとんでもない大騒ぎになっているそうだ。
なんせ事件の首謀者が王族で、他にもいくつかの大貴族が〝計画〟に参加していたらしく、本当にこの国の貴族社会そのものが根底からひっくり返るような状態になっているらしい。現在は国王――クローイの父親が、血眼になって〝計画〟に参画していた裏切り者を片っ端からあぶり出しているところらしく、粛清と断罪の嵐が吹き荒れているのだという。
……で、そちらの方があまりにも忙しすぎて、ひとまずライラのことは保留になっていた。
それでまぁ、こんな風に部屋でごろごろしているしかすることがない――というわけだった。ちなみにいまライラが着ている服はジェイドのお下がりであるが、この服だけでもライラが稼ぐ1年分ほどの価値があると聞かされて、何かもう金銭感覚がおかしくなってしまっていた。出てくる食事も、これまで見たこともないような食べ物ばかりなのだ。もちろん食材の金額は目玉が飛び出るレベルのものだ。
(……貴族の生活ってマジでかたっ苦しいな。オレにはいまいち合わねえな、やっぱ)
この一ヶ月で、ライラはつくづくそう思った。
こんこん、とノックの音がした。
「ライラ、入っていい?」
「ん? おー、いいぞ」
クローイだった。
ジェイドも一緒だ。
当たり前だが、二人ともここではちゃんと騎士の正装になっていた。
顔を見せるなり、クローイはすぐに申し訳なさそうな顔になった。
「ずっとこんなところに押し込めてごめんなさいね……出来る限り早く、あなたの処遇について決めたいのだけれど……今はお父様もとにかく忙しいし、貴族院もほとんど機能してないから色々と難しくて」
「オレは別にいーよ。だってここにいりゃ、働かなくてもいくらでも美味いもん食えるしな。ははは」
「……貴様、ちょっと太ったか?」
「ふ、太ってねーし!?」
ジェイドにずばり言われて、ライラはぎくりとした。確かにちょっと太ったかも知れない、と自分でも気付いていたからだ。見て見ぬふりしていたが。
「それより、事件の後始末はどうなってんだ?」
「それについてだけど、ダニエルの自白で加担していた貴族は全て名前が割れたし、賢者の石に関する情報も全て手に入ったわ。おかげで少しは解決が早くなりそうよ」
「ダニエルって……ああ、あいつか。すっかり忘れてたな、そういや」
「あいつが恩赦を条件に、事件のことを全て自白したのだ。この期に及んで自分だけは何とか助かろうというわけだな。いかにもあいつらしいことだ。まったく、どちらが〝裏切り者〟なのやらな」
ジェイドはとてつもなく皮肉を込めた笑みを見せた。
聞いたところによれば、ジェイドの父親の件についても、今回の件で事実が公になったという。ブルースター家が〝裏切り者〟と呼ばれることは、もうこの先なくなるだろう――ということだった。
「……ねえ、ライラ。その……あなたはこれからどうしたい?」
おもむろに、クローイがそんなことを尋ねてきた。
ライラは小首を傾げた。
「どうしたい、っつーと?」
「わたしは、可能な限りあなたの意向を汲んだ処遇をお父様に求めるつもりだわ。と言っても、あなたの存在はすでに
「ま、そりゃそうだよな」
それは分かっていたことなので、ライラは特に驚きもしなかった。
クローイはとても真面目な顔で続けた。
「でも、安心して。他の誰が何を言ってきても、わたしは絶対にあなたを守るわ。ヴィルマルスであるあなたのことを、きっと他の貴族は悪し様に言ってくるでしょうけれど……でも、あなたがいたからこそ、アーヴァインを斃すことが出来たし、恐ろしい〝計画〟を未然に防ぐこともできた。その功績は、ちゃんとわたしからお父様にも説明しているわ」
「いま現在の感触では、陛下はお前の処遇にはかなり寛大な措置を与えてくださるご様子だ。少なくとも、問答無用で処分ということはないだろう」
「ふうん、そりゃありがてぇな」
「……自分のことなのに、随分と他人事だな?」
「そう言われてもなぁ……なんも実感ねえんだよな、オレにはさ。ずっとイースト・エンドの隅っこで生きてきたのに、いきなり貴族がどうとか、王様がどうとか言われてもさ」
実際、ライラはいまこの状況に現実味をまるで感じていなかった。
これは全部夢だと言われても、きっと納得してしまうだろう。むしろ、その方がしっくりくるかもしれない。眼が覚めたら、自分はまたあの小汚い犬小屋で目を覚まして、いつのように日雇いの仕事に出かけるのだ。
それはそれでいいかもしれない。
その方が、自分には合っているとも思う。
でも……そこには、クローイがいない。
「……クローイはさ、どうしてオレにそんなに良くしてくれるんだ?」
「それは――」
「それは、オレの父さんのことがあるから――か?」
「……」
クローイは黙った。
それが答えのようなものだった。
彼女は、まだライラの父親のことに罪悪感を感じているのだろう。
可能な限りライラの待遇を良くしようというのも、そのことに対する罪滅ぼしのつもりなのかもしれない。
本人にそのつもりがなくても……きっと、それはこの先もずっと、クローイの心の中にしこりのように残り続けるはずだ。
だとすれば――それは嫌だな、とライラは思った。
そう、それはイヤだ。
それではダメなのだ。
だから、ライラは自分自身の希望を、はっきりと彼女に伝えようと思った。
「クローイ、オレを――お前の騎士団に入れてくれ」
「……へ?」
クローイは目を丸くした。
それはさすがに、クローイも予想外だったのかもしれない。
ジェイドが慌てて口を挟んできた。
「待て待て……それはさすがに無理だ、ライラ。騎士団云々の前に――そもそも貴様は貴族ではない。貴族ではない者が、騎士になることは根本的に不可能だ。前例がない」
「おいおい、前例なんて今さらだろ? ここに前例のないヴィルマルスがいるんだぜ? お前らが散々ありえないって言ってたことを、全部やってのけたヴィルマルスがさ」
「そ、それはそうだが……」
「それにさ……オレはこのまま、この先もずっとクローイに〝保護〟され続けるなんてのはイヤなんだよ。それじゃただのお荷物だ。オレは……クローイと〝対等〟になりたいんだよ」
「〝
クローイが不思議そうにライラを見ていた。
ライラは、これまでずっとクローイが自分にそうしてきたように――真っ直ぐにその眼を見た。言いたいことを、全部ちゃんと伝えるために。
「そうだよ、だってそうじゃなきゃ……ちゃんと〝友達〟になれないだろ、オレたちさ」
「――」
クローイが両目を見開いた。
ライラは少しだけ微笑んだ。
その笑みは、どこか恥ずかしそうにはにかんだような笑みだった。
そこにいたのは〝喧嘩屋〟と呼ばれていた、あの獣のような彼女ではない。
彼女がまだ引っ込み思案で臆病な子供だった頃の面影が、そこにはあった。
「……ライラ、あなたは」
クローイはわずかに震える声で言った。
「わたしのことを、恨んでいないの? あなたのお父様は、わたしのせいで死んでしまったのに……」
「なに言ってんだよ。前も言っただろ? オレは、父さんに感謝してるよ。父さんのおかげで、オレはクローイにこうして会えたんだから」
「ライラ……」
クローイの目尻から、あの時のように涙がこぼれ落ちた。
ライラは、今度は自分自身の指先でその涙をそっと拭った。指先には、ちゃんと彼女の
……クローイは、これからの時代に必要な存在だ。
ライラの父が守ったのは、彼女だけではない。これから彼女が創り上げて行くであろう、新しい未来そのもの――その全てを守ったのだ。
ライラにはそれがとても誇らしかった。父こそまさに〝英雄〟だと、そう思えた。
未来のことなんて、せいぜい一週間先のことを考えるのが精一杯だった。
そもそも、そんなものは考えるだけ無駄だった。
考えたところで何も変わらないのだ。
何をどうしたところで、あの暗闇から抜け出すことはできない。一度落ちれば、這い上がることはできない。それがこの世界だ――と、そう思っていた。
でも……そうじゃないのだということを、クローイが教えてくれたのだ。
変えられないと思っていたことだって、立ち向かえば変えられる。
変えられないのは諦めていたからだ。
見たくないものから目を背け続けていたからだ。
それではダメなんだということを……ライラは、全てクローイから教わったのだ。
「オレは本当の意味でちゃんと、お前と〝友達〟になりたい。ずっとお荷物なんてまっぴらだ。むしろ、オレがお前を守ってやる。オレが〝騎士〟になって、お前のこと守ってやる」
「うん……うん、ありがとう、ライラ。わたしも――あなたがこれからも〝隣〟にいてくれたら、とても心強いわ」
クローイは泣きながら笑った。
その様子を、ジェイドは横でやれやれと言った様子で眺めていたが、その顔は少し笑っていた。
平民が〝騎士〟になるなど前代未聞である。
誰もがきっと不可能と言うだろうし、貴族たちは大反対するだろう。〝穢れた血〟を貴族に迎え入れるなど冗談ではない、と。
だが――それらの壁を全て、ライラは打ち破っていくはずだ。
独りでは無理でも……仲間がいれば、それはきっと不可能ではないはずだから。
彼女たちの〝
μβψ
……やがて近い将来、ライラは〝平民騎士〟と呼ばれるようになっていく。
その過程で様々な国難と戦い、いずれはこの国の〝英雄〟へとなっていくのだが――それはまた、別の話である。
平民騎士、王女様と騎士団はじめます!――スラム街の不良少女が、王女様と出会って〝騎士〟になるまでの話―― 遊川率 @r-yukawa
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