第26話 決着

 ……両者の意思つるぎが火花を散らすたび、空気は震え、大地は砕けた。

 一度世界が全てリセットされ、新しい世界黄金歴が始まって以降――この約二千年の歴史の間に、魔人同士が衝突したという記録は一つもない。

 たった1体で全てを破壊する滅びの死者は、これまで何度かこの世界には出現してきたが……いま、ここにいる2体の魔人はこれまでとは大きく違っていた。

 一人は自ら〝呪い〟を断ち切ろうとし、もう一人は自ら眠れる力を〝覚醒〟させた。

 どちらも魔力を暴走させた結果として生まれた不完全な魔人――というわけではない。

 確固たる己の意思を持ち、そのために〝力〟を振るうことのできる〝超越者〟なのだった。

 両者の激突は、これまで地上に生まれたどんな戦場よりも過酷で苛烈を極めた。

 〝力〟に関しては同等。

 どちらも同じ領域に踏み込んでいる。

 であれば、両者の勝敗を決めるのは単純に技量だった。

 ライラは魔法や剣術に関してもはや天才的としか言いようのない才能を有してこそいるが、単純に技量で見ればアーヴァインが圧倒的に有利だった。

 それはようするに――単純にくぐり抜けてきた死線の数の差だった。

「はははッ! いい剣じゃねえかッ! だが、甘いッ! 甘いなぁッ! そんなんじゃおれは斃せないぜッ!!」

「く――ッ!?」

 ライラは押されていた。

 単純な力比べならばアーヴァインには引けを取ることはなかったが、戦闘という点においてはあらゆる点で相手が勝っていた。

 近距離では不利だと思って少し距離を取るが、その瞬間に遠隔の魔法攻撃が襲ってくる。

(くそ、おれも何か飛び道具とか出せねえのか!?)

 ライラは魔剣グラディットを生み出すことは出来たが、遠隔魔法攻撃のやり方はいまいち分からなかった。魔剣グラディットなら何も考えなくてもすんなり出てくるのに、他の魔法となるとさっぱりなのだ。

 そうなると結局、ライラが戦うには近距離での斬り合いしかなかったが、剣術の技量では完全に相手が上なのだ。

 状況が好転することは、現状ではあり得なかった。

 一つだけ方法があるとすれば、それはアーヴァインに何かしらの方法でダメージを負わせることだ。今からライラがアーヴァインの技量に追いつくことはない。ならば、相手にダメージを与えて、ライラが互角に戦えるような状態に持ち込むしかなかった。力任せのド突き合いなら、まだ勝てる可能性があるからだ。

(つってもまぁ、それができりゃすでにやってるっつー話だけどな――ッ!)

 アーヴァインの魔法攻撃を何とか躱す。

 そこら中で大きな爆発が生じ、建物が次々に倒壊していく。

 ライラは焦った。

 このまま戦闘を続ければ、周囲の被害は増えるばかりだ。

 早く何とかしなければ――そう思っていると、

『――ライラ、聞こえるか』

 突然、頭の中にジェイドの声が響いた。

 ライラはびっくりして周囲をきょろきょろしてしまった。

「ジェイド!? ど、どこだ!?」

『落ち着け、これは〝遠隔通話〟だ。傍にいるわけじゃない』

「あ、ああ、そうか――って、うお!?」

 ジェイドの声に気を取られていると、再び魔法攻撃が襲ってきた。

 ライラは慌てて近くにあったクレーターの中に飛び込んだ。

「意識が戻ったのか!?」

『ああ、さきほど目を覚ましたばかりだ……だが、状況は聞いている。クローイ様から貴様に伝えることがある』

「え? クローイから?」

『ライラ、聞こえる?』

 すぐにクローイの声がした。どうやら遠隔通話は第三者の声も届けられるらしい。

 彼女の声を聞いたライラは心底安堵した。

「クローイ、よかった! もう安全なところまで避難したのか?」

『ええ、憲兵の人たちに助けて貰ったわ。こっちは大丈夫よ。それより――今からわたしが指示する場所まで、何とかアーヴァインを誘導して』

「え? 何だよ、急に?」

『そのポイントで、アーヴァインに重火器による総攻撃を仕掛けるわ。恐らくそれでも斃すことはできないと思うけど……ある程度のダメージは与えられるはずよ』

 話を理解したライラはにやりと笑った。

「――なるほど。オーケー、分かった。何とかやってみる」

『……お願い、死なないでね』

「安心しろ。オレは絶対に死なねえ。死んだら文句言えなくなっちまうからな」

 ライラはクレーターの中から飛び出した。

 すぐさま魔法攻撃が豪雨のように降りそそいでくる。

 彼女は、その中を真っ直ぐに駆け抜けていった。


 μβψ


 クローイの指示に動くのはかなり難しいことだった。

 だが、そうしなければアーヴァインに勝つことはできない。

 ライラは深くは考えなかった。

 自分はただクローイを信じて、全力でアーヴァインとぶつかるだけ――それだけだった。

「どうした!? 最初の威勢がなくなってきたじゃねえか!?」

「ぐッ!?」

 ライラは何とかアーヴァインの猛攻を防いでいた。

 先ほどからじりじりと押され、後退を続けている。

 それはクローイからの指示ではあったのだが、実際に押されているのまた事実だった。

『そのまま押されているフリをして後方に下がって。そのまま下がっていけば、目標地点に辿り着くわ。あくまでもそのまま後退するのよ。下手に逃げれば警戒させてしまうかもしれないわ』

 クローイの指示は頭の中に響き続けている。ライラはただ必死に、その指示に従い続けた。

 相手の大剣を受け止める度に、まるで巨人の拳を受け止めているかのような衝撃に襲われた。かと言って躱すことは難しい。距離を取ろうとすれば魔法攻撃がバラ撒かれ、周囲への被害が更に増していく。

 両者の戦闘で、すでに周囲一帯は完全に瓦礫の山と化していた。魔人の力の前には、平民が作った建造物などぺらぺらの紙細工のようなものだ。彼らが剣を交えるその衝撃だけで、建造物は崩れ、地面には次々とクレーターができていく。

 それでも、ライラは歯を食いしばってアーヴァインの猛攻を耐え凌ぎ続けた。

 そして――ようやく、クローイが指定したポイントまでやってきた。

『今よッ! 全力で後ろに下がってッ! 物陰に隠れてッ!』

 クローイが叫んだ。

 ライラは反射的に指示に従って動いていた。

 アーヴァインは逃がすまいとすぐに追ってこようとしたが――直後、周囲一帯から号砲が鳴り響いた。

 突然のことだったので、アーヴァインはついその音に気を取られてしまった様子だった。立ち止まり、周囲の様子を窺っている。

 周囲が一瞬だけ静寂に満たされる。

 ――次の瞬間、アーヴァインの周囲が空間ごと弾け飛んだ。

「うお!?」

 凄まじい爆炎と閃光に、ライラは思わず顔を庇った。

 それは曲射砲から発射された榴弾の雨だった。

 ライラは物陰に身を隠しながら、その様子を呆然と眺めた。

「な、なんだありゃあ……?」

『憲兵隊による砲撃よ。すぐに次が来るわ』

 クローイの言葉通り、砲撃はさらに続いた。

 本当に空間そのものが消し飛んでいるかのような爆撃の嵐に、ライラはただただ驚くばかりだった。

「……す、すげえ」

 ……これほどの兵器があるなら、確かに平民が騎士と戦うことも可能だろう。栄光戦争で国民軍がバルティカ王国の騎士団と対等に渡り合ったという話は、決して誇張でも何でもなかったのだ。

 空から降ってくる爆撃が収まると、今度はそこら中に潜んでいた憲兵たちが一斉に姿を見せた。

 彼らは肩に筒のようなものを担いでいた。

「ってぇ――ッ!!」

 号令が下ると、筒が一斉に火を噴いた。

 飛び出した砲弾が、まるで魔法の矢のようにアーヴァインへと襲いかかった。

 立て続けに爆炎が上がる。

「ぐおおおッ!?」

 爆炎の中から、アーヴァインの苦悶の声が響いた。

 憲兵たちの兵器が効いているのだ。

 これはいける――と、恐らく憲兵たちも思ったことだろう。彼らは即座に次の攻撃の準備を始めたが、

「この――虫ケラどもがぁぁあああああッ!!!!」

 火柱が上がった。

 今度は憲兵の攻撃によるものではない。

 アーヴァインの反撃によるものだ。

 周囲に膨大な魔力の波が押し寄せるのが分かった。

『まずいわ! ライラ、そこから離れて――』

 大きなノイズと共に、クローイの声が途切れた。周囲に溢れだした膨大な魔力によって、遠隔通話が途切れたようだった。

「せっかくの勝負に水差すんじゃねえよ、この虫ケラどもがッ!! 身の程を弁えろッ!!」

 アーヴァインがそこら中に、無差別に魔法攻撃を乱射し始めた。

 そこら中で爆炎が上がり、建物が倒壊していく。

 憲兵たちのものと思われる悲鳴がそこかしこから上がった。

「――ッ!!」

 ライラはすぐに飛び出し、アーヴァインに肉薄した。

 全力で剣戟を繰り出す。

「ぐぬぅ――ッ!?」

 憲兵たちに気を取られていたアーヴァインの反応が遅れた。

 ライラの剣が、初めてアーバインのからだに傷を負わせた。

 青い血が噴き出す。

 だが、ライラが追わせた傷はすぐに塞がってしまった。

 ダメか――そう思った直後、ライラはあることに気付いた。

 あれだけの砲撃を受けてもほぼ無傷に見えたアーヴァインであるが、1カ所だけ大きく損傷している箇所があったのだ。

 それは右脇腹の部分だった。そこだけはなぜか、大きく抉れたまま再生していなかった。

(なんだ、あの部分だけ再生してないぞ……? なんで――あ)

 不意にライラは思い出した。

 あそこは確か……アーヴァインの身体が〝結晶化〟していた部分だ。

「ぐぅ……ッ!! くそがぁ……ッ!!」

 アーヴァインが抉れた右脇腹を押さえて呻いていた。

 ダメージだ。

 アーヴァインはダメージを受けている。あの部分だけは損傷から再生していない。憲兵たちの攻撃が、あの紅鐵こうてつの鎧を穿うがったのだ。

 ――今だ、とライラは思った。

 今しかない。

 時間が経てば、もしかしたらあの部分も回復してしまうかもしれない。

 ここで逃がしてはならない。

 この〝敵〟を斃す機会は――今まさに、この瞬間しかないのだ。

「――」

 歯茎から血が出るほど奥歯を噛みしめた。

 全身全霊の力を手足に込めた。

 獣のように叫び、限界という限界を超える速さで剣を振るった。

「うぉおおおおおおッ!!!!」

「ちぃ――ッ!?」

 アーヴァインは何とかライラの剣戟を防ぐ。

 先ほどまで生じていた、アーヴァインの技量による優位性を、ライラの剣戟が上回りつつあった。

 両者の〝力〟は完全に拮抗していた。

 動きが鈍ったアーヴァインは、先ほどまでの余裕を一切失っていた。

 ライラの猛攻を防ぎきるだけで精一杯だった。

「クソッ!! ふざけるなッ!! ふざけんじゃねえッ!! おれは本当の〝力〟を手に入れたんだッ!! そのおれが――負けるわけがねえッ!!」

 アーヴァインは叫んだ。

 ……彼は、自分が負けることなどまったく考えてすらいなかった。

 例え同じ魔人が相手であろうが、くぐり抜けてきた死線の数、そして何より持っている技量が違うのだ。負けることなど、万に一つもあり得なかった。

 けれど、その勝算はいま完全に誤算に変わりつつあった。

 彼の勝算を変えたのは、彼自身がこれまで無能で無意味だと侮っていた平民たちの〝力〟だ。

 しかし、彼らだけでは魔人は斃せない。

 今はまだ、それだけの〝力〟は彼らにはない。

 ここで勝負を決められるのは、アーヴァインと同じ領域に足を踏み入れたものだけだ。

「――ッ!!」

 両者が叫ぶ。

 お互いが、目の前の〝敵〟に己の全てを叩きつけていく。

 あまりにも激しい攻防に、どちらも再生が間に合わなくなっていった。

 ライラの鎧もすでに傷だらけだったが――それでも、彼女は踏ん張った。

(斃す――オレは、こいつを絶対に斃すッ!!)

 ぎらりと、彼女の黄金色の双眸がこれまで以上に輝いた。

 剣がぶつかり合い、同時にお互いの剣が砕け散った。

 アーヴァインはすぐに新たな剣を生成しようとしたが――ライラは違った。

「うらぁあああああッ!!!!」

 ぶん殴った。

 彼女の繰り出した渾身の右腕が、アーヴァインの顔面を捉えた。

 拳は紅鐵の鎧を砕き、そのまま相手を地面に叩きつけた。

 顔の鎧が砕けたアーヴァインは、白目を剥いた状態でぴくりとも動かなくなった。

「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」

 ライラは大きく息を切らせながら、動かなくなったアーヴァインを見下ろした。

 斃したのだろうか……?

 そう思っていると、白目を剥いたままのアーヴァインが弾かれたように立ち上がった。

「クソがぁあああッ!! ふざけるなッ!! ふざけるんじゃねえッ!! おれは負けねえッ!! そんなことはあり得ねえッ!! おれは絶対の〝力〟を手に入れたのだッ!! そのおれが――負けることなど、絶対にあり得ないッ!!」

 狂ったように叫んだ。

 身体からさらに魔力があふれ出す。

 まずい――ライラはそう思ったが、すぐに異変に気付いた。

 アーヴァインの足が、まるで結晶体のようになっていたのだ。

「……あ? な、なんだこれは……?」

 本人もすぐに気付いたようだった。

 結晶化だ。

 足元から始まった結晶化は、見る見るうちに身体を侵食していった。真っ赤な鎧が、透明な結晶に丸ごと覆われていく。

「くそ、何だこれはッ!? 何なんだこれはッ!? こんなところで、こんなところでおれが終わるなどあってたまるものかッ!! おれは〝新世界秩序〟を生み出し、新たな世界の王となるのだッ!! それが、こんなところで――」

 頭まで完全に結晶に覆われた。

 ……ほんの数秒後には、結晶化したアーヴァインの身体は勝手に砕け散り、すぐに跡形もなくなってしまった。

「……」

 ライラはただ、その様子を呆然と眺めていた。

『ライラ、大丈夫!? ライラ!?』

 クローイの声が戻って来た。

 それでようやく、ライラも我に返った。

 どうやら斃すべき相手を斃したらしい、と。

 そのことを確信したライラは本当に心から安堵した。

(ああ、よかった……)

 ……深い安堵と共に、ライラの身体がその場に倒れ込む。

 全身を覆っていた鎧が、さらさらと光となって消えていく。

(……青いな)

 地面に倒れたライラの眼に、視界いっぱいに広がる青空が映っていた。

 霧に覆われていない、本当にまっさらな青空だ。

 そのうつくしさを目に焼き付けながら――ライラは、意識を失った。

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