第25話 敬礼
地面が揺れた。
最初、フラトンは地震でも起きたのかと思った。それほど揺れが大きかったのだ。
その後も、揺れは何度も続いた。
地面が揺れる度に、イースト・エンドの中で爆炎が上がる。
(違う、これは地震などではない――これは〝戦闘〟なのだ)
フラトンはそのことに気付いていた。
さきほども戦闘が生じているのは分かっていたが、今度始まった戦闘はレベルが違っている。状況は分からないが――段階が変わったのだ、と思った。
大きな爆炎を振り返るフラトンの眼には、いくつもの過去の光景がフラッシュバックしていた。
20年前、栄光戦争のまっただ中で、国民軍の兵士として戦場を駆けずり回っていた時の光景。
12年前、紅鐵号に蹂躙される街を、ただ為す術も無く見ているだけだった時の光景。
あらゆる光景が目の前に浮かんでは消えていった。
幾度も〝戦場〟を経験した。
そして、いま――再び、自分は〝戦場〟にいる。
怖れるな、と彼は自分に言い聞かせた。
フラトンは部下を振り返った。
「市民の避難状況はどうなっている!?」
「この区画は避難が完了しています! ですが、東側の区画はまだ避難が遅れているようです!」
「よし、ならそっちに人を回せ!」
「はっ!」
部下はすぐに駆け出していった。
フラトンはすぐに別の部下に指示を出した。
「わたしは戦闘の状況を確認してくる! さっきから様子がおかしい! 場合によっては我々もここから退避する必要があるかもしれん! 準備だけはしておけ!」
「はっ! 了解であります!」
フラトンは再び、手近な建物に飛び込んで階段を駆け上がっていった。
今度は屋上までやって来られたので、そこから双眼鏡で戦闘の様子を確認する。
そこで彼が見たのは、おおよそ信じられないものだった。
「な――魔人が、2体……だと?」
フラトンが見たのは、紅鐵号と思われる真っ赤な個体と、もう1体の真っ白な個体だった。
(な、なんだあの白い個体は? 切裂号――ではないな。違う個体だ。いったいどうなっているのだ、次から次へと、これほど魔人が湧いて出てくるなど――)
絶望的な気持ちになった。
たった1体でも数万人の死傷者が出るほどの〝災害〟が、2体も3体もいてはたまったものではない。これではさすがにクローイ王女殿下たちの力を以てしても、どうしようもない。
(いや――でも、様子がおかしいぞ……?)
フラトンは違和感に気付いた。
そして、気付いた。
(戦っている――のか? 魔人同士が?)
紅鐵号と、もう1体の白い個体。
2体はどう見ても――そう、戦っているのだ。
2体が衝突する度に、イースト・エンド全体が大きく震えた。
どうやらさきほどと様子が変わったのは、あの魔人同士が戦闘を始めたせいらしかった。
あり得ない状況に困惑しながら、フラトンはあることに気付いて焦り始めた。
(そう言えば、王女殿下はどこだ? 姿が見当たらないぞ……?)
戦っているのは魔人だけだ。他には誰の姿も見えない。
まさか、すでに命を落としているのでは――
「隊長!」
フラトンが最悪の予想を思い浮かべた時、部下が急いだ様子で屋上に飛び出してきた。
「どうした!?」
「は、はい! それが、逃げ遅れた市民がいないか確認していた部隊から、クローイ王女殿下とそのお付きの騎士の方を発見したとの報告がありました!」
「なに!? 王女殿下はご無事なのか!?」
「意識ははっきりとされているようですが、かなりお怪我をされているようでして……」
「それはまずいな……すぐに病院へ搬送するんだ!」
「いえ、それが、今すぐに現場責任者と話がしたいと仰っておられるんです」
「……なに?」
「やはり先に病院へお連れするべきでしょうか? と言っても、貴族の方を平民の病院に連れていってもいいのか疑問ではあるんですが……」
フラトンは少し悩む素振りを見せたが、すぐに顔を上げた。
「……いや、分かった。殿下がお呼びというのであれば、すぐに行こう。殿下のところに案内してくれ」
「はっ!」
フラトンは部下と共にその場を後にした。
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フラトンが部下に連れられてやって来たのは、住民が逃げ出して無人になった住居の一つだった。
中に入ると、そこにはクローイ王女殿下、それと先ほどライラと一緒にいた騎士の姿があった。と言っても意識があるのは王女殿下だけで、騎士の方は意識を失ったままベッドに寝かされている状態だった。
「クローイ王女殿下、このような姿でお目汚しをしていまことに申し訳ございません。現場責任者のアラン・フラトンでございます」
フラトンは椅子に座るクローイの前に
ちら、と上目遣いに相手の様子を確認する。彼女の姿は、フラトンが想像していた以上にぼろぼろだった。座った態勢でいるのすら少し辛そうだった。
けれど、まだ若い王女はあくまでも気丈に振る舞った。
「この非常時に呼び立ててしまって申し訳ありません、フラトン。会うのはこれで二度目になりますね」
「はっ、わたしのような者のことを覚えていただいてくださり恐縮です」
「あなた方は、この付近の市民の避難をしてくださったと聞いています。本当にありがとうございます。まずはお礼を言わせてください」
クローイは頭を下げた。
フラトンを始め、憲兵たちは驚いた。まさか王女に礼を言われるなど思っていなかったからだ。
フラトンはますます恐縮した。
「はっ、いえ、そのようなことは……もったいないお言葉です。我々は、我々の仕事をしたまでのことですので。当然のことです」
「その〝当然〟のことをするのが、どれほど難しいか……わたしは理解しているつもりです。あなた方の勇気ある行動がなければ、被害はさらにとんでもないことになっていたでしょう。あなた方の働きは、本当に素晴らしいものです。お礼を言うのは当然のことです」
「……」
フラトンは思わず、じっとクローイのことを見ていた。貴族相手には不敬にあたる行為であるが、どうしても彼女の姿から目が離せなかったのだ。
彼はこれまで、何度も貴族と接したことがあるが、これほど丁重に言葉をかけられ、ましてや感謝されたことなど、本当にこれが初めてのことだった。
フラトンの心の中が、初めて忠義というものによって満たされた。
彼は深く頭を垂れた。
「……我々が市民を避難させることができたのは、王女殿下が紅鐵号と戦ってくださっていたおかげでございます。我々の方こそ、王女殿下には御礼を申し上げねばなりません」
「礼などとんでもない。わたしは〝当然〟のことをしただけよ」
フラトンはハッと顔を上げた。
クローイはくすりと小さな笑みを浮かべていた。
フラトンも思わず笑ってしまったが――すぐに真面目な顔に戻った。
「――して、我らに何か御用命でしょうか? 我ら憲兵隊一同、王女殿下の御命令であれば何であろうとやり遂げてみせる所存です」
フラトンたちは跪いた姿勢のまま、胸に手を当てて騎士式の敬礼を行った。
クローイは一つ頷くと、
「あなた方にお願いがあります。わたしたちに〝力〟を貸してください」
と言った。
フラトンは僅かに首を傾げた。
「と言いますと?」
「現在、とある者が紅鐵号と戦っています。ですが……恐らく、彼女1人では紅鐵号は斃せないでしょう。紅鐵号はとんでもない強敵です。しかし、わたしはすでにこのザマです……魔力もほとんど使い果たしまい、もう魔法は使えません。そこにいるジェイドも、すでに戦えるような状態ではありません。ですから、あなた方の〝力〟を貸して欲しいのです」
「それはもちろん、我々の力でよろしければいくらでも王女殿下に捧げる覚悟ではありますが……しかし、現在の我々には武器がありません。
「もちろん理解しています。ですので――わたしが〝禁忌兵器〟の使用を許可します。それを使って、彼女のことを助けてあげてください」
憲兵たちは大きくどよめいた。
フラトンは思わず前のめりになった。
「ほ、本当ですか? 〝禁忌兵器〟――重火器の使用を許可してくださるのですか?」
「はい。クローイ・プリムス・パノティアの名において、全兵装の使用を許可します」
クローイの宣言に部下たちは湧き上がっていたが、フラトンだけは少し心配そうな顔で尋ねた。
「……しかし、よろしいのですか? 確か〝禁忌兵器〟の使用には貴族院の許可が必要だったはずです。半数以上の〝卿〟と、そして陛下の
「わたしのことなど、別にどうなろうと構いません。貴族院の承認など待っていたら日が暮れるどころか朝日が昇ってくることになるでしょう。そんなものは待っていられません。これには多くの人命がかかっているのです。すぐにでも用意しなければ、何もかもが手遅れになります。責任は全てこのわたしが負います。あなた方に責が及ぶようなことにはならないと約束します。ですからどうか――〝力〟を貸してください」
クローイはこれまでより深く頭を下げた。
「……」
フラトンはその姿をじっと見ていた。
(……自分が責任を負うからと言って、実際にその責任を負ったことがある貴族など見たことがない。戦時中もそうだった。貴族共はいつも適当なことを言って、後は知らぬ存ぜぬだった)
フラトンは貴族に対して良い印象など一つも無かった。
栄光戦争でもそうだった。
あの戦場で、国民軍兵士は数々の新兵器を駆使して敵のバルティカ王国騎士団との戦闘を繰り返した。
当初は自国の騎士団の後方支援と聞かされていたが、いざ戦場に来てみれば自国の騎士団などいない戦線はいくらでもあった。
ようするに国民軍のほとんどは時間稼ぎの囮だったのだ。
貴族は誰も平民に期待などしていなかった。初めて平民が貴族と対等であることを示せるチャンスだと息巻いていたフラトンは裏切られた気持ちになった。
そういう戦線は他にもいくつもあった。
貴族たちにとっては予想外だったのは、国民軍が本当に〝戦力〟になってしまったことだろう。
国民軍の想像以上の奮闘があの戦争を栄光に導いたのは確固たる事実だ。
……ただ、戦後に貴族たちがその奮闘を讃えることはなかった。
国民軍は用が済んだとばかりにあっさり解体され、フラトンたちは現場の憲兵に復帰した。大勢の仲間が死んで、大勢の仲間が色んなものを失ったが、貴族たちがそれを労ったり保証したりするようなことは一切無かった。
その頃から、フラトンは貴族に大きな不信感を抱き続けてきた。
彼らに従うのは忠誠からではない。
〝力〟による恐怖からだ。
だからもし、いずれ自分たちが貴族たちと同等に渡り合えるだけの〝力〟を手に入れたら――恐らく、フラトンは貴族と敵対し、戦う道を選んでいただろう。
そういう未来は確かにあった。
……だが、今この場で、彼の未来は大きく変わった。
「……王女殿下、一つ伺いたいのですが……〝彼女〟というのは誰のことなのですか? いま、紅鐵号と戦っている白い魔人はいったい何者なのですか?」
「あの白い魔人は、わたしの〝友人〟です。名はライラ・フリスです」
「――」
その名を聞いた瞬間、フラトンの気持ちは完全に定まった。
従うべき〝主〟を見つけ、戦うべき〝理由〟がはっきりとした。
もう迷いは一切なかった。
フラトンは立ち上がり、部下たちを振り返った。
「……本部に通達しろ。すぐにありったけの重火器をここに持ってこい、とな。使いもしないのに綺麗に磨いてた筒と弾がようやく使えるぞ、とも伝えろ」
「はっ! すぐに伝えてきます!」
すぐに部下が飛び出して行く。
「ほ、本当によろしいのですか、隊長?」
湧き上がっている部下とは別に、少し心配そうな部下が戸惑った様子で尋ねてきた。
フラトンはニヤリと笑った。
「せっかく王女殿下が『好きにしろ』と仰ってくださっているのだ。だったらやるしかあるまい。12年前の借りを、いま全て鉛玉と爆弾に変えて、あのクソッタレの魔人に返してやるんだッ!! さぁ急げ!!」
「はっ!! 了解しましたッ!!」
今度は全ての部下たちが弾かれたように飛び出して行った。
フラトンは再びクローイに向き直り、先ほどと同じ姿勢を取った。
「それでは王女殿下、僭越ながら――好き勝手にやらせて頂きたく存じます。よろしいでしょうか?」
「……ありがとう、あなた方の勇気に感謝します」
クローイは頭を下げるのではなく、憲兵式の敬礼をした。挙手注目の敬礼だ。
フラトンはハッなり、すぐに立ち上がって答礼した。
……それは彼のこれまでの人生の中で、最も敬意と尊敬の籠もった敬礼となった。
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