自宅警備員

佐久村志央

自宅警備員


 今回の仕事は、依頼の段階からずいぶん風変わりだった。

 

「いわゆる、“自宅警備員”ってやつです」

 電話をかけてきた担当者は、なんてことないような調子でさらりとそれだけ言った。

 俺は漫画家を志して原稿と睨み合う日々の中、手持ちが尽きた時にはこうして登録型の派遣アルバイト会社に単発バイトを紹介してもらって食い繋いでいる。人手の足りない工事現場とか、なんとか祭りの着ぐるみ役だとか、経験した仕事のバリエーションは結構多い方だと思うけど、今回のは初耳だ。

「えっ、自宅警備員……? それって引きこもりとかニートとかを言い換えた冗談ではなく? 仕事が自宅警備?」

「もちろんです。派遣先は自宅警備員をされている方の家なんですけど、どうしても家を空けなければいけない日ができてしまって、その間自宅の警備をお願いしたいと」

「ああ、要は留守番ですか?」

「だから自宅警備ですって」

 電話口の向こうで呆れ声が聞こえる。釈然としない部分はあるけれど、これまでやった派遣アルバイトの中では楽そうだ。俺は二つ返事でOKした。


 

 指示された場所は、小綺麗なアパートの一室だった。

「いやあ、来てくれてありがとうございます。これで安心して出かけられる」

 依頼者は小笠原という若い男だった。自宅警備員を名乗るだけあって、肌は白いし、極端な猫背だしで「全然外に出て無いんだろうなあ」というオーラをむんむんと放っている。聞けば、特に仕事はしておらず、毎日家でゲームやネットサーフィンをして過ごしているらしい。

 本当に自宅警備員じゃねえか。実家の仕送りで暮らしているんだろうか、羨ましい。

「あの、俺、仕事の内容とかまだ詳しく聞いてないんですけど」

「実はですね、ちょっと今日どうしても直接話がしたいっていうゲーム友達と外で会うことになっちゃいまして。でも自宅から目を離すのが不安で」

 そう言って指差した部屋は、特にこれといって貴重品や金目のものがあるようには見えなかった。ひと抱えほどの金庫が置いてあるのは見えるが、留守番を雇うほど心配症ならそれくらいのあってもおかしくないような気もする。

「はあ……」

「あとはこの家で適当に過ごして貰って大丈夫です。冷蔵庫の中の飲み物とかもどんどん飲んで良いですし。まあ、エナドリとビールばっかですけど」

 その後、慌ただしく外出の準備を終えると小笠原は「じゃ、よろしくでーす」と玄関から飛び出して行った。


 部屋には静寂が訪れた。

 俺の住むボロアパートは隣の部屋の音が筒抜けで、隣の大学生が深夜にどんちゃん騒ぎを起こすのに辟易しているのだが、このアパートはあまり他所の生活音が聞こえてこない。外装からしてちょっと高級志向な建物だと感じてはいたが、もしかすると防音設備でも入っているのかもしれない。

 金庫以外のものはなんでも使って良いと言われたので、とりあえずテレビをつけて、冷蔵庫のエナジードリンクをありがたく頂く。

「……こんなんで給料もらっていいのかな」

 俺が寝食を犠牲にして描きあげた原稿には一銭の値も付かず、こうやって人の家でだらだらする時間に報酬が出るなんて、なんだか悪いことをしているような気分だ。


 空になった缶を捨ててさて次はどうするかと考えを巡らせた瞬間、ピンポーンとチャイムの音が鳴った。

 小笠原からは訪問者の予定があるなんて話は聞いていない。宅配便とかなら受け取っておいた方がいいのかな、でも印鑑の場所までは聞いてないなあ……なんて考えながらインターフォンのモニターを覗くと、予想に反してそこに写っていたのは人の良さそうな老夫婦だった。


「……どちら様?」

「連絡もなしにごめんね、近くに来たものだから。ユウ君、今いいかしら。ちょっと話がしたくて」

「母さんもお前の事を心配してるんだ。良い加減引きこもりみたいな生活はやめなさい」

 こちらが何も言わないうちから、老夫婦はカメラに向かって一気に捲し立てる。

「いや、あの、俺は」

「誰にも迷惑かけてないなんて言い訳でずっとそうしているつもりか。男は外で働いて家族を支えて一人前だとずっとお前に言ってきただろう。そんなことではウチのご近所にも顔がたたない。いいから、ここを開けなさい」

「いや、そうじゃなくて……」

「ユウ君はお父さんがこんな決めつけをするのが嫌なのよね?! お母さんはちゃんとわかってますからね、大丈夫だから、まずはここを開けて頂戴」


 どんどん話が進んでいくせいで「俺はアンタらの息子じゃない」と伝えるタイミングをすっかり失ってしまった。

 

 そうしている間にも夫人は両目からはらはらと涙を流し、

「ユウ君が小学校に通っていた頃、お夕飯のサラダにトマトは入れないでって言ったことがあったわよね。その時、私はユウ君の訴えをちゃんと聞いてあげずに『栄養があるから』とか『デザートつけてあげるから』とか言いながらずっとトマトを出していた事を後悔しているの。本当にごめんなさい。そのせいでユウ君は人が信じられなくなったのよね」

「いや、そうじゃなくて……」

「じゃあ、受験生のとき、塾まで毎日車で送迎していたのが鬱陶しかったの? ユウ君はお友達と一緒に帰りたいって言ってたのに、それを聞かずにいたからこんな事に……」

「いや絶対関係ないだろ」

 思わず心の中のツッコミが口から漏れてしまった。小笠原はかなり過保護に育てられたらしい。

「そんな事はどうでもいい。これが真人間に戻る最後のチャンスだと思いなさい。今日はお前の人生を挽回するための話を持ってきたんだ。とにかく中に入れなさい。自分の人生を考え直せ」

 隣に立つ父親の方がずいと前に出て威圧的な態度でそう言った。


 俺は、なんだか少しずつ腹が立ってきた。


 この両親は子供のためという名目で、子供が大人になってもなお自分たちの価値観を押し付けようとしている。それは、自宅警備員の小笠原に対してのものだったが、いい大人になってもまだ漫画家という夢にしがみついている自分への言葉のようにも思えた。


 気がついたら、俺はインターホンに向かって思い切り怒鳴っていた。


「お前らがそんなんだから、あいつは友達と会うにも人に留守番を頼まなきゃ不安な性格になったんじゃねえのか! 考え直すのはお前らの方だ! 凝り固まった認識を人に押し付けるんじゃねえ!」


 夫婦は俺が息子でないことにようやく気付いたのか、または怒鳴り声の勢いに気圧されたのか、途端に押し黙って挨拶もそこそこに姿を消した。


 最初は気楽な暮らしが羨ましいと思ったが、人には人の苦労があるもんだな。


 なんだかどっと疲れたので、エナジードリンクをもう一本頂くことにした。

 

 

 玄関が解錠される音がして、続いて「警備ありがとうでしたー」と小笠原がのんびりした様子で帰宅した。

「おかえりなさい、あんまり何も出来てないですけど」

「いやいや、本当に助かりました。なんか向こう着いたら友人にドタキャンされちゃったんで、結局買い物して帰って来ました」

 小笠原は辺りを窺うような仕草をしてから金庫の中をそっと確認し、満足そうに微笑んだ。

 その中身を覗き見て思わずギョッとした。ドラマで見るような金のインゴットが金庫いっぱいに押し込まれていたからだ。俺の驚きように満足したらしい依頼者は「これも一種の『実家が太い』てやつですかね。僕の場合は遺産ですけど」

「え?」

「唯一の肉親だった両親が事故で死んで、僕、親戚もいない天涯孤独なんですよ。なのに最近、この辺で一人暮らしを狙う強盗が頻発しているらしくて。なんでも、夫婦を装った老人の二人組で銃を持ってるとかスタンガンで撃たれるとか色々と……とにかく物騒な噂が多くて。だから自分の身は自分で守らないと! ってどんどんナーバスになっちゃって、今回こんな依頼させてもらいました」

 彼は「まあ、考え過ぎでした。普通は何も起こらないよなあ」と笑ったが、僕は内心冷や汗をかいていた。

 天涯孤独だって?

 だとすると、さっきまで扉一枚を挟んで交わされていたたやり取りが、全く違う意味を持つ。

 友人からの誘いと見せかけて、家を留守にさせようとした……?


 僕は、インターホンに映った老夫婦に銃を突きつけられている自分を想像し、ぶるりと身を震わせた。

 危ないところだった……

 絶対に追加で報酬を貰おう、と決意しながら僕は帰路についた。

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