消毒液

「前見た美容記事でさ」


 時々話題になるトンデモ美容のネット記事。

 無論、話題になるのは、最近で言うバズった記事だけだが、それ以外の美容記事なんて星の数ほどある。

 そういうのをSNSで探すのが趣味な人もいるわけで、今、隣で、もうとにかく汚いことだけがよくわかる持参薬を手袋をしながら鑑別している桃田が、そういう趣味を持っている人だったりする。


 変わり者の多いと言われる医療関係者の中で、薬剤師も例に漏れず変わっていると言われたことがある人種が多い(諸説あり)。

 桃田もその一人だと思う。


「洗顔の際は、精製水がオススメって記事が合ってさ」

「いつも思うんだけど、あの美容アカの人たち、どこからそういうの仕入れてるんだよ」


 情報として、ネットで違法薬物(薬としては正規品)を売ってるサイトはあることは知っている。

 ラシックス(利尿薬)とか、GLP-1阻害薬(糖尿病薬)をダイエット目的で仕入れている人多すぎる。


「精製水は、普通に売ってるでしょ? ドラッグストアに」

「え? なにに使うの……実験?」

「コンタクトの保存液作るらしいよ」

「買えよ」

「防腐剤がダメな人とかが使うんだよ」


 防腐剤アレルギー。確かにたまにいる。

 どうにも、ハードとか2Wだと、目が充血するのに、なぜか眼科でコンタクトを試すと平気って人は、洗浄液とか保存液に含まれてる添加物、防腐剤にアレルギーがあったって人は、確かに見かける。


「めんどうだからって、まとめて作って菌だらけのを使ってなければいいけど」


 精製水に防腐剤は入ってないし、水道水のように塩素で殺菌だってされていない。だから、開けたら冷蔵庫にいれて、24時間で使ってほしいところだ。


「そうなんだよ! しかも、その人『精製水は無菌だから、きれいで安全。オーガニックなんです』って!」

「すまない。英語の成績は2なんだ」


 とりあえず、女の子が好きそうな文字の羅列だ。


「お前の手も顔も、菌まみれなんだよ! なにより、その500mL絶対使い切ってないだろ! 菌塗り付けてるんだよ!」


 ついさっき、桃田は美容アカを見るのが趣味といったが、「すごーい! 私もやってみよう!」的なエビバディ・イエスタイプではなく、「科学的根拠は? エビデンスは?」と意識高い系専門職タイプ。

 両者が出会えば、起きるのは戦争。


 見かけても 1km離れて 見守ろう 女の美容と 自称プロ


 遠巻きに見ているのが、一番いい。本当に。

 私は、その仁義なき戦いを見ているのが楽しいタイプです。えぇ。キノコ派はさらし首にしておきなさい。


 だがしかし。私も一応、医療従事者であり、薬剤師。

 ”傾聴”すべきだろう。


 ”傾聴”

 言葉によるメッセージに最後まで耳を傾け、理解する。言葉の背後にある感情も受け止め、共感を示すこと。- ナビゲート ビジネス基本用語集 より -


「無菌がいいなら、134℃のサウナに10分入ってろ!」


 ふむふむ……

 つまり、まるで自分が無菌のように言ってるのが気に入らないと。

 滅菌でも、静菌でもされてから、出直してこいと。


「なら、あなたの顔や手にも菌はいます。まずは、その菌を殺してから、洗顔しましょう。って伝えて上げないと」


 まずは、否定せずに事実を伝える。

 そして、その人がやりたいことは肯定しつつ、どんなに手順が増えても、主題を生かす。


「アルコールで拭けって?」


 これが、争いを生まない解決策。


「アルコールは芽胞は生き残るからね。グルタラールがオススメです」


 消毒薬の中でも、高水準と言われる、最高峰の消毒薬だ。

 使い捨てもできず、熱に弱い機材など滅菌までいかなくても、人体に対して危険ではない程度にすることができる。

 内視鏡などの消毒に使われている。


「レポや生放送お待ちしてます」


 ちなみに、グルタラールは人体に有害で、蒸発しやすく、その蒸気は呼吸器や眼を刺激し、液に触れれば火傷を負うこともあるため、扱う際には、ゴーグル・手袋はもちろん、グルタラールで消毒したものは、滅菌水で丁寧に洗い流して使用する。


 アルコール綿で、持参薬が置いてあった場所を拭いた桃田は、もったいない精神なのか、ついでに調剤台も拭き始めた。


「最近、消毒液が品薄っていうか、入らないしさ」


 ここ最近、感染症の影響で、マスクや消毒薬を筆頭に、品薄なものが増え続けている。


 この病院でも、マスク品薄の流行り始めは、病院ですらマスクが仕入れられない状況だったため、病院の各部署にすでに配布されたマスクを回収し、感染委員会が各部署の人数や業務に合わせて配置する数を決定し、再配布する珍事態が起きた。


 消毒薬は、インフルエンザがアウトブレイクの兆しがあったため、大量発注しており、しばらくは困らないといわれていたが、このまま続けば、どうなることやら。


「事務さんたちが言ってたんだけど、ステリゾール(グルタラールの商品名)も買い占めされて、卸に入荷未定って言われたらしいよ」

「は……?」

「珍しく目が輝いてるー」


 この感染世紀末。消毒薬と名が付けば、なんでもいいらしい。


 実際、燃料用アルコール(メタノール)がドラッグストアで売り切れる世の中だ。正しく、消毒薬なだけ良しとしなければ。


 ちなみに、普段、私たちの使うアルコールというのは”エタノール”のこと。


「今のところ、眼科でメタノール中毒は来てないよね」


 メタノールは、メチルアルコールと呼ばれている。化学系の友達がいるなら『十OH』と『十十OH』を見せてみよう。嫌そうな顔をした彼は、ガチ化学系の理系だ。

 名前から文字って”目散る”アルコールと呼ばれ、揮発しやすく、目に入ればものすごく痛い。下手すると、失明する。


 今回は、飲むというより、拭いたりした時の揮発による問題が起きる程度の可能性だろう。


 メタノールを飲んだとして、吐き気とかならすぐに出ることはあるが、2日経ってから中毒症状がでることがあるため、その場のノリで自殺を図るにはお勧めしない。たぶん、それまでの間ずっと目が痛いし。

 致死量としては、30~100mL。コップ一杯もない、ファイト一発な量。

 とはいえ、特徴的なのは目というだけあって、致死量3分の1で失明のリスクがある。

 私、絶対に失敗しないので。ならいいけど、失敗した時に、目が見えないって辛い。

 自殺する元気すらなくなっちゃう。


 ちなみに、アルコール中毒の人が、酒禁とか減せって言われて飲んだり、もっと酔えるとかいう理由で飲んで、運び込まれてくることもある。

 効果はアルコールの約10倍。1杯で10杯分の効果。そりゃ、飛びつく。


「目はきれいに洗う。吸ったら、新鮮な空気を。飲んだら……胃洗に透析、アシドーシス補正、解毒薬の投与。って、あれ? メタノールの解毒薬ってなんだっけ?」

「迎え酒~」


 桃田が、ネットで検索すれば、信じたくないものを見た目でこちらを見る。


「珍しく真面目に答えたのに」


 言い方はふざけたけど。


 メタノール中毒の解毒薬は、正真正銘”エタノール”。

 これは、メタノールというより、メタノールが代謝され、ホルムアルデヒド、ギ酸となることが問題のため、同じように代謝されるエタノールを投与することで、ギ酸が増えるのを防ごうというものだ。

 なので、一般にイメージする解毒とは違うかもしれない。


 なんとなくわかったかもしれないが、メタノールの致死量は、自分の肝臓の強さによるので、本物のザルは、目だけ持ってかれるかもしれないから、やってはいけないぞ。

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死にたがり薬剤師の調剤日誌 廿楽 亜久 @tudura

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