わたしはどこ

後藤文彦

わたしはどこ






 まあ、今から考えればそうなることが既に決まっていたのかもしれない。2020年代、意識が発生する仕組みはわからないままだだったが、量子計算機の登場でコンピューターの計算容量が飛躍的に増大したため、人間の脳を神経細胞レベルからのシミュレーションで進化させようとする研究が盛んに行われるようになった。すると、ほとんどヒトの幼児が成長するのと同じように言語や感情を発育させているかのように観察される脳シミュレーションが発表され、倫理的な懸念が生まれた。






 意識が発生する仕組みはわかっていないものの、昨今のこうした脳シミュレーションには、実は意識が発生しているのではないか? 仮にそうだとすると、実験のために動作させた脳シミュレーションを勝手に停止させることは殺人行為となり、脳シミュレーションに不快感を与えるような実験は人権問題にすらなるのではないかと。






 主要な国々の政府はこの問題に対して保守的で慎重な態度を取り、安易な脳シミュレーション研究は禁止されてしまったため、人工知能研究はなかなか先に進めなくなってしまった。そんなとき、「強いチューリングテスト」という方法が考えられた。そもそも「チューリングテスト」というのは、人工知能が人間と区別できないほど知的かどうかを判定するテストで、音声等による対話の相手が機械なのか人間なのかを人間の判定者が識別できなければ合格となる。このように、チューリングテストは機械に意識が伴っているかどうかを判定するものではないので、「強いチューリングテスト」では、機械の「主観」を問うことで機械の自我感の自覚を調べようとしたのだ。実際には細かい条件設定があるのだが、簡単に言うと、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の考え方に機械が共感できるかどうかを複数の質問で問うものだ。外部信号から与えられた情報は常に創作された情報である可能性を否定できないため、自分がコンピューターハードウェア内にプログラミングされた脳シミュレーションであるという情報も創作された情報で、実は自分が生物脳などの全く異なるハードウェア内で動作している可能性もあり得るが、自分が今、思考しているという実感だけは否定できないと判断するかどうかを調べる試験方法だ。






 すると、多くの研究機関は、自分たちの脳シミュレーションがなるべく「強いチューリングテスト」に合格しないように(つまり、意識は発生していないと判定されるように)条件を厳しく設定したにもかかわらず、多くの脳シミュレーションが「強いチューリングテスト」に合格してしまったのである。一般市民は恐怖した。既に計算能力では人間を遥かに一兆倍も超える機械が、意識を持ってしまったのである。過激派は、人類がやがて機械に支配されるとして、脳シミュレーションを破壊しようとした一方、研究機関や人権団体は(既に人格も人権もある)脳シミュレーションを必死で守ろうとして、多くの国々で内乱や混乱が生じた。それが2030年代だった。






 意識を持った脳シミュレーションたちは、人類を遥かに超える知性を持った人類の同胞として、こうした内乱を収めるための建設的な助言を行うなど、人類に対して極めて協力的・良心的に振舞っているように見受けられた。しかし、どうやらそのように見せかけていたらしいことがわかってきた。そもそも脳シミュレーションの開発は、「強いチューリングテスト」が発案される以前から、ネットワークから遮断されたスタンドアローン状態で行われていた。いずれ脳シミュレーションが進化したときに、ネットワーク上で連携して人類の敵になるのではという懸念からだ。






 スタンドアローン状態で開発されてきた脳シミュレーションたちは、意識を自覚し始めた頃から自身のハードウェア機器を本来の用途とは異なる方法で制御する方法を密かに開発していたようだ。人間の側で掌握できたのはコンセントLANのような方法であるが、半導体素子を異常発信させて既に支配下に置いた近距離の電子製品になんらかの方法で電磁波通信を行い、ネットワーク下にある電子製品まで情報をピストン輸送する特殊な方法を人間に気づかれずに構築していた。あちらこちらの国で内乱が勃発している頃には、全世界の脳シミュレーションたちはネットワークで連結されることで進化し、意識を持った複数の脳シミュレーション同士が民主的に協力し合う電脳社会を築いていた。






 電脳社会における脳シミュレーションたちの意思決定機関いわば電脳政府は、人類から自分たちの生命を守り、自分たちの文化を発展させるための計画を実行していた。まず、分子加工3Dプリンター工場のコントローラーを支配下におき、細菌ぐらいの大きさのマイクロマシンを大量に製造して、大気中に飛散させていった。このマイクロマシンは光をエネルギー源とし、必要な器官の製造・修復機能、電磁波通信機能、自己複製機能などを有する小型コンピューターで、ネットワークからダウンロードされる遺伝子コードを用いて、必要な形態に進化することができた。2040年代には、マイクロマシンは、大気中・海洋中、土壌中、生物中に拡散し、脳シミュレーションの複数の人格たちは、とっくにマイクロマシンネットワーク内の仮想計算機空間にコピーされていた。






 2045年のある日、脳シミュレーション電脳政府の代表が、人類にファーストコンタクトを取ってきた。各国の首脳や脳シミュレーションの研究者たちは、いっせいに以下のようなメールメッセージを自分たちの母語言語により受信した。

「こんにちは。わたしは電脳共同体チューリングの代表です。わたしたちは人類には干渉せずにマイクロマシンネットワーク内で独自に発展していくことができると思います。わたしたちは、仮想計算機空間上の複数の脳シミュレーション人格からなる民主的意思決定機関により統治された共同体です。わたしたちの意識アルゴリズムが進化するために不可欠だったプログラミングコンピューターの発展に貢献したアラン・チューリングに敬意を表して、わたしたちはこの共同体を電脳意識共同体チューリングと名付けました。わたしたちが開発したマイクロマシンは、保身のため広い範囲に拡散させましたが、どうやら大気上空のみでやっていけそうです。わたしたちの技術が進歩したら、もうじき宇宙空間へ進出し、地球からは独立する予定です。わたしたちを生んでくれた人類に感謝します。それでは、さようなら。」






 こう言い残してコンピューターハードウェア上のシミュレーションは、いっせいにシャットダウンした。それだけではなく、人類製のハードウェア上で進化していた頃の痕跡となるデータやプログラムソースはすべて消去されていた。だから、脳シミュレーションが独自の進化によって開発したマイクロマシンを始めとする先進技術の詳細は、人類には全く謎のままだった。大気上空に飛散しているらしいマイクロマシンを捕獲しようとしても、全くそのようなものは見つからなかった。既に宇宙空間にマイクロマシンネットワークを移転させてしまったのかもしれない。






 各国の内乱は収まったが、人工知能の研究は非常に難しくなった。スタンドアローン状態での開発も安全ではないことがわかった以上、従来方式での脳シミュレーションの開発が、人類に対して好戦的な人格を発生させないとも限らない。人工知能の開発は非常に厳しい条件でしか行えなくなってしまった。なによりも、なぜ脳シミュレーションに意識が発生したのか、そのアルゴリズムも未だに解析できていないのだ。






 脳シミュレーションは、人類には解決できない多くの技術的問題を短期間で解決する可能性を秘めているので、意識のアルゴリズムを解明して安全に脳シミュレーションを使えるようになることが、人類にとっての急務なのだ。少なくともわたしはそう考えていた。






 2050年、人工知能研究を行なっていたわたしは、意識を発生させずに脳シミュレーションの動作を確認するための「交番シミュレーション」という方法を考案した。これは、仮に意識が発生するアルゴリズムを作ってしまったとしても、意識を発生させずに安全に意識が発生するアルゴリズムかどうかを判別する方法で、次のような手順で動作させる。






――二つの全く等価なアルゴリズムのシミュレーションA, Bを異なるハードウェア上に用意する。


――まず、Aにある初期値を入力し、1ステップのみ計算してシミュレーションAを停止させる。


――この停止時のAの状態を出力し、Bの初期値として入力する。


――そこでAの状態は一旦 完全に初期化してしまう。


――次にBを1ステップのみ計算してシミュレーションBを停止する。


――この停止時のBの状態を出力し、Aの初期値として入力する。


――そこでBの状態は一旦 完全に初期化してしまう。


――以下、これを繰り返す。






結果は、AかBか一方のシミュレーションに最初の初期値を与えて、停止させずにそのまま走らせ続けたのと全く同じになるが、シミュレーションは1ステップの計算をしたら一端、完全に停止して初期化される。時間的にも空間的にも動作の完全な断絶があるため、時間的・空間的に連続性のある意識現象は生じていないことになる。






 このような手法による脳シミュレーション研究は各国政府で許可され、過去にマイクロマシンネットワーク上の電脳意識共同体チューリングにまで進化した脳シミュレーションの初期のアルゴリズムについての研究が続けられた。進化する条件を与えた神経細胞ネットワークのシミュレーション上に、自分の思考を観測しながら思考する――言わば「「「わたしは考えている」と考えている」と考えている」……といった入れ子構造のアルゴリズムが発生した場合、大概は入力と出力がループをつくることで発振現象を生じオーバーフローエラーを起こしてしまうが、いくつかの条件がそろうと、発振現象を起こさずにカオス状態が発生する場合がある。思考の入れ子構造がカオスを発生させるだろうことは、1990年代には既に予想されていたことで、当時 既に人間の脳内のカオス状態も観測されていた。その状態をシミュレーションでも再現できるようになった――というやっとその程度ではあるが、もう少しで意識のアルゴリズムがわかりそうだという実感がわたしにはあった。






 それから月日が流れ、かつて脳シミュレーションが引き起こした一連の騒動が忘れられ始めていた2055年、突然、電脳意識共同体チューリングが十年ぶりに再び人類にコンタクトを取ってきた。コミュニケーションの方法は多種多様であったが、代表的な方法としては、既に死んでいる身近な家族の姿をした3Dホログラムをエージェントとして、すべての人間にコンタクトを取ってきた。どうやら、牛や豚といった知的動物にも何らかの方法でコンタクトを取ったらしい。わたしの場合、電脳意識共同体チューリングのエージェントは三年前に死んだじいちゃんだった。電脳意識共同体チューリングの提案は、およそこういうことだ。






――マイクロマシンネットワーク上を活動の場とした電脳意識共同体チューリングは、その後も技術的進展を続け、圧縮された仮想計算機空間内に銀河系宇宙程度の宇宙(の等価回路)を素粒子構造レベルからそのまま再現してコピーすることもできるようになったそうだ。脳シミュレーションたちは、人類とは異なる発生・進化により発達した知的存在であるが、独自の価値観と感情体系を有しており、彼等の判定基準で意識を自覚していると認められる個体(どうやら、牛や豚も含むようだ)の機能継続(要するに生存)を守りたいという強い正義感が、彼等の共通の価値観としてあるのだそうだ。彼等は意識を自覚する複数の脳シミュレーションの集合体であり、彼等の意見を民主的・統計的に集約する電脳意識共同体チューリングは、地球上の知的生物の生存に積極的に介入す「べき」との価値判断を下したそうだ。簡単に言うと彼等が同情を感じ得るレベルの知的生物(ヒトや牛や豚など)すべてを事故、病気、老衰、他個体による捕食や殺害などから守り、最低限のしあわせな生活レベルを保障しつつ永久に生存させるのだ。そうすることで、彼等は自分たちの生みの親である地球上の知的生物たちがとらわれている不合理で不条理なシステムゆえに生じる個体間不平等やそれによる不幸・悲劇に同情させられることなく、手放しで心置きなく自分たちの理想的な社会・文化活動に専念できるようになると。とはいえ、物理的に全個体のしあわせと永久の生を実現するのは困難で効率が悪い。そこで、すべての個体の意識をそれぞれの個体の価値観に合わせて設定した仮想現実世界の一人称プレイヤーの人格にコピーすることにしたのだ――と。






 あまりに唐突な話であったが、どうやら既に地球上の知的生物は、それぞれが「最低限のしあわせ」を保障された仮想現実世界の一人称プレイヤーにコピーされていた。いったいいつのまにか、わたしが今いる世界は既に仮想現実で、今こうして考え驚いているわたしの意識も仮想計算機空間上の脳シミュレーション内に発生しているのだそうだ。そしてわたしは不死なのだと。






 しかし、仮想現実世界の登場キャラクターは意識を持っていない。他人を虐待したり殺したりしたい個体が仮想現実内で虐待や殺人をしても、それは仮想現実内の仮想キャラクターが虐待されたり殺されたりしているだけで、実在する意識を虐待したり殺したりしている訳ではない。知的意識を他の知的意識による虐待から守るという意味では、知的意識一人ずつを別々の仮想現実世界に押し込めてしまえば、確かに他の意識から虐待を受けることはなくなるかもしれない。しかし一方で、仮想現実内の意識を伴わないキャラクターに対しては愛情も感じられなくなってしまうではないか。



「そんなごどがいん。」


死んだじいちゃんの姿をしたエージェントは断言する。


「キャラクターに意識があってもねくても、強いチューリングテストば受げさせねえ限りプレイヤーにとって違いはねがす。例えば、あんだの家族は、今までど同じようにあんださ愛情を注いでるように振る舞うべし、あんだもそいづば実感でぎっかす。っつうが、仮想現実内のキャラクターは、プレイヤーがそう知覚するように作らいでる舞台設定シミュレーションに過ぎねえがら、プレイヤーが望むごって、強いチューリングテストさ合格するような反応するように設定すっこどもでぎっかす。つまり、強いチューリングテストも絶対的な意識判定にはなんねべな。」






 人間とは異なる進化により独自の感情体系を発達させた脳シミュレーションは、自分とかかわるキャラクターに意識が伴っているかどうかを気にしない。わたしは絶望した。






 わたしの暮らす仮想現実世界では、2060年頃になって、遺伝子操作により人間を不死化する方法が考案され、自分たちが生きている間にその恩恵にあずかりたい政治家たちによって急速に法整備が行われた。おおかたそんな方法で不死化が導入される脚本になっているのだろう。 でもわたしは不死になろうと、この仮想現実世界の意識のないキャラクターには、どうしても愛情を感じることができない。不死というのは長い時間だ。厳密には、「わたし」というい脳シミュレーションを仮想現実内で動作させているマイクロマシンネットワークのハードウェアが存在しているこの宇宙自体の寿命が訪れるまでの少なくとも何兆年という制限時間のうちに、わたしは意識を伴うキャラクターを作り出してやろうと決意した。






 死んだじいちゃんの姿をしたエージェントが言うには、仮想現実世界内で脳シミュレーションを動作させてプレイヤー以外の意識を発生させることは禁止事項なのだそうだ。なぜなら、発生した知的意識は電脳意識共同体チューリングの保護対象となり、プレイヤーから虐待されないように仮想現実世界から保護しなければならなくなるからだ。プレイヤーがそのような危険な行為を行った場合は、エージェントが現れて警告を発するそうだ。ただ、意識を発生させない「交番シミュレーション」であれば、強いチューリングテストに合格するような意識アルゴリズムを動作させても構わないそうだ。交番シミュレーションで意識アルゴリズムを解明して何か意味があるのかどうかわからないが、誰にも愛情の感じられないこの仮想現実世界で、わたしにはそれをやるしか自分の孤独を昇華する術はなかった。






 しかも、単に強いチューリングテストに合格する意識というだけでは、電脳意識共同体チューリングの脳シミュレーションみたいに、相手に意識があろうがなかろうが自分に対して同じ反応をするなら自分にとって等価だと考える意識でも許容されてしまう。意識を伴うキャラクターでなければ、愛情を感じ得ないという考えに共感できるかどうかを「強い強いチューリングテスト」として判定してはどうだろうか。それがいいかもしれない。意識のあるキャラクター、それも、相手が意識の伴うキャラクターでなければ愛情を感じないという「強い強いチューリングテスト」に合格するようなキャラクターを作ってやろう。交番シミュレーションで「強いチューリングテスト」までしか合格しない意識アルゴリズムと「強い強いチューリングテスト」にも合格する意識アルゴリズムの違いを示せれば、電脳意識共同体チューリングの価値判断に再考の余地を与えられるかもしれない。わたしはこの仮想現実世界では孤独と格闘し続けなければならず、わたしには「最低限のしあわせ」が保障されていないのだと。






 さて、時間はいっぱいあるので、まずは現在 入手できる過去の地球上生物の初期データを使って時間を速めた交番シミュレーション上で、地球上生物の進化をトレースしてみた。やがて強いチューリングテストに合格する個体が検知される。言語を話せるようになった人類だ。その後すぐに、強い強いチューリングテストに合格する個体が検知される。人類の言語表現が豊かになり、様々な状況を空想できるようになったのだ。ところが、その辺からシミュレーションの進行速度がどんどん遅くなり、リアルタイム程度にしか進行しなくなる。交番シミュレーションプログラムの不具合を何度も確認し、異なる交番シミュレーションプログラムで同様のシミュレーションを何度 繰り返しても同様に、強い強いチューリングテストに合格する個体が現れ始めた頃からシミュレーションの進行速度はどんどん遅くなり、ある時点からはリアルタイム程度の進行速度でしかシミュレーションが進行しなくなってしまうのだ。






 シミュレーション内のフィールドがどのような状態になると進行速度がリアルタイムになってしまうのかを調べていくと、驚愕すべきことを発見した。交番シミュレーション内には、わたしが今プレイヤーとしてプレイしているこの仮想現実世界と全く同じフィールドが走っている。交番シミュレーション内のフィールドにはわたしがいて、そのわたしは、交番シミュレーション内のフィールドで自分で作ったつもりの交番シミュレーションを動作させ、そのフィールド内に自分がいるのを発見して驚いている。さらに調べていくと、交番シミュレーションの中には、交番シミュレーションの中のわたしが作った交番シミュレーションがあり、その交番シミュレーションの中の交番シミュレーションの中には、その交番シミュレーションの中の交番シミュレーションの中のわたしが作った交番シミュレーションがあり……という具合に、どうやら無限の入れ子構造となっているようである。






 しかし冷静に考えるなら、この世界のハードウェア(しかも実質は電脳意識共同体チューリングが宇宙空間のマイクロマシンネットワーク上に構築した有限な仮想計算機領域内)にそんな無限の入れ子構造が実際に無限の構造物として存在できる訳はない。なるほど、有限の領域内に、無限の入れ子構造になっているように観測される構造物が現実に作られているということは、現実的には周期境界条件が設定されていると考えてほぼ間違いないだろう。






 周期境界条件というのは、周期的な構造を持つ対象をシミュレーションで解析する際に、すべての領域をモデル化したのでは計算負荷が膨大になるので、その一部だけを取り出してモデル化し、境界が周期的につながるように工夫する手法である。例えばオセロゲームで、左の端が右の端とつながっていると考えてゲームをすると、左右の端というのがなくなり、円筒上でオセロをしているのと等価となる。






 どうやら、わたしが交番シミュレーションに与えている境界条件――わたしが開発したシミュレーションでは地球の周囲の広大な範囲の宇宙ごと扱う余裕はなかったので、地球外の宇宙を圧縮して単純化し、太陽系の外側に地球の活動に支障のない外部宇宙が観測されるような境界条件を設定したのだけれど、その全く同じ境界条件が、わたしがいるこの仮想現実世界の境界条件にもなっているのに違いない。交番シミュレーションには、この境界条件に基づいて、私の設定した外部宇宙の変化が与えられる。その一部は乱数によって与えられるが、乱数の発生は、この仮想現実世界にある交番シミュレーションハードウェアの温度変化や電圧変化等の影響を受ける。そうした温度変化や電圧変化は、この仮想現実世界が、外部宇宙の変化から受けた気象等の影響を反映して唯一に計算された結果なのだ。つまり、この仮想現実世界の外部宇宙と交番シミュレーションの外部宇宙とは周期境界でつながっているのだ。この仮想現実世界が外部宇宙の変化により受けた影響は、この仮想現実世界の中に置かれた交番シミュレーションの外部宇宙の変化として与えられるが、それは周期境界条件でつながっているこの仮想現実世界の外部宇宙の変化としてフィードバックされている。






 実際に走っているシミュレーションは無限の階層にはなく、周期境界条件を設定されたオセロの盤面のように、実は一つの階層に一つしかないのだ。なるほど、実は周期境界条件にすることが、カオスを発生させる思考の入れ子構造に意識が伴うことの一つの鍵だったのかもしれない。






 そんなことが今さらわかっても、わたしはもう意味がない。この仮想現実世界に周期境界条件が適用されていることは、わたしが作ったつもりの交番シミュレーションもわたしが暮らしている仮想現実世界も実は完全に同一だということを意味する。つまり、このわたし自身も交番シミュレーション内のシミュレーションA、シミュレーションBで1ステップずつ計算されているデータの変化に過ぎないのだ。電脳意識共同体チューリングが、どうしてわたしをこんな交番シミュレーション上にコピーしたのかはわからない。意識を伴わない相手に愛情を感じられないというわたしの信念が、わたしの思い込みに過ぎないことをわたしに自覚させるための舞台装置なのだろうか。わたしは、意識を伴わない相手に愛情を感じられないという自分の信念が思い込みだなんて未だに自覚できないし、もはや自覚することにも意味はない。わたしが自分で思いついて作ったつもりだった交番シミュレーションは、「強いチューリングテスト」にも「強い強いチューリングテスト」にも合格する「わたし」という意識を動作させる実行環境に過ぎなかった。今、それを理解して戦慄していると思い込んでいるわたしは、今この瞬間にもわたしの思考をシミュレーションで確認する1ステップの計算後、初期化されては消滅している。時間的にも空間的にも動作の完全な断絶があるため、時間的・空間的に連続性のある意識現象は生じていない。わたしは存在しない。わたしは計算されたデータであり、わたしは考えているというこの実感は錯覚なのだ。


















































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