後編:結婚

「お初にお目にかかります。御目文字仕り光栄にございますわ、キー様」


 嘘偽りなく敬意を込めたサラの口上に、当のキーではなくアーロンが激昂した。


「無礼者! 誤った名で呼びかけるとはどういう了見だ! しかもクラスこそ違えど同窓生のキーラに『お初にお目にかかります』だと!? 厭味にも程がある!」


 王室主催の夜会の私物化というこの上ない無礼を働いている真っ最中のアーロンは怒髪天を衝く勢いで喚いたが、キーラは目を細めうっすらと微笑んだ。


 ――――たったそれだけで、清楚な印象は拭われ、伯爵令嬢は妖艶な雰囲気を纏う。


「……これは驚いた。人の皮を被っていたというに、まさか斯様な異国とつくにでその名を呼ばれようとは」


 可憐さではなく蠱惑的な艶を乗せた唇が、鈴のような声音で老成した台詞を紡ぐ。思わず彼女に首を向けたアーロンと裏腹に、サラは落ち着き払った声で応じる。


「気高き祖神おやがみの名に賭けて、貴女様を見誤ろうはずもございません」

「ふむ。その髪色、確かに我が眷属の血が色濃く顕れておる」

「サラと申します。以後お見知り置きくださいませ」

「……っ待て待て待て! いったいなんの話をしている!?」


 嬉々として親睦を深め合う令嬢たちに、一人蚊帳の外に追い遣られたアーロンが割り込む。会話を遮られ、キーラは実に不快そうに、己の肩を抱いたままの公爵令息を一瞥した。その双眸の冷酷さに気づかず、アーロンは愛しい恋人に言い募る。


「キーラ、いったいこれはどういうことだ? 君はいったい……」

「不埒者。そちの如き愚者がわらわにじかに問いかけると申すか」

「キーラ!?」


 今までの楚々とした雰囲気など微塵もない高圧的な物言いに、思わず手を離したアーロンは恐慌状態に陥る。高貴な野次馬たちも、想定と異なる展開にざわつき始めた。そこにサラが極上の微笑みを湛えて助け舟を出す。


「落ち着きなさいませ、婚約者殿。……キーリ様、崇高なる貴女様に代わってわたくしめがこの愚か者に説明差し上げても構いませんか?」

「よかろう。ついでに、そなたがわらわや祖先のことをどれほど理解しておるか見定めてやろうぞ」

「承知仕りました」


 元婚約者を容赦なく「愚か者」と切り捨て、最早名を呼ぶこともなく、サラはアーロンに語り始めた。


「何からお話しいたしましょう。……まず、貴殿の隣にいらっしゃる方は、既にゴールドバーグ伯爵令嬢ではございません。貴殿の言うところの蛮国の女神、枳璃キーリ様にあらせられます。遠い国々が連合国としてまとまり、国境を越えたのは人だけではないということですわね」

「なんだと!?」

「キーリ様は現世利益をもたらす麗しき天女にして、人の死を予見しその肝を食らう恐ろしき鬼女。残念ですが、キーラ嬢とやらは既にお亡くなりになられ、キーリ様がその骸を借りているに過ぎません」


 アーロンの狼狽も意に介さず、サラは滔々と説明を続ける。祖神の主君を語る誉れに陶酔した瞳のサラに対し、突如恋人の死を明かされたアーロンは更に目を剥き絶叫した。


「う、嘘だ!」

「信じる信じないはお任せします。そしてわたしは、キーリ様の眷属である白狐を祖神として祀る一族の末裔。貴殿の仰ったとおり、紛うかたなき魔女の血脈にございます」


 公衆の面前で魔女と痛罵されたことを忘れてはいないサラは、皮肉に笑ってみせる。白銀の髪がシャンデリアの光を弾き、誇らしげに輝いていた。


「……ふん、狐を祀る皇室とは、やはり蛮国だな!」


 虚勢を張ったアーロンがサラのみならず祖神、祖国ごと嘲る。それに対し、サラは凍てついた眼差しで反論した。


「お言葉ですが、皇室は関係ありません。我が血脈は、女系の一子相伝にて代々紡がれたもの。それが偶さか曾祖母の代で皇室に入ったに過ぎません。……不敬を承知で言えば、易姓革命を繰り返した皇室よりよほど由緒正しき血統なのです」


 だから、サラも母も祖母も、兄弟はいても姉妹はいない。曾祖母は祖母が異国に嫁ぐことを反対していたが、故国風の名を娘に伝えていくことを条件に最後には折れたという。


「そして残念ですが、元婚約者殿、貴殿は長く見積もっても、残り半年足らずの命でしょう」

「は? ……ふざけるな!」


 白々しく悲しげな表情をつくってみせたサラの言葉に、アーロンは一瞬虚を衝かれ、次いですさまじい怒りに駆られる。


「陰険な魔女め! 婚約破棄に対する報復か!? 私の寿命が残り半年だと!?」


 食ってかかる勢いの剣幕を柳に風と受け流し、サラは淡々と事実を述べた。


「先程述べたとおり、キーリ様は半年前に人の死を予見しその肝を食らう女神。そのキーリ様に取り憑かれた貴殿は、先に憑かれた伯爵令嬢同様、もう長くはないということ。ですから申し上げたのです、残り人生、悔いのないよう生きてくださいと」

「そんな……まさか……」


 国内外に名高い聖女、別人に豹変した恋人。虚言と一蹴するには無視しきれない現実に、アーロンの声が尻すぼみになった。更に、鬼女が伯爵令嬢の姿で接近してきた時期から残り時間を逆算したのか、一転して悲壮な叫びを上げる。


「……サラ! 貴様は帝国一の聖女だろう! この邪神を祓ってくれ!」


 一度は魔女と蔑んだ相手に救いを求める、その浅はかさをサラは心底軽蔑し、主君を邪神と呼ばれて嫌悪感が倍増した。これみよがしに溜め息をついてみせる。


「無理です。わたしはキーリ様に仕える白狐を祖に奉る魔女ですよ? キーリ様を退けられるとしたら、キーリ様が侍女として仕える黒の地母神だけでしょうね」

「黒の地母神!? 名は!」

「言えません」


 ほかの聖女を頼って神の召喚を試みるつもりか、縋る声をサラは一声で却下する。アーロンの怒りが再燃した。


「この期に及んで勿体つけるつもりか!?」

「人の話を聞いていましたか? わたしはキーリ様の眷属の末裔、そのキーリ様が仕える黒の地母神。わたし如きが軽々しくその御名を呼べるはずがないでしょう」

「よく分を弁えておるな。感心、感心」

「ありがたきお言葉にございます」


 キーラの骸を乗っ取ったキーリが愉快そうに頷き、すかさずサラは一礼する。そして即座に表情を削ぎ落とし、アーロンに残酷な事実を投げつけた。


「それに、勘違いしているようですが、キーリ様に取り憑かれた者が半年後に死ぬのではなく、半年後に死ぬ者にキーリ様が取り憑くのです。呪詛ではなく予言。たとえキーリ様を祓おうと、貴殿の寿命は変わりません」

「…………」


 ついに絶句したアーロンに、サラは嫣然と微笑む。


「キーリ様が骸を操ってまで執着するなんて、貴殿の肝やたまはさぞ美味なのでしょう。死後は奪い合いになるのではないかしら」

「これ、余計なことを言うでない。邪魔な輩が沸いて来ようが」

「これは失礼いたしました」


 異国の鬼女とその眷属の末裔は軽口を叩き合うが、死後に骨の髄までどもに喰らい尽くされることを予告された公爵令息は顔面蒼白、むしろ今にも息絶えそうなほどだ。


 古き主君への目通りと元婚約者への意趣返しを終えたサラは、清々しい気持ちで朗々と宣言する。


「さて。それではせめて、寿命の尽きかけた元婚約者の最期の願いを汲んで、わたしは帝国を去ることといたしましょう」

「……お待ちなさい! あなたは類い稀な聖女、何も瀕死の公爵令息如きの命令に従う必要はありません」


 級友であった王女が人波を割って姿を現し、出国の意を示したサラを翻意させようとする。既にこの場の誰も、アーロンの短命を疑っていなかった。聖女は貴重な存在、ましてやサラはその頂点に立つ、帝国の至宝と言っても過言ではない。王族として、その流失は看過できないだろう。しかしサラは、恭しくも残念そうに微笑んだ。


「勿体ないお言葉にございます。かつての魔女狩りさえなければ、聖女がこれほど稀少な存在になることもなかったかもしれませんね。ですがわたしは帝国を追放されるのではなく、の国に向かうため、どうぞご容赦ください」


 そう言葉を返した途端、サラの羽根飾りを中心に光と風が激しく渦を巻いた。サラとキーリを除く人々は堪えきれず、目を瞑り顔を逸らす。


 会場に静寂が戻ると、サラの隣には、長身痩躯の青年が忽然と姿を現していた。その顔を見つめ返し、サラが元婚約者よりもずっと親しげに名を呼ぶ。


フェイ様」

「ようやく我を夫と呼んだな、サラよ」


 燃えるような赤髪の青年は妙なる声で愛しげにサラの名を囁き、その細腰を抱き寄せた。東洋の顔立ち、東洋の装束。しかし万人が認めざるを得ないその鮮烈な存在感に、誰もが目を奪われ言葉を失い立ち尽くす。


 そんな中、真っ先に我に返ったのはまさかのアーロンだった。


「……サラ! 私と言う婚約者がいながら、誰だその男は!」

「つい先程その婚約を破棄したのはあなたでしょうが」


 サラは会場中の心の声を代弁し、突如現れた「夫」に寄り添う。


「フェイ様は、祖母の故国で『鳳凰ホウオウ』と呼ばれる霊鳥です。西洋こちら不死鳥フィニクスと近しい種族になるのでしょうか。東洋では羽あるものどものおさと尊ばれております」


 女神と同じくらいの敬愛を込めて、サラは夫を元婚約者に紹介する。


「雄が鳳で雌が凰。麒麟キリンなどと同様、ツガイという概念のある種族です。通常は同族の異性と番うのですが、稀に人間を番と定める者もいます」

「ツガイ?」

「貴殿の言葉を借りるのであれば、『真実の愛で結ばれた運命の恋人』ですね」

「まさか……」

「ええ。フェイ様は、わたしを番として見初められたのです」


 意外と察しは悪くなかったアーロンに、サラは極上の微笑みで肯定した。「ほう」と女神が感心したように瞬く。


 サラの告白に、アーロンは遂に膝から崩れ落ちた。放心するほどの衝撃を受けたらしき元婚約者を、サラは呆れ果てた目で見遣る。まさかサラが、追放された地でアーロンを慕い続け侘しい一生を送るとでも思っていたのだろうか。自分勝手な夢想、いや妄想にも程がある。


「この髪色が示すとおり、わたしは先祖返りとして、聖女と呼ばれるほど強い通力を持って生まれました。その夜、母は祖神から夢告を受けたそうです。娘は、人と結ばれれば人として、神と結ばれれば神として生きことになる、と」


 だから辺境伯夫妻は、幼いうちに娘の婚約者を定めた。年回りと身分の釣り合いさえ取れればこの際誰でもいい、そして選ばれたのが同い年のアッシュベリー公爵令息だった。


「両親はわたしを人間じんかんに留めておきたかったようですが、公爵家との婚約が成立して程なく、フェイ様がわたしに求愛してきたのです。わたしは両親の意を汲んで断ろうとしましたが、これがなかなかしつこくて。万一婚約解消に至ることがあればと、約束の証として風切羽根を受け取り保留にするのが精一杯でした」

「越境してまで見つけた番だぞ。既に婚約者がいる、程度の障害で諦められるものか」


 求婚をしつこいと評されたフェイは、気分を害した様子もなく、むしろようやく番を手に入れた幸福に酔いしれたようにサラの眦に唇を寄せる。様子を眺めていた女神もまた、上機嫌で笑った。


「うむ、なかなかにい雄だ。わらわも祝福しようぞ」

「キーリ様にまで祝福をいただいては、認めるしかありませんわね、あなた」


 今まで傍観者に紛れていたサラの母・藍霞ランカが、諦めたように夫の同意を促す。辺境伯は渋い顔をしていたが、やがて観念して短く呟いた。


「……仕方があるまい。結婚直後に寡婦になるよりマシだろう」

「ごめんなさい、お父様、お母様」

「せめて孫の顔は見せに来てちょうだいね」

「そう淋しい顔をなさらないで。フェイ様と喧嘩するたびに里帰りしますわ」

「それは聞き捨てならないな」

「あら、迎えに来てはくださらないのですか?」

「すぐに行く。実家で一息つく間もないほどにな」


 しおらしく父母に頭を下げた後、大仰に嘆いてみせるサラに、フェイは大真面目な顔で即答する。夫婦の力関係が決定した瞬間であった。


「別れの挨拶は済んだな? では行くぞ」

「そう急かさないでくださいな、もうわたしはフェイ様のものです。それではお父様お母様、キーリ様、国王陛下王女殿下並びに皆々様、ごきげんよう」


 独占欲を隠そうともしない夫を宥め、サラは今一度両親や女神、列席者たちの顔を見渡し淑やかに一礼した。途端に再び、会場には鳳凰の巻き起こす閃光と旋風が溢れ、人々の視界を奪う。


 彼らが顔を上げたときには、既に番の夫婦は異国の仙境へと旅立ち、人の皮を被った女神もまた、姿を消した後だった。



 その後、アーロンは公爵家より廃嫡された。王族の御前での数々の失態、何より聖女と女神に余命を宣告された者を後継者の座においておけるはずもなかった。


 キーラの骸は行方をくらませたが、キーリ女神が去ったわけではない。予言どおり、廃嫡から僅か一月半後、アーロンは領地の館で一人淋しく息を引き取った。だがその亡骸は、まるで無数の獣に食い荒らされたような有り様で、人の形を留めていなかったと言う。


 しかしそれも、仙境で幸せな新婚生活を送るサラには最早関わりのない話であった。

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魔女の結婚 ~婚約破棄、謹んで承ります 六花 @6_RiKa

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