魔女の結婚 ~婚約破棄、謹んで承ります

六花

前編:婚約破棄

「サラ=アレクシア・ハイドシーク! 今日この日この時を以て、貴様との婚約を撤回する!」


 優雅なさざめきを引き裂く場違いな宣言に、名指しされた沙羅サラは、うんざりした眼差しを発言者に向けた。


 王室主催の夜会での一幕である。


 今夜は、王立学院の卒業記念パーティーであり、卒業生の一人である王女の十八歳を祝う誕生日パーティーであり、王女と隣国の太子との婚約披露パーティーである。サラたち卒業生のみならず、帝国内の主だった貴族、諸外国からも王侯貴族が賓客として多数招かれている。主役王女以上に目立ってどうする、と、サラが怒りより驚きより、まず呆れたのも致し方ないことだろう。


 だが既に、宣告を受けたサラもまた、本人の意思に関わりなく悪目立ちしてしまっている。広い会場の中、それぞれに談笑していた招待客たちの興味は今や、宣言した者とされた者のみに集中していた。


 そんな多数の好奇の目に晒されながらも、サラは毅然とした姿勢を崩さなかった。辺境伯として列席していた父母に「落ち着いて」と目配せする余裕まである。繊細な形に結い上げ、羽根飾りをあしらったその髪は、父の栗毛とも母の黒髪とも似ていない月光のような銀髪であった。婚約者に「白髪姫はくはつき」と陰口を叩かれていることも知っている。


「……こんなめでたい日に、いったいなんの戯言ですか。アーロン様」


 王女の婚約披露の場での婚約破棄宣言。信じられない暴挙である。しかも宣言の主は、王家の縁戚である公爵令息。そして不本意ながら、結婚を間近に控えたサラの婚約者でもあった。


 会場内の注目を一身に浴びていることにむしろ昂揚しているのか、アーロンはサラの永久凍土よりなお冷ややかな視線もものともせずに言い放つ。その左腕は、一人の儚げな令嬢の肩をしっかりと抱いていた。


「戯言ではない! 貴様のような蛮国の血を引き、しかも聖女を騙る魔女を、王位継承権さえ持つ我がアッシュベリー公爵家に迎え入れることなどできるものか!」


 蛮国、魔女、王位継承権、と積み重ねられる失言に、一部の者たちが不快感を露わにする。


 帝国は洋の東西に跨る連合国家の要であり、属国や友好国からも、学院への留学生や帝国の重臣に取り立てられた者たちが数多くいる。サラの母方の祖母も、帝国貴族の嫡男であった祖父と大恋愛の末に結ばれた東洋の皇女であった。


 しかしアーロンはガチガチの帝国主義者であり、学院在籍中も、どれほど優秀だったり見目麗しかったりしても、帝国出身者以外とは一切親交を持たなかった。サラとアーロンの婚約が結ばれたのは十歳にも満たない頃だが、当初から彼はサラを毛嫌いしていた。


(公爵ご夫妻はそれほど偏屈な性質たちではないのに、いったい誰に何を吹き込まれて育ったのやら)


 広げた扇の陰で、「聖女を騙る魔女」と悪女の如く糾弾されたサラはひそやかに吐息を漏らす。


 ここで言う聖女や聖人とは、教会に認定された殉教者のように明確な定義はなく、人智を超えた奇跡を行う者たちの俗称だ。精霊を使役したり、怪我をたちどころに癒したり、未来を予知したり、その能力は千差万別、多岐に渡る。昔に比べ随分とその数や通力ちからを減らした現在の帝国に於いて、サラは在学時より、当代一の聖女と讃えられていた。


 しかし定義が曖昧だからこそ、その判別は主観によるところが大きい。紙一重で似たような奇跡を起こしても、一方は聖女と崇められ、一方は魔女と罵られることも、昔からよくある話であった。


 とどめに「王位継承権」発言。罷り間違っても、王女どころか王太子、国王まで参加している夜会で主張することではない。


 単なる好奇心から嫌悪感まで滲んできた周囲の視線に気づかないものか、アーロンは令嬢の肩を抱く手に力を込め、意気揚々と続ける。


「次期公爵たる私の妻には、帝国の純血、真の聖女たるこのキーラ=マリー・ゴールドバーク伯爵令嬢こそが相応しい! 私はサラとの婚約を破棄し、キーラと新たに婚約することをここに宣言する!」

「サラ様、どうかわたくしたちの仲をお許しください」

「キーラこそ、私と真実の愛で結ばれた運命の恋人なのだ!」


 アーロンと密着しながら上目遣いに懇願するキーラは、同性のサラから見ても、清楚で華奢で無垢で小柄で、けれど胸元の主張は激しい、実に男性の庇護欲と征服欲をそそる容姿の持ち主であった。


 方やサラは、すらりと伸びた肢体に凛とした顔立ち、加えて学院でも上級クラスに属していた。愛らしい容貌に憧れることもあったし、可愛げがないと評する者もいるであろうことは自覚している。


(そう言えばアーロン様、ハイヒールを穿くとわたしのほうが背が高くなることを殊の外気にしていらしたわね。自分こそ、身分と顔だけは一級品なのをいいことに散々浮名を流してきたでしょうに。今回のことも、彼女と結婚したいというよりわたしと結婚したくないがためではないのかしら)


 確かにキーラ嬢も聖女、しかしサラ嬢には及ぶべくもない、と、人々の間でざわめきが起こる。それが聞こえていないものか、アーロンは自信満々に更に畳み掛けた。


「貴様のような魔女の居場所は我が帝国にはない! さっさと故郷の蛮国に帰れ!」

(完っ全に自分に酔ってるわね……)


 ここで遅ればせながら、アーロンが何故この場で愚行を犯したのかサラにも察しがついた。昨年の卒業パーティーでも、卒業生の王子が婚約者を断罪する一件があったのだ。公爵令嬢であった彼女は、一歳差の異母妹の美貌を妬み、犯罪すれすれの嫌がらせを行っていた。それを王子が白日の下に晒し、令嬢は汚職に手を染めていた公爵一家ともども国外追放、異母妹は侯爵家の養女となった上で王子と結婚……という、なかなかの番狂わせが起きたのである。


 アーロンはその大団円にあやかろうとしたのだろう。よく観察すると、夜会の出席者の一部には「またか」という呆れと期待の空気さえ漂っている。


 婚約破棄に魔女呼ばわり、挙句の追放命令。一介の公爵令息に辺境伯令嬢を追放する権限などありはしないのだが、ここまで国内外の重鎮の耳目を集めた中、事態の揉み消しは不可能とサラは判断した。公爵家や辺境伯家が働きかけるより早く、醜聞は連合国内を駆け巡るだろう。


 扇を閉じ、サラは溜め息をひとつ吐いて応じた。


「……アーロン様の言い分は解りました。婚約破棄、謹んで承りましょう」


 辺境伯夫妻が娘の言葉に青ざめたが、周囲のどよめきがそれを掻き消す。しかし些かの動揺も気後れもなく、サラは元婚約者に餞別の言葉を手向けた。


「アーロン様も、残る人生、悔いのないようお過ごしください」

「ふん、貴様に言われるまでもない。私はキーラと結婚し、末永く幸せに暮らすのだ!」

「それと最後に、そちらのご令嬢にご挨拶させていただいても?」

「聖女としての敗北宣言か? いいだろう」

「ありがとう存じます」


 サラの言を都合のいいように解釈して了承したアーロンにおざなりに一礼し、サラは改めてキーラと向き合う。


 冬の月のように冴え冴えと芳しき銀髪の辺境伯令嬢と、春の花のように健気で可憐な金髪の伯爵令嬢の好一対に、いっそう場の注目が集まる。


 その真っ只中、サラは先程の元婚約者に対する礼とは打って変わって、それはそれは優美で完璧な淑女の礼カーテシーを披露した。


「お初にお目にかかります。御目文字仕り光栄にございますわ、キー様」

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