危機・一髪な密室

猫屋 こね

第1話 もちろんフィクションです


 

 1月下旬の夜。

 広大な畑と田んぼが雪に覆われている、とある田舎。

 民家は少なく、漏れる生活の明かりはポツポツと距離を置いて点在していた。

 交通量も少なく通行人も殆どいない。

 物騒といえば物騒だが、この村には悪い人間はいなかった。

 皆が助け合うことを当たり前としている村なのだ。

 しかしそんな古民家で、今1人の少女が危機的な状況に陥っていた。

「うそ・・・出られない。」

 浴室の扉を内側に開こうとした少女は全裸で固まってしまう。

 何度引いても、何度押しても隙間さえ空かない扉。

「え!え!?マジで?」

 古い民家だった為、立て付けが悪いのだろう。

 まるで壁と一体になっているかのように、うんとも寸ともいわない。

 白い靄の立つ浴室内には熱を帯びた白い身体が浮かんでいる。

 湯船で十分温まったはずだが、少女の心には寒気が押し寄せていた。

 何故なら・・・

「このままじゃ凍死しちゃう・・・」

 そう、薪で湯を沸かすこの浴槽には追い焚き機能が無かったのだ。

 しかもシャワーすら無い。

 このまま湯船が冷めていこうものなら、何も身に付けていないこの裸体は冷たくなっていくことだろう。

「どうにかしなくちゃ。」

 夜も11時を回っている。

 父親はもう2階の寝室で眠っているだろう。

 母親は病院の看護師をしている為、今日は夜勤で家にはいない。

 一人娘な為、兄妹もいない。

 やはりここは、大声を出して父親を起こすしかないだろう。

「お父さん!お父さん!!」

 扉を叩きながら父親を呼ぶ少女。

 だが・・・

 父親がくる気配はない。

「扉を壊すしかないか。」

 少女は扉に体当たりする。

 しかしひ弱な少女の力では扉を壊すことができなかった。

 今年の春から高校生になる予定の少女。

 だが華奢な身体付きであるため、見ようによっては小学生にも見える。

 従って力も体力も見た目通りだったのだ。

 その後も少女は諦めず、扉を蹴ったり叩いたりした。

 だが状況は変わらない。

「そうだ。そこの窓から外に出られないかな。」

 浴室には小さな窓がついていた。

 小柄な少女の身体なら出られるかもしれない。

 しかし・・・

「でもこの格好で外に出たらあっという間に凍死だよね。」

 窓からの脱出を諦める少女。

 それはそうだ。

 外の気温は氷点下。

 少女の濡れた身体では直ぐ様体温を奪われてしまうだろう。

 一先ず少女は湯船に入り直した。

 身体が冷えてきてしまった為だ。

「どうしよう・・・このままじゃマジヤバいよ・・・」

 湯船に浸かりながら絶望していく少女。

 まさかこんなことになるなんて。

 こんなことなら父親の言う通り、もっと早い時間にお風呂に入るべきだった。

 後悔の念が少女の中に溢れ出す。

 しかし、ここで諦めるわけにはいかない。

 少女は湯船から出て、再び扉の前に立った。

「お父さん!!お父さん!!助けて!!」

 精一杯大声を出す少女。

 しかし結果は同じだった。

「うぅ・・・誰か・・・助けて・・・」

 少女は床にへたりこんでしまう。


 ・・・


 どれくらい時間が経っただろうか。

 少女はぬるくなった湯船に浸かり、天井を見上げていた。

 小窓の左上には換気扇が付いていて、無情にも熱気を奪っていく。

 後どれくらい持つだろう。

 お湯の温度は最早体温よりも低く感じられた。

 少女はぼんやりと去年のことを思い出す。

「あたしもあの子のところに逝くのかな。」

 この家には一匹の猫が住んでいた。

 少女が生まれる前に、中々子宝に恵まれなかった両親が飼っていたのだ。

 一人っ子だった少女には姉妹のような存在。

 いつも一緒だった。

 大好きだった。

 そんな愛して止まない猫が去年他界したのだ。

「まあこのまま死んでもあの子に会えるなら悪くないか。」

 諦めの色が濃くなっていく。

 湯船ももう冷えきっていた。

 そんなとき・・・


 ガサッ


「!?」

 外で音が聞こえた。

 もしかしたら誰かいるのかもしれない。

 少女は振るえる手を伸ばし、小窓を開け外を見た。

 そこにいたのは・・・

「・・・猫?」

 白い猫が少女をじっと見ていている。

 少女は他界した猫を思い浮かべたが、色が違うことに気が付いた。

 きっとただの野良猫だろう。

 それでも今は何にでもすがりたい。

 少女は猫に声をかけた。

「助けて・・・あたし・・・ここから・・・出られなくなっちゃったの・・・このままじゃ・・・死んじゃう・・・」

 声が震えている。

 それでも何とか助けを求めようと必死だった。

 だが猫はそっぽを向いてしまい、そのままどこかへ歩いていってしまう。

「そう・・・だよね・・・こんなこと・・・言っても・・・わからないよね・・・」

 猫に助けを求めるなんてどうかしてる。

 しかし今の少女にそんな余裕は無かった。

 もう浴室内は完全に冷えきっている。

 床も壁も湯船も。

 今や少女の体温を上げる術は無くなっているのだ。

 水滴の付いた身体がどんどん冷たくなっていく。

 吐く息も白くなっている。

 身体が勝手に震える。

 もう、どうにもならない。

 少女は浴室の隅でうずくまり、しきりに手に息を吹き掛けていた。

 

 ・・・


 更に時間が過ぎる。

 凍ったりはしていないが、もう身体を動かすことすらできない少女。

 唇は血色を失い、目も虚ろになっていた。

 思考も定まらない。

 いや、何も考えられない。

 きっと朝まで持たないだろう。

 少女は諦めた。

 もう死を受け入れるしかない。

 そんな生を諦めかけたとき・・・


 ドンッ!


 ガシャンッ!


 突然浴室の扉が外側から壊された。

 そして入ってきたのは・・・

「おい!大丈夫か!しっかりしろ!」

 父親が娘の危機に駆け付けてくれたのだ。

 あれだけ大声で呼んでも気付かなかった父親が何故・・・

「おと・・・さん・・・」

 凍える声で細く喋ることしかできない少女。

 そんな姿を見て、父親は涙ぐみながら持っていた毛布を娘に巻いた。

「暖かいところに連れてってやるからな。」

 そう言って父親は娘を抱き抱えると、囲炉裏のあるところまで行き、暖房器具類をフル稼働させる。

 そしてそこに布団を敷き、少女を寝かせた。

「お父さん・・・どうして・・・気付いてくれたの?」

 少し喋れるようになった少女は父親に質問する。

「実はな、お父さん部屋で熟睡してたんだけど・・・変な夢を見てな。」

「変な・・・夢?」

「ああ・・・夢にクリスティー=モンテバイヤンが出てきてな。お前の危機を知らせてくれたんだ。お前が浴室で死にそうだから早く行ってやれってな。で、起きてお前を探したら部屋にいないし・・・もしかして本当に浴室で死にかけてるんじゃないかって思って急いできたんだよ。そしたら・・・間に合って本当に良かった・・・」

 娘に背を向け、泣き出してしまう父親。

 後一歩遅かったら間に合わなかったかもしれない。

 そう思うと、助けられた喜びと同時に最悪の事態を想像してしまって涙が止まらなかったのだ。

「そっか・・・クリスティー=モンテバイヤンが・・・助けてくれたんだね。やっぱりあの猫はクリスティー=モンテバイヤンだったのかな。」

 浴室から助けを求めた短毛種の白い猫。

 色は違くても、長毛種じゃなかったとしても、あれはこの家で暮らしていたクリスティー=モンテバイヤンだったのかもしれない。

「お父さん・・・ごめんなさい・・・これからはお父さんの言う通り、早目にお風呂に入るね。」

 今回のことを反省、いや、猛省をする少女。

 しかし根本的なところが問題だろう。

 それは勿論、父親もわかっていた。

「そうだな。でもお父さんも悪かった。もうどこにも閉じ込められることがないように、この家のあちこちをリフォームするよ。家族が安心して暮らせる家にする。約束だ。」

 父親は小指を娘に伸ばした。

 その指に少女は自分の小指を絡める。

 冷たい小指。

 父親は再び涙が込み上げてきた。

 もうこの子を危険にさらさない。

 見守ってくれているクリスティー=モンテバイヤンも、きっと同じ気持ちだろう。

 少女の唇の色が戻った頃にはもう日の光が居間に差し込んできていた。

 母親の勤める病院に娘を連れていく父親。

 既に連絡は入れている為、一般受診が始まる前に訪れる予定だ。


 ・・・


 人の気配が無くなった少女の家。

 そんな無人の家の中に、一匹の白い猫がいた。

 その白い猫は浴室に向かう。

 そして浴室に辿り着くと床にちょこんと座り、落ちていた何かを咥える。

 それはただ一本。

 凍って切れ落ちた少女の髪の毛だった・・・

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