聖なる穢れ

ゴオルド

穢れについての一考察

 みんな大好き、「穢れ」の話をしたいと思います。


 お好きでしょう、穢れの概念。私も好きですよ。

 ホラーものでは高頻度で出てくるワードだもんね。


 ただ私が一般論を語っても面白くはならないでしょうから、きょうはちょっと変わった「穢れ」の考察を書いていきます。



☆「神は穢れである」説。

 ジャジャーン! 神様、実は穢れているんじゃね? という話です。

 怒らないで聞いてほしい。



 まず穢れというのは血の穢れ、死の穢れ、火の穢れあたりが一般的かと思います。


 血は出産、月経など。

 死はそのとおり死、葬儀など。

 火は火事ですね。


 妊婦さんが火事現場に遭遇すると、赤ちゃんにアザができると言われていた、それは血の穢れと火の穢れがぶつかるからです。


 お相撲の土俵なんかは、あそこは大地の魔物(後述)の穢れがある場所ですから、穢れのある人があがると災いが起こる。

 ですので、女性だけでなく喪中の力士や家が火事になった力士なんかも本来は土俵に上がっちゃいけないはずなんですが、なんかいつの間にかセーフになって、女性禁止だけが伝統になったようです。どうも話がふわっとしておりますが、そんなもんです。伝統なんて。


 妊婦さんが葬儀に出てはいけない、なんていう話もあります。血の穢れと死の穢れがぶつかりますものね。


 さて、ここまで事例を挙げましたが、どれも「異なる穢れがぶつかるのが良くない」ということがおわかりいただけるかと思います。



 そうすると、穢れている人はどうして神社に参拝しに行っちゃいけないんでしょう?


 月経中は神社に行ってはいけない。

 喪中は神社に行けない。

 火事は……ちょっとわかりませんが。

 穢れている状態の人は、神社に行ってはいけない感覚は、多くの日本人が理解できるところではないでしょうか。


 穢れは重なってはいけない……ということは、神様も穢れなんじゃねえの? というわけです。


 土俵を思い出してほしいのですが、大地の魔物がいるから女性は上がってはいけない、穢れと穢れがぶつかってしまうという説を前述しました。塩をまいて、四股を踏む、これこそまさに魔を封じる儀式です。

 その一方で、神おろしの儀式も行って、土俵に神様を呼びます。日本は善も悪も神様であることが多いですから、怖い神様にはちょっと大地の下のほうに引っ込んでもらって、優しい神様を天から降ろすということなのかもしれません。穢れを持つ神をお呼びした土俵に女性が上がったら、穢れがぶつかります。これもいけない、というわけです。



 ええ~でもでもぉ! 神様って善きものだよね。それが穢れなんておかしくない~? って思いますよね。


 では、そもそも穢れとはなんぞや、という話です。

 よく耳にするのは、気が枯れて、気枯れ、ようはエネルギーが枯渇している状態を指すとかいう……。

 でも、エネ不足が重なると災いが起こるって、ちょっとよくわかりませんね? 元気いっぱいの女子なら喪中もナシ、土俵にも上がっていいんか? 違いますよね。



 では、もう一度、三大穢れの「血、死、火事」を見てみましょう。共通点に気づきませんか。


 はい気づきましたね、そうです。「増減」です。

 血は出産と月経、つまり子供が増えることを意味します。村人が増えます。

 死は、村人が減ります。

 火事は、家と財産が減ります。


 人の増減と家財の減少こそが穢れということになります。


 ここで昔の暮らしを思い出してほしい……。

 今みたいに個人が勝手に暮らしているわけではなくて、村とか集落のつながりが深かった時代です。人が増えたり減ったり、建物と財産が減ったりするのは、平穏をかき乱すおそれがあります。つまりこれこそが穢れです。村に変化と不安をもたらすものです。



 しかし、決して穢れは悪いものではありません。

 穢れがなければ人は生まれることも死ぬこともできませんから。

 穢れは怖れるだけでなく、歓迎すべき側面もあるのでしょう。


 怖れられ、歓迎されるもの、つまり神様というわけでございます。


 穢れ自体は単体であればそれは宿命、正しい輪廻。しかし穢れがぶつかると乱れてしまうのかもしれません。人の増減が乱れるの、怖いですね。子供が生まれて老人が死ぬ、これが生き物としては自然な増減なわけですが、これが乱れたら怖いですね。混ぜたら危険ですね。


 どうでしょう、納得できましたか。できないですよね、なんかこうもやっとしたものがまだ残ってますよね。



 はい、そこで私が用意しました理論その2!

 ジャジャーン!

☆神様は、村の「何か」を増減させるんじゃね? 説です。


 先にも述べましたとおり、増減こそが穢れであるならば、神様もまた増減なのではないでしょうか。

 なんかこう……減ったり増えたり……してるんじゃないの? しらんけど。


 そうですね、たとえばお米の収穫量とか? あと降水量や日照時間なんかも神様って増減できるかもしれませんね。冷害や害虫なんかも減らしたりできちゃうかも?

 そもそも人々は神様にそういった増減を願っているわけですし。

 ことしは豊作なの? 凶作なの? 不安になっちゃう! シャレじゃなく生死に関わります。


 増減=穢れ=神様というわけです。



 女性が土俵に上がると、災いが起こる……それはつまり増減が乱れるということ……生死のバランスが崩れ、凶作になるかもしれない、という解釈でございます。

 女は穢れているなんていう考え方は酷い! という気持ちもよくわかりますが、神様も穢れていると思えば、まあ……。増減にかかわるものはみな穢れておるわけでね。

 さらにいうと、いけないのは穢れと穢れがぶつかることであって、穢れ単体では悪くない、むしろ聖に属するものではないかと思います。神社のお守りも、たくさん持ったら神様同士で喧嘩してよくない、なんて聞いたことありませんか。まさに単体だからこそ聖なるものとして力を発揮するという考え方がここにもあらわれているように思えてなりません。聖という穢れと聖という穢れがぶつかり、増減が乱れることこそが災いなのです。



 はい、以上で、「穢れとは増減のことであり、神様も含む説」を今回はご紹介しました~。

 納得できた? できない? そっか~! 実は私も書いていてよくわかんなくなっちゃった! えへっ!


 <おしまい>

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