変わらぬ事を望む君

ヘイ

変わらぬ事を望む君

 

「あれ? 拓海たくみ?」

 

 知らない声。

 ただ、俺の名前だった。

 偶然の同名。関係ない話だと肩を震わせてしまったのを誤魔化して、そのまま歩く。

 

「ちょっと、待ってよー!」

 

 声が近づいてきて、軽く背中が叩かれた。

 

「っ痛……いきなり、何ですか」

 

 衝撃でビックリした。

 そこまでの痛みは実際はなかった。

 

「やっぱり拓海じゃん」

 

 幼なげな顔立ち。

 スカートを見る限りでは、どこかの学校の女子生徒だと思う。

 

「僕だよ、僕。天海あまみ理玖りく

 

 黒髪ショートは柔らかそうに。

 

「天海……天海理玖」

 

 確かめる様に呟いて、思い出した。

 幼馴染だ。

 今はもう馴染みもない顔だけど。昔に付き合いのあった近所の。

 

「……何でここに居るんだよ」

 

 理玖は小学校の時、家庭の事情で県外に引っ越した。小学校の時だ。連絡先なんてある訳もない。だから、当然連絡も取ってない。

 もう二度と会う事もないと思ってた。

 

「高校受験」

「……こっちに来んのか。おばさんも、か?」

「一人暮らしの予定。まあ、合格したらだけどね」

 

 俺が「大丈夫だろ」と口にすれば、理玖が首を傾げた。

 

「そこまでボーダーライン高くないし」

 

 俺の言葉に理玖は「拓海の話、参考にならないしー。昔もそうだったじゃん」と文句を垂れる。

 

「まあ、でも。拓海が居るなら心強いや」

「何がだよ」

「分かんない事あったら聞けるし」

 

 改めてよろしくお願いします、と理玖は深々と頭を下げる。

 

「…………変わんないな、お前は」

 

 俺の呟きに少しの間を置いてから顔を上げた。

 

「そうかな」

 

 その変わらなさが羨ましかった。

 お前が居なくなってからの苦労というものを少しだけ吐き出したくなったが、堪える。こんなのは俺の中に留めておけばいい。

 留めておいた方が良いから。

 

「合格したら、よろしくね」

 

 手を振って理玖は走っていく。

 俺はただそれを黙って見送った。

 


 ... 

 

 

 ────小学校の頃の俺は今よりもう少し外向的だった。

 

 初めて話した相手でもサッカーだとかの遊びに誘ったり、何かしらの発端になったり。

 その時によく居たのが理玖だった。

 理玖とは小学校入学前から付き合いがあって、ずっと一緒にいた。

 

『なあなあ、理玖。今日は何したい?』

 

 そうやって理玖と一緒に周囲を巻き込んで遊んで、俺は幸せだったんだ。

 友達も沢山

 居たんだ。

 

『ごめん、拓海』

 

 引っ越しが決まった時、理玖は泣いてて。

 謝ってて。

 それを責める気になんか当然なれなかった。だから、俺は大丈夫だからと説得して。ここから離れていく三人を見送った。

 

『…………』

 

 それからだった。

 

『なあ』

 

 俺のそばから人が居なくなった。

 

『なあって!』

 

 友達と思ってた奴らは全員、興味を失ったかの様に俺を無視しだした。

 

『何で無視すんだよ!』

 

 カッとなった俺が一人を突き飛ばした事。

 怪我はさせてない。

 

 怪我はさせられた。

 

 家族以外の誰も心配はしない。教師は心配しているというスタンスを取るだけだ。

 相変わらず、謝罪はない。

 友人も居ない。

 

『…………』

 

 少しずつ、俺も理解していった。

 

 ────俺自身には何の価値も無かったんだ。

 

 と。

 

 

 ...


 

 それから四月になった。

 

「入学おめでとうございます」

 

 入学式、校長の挨拶。

 式が終われば午前までで終わり、午後になれば解散となる。

 

「拓海〜!」

 

 そんな声に俺はため息を吐き出してから振り返る。

 

「声がデカい」

「同じクラスだったね」

 

 嬉しそうに俺を見上げてくる。

 

「そうだな」

 

 俺としては理玖と同じクラスになった事はどうでも良かった。

 

「一緒に帰ろ!」

「分かった、分かったから腕に抱きつくな!」

 

 何でコイツはこうなんだ。

 女っぽくなった癖に中身はこんなにも昔のまんま。このボディタッチが心臓に悪い。

 

「ほら行くよー」

「手首を掴むのも止めて欲しいんだけど」

 

 というか、何処に行くんだよ。

 俺の質問に「何言ってんだ」みたいな顔をした。

 

「どこって僕の部屋に決まってんじゃん」

 

 何を言ってんだ。

 今度は俺がそんな顔になった。

 

「ちょっと手伝って欲しい事があってさ」

「お前ってさ……もう少し危機感持った方が良いと思うぞ」

 

 女子が男子を部屋にあげるなんて。

 

「おばさんとおじさん、心配してなかったか?」

「あれ、そっか。拓海知らないんだったね」

「何がだよ」

「お父さんとお母さん、離婚したんだよ」

「いつ?」

 

 俺の疑問に「引っ越して直ぐ」と簡潔な答えが返された。

 

「その前から話は進んでたみたいでさ」

 

 引っ越した後、トントン拍子に理玖の両親の離婚手続きが進み、理玖はおばさんと一緒に暮らす事になったんだと。

 

「…………」

 

 理玖はヘラヘラ笑ってる。

 俺は申し訳ない気持ちになった。そんな話を引き出してしまったからか。

 これは、きっと。

 

「気にしないでよ。もうとっくに過ぎた話なんだしさ」

 

 それにお父さんとお母さんの間の話で、結局僕にはどうにも出来ないんだから。

 理玖の言葉に「そうか」と譫言の様に。

 

「僕でもどうにも出来ないんだぜ? それじゃ、幾ら僕の幼馴染って言っても拓海にはもっとどうしようもないよ」

 

 それよりもさ。

 理玖が話を変える。

 

「ほら、早く僕の部屋に……」

 

 手首を引っ張ろうとしてぎゅうう〜、と音が鳴ったのが聞こえた。腹の虫の鳴いた音。

 

「あ、あはは」

 

 顔をほんのり赤くした理玖が斜め下を見ながら「お腹、空いちゃったみたいで」と尻すぼみになっていく声で告げた。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 僕は変化を恐れていた。

 

『ごめん、拓海』

 

 そう謝った僕を拓海は励ましてくれた。

 それから父さんと離れ離れになって。母さんと一緒に暮らす事になって。最初の数年は二人で苦しいながらも何とかやってた。

 

『理玖〜、これで何か食べてきなさい』

 

 一枚の硬貨を渡されて僕は一人で食事を食べる様になって、お母さんは少し贅沢をする様になって。

 

 何かがおかしくなっていった。

 

 僕は変わっていくお母さんが怖かった。

 勝手に家に上がり込む男の人。その人はお母さんのお客さんだって言う。

 

『タイミング悪いわね』

 

 僕にとって家は安心できる場所じゃなくなった。心休まる場所じゃない。

 お母さんの顔色を伺うばかりで、辛くて苦しくて。

 僕が家出をすればお母さんは心配するだろうと思った。でも無駄だった。

 

『帰ってきたの』

 

 たった一言。

 興味もなさそうだった。

 お母さんとの生活が苦しくなって、お父さんの事を探そうとした。

 結果的にお父さんの場所が分かった。

 

『……なんで』

 

 土の下だった。

 自殺だったんだって。

 

『何で、皆んな変わるんだよ! 居なくなるんだよ! 昔にっ。昔に……戻ってよ!』

 

 昔に。

 そうだ。

 あそこに、戻れば……拓海が。

 他の友達だって。

 

「お母さん」

 

 中学三年の秋、僕はお母さんに言う。

 

「何?」

 

 興味もなさそうに爪の手入れをしてる。

 

「僕、高校は向こうに行くから」

 

 一瞬、こっちを見てから「あっそ」とだけ。お金に関してはどうにかしてくれた。そこだけは感謝してる。

 きっと厄介者の僕を追いやるための投資だとお母さんは思ってたんだろうけど。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

「拓海、一緒にご飯……」

 

 俺は理玖からの誘いを避ける。

 正直な話、俺はそこまで他人に心を許せなくなってる。何処かで裏切られるかもしれないリスクを抱えるくらいなら、最初から何もない方がマシだ。

 それに。

 

「……理玖と居たら」

 

 また、俺を利用したがる奴らが群がってくる。そうやって俺が理玖との関係を深めるのに役に立たないってなれば、平然と俺に攻撃してくる。

 

「…………気分悪りぃ」

 

 体育館裏。

 昼休みの今、ここには滅多に人が来ない。

 

「なら、保健室行く?」

「……なんで居るんだよ」

 

 理玖に見つかった。

 

「一緒にご飯食べよ」

「友達は?」

「そっくり返すよ」

 

 にへへ、と笑いながら言い返してきた。

 

「拓海の事だからもう皆んな友達〜、って感じだと思ってたのに」

 

 自分の弁当(と言っても理玖はコンビニ弁当だが)を割り箸で突きながら言う。

 

「思い込みだな」

 

 そいつらは俺に友情なんて一切感じてなくて、実際は。

 

「……どうしたの?」

 

 俺は首を横に振って「何でもない」と答えると、理玖が俺の弁当から小さいハンバーグを一つ奪い取った。

 

「油断と隙しかないね」

 

 してやったり、なんて顔をしていて。

 俺もやり返す。

 

「勝利を確信した時は何とやらだ」

 

 俺の箸には唐揚げが一つ。

 取られた事を恨むでもなく、理玖は吹き出した様に笑った。

 

「子供じゃん!」

 

 俺は「お前もな」とため息混じりに言い返してやる。

 

 

 ...

 

 冬服から夏服に衣替えして、暫く。

 

「あれ、理玖? 理玖じゃん! 帰ってきてたの?」

 

 ある日の帰り道。

 もう随分と暑い日の事。学校の帰り道で小学校の頃の知り合いに出くわした。最悪だった、俺としては。

 

「久しぶり小出こいで

「おう! 久しぶり!」

 

 小出はその後で俺を見て「何だよ〜! 理玖が帰ってきてたなら言ってくれりゃ良かったのによ!」と肩を組みながら言ってくる。

 気持ち悪い。

 そう思った。

 お前が、俺にそう言うのか。

 

「オレとお前の仲だろ、なあ拓海?」

 

 俺は小出の腕を振り払う。

 

「拓海?」

 

 理玖の心配そうな声に俺は「ちょっと……暑苦しくて、な」と誤魔化す。

 俺は報復を恐れた。

 怖かった。

 理玖の前で、コイツがしでかした全てを明らかにした場合に起こる未来を考えると。

 

「そういや夏だもんな」

 

 小出に理玖が「僕たち用事あるから」と断りを入れて、俺の身体を支えて。

 

「はっ……はっ……」

「拓海?」

「……な、何だ」

 

 公園のベンチに座らされ、しばらく待つと理玖はペットボトルを持って戻ってくる。

 

「はい、水」

「悪い……ありがとう」

 

 俺はそれを受け取って、栓も開けずにそのまま右手に持つ。

 

「飲まないの?」

「今は、別に」

 

 喉が渇いてる訳じゃない。

 

「熱中症じゃ、ない……か」

 

 何処かホッとした様な。

 より一層に疑心を深めた様な。

 

「拓海、大丈夫?」

「……悪い」

 

 俺が謝れば「謝んないでよ。拓海は悪くないじゃん」と辛そうな顔をしてる。

 

「小出と」

 

 俺はドキリとして目を見開いた。

 

「……なんかあったんだ」

 

 疑問じゃない。

 完全に確信を抱いてる。もう、俺の声じゃ誤魔化せない。

 

「ちょっと小出に聞いてくる」

「理────」

 

 立ち上がるのが遅れた。

 迷いがあったんだ。

 知って欲しかったのかもしれない。理玖にも、俺が味わった苦しみを。

 それで分かって欲しかったのかもしれない。今の俺の惨めさを。

 

「…………っ」

 

 けど。

 小出が、何をするのかわからない。だから、俺も追いかけるべきなんだ。

 

「理玖!」

 

 理玖の小さくなった背中を追いかける。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

「あ、居た居た。おーい、小出〜」

 

 さっきの場所からそんなに離れてなかったから、すぐに小出は見つかった。

 

「ん、理玖? 用事あるんじゃなかったか?」

「ちょっと聞きたい事あってさ」

 

 僕は率直に「僕が引っ越してから拓海となんかあった?」と聞けば、一瞬も迷わずに答える。

 

「別に何もないけどな」

 

 すぐに分かる。

 

「……どっちが嘘吐いてるかなんてすぐに分かるよ」

 

 あれだけ苦しそうにしてる拓海が僕には嘘を吐いてるに様には思えない。小出の平気そうな顔が薄っぺらに感じる。

 

「拓海と何かあったでしょ」

「……何かあったとしてもそれはオレと拓海の問題だ」

 

 理玖には関係ないだろ。

 小出が言い捨てる。

 

「僕は、拓海と小出の友達だったんだよ」

 

 お節介かもしれない。

 でも、仲良くして欲しかった。僕が昔好きだった友達同士という関係性が保たれていて欲しかった。

 保たれて、いなきゃ。

 

「……拓海がな、突然オレを突き飛ばしてきた。だから皆んなでちょっと仕返しをしただけだ」

 

 だからアイツが謝れば許してやる話だったんだ、と後頭部を掻きながら言う。

 

「友達、なんだろ? 理玖と拓海も。お前からも説得してくれ」

 

 僕は拓海にも詳しい話を聞いてみる事にする。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

「あ、理玖。大丈夫だったか?」

 

 怪我は、してない。

 流石に……いや、当たり前か。小出が理玖に怪我をさせる訳がない。アイツは理玖が好きだったから。

 それで理玖が引っ越しする事になってから俺とも話さなくなった。

 

「ねえ、拓海」

 

 小出の事、突き飛ばしたって本当。

 理玖が聞いてきた。

 

「…………本当だ」

 

 その前後の全てが抜けてる。

 でも、それ自体は実際にあった事だ。

 

「何で」

「…………」

 

 まるで責められてる様な気がする。

 この全てを話せば、俺は理玖に「お前が居なくなったせいで」と言ってしまっている様な気もする。

 言いたくない。

 

「ただ、ムカついたんだ……どうしようもなく。ただ、それだけの話だよ」

 

 理玖が失望した様に「そっか」と呟いた。

 

「僕、帰るよ」

 

 掛ける言葉がない。

 引き止める理由がない。

 俺が悪いんだ。

 

「俺も、帰るか」

 

 結局、小出は。

 

「よっ、拓海」

 

 俺の前に小出が立ってる。

 

「……何だよ」

 

 俺はお前に構って欲しい訳じゃない。お前の事なんてどうでも良い。お前だってそうだろ。

 

「理玖の事でさ。昔みたいに仲良くしようぜ」

 

 どの口が。

 

「まあ、その前にお前には詫びてもらわないとな。あの日、俺を突き飛ばした事と」

 

 理玖に余計な事を教えた事。

 あの日の様に俺の腹に拳を叩き込んだ。

 

「げほっ、ごほっ……」

 

 相変わらず、腹を殴られるのは痛い。

 

「理玖も戻ってきたし」

 

 理玖、理玖理玖理玖。

 俺の事なんてどうでも良かったんだと再認識。お前も、他の奴らも全員、理玖のいない俺に価値なんて見出さない。

 

「…………」

 

 それをふざけんなとも言えない。

 俺だって、今思えばそうだったんだと思う。理玖のいない俺と友達になる奴なんて居るはずがない。

 

「……何、してんの」

 

 聞こえた声に殴る手が止まった。

 

「理玖? 何だよ、居たんなら」

「拓海から離れろ!」

 

 震える声、怒りに染まった目。嫌悪が小出に向けられていた。

 

「だから……これはっ。拓海が!」

「離れろって言ってんの! 近づくな! 二度と! 僕にも! 拓海にも!」

 

 顔を歪めさせながらも、小出は舌打ちして逃げていった。

 

「拓海」

「……悪い。助かった」

 

 泣きそうな顔が目に入った。

 いや、もう泣いてるんだ。

 

「何で、泣いてんだよ」

 

 俺にはわからなかった。

 痛いのは俺の方だ。

 

「……怖かったんだ」

 

 しゃくり上げる声で理玖が喋り出す。

 

「皆んな、変わってて。ここの皆んななら仲良くしてるって思ったのに」

 

 それが裏切られた。

 

「お母さんも、お父さんも変わっちゃったから、最後の頼りだった」

 

 変わりたくない。

 変わってほしくない。

 だから、理玖は昔のまま。

 

「ごめん」

 

 俺の謝罪の言葉に理玖がより一層泣き出してしまう。

 

「拓海が謝るなよぉ!」

 

 泣いてる側が抱きついてくるか。

 

「…………」

 

 ただ、まあ仕方ない。俺は受け入れる事にして子供の時の様に抱き合った。

 

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