君に譲ったものは

江東うゆう

君に譲ったものは

 二間続きの広い和室。

 山の中にひっそりとある武道の一流派・夢現むげん流の客間に、二人は向かい合って座っていた。

 一人は紺色の羽織を着た小柄な二十一歳。彼は、この流派の代表者だ。

 いま一人は、小豆色のパーカーに、ジーンズの大柄な高校生。こちらは、青年の招いた客。

 二人とも、大判の座布団にあぐらをかいている。

 間には、小さな樽型のゲームと、プラスチックの剣。


「話っていうのは?」


 沈黙に耐えきれなくなった少年が口を開く。


「いささか、受験勉強の邪魔になりそうな話なんですが。聞きます?」


 青年はわずかに体を傾け、ちらりと少年を見上げる。


「俺、まじめに勉強しないと、ヤバいんだけど」

「志望校に入るには偏差値が足りないって言ってましたもんね」


 無遠慮な発言に、少年は顔をしかめる。


「責任も取れないのに人の受験を語るな、この、大学生が」


 青年はにこりと笑った。

 いかにも、彼、新井あらいうつつは大学三年生だ。


「僕としては、聞いてくれたらありがたいんですが」

「聞くだけ聞くよ」

「聞いたら引き受けてもらわないと、困るんですよ」

「じゃあ、聞けない」

「困るなあ」


 現が、二人の間のゲームに視線を向ける。


「じゃあ、これで決めるか?」

「ええ、そのつもりでした。先攻後攻、希望はありますか」

「先攻」

「どうぞ」

「余裕だな。こういうのは、先攻が有利じゃないのかよ」

「そうですか? 僕、すごく勘がいいので大丈夫です。今まで一度も外したことはありません」

「俺だって、勘はいいと思っているけどな」


 樽には、細い穴がいくつもあけられている。少年は一瞬真剣な顔をして、穴の一つに緑色の剣を刺す。

 樽の上にさしこまれている人形は、動かない。


「では」


 現が、青い剣を刺す。

 人形は、飛ばない。


 何度か順番が回り、残りの穴の数も少なくなってきた。


「くそ、お互い、なかなかハズレを引かないな」


 少年が舌打ちした。


「え? ハズレですか? 僕は飛ぶ穴がアタリだと思っていました」

「は? 飛んだら負けだろ? だから、ハズレ」

「飛んだら勝ちなんじゃないですか? 無事脱出、で、アタリ」

「まさか。俺はずっと、飛んだら負けってルールでやってきたぞ」

「うちの流派では、飛ばした人が勝ちです」


 現はきっぱりと言う。


「流派なんてデカいもの持ち出すな。それを言うなら、ひのき家では、飛ばした奴の負けだ」


 檜、というのは少年の名字だ。

 名前はあつみという。


「今はうちのやり方にしたがってください。さあ、どうぞ」


 促され、渥はプラスチックの剣を刺す。

 次いで、現が迷うことなく、数少ない穴の一つに刺す。

 渥は、剣をつまみあげたまま、少し迷った。


「よし、ここ」


 に、と続けようとしたところに、現が言葉をかぶせた。


「待って。勝ったら聞きますか?」

「聞かない」

「じゃあ、そこは」


 ――飛ぶ穴だと言いたいのだろうか。


「その手には乗らない」


 剣を刺す。人形は、まだ無事だ。

 渥はニヤリとした。

 現は困った顔をする。


「まいったな。僕は勝ちを譲りたいんですよ」

「俺は面倒事は嫌だ」

「やだな、絶対、聞いたほうがいいですよ。聞いたら、元に戻せないけど」

「聞いたほうがいいって、どういうことだよ」

「差し出がましいことで、ちょっとお時間取らせますが、おもしろい、ということです」

「ちょっとだけ聞くわけにはいかないのか」

「いかないんです。勝ちを譲っていいですかね」


 現が剣をつまみあげる。

 すぐに刺そうとして、ピタリと動きを止めた。


「……負けたら、聞くんでしたね。負けたら」


 そうつぶやき、残り三つの穴のうち、一つに刺そうとしてやめる。


「では、やはりこちらにします」


 別の穴を選んで、一気に刺す。

 人形は飛ばなかった。


「見誤ったな」


 渥は、ふ、と笑い、さっき、現がやめた穴に剣の先を入れる。


 夢現流では、相手を負かすためには、自分が人形を飛ばさなければならない。


 ――だから、さっき刺さなかった穴は、人形が飛ばないと勘で判断した穴のはずだ。


 だが、現が刺した穴でも人形は飛ばなかった。見誤ったのだ。

 人形が飛ぶのは、現が迷った穴ではなく、あと一つ残る穴のはず。 

 

「俺の勝ちだ!」


 ぐっと刺す。違和感があった。

 とたん。

 人形が飛んだ。


「檜家では、これが負けですよね」


 呆然とする渥をよそに、現は窓を開け放ち、叫んだ。


「入ってきていいですよ!」


 すぐに、階段をあがってくる足音がした。大勢だ。ふすまが開け放たれ、この二週間近く世話になった夢現流の門下生たちの姿が見えたと思ったら、パンパンと破裂音がした。クラッカーだ。


「な、に?」


 クラッカーから飛び出したテープを頭に浴びたまま、渥は畳の上に尻もちをついた。


「驚かしてすみません。話を聞いてください。先日、渥さん、誕生日でしたよね。うちがバタバタしていて祝えなかったので、日程を変更してもらって、ちょっとしたパーティーはいかがですか、という話でした。聞きますよね?」


 渥は、唖然としつつも、うなずく。


「あ、でも、おまえ、俺に勝ちを譲るって。でも、俺は負けなきゃ聞かないって。……見誤った、のか?」

「まさか。最初から、どの穴なら人形が飛ぶかわかっていましたよ。でも、ほら、渥さんの作法に合わせないと、納得しないなって、ギリギリで気づいたんです」

「じゃあ、迷っていたのは」

「あれが、僕には勝つ穴で、渥さんには負ける穴だったからです。いやあ、危なかったな、危機一髪でした」


〈おわり〉

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