第2話 現実

「大寿美君ってドラムやるの初めてなんだよね?」

「はい。そうですけど、それがどうかしましたか?」

 軽快で乱雑で心地の良い音が鳴り響いている音楽室の一角にて、彼らは二人きりで練習、及び雑談をしていた。

「初めてでここまでできるなんて凄いなぁって思ってね」

 礼奈はドラムを叩いている薫をすぐそばで見守りながら、そう感想を口にした。

「本当ですか!? ありがとうございます! 俺には才能があるってことですかね?」

 礼奈の方を見ながら紡がれる薫の言葉に、礼奈は微笑みを返すだけだった。

「あ、そうだ先輩。ここの部分ってどうやって叩いてます?」

「ん~?」

 バチが指している個所を覗き込むように、礼奈は薫に体を寄せてきた。ゼロ距離まで近づいているため、もちろん二人の体は触れ合っており、薫は右腕に触れる自分にはない柔らかな感触に神経を研ぎ澄ましていた。

「……って、大寿美君、聞いてる?」

「え、あ、はい。聞いてますよ」

 離れてしまった感触に名残惜しさを感じつつ、薫は適当にそう答えた。すると、部室のドアをノックする音が二人の耳に入った。

「大寿美君ちょっと開けてきてくれる?」

 先輩に頼まれた薫は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、部室のドアを開けに行った。

「え、なんでゆうちゃんがここに?」

 ドアを開けた先には、あからさまに面倒くさそうな表情をしたゆうの姿があった。

「はぁ……。これ、なんだと思う?」

 ゆうはドアを開けたのが薫だと認識すると、バッグの中からそれを取り出した。

「え、あ、俺のスマホ!」

「はい。アンタ机の中にスマホ忘れていったのよ。もう……なんでゆーがわざわざこんなことしないといけないのよ……」

 口ではぶつぶつと愚痴をこぼしているが、スマホを渡すゆうの手はとても優しかった。

「あ、ありがとう!」

 純粋にゆうの目を見ながら礼を言う薫に、ゆうは思わず目線を逸らしてしまった。

「ふぅ……。というか、前から思ってたけどアンタそんなに前髪長くてちゃんと見えてんの?」

 心を乱しそうになったゆうは、ひとまず話題を変えることにした。

「うん、見えてるよ。楽譜もちゃんと読めてるし」

「違うわよ! 可愛いゆーのことよ!」

 そう言って、ゆうはムッとした表情で薫の前髪をかき上げた。

「え、あ……」

 先程まで二人の視線を遮断していたものが一切なくなり、自然と見つめ合っていた彼らはいたたまれない気持ちに襲われた。

「あ、アンタは前髪切らない方が良いわよ。アンタの眼が見えるときもいし」

 それだけ告げて、ゆうはさっさとこの場を立ち去ってしまった。残された薫は、

「そんなにか……?」

と呟きながら前髪を触り、部室へと戻っていった。

「あの子と仲いいんだね」

 薫が部室に戻ると、礼奈が軽くドラムの確認をしながら待っており、薫と目を合わせることなくその言葉を投げかけた。

 その姿がまるで恋する乙女のように見えた薫は

(え、もしかして嫉妬?)

と、思い込んでしまうのだった。


 その数日後の週末、薫はショッピングモールの一角にてため息を吐いていた。

(まさかもう売り切れてるだなんて……)

 今日は人気ゲームの発売日で薫もそのゲームを買いに来たのだが、来た時にはもう売り切れており、今日を楽しみにしていた薫は近くにあったソファに腰をかけながらうなだれていた。この日を楽しみに一週間過ごしてきた薫からすると、この状況はまさしく絶望そのものだった。そんなとき、

「うわぁ陰キャがうなだれてる~!」

と、薫のことを罵る声が聞こえてきた。薫は「はぁ……」とため息を吐きつつ、声をかけてきた彼女に向けて視線を上げることにした。

「こんなところで会うなんて珍しいね、ゆうちゃん」

「それはこっちのセリフよ。なんでアンタがこんなところにいるのよ。しかも俯いてるし……。あ、わかった! あの部活の先輩に振られたんでしょ~!」

 相も変わらず薫のことを下に見ているゆうは、そう決めつけてにやにやと笑みを浮かべていた。もちろんそれは事実とは異なるので、

「んなわけないだろ。ただ欲しかったゲームが売り切れてたってだけだから」

と、薫は弁明をしたのだが、

「そんなことでこんなに元気なくすとかちょ~ウケるんですけど! ってかさっさと告白して振られちゃえばいいのに」

 ゆうはいつもと同じように、ケラケラとした声を出しながら嘲笑っていた。

「俺が振られるわけねぇじゃん!」

「え、いや、どっからそんな自信がきてんの? 怖いんですけど……」

 そして、薫もまたいつもと同じように自信満々に反論していた。

「ま、アンタが振られる話はいいとして、アンタゆーの買い物に付き合いなさいよ」

 薫の言葉を軽く流し、ゆうはその提案。いや、命令をしていた。

「え、なんで?」

「なんでも! どうせアンタ暇なんでしょ? だったら買い物に付き合いなさいよ」

 そう言うと、ゆうは薫の返事も聞かずどこかへ進み始めた。実際特にやることもなかった薫は、渋々といった感じで、ゆうの後ろを付いて行った。

「あ! これ可愛いから買って~!」

 薫のことなどお構いなしに進むゆうは、途中で見つけた雑貨屋さんに置かれているチューリップの形をしたピンクのキーホルダーが無性に欲しくなり、薫にねだっていた。

「え、なんで俺が?」

 彼女でもないのに、なぜ自分が買ってあげなきゃいけないのか。そう思った薫は、その至極当然な疑問を口にした。

「だってこの前アンタにわざわざスマホを届けてあげたじゃない。それのお礼って考えたら安いでしょ?」

 薫の疑問にさも当然のことかのように答えたゆうは、並べられていたキーホルダーを手に取り、薫の手にそっと置いた。

「じゃあゆーはここで待ってるから買ってきてね~」

 早く買いに行けと言わんばかりに手を振っているゆうに、薫は納得してしまったのかそれとも諦めてしまったのか、

「あ、はい……」

とだけ言い残し、レジへと向かった。幸い数百円程度の物だったので財布にそこまで打撃はなく、今日はもう使わないと思っていた財布を取り出した。

 その後、薫が買ってきたキーホルダーをゆうに渡すと、ゆうは薫に背を向け、

「アンタなんかがゆーにプレゼントを渡せてよかったわね」

と言葉ではいつものように悪態をついているが、その表情は嘲るような笑みではなく、子供のような屈託のない笑みだった。

 ゆうの悪態に反応するのが面倒くさいと思った薫は、全く違う話題を繰り出した。

「そういやうちの学校ってなぜか屋上開放されてないよな。普通開放してるんじゃないのか?」

「いや漫画の読み過ぎよ。あんなの2次元だけの設定に決まってるじゃない。落ちたら危ないし」

 薫の疑問に、ゆうは先程までの表情を引っ込め、冷静にその事実を伝えた。実際屋上は多くの学校で閉鎖されているし、事故か自ら望んだことなのかはわからないが転落する人たちもいる。だからこそ、屋上は開放されていない。

「友達とお昼を屋上で食べたり、好きな人に告白したりは屋上でやるもんだと思ってたんだが」

「ばっかじゃないの? そんなのできるわけないじゃん。というかアンタの場合そもそもそんな友達いないじゃない」

 薫が描いていた夢や理想は、容赦のない事実で否定された。

「……」

「ま、そんなことはどうだっていいのよ。というか、さっきも言ったけどさっさと告白すればいいのに。ま、アンタは理想ばっかり掲げてるだけの意気地なしだし無理でしょうけど」

「……そんなに言うなら明日先輩に告白してやるよ! もともと明日は先輩の誕生日でプレゼントを渡すつもりだったし。それで先輩は俺のことが好きだってわからせてやる!」

 わかりやすい煽りに乗ってしまった薫は、部活の時に告白しようと、そう決心した。そんな決心など知らないゆうは、

「キャハハハハ!! あ~おっかしぃ~」

と、目尻に溜まっていた涙を拭いながら、またいつものように薫のことを嘲笑っていた。人目も憚らずに笑っているため、二人にはたくさんの視線が注がれており、それに気付いたゆうはすぐに手で口元を覆い隠した。

「ま、まぁいいわ。アンタ明日の放課後部活が終わったら教室に来なさいね」

 告白が成功するとは一切思っていないゆうは、明日の部活の後に二人で会う予定を入れた。

 そうして、その理由を伝えることもなく、ゆうはそそくさと他のお店に入っていった。その場に取り残された薫は、

「結局何がしたかったんだ?」

と、呟くのだった。


  翌日の放課後、薫と礼奈はいつも通り二人でパーカッションの練習を行っていた。

 だが、今日はいつもとは違い、礼奈の誕生日という特別な日だった。

「それじゃあ次は……」

「あ、あの! 先輩!」

「うん? どうかした?」

 練習が一区切りした時、薫は告白するために、改まって礼奈に向き合った。もちろん礼奈は薫が何を考えているのか分かっていないため、首を横に傾けながら薫のことを見ていた。

「礼奈先輩好きです! 俺と付き合ってください!」

 薫はその言葉を口にしながら、用意しておいたプレゼントを取り出した。普通告白する時の多くは不安を抱えていたりするものだが、薫は一切そういうものがなく、あるのは確信から来る希望と下心を含んだ笑顔だった。

 自分が振られるだなんて一切考えていない薫に対し、礼奈はただただ困惑していた。

 薫が考えていることが全く分からない礼奈は、この状況の意味がわかっていなかった。ただ、明確な答えだけは存在しているため、礼奈はその言葉を取り出した。

「ごめんなさい。私は君とは付き合えません」

「……は? なんで!?」

「なんでって……。私別に君のこと好きじゃないし」

 薫も礼奈も、お互いがお互いの発している言葉の意味がわからなかった。何を理由にその言葉が紡がれているのか。二人はそれぞれ理解できていなかった。

 動揺のあまり、薫は手に持っていたプレゼントを床に落としてしまった。だが、それを気にかけていられるほどの余裕を持ってはいなかった。

「は? いや、礼奈先輩は俺のこと好きなんだろ?」

 自分を過信しすぎて自分を見失った薫は、その根拠のない理想を信じ切っていた。

「え、さっきから何言ってんの? いつ私が君のことを好きって言った?」

「いや、だって、俺に優しくしてくれたし、それにスキンシップも多かったし」

 理想を壊され、引き攣った笑みを浮かべる薫の眼は、じわじわと熱くなっていた。

「きもいから勝手に勘違いしないでくれる?」

 礼奈の語気も徐々に強くなっていき、初めて会ったときのような柔和な雰囲気はすでに消え去っていた。

「ていうか君いつもあの可愛らしい女の子と一緒にいるじゃない。この前ショッピングモールで偶々二人が一緒にいるところ見かけたの。それなのに私が好きとか、そもそも信じられないから」

 そう言われて薫の頭の中に現れたのは、あの小さな女の子だった。

「え、いや、あれはあいつが勝手についてきてるだけで……」

「そうやって相手のせいにするのも気に入らない。この際だから言うけど、私、君のこと嫌いだから。いっつも私の体ばっかり見てて気持ち悪いし、自分は何でもできるって思い込んでる感じがうざいのよ。夢ばっかり見てないで、ちゃんと現実を見なね」

 言いたいことだけ告げて、礼奈は他の部員の元へと行ってしまった。

 彼女が手にした凶器は、無自覚に、そして躊躇なく彼の心をずたずたに切り刻むのだった。


 その頃、ゆうは誰もいなくなった教室の机に座りながら、一人スマホをいじって時間を潰していた。

 時々手元にある袋や、以前買ってもらったチューリップのキーホルダーが付けられているカバンに目をやりつつ彼が来るのを待っていると、ドアが開く音が教室に木霊した。

「あっ早いのね。もしかしてゆーに早く会いたくて部活抜け出してきたの~?」

 ゆうはそう言いながら、ドアの方に視線を向けた。

 教室に入ってきた人は顔を俯かせており表情を確認できなかったが、服装や雰囲気から薫だということがわかった。

「……」

 教室に入った薫は、何も発することなく換気のために開けられている窓に向かい、足元に背負っていたリュックを置いた。

「あ、本当にゆーに会いたかったんだぁ~!」

 薫の沈黙を肯定と捉えたようで、ゆうは満面の笑みを浮かべていた。

 それに反論したかったのか、薫はゆうがいる方へ向き直り、ようやくその重たい口を開いた。

「…………先輩に振られて、部活に居たくなくなったから……」

「ぷっ、ハハハ! ほらね? ゆーの言った通りじゃ〜ん! なんならゆーが彼女になってあげよっかぁ? キャハハハ!!」

 薫が振られたことがよっぽど愉快だったのか、途端にゆうは肩を震わせながら笑いだした。

 ゆうが変わらず肩を震わせながら笑っていると、薫は何やら決意したような目でゆうのことを見た後、窓の外に視線を向けた。

「んもう。なんでゆーがいるっていうのに外見てるのよ。ゆーよりも外の景色の方が良いって言うの?」

 ゆうは手に持っているビニール袋に一瞬意識を移しながら、少し苛立ちを含んだ声でそう言った。

 薫はその声に一切反応することなく、ただ一言、

「なんで……」

と呟き、置いていたリュックを踏み台にして窓から飛び降りた。

「ちょ! 薫!!」

 ゆうが反射的に彼の名前を叫んで机から降りた直後、ドスン! という鈍い音と同時に悲痛な叫び声が辺りに反響した。

 ゆうは目の前で起きたことが信じられず、その場で全身の力を失くしてしまった。

 手に持っていた袋も重力に従って落ちていき、中からはプレゼント用に可愛く包装されたルームフレグランスが転がり落ちていった。


 その翌日から学校は臨時休校になり、再開したのは薫が飛び降りた五日後だった。

 重々しい空気をした教室には生徒と担任だけでなく、校長や副校長、さらにはカウンセラーの先生の姿があった。体育館での全体への説明ではなく、この教室だけで詳細な説明、及びメンタルケアが行われるらしい。

 その後、ある程度説明を終えた先生たちは、一度この教室を離れ出席番号順に一人ずつ生徒を呼び出し、別の部屋でカウンセリングを行っていた。

 誰しもが口を閉ざして何もせず待っている中、この教室にたった一つだけ声が響いていた。

「ってかこのキーホルダー以外にゆーへの誕生日プレゼントはないわけ?」

「——」

「そうよ! んもう、なんでゆーの誕生日は知らないのよ。ゆーはわざわざアンタに誕生日プレゼント用意してあげたんだから、感謝しなさいよね!」

「——」

「はぁ~? ばっかじゃないの! 私がアンタなんかに惚れてるとか意味わかんないこと言わないでくれる!?」

「——」

 焦点のあってない目から大粒の涙を溢し、歪んだ笑みを浮かべながら、彼女は変わらず独りで会話を続けるのだった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君へのプレゼント 緋月怜 @h-rei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ