第8話 最後の死を前に
夫との離婚はとてもスムーズだった。息子が泣いて止める以外に、私たちの離婚を妨げるものは何もなかったのだ。私が夫の浮気の存在をチラつかせると、夫は深いため息をつきながら、貯金通帳、生命保険、株券やマンションの権利書など、金目の物を取り出して財産分与の話をしてくる。言い訳すらしないその姿勢に、私は異常なまでの殺意と絶望を覚えたが、夫を完全に殺すために、なんとか冷静になった。夫の結論は、親権とマンションは私のものとし、養育費は夫が払う。他の財産は分与できるならお願いしたい、という殊勝なものであった。――どうせ殺されるのに、養育費を払うとは――。思わず笑ってしまいそうになるが、私は悲劇のヒロインとして、「あなたを信じてたのに」などと、歯の浮くようなセリフを吐いてから、大泣きをしてみせた。
夫の九回目の死から半年後、離婚をしてすべての整理が終わった私は、友人をあの公園に呼び出した。珍しいことに、友人はまだ来ていない。公園には、いつものようにキャッチボールをしている少年たちと、一人でブランコに乗っている少女と私だけであった。
しばらくいつものベンチで待っていると、信じられない光景が私の前に飛び込んできた。
「ごめんなさいね。待たせてしまって」
やってきたのは、友人と――元夫の二人だった。
「これは、ど、どういうことなのかしら?」
私は動揺をそのまま口に出して問うと、友人は何枚かの写真を渡してきた。夫は素知らぬ顔をして公園の隅に向かうと、喫煙スペースで煙草に火をつける。
「これ、よく写っているでしょう? キッチンにカメラを仕込むのに、間違えて隣の部屋に入ってしまったのよ。警察を呼ばれて、大変だっだわ」
友人はクスクスと笑いながら、私の肩を掴んだ。
「わかるわよね? お互い、いい大人なんだから、もうこれで終わりにしましょうよ?」
「そんな。貴女、いつから、こんなことを考えていたの?」
友人は答えることなく、十回目の薬を私の手に握らせた。
「これは単なる化学調味料よ。こんなもので人が死ぬわけがないでしょう? もし、アナタには殺意があって実行したからと逮捕されても、恐らく不能犯として処罰はされないでしょう。だけど、わかるわよね? アナタは彼を殺そうとした。その事実は変わらないのよ。こちらがしたことだって、褒められたものではないけれど、アナタだって、世間にこんなことをバラされたくはないでしょう? 財産分与もちゃんと終えたわけだし、何より、かわいい息子さんがいるのだから、今更、事を荒立てるのは良くないとは思わなくて?」
「最初から、私を騙すつもりだったのね」
「まさか。彼を自分たちのものしたかったのは事実だけれど、大切な友人として、アナタの心を満足させながら、願いを叶えてあげたかったのよ。実際、楽しかったのでしょう?」
友人はエラーで転がってきたボールを掴むと、いつもの笑顔で少年に投げ返した。少年は帽子を取って礼をすると、自分の定位置へと走っていく。元夫は煙草の火を消すと、友人とブランコに乗っていた少女と手を繋ぎ、私の前から消えていった。
(終)
(復刻版)穏やかな殺意 犀川 よう @eowpihrfoiw
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