危機一発
秋野凛花
誤(あやまり)
「それ、間違ってる」
「え?」
目の前にいる君が、そう聞き返して顔を上げる。対して私は目を合わせず、シャーペンのお尻で紙を叩く。
「ここ。『ききいっぱつ』の『いっぱつ』は発言の発じゃなくて、hairの
「部屋?」
「hair。これだよ、これ」
そう言って自分の髪を無造作に掴むと君は、ああ、それか~。と朗らかに笑った。
その様子に、思わず少しだけ苛ついてくる。もう高校生だというのに、こんな覚え間違いをしているというのか。それに明日は漢字の小テストがあるし。この調子だと、君はきっと他の漢字も間違えるのだろう。そうしてまた、勉強不足を先生に怒られるのだ。
目の前で動かない君の手を、黙って見つめる。どうせ、「髪」が書けないだけだと思うから。私はさり気なく辞書を君の方へ差し出した。ちゃんと自分で調べないと、定着しないと思うから。
君はそんな私の気持ちも露知らず、辞書に気づいてそれを手に取った。流石に調べ方は分かるだろうか。いや、分かってくれないと困る。
やがて君は辞書を机の上に戻して、丸い字で拙く漢字を書き始めた。その拍子に、君の髪が揺れる。夕日に反射して、きらきら光っている。少し色素の抜けた、綺麗な髪。
不意に口が動きかけて、慌てて閉じる。すぅっ、と、小さいが確かに息の通う音が響いた。
その音に気付いたのだろう。君が不思議そうな表情で顔を上げる。どうしたの、とその唇が動き、音を紡ぐ。……私は、口を開いた。今度は、自分の意思で。
「何が?」
「……ううん、聞き間違いだったみたい」
そう言って君は笑うと再び俯いて、紙に視線を戻す。シャーペンが紙の上を踊る。光が君の髪の上を踊っている。
不意に口から飛び出しかけた、言う気のない言葉。言ってしまえば、もう君と一緒にはいられない。
だから、間違えなくて良かった。
危機一発 秋野凛花 @rin_kariN2
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