いつも見る夢

つばきとよたろう

第1話

 いつも昨日見た夢の話をしてくるクラスメートがいた。彼女が話す夢は、奇想天外な夢だった。犬に変身して近所を散歩したり、誰かに成り済ましてその子の家に帰ったり想像もできない夢ばかりだ。ぼくは時々怖い夢を見る。夢を見た時、いつも驚いて目を覚ます。夢だったことに一先ず安堵する。その反面、その後どうなるのか妙に気になった。しかし、どんなに二度寝しても、夢の続きを見ることはできないのはなぜだろう。何度も見ている夢なのに、テレビドラマや連作小説みたいに続きはない。しかし、同じ夢を見ることはある。よく見る夢、見たことある夢。そう言う既視感を覚える夢に限って、いつも同じ場面で目が覚めるのだ。それは古いホラー映画を見ているようだった。ぼくはうっかり学校の授業で寝てしまった。不覚にも夢を見ていた。暢気なものだと自分でも呆れてしまう。誰か起こしてくれればいいのにと思う。もっとも先生以外だが。そうすれば、ぼくはこんな奇妙な夢に苛まされることもなかっただろう。それは現実には無さそうで、妙にリアルな夢だった。ぼくは校舎の窓に外からしがみついていて、鍵の掛かっていない窓を探していた。生憎、どの窓を開けようとしても頑固に開かなかった。ぼくは辛うじて足場がある窓枠の出っ張りに足を掛け、落ちないように踏ん張っていた。しかし、いつまでもこうしてはいられない。手は痺れ、足は震えてきた。このままでは、校舎の三階から落ちてしまう。危ないと思った瞬間目が覚めた。

「夢ってそうじゃない。これ以上見たら絶対に危ないってところで目が覚めるの。死んで死んだ後の夢を見ることはないでしょ」

 クラスメートは学校からの帰り道で、ぼくの話に耳を傾けながら並んで歩いた。佐藤瑞は、教室で隣の席に座っている。

「死んだ夢はあるんじゃないかな。それは本当に死んだのではなく。死んだ夢の話だけど」

「そう。教室に誰かいなかったの? ああ、いたら誰か気づいてくれたかも知れないね」

 教室は誰もおらず、助けを求めることはできなかった。窓はたくさんあった。これだけあるのだから、一つくらいは鍵の掛かっていない窓があるだろうに、それを見つけられなかった。

 もしここから落ちたら死ぬのは勿論、誰も気づいてくれないのではないか。それなら万が一助かったとしても状況は変わらない。むしろ悪くなったくらいだ。

 パタパタと、干した布団を叩く音がした。恐る恐る見下ろすと、下の階で誰かが黒板消しをはたいていた。おーいと、ぼくは叫んだ。もし気づいてくれれば、助けを求めることができるかも知れない。

「でも不思議ね。教室に誰もいないなんて。普段なら誰かいるはずでしょ」

 確かにこれだけ生徒がいるのだから、それがどこかに行ってしまうのはおかしい。もっとも体育の授業や実験の時は全員いなくなるだろう。それでも一クラスだけで、全部のクラスが一度にいなくなることはない。それは夢だから。夢には最低限の登場人物しか出てこない。町中の雑踏の夢もなくはない。全校集会の夢もあるかもしれない。が、何となく曖昧ではっきりしないものだった。夢は頭の中で考えることだから、容量に限界があるのかも知れない。

「そう言う夢は、子供の頃のトラウマから来てるって言うから。忘れているけど、何か怖い経験があるのかも知れないよ」

 佐藤瑞の仮説は、的を射ている。確かにその可能性は大いにある。しかしぼくにはこれと言って、思い当たる節がなかった。

「覚えてないな」

 それに子供の頃の記憶なんて当てにならない。印象的な記憶があったとしても、それは大体変な風に誇張され、よじ曲げられている。有りもしない事件をでっち上げるように、嘘が紛れているものだ。

「小さい頃のアルバムを見れば、何か分かるんじゃない」

 佐藤瑞は意味有り気に、にやりと笑う。頬に出来た笑窪が可愛らしいが、ぼくはそんな事には騙されない。何か善からぬことを企んでいる笑いだ。佐藤瑞は、ぼくをじっと見た。

「何だよ、その目は」

「えー、分かるでしょ。今から真人くんの家に行って、小さい頃のアルバムを見せてもらおうと思ったんだけど」

 とんでもない企みだった。人には余り見せたくない過去があるだろう。ましてや小さい頃のアルバムだなんてとんでもない。断然ぼくは、その企みを阻もうとした。佐藤瑞はいいからいいからと言って、どこまでもぼくの後を付いてきた。とうとうぼくの家までたどり着いてしまった。

「これが真人くんの家。普通だね」

 どんな豪邸を想像していたのだか、彼女の淡白な感想に、ぼくは底の無い不安を感じた。最初からこれでは、先が思いやられる。ぼくは玄関扉の前に立って、学生バッグから鍵を取り出した。余り乗り気はしなかった。午後五時前、家には誰もいない。当然だが、家の中は静かだった。この空気には、いつも嫌な感じがする。家の壁や天井が押し迫ってきそうだった。ぼくは階段を上がって、佐藤瑞を部屋に案内する。億劫な足音の後に、頼もしい足音が付いてくる。知らない家に上がり込んでも、少しも気後れする様子が無いのは流石だ。ぼくの部屋を見た時の佐藤瑞の感想は、意外と奇麗にしているのねだった。奇麗にした覚えもないし、物も少なかったからまずまずの感想だ。

「飲み物と食べ物取ってくる。抽斗と押し入れの中は見ないでね」

「分かってる」

 ぼくは急いで階段を下りた。部屋に佐藤瑞一人残しておくのが気掛かりだった。釘を刺しておいたけど、大丈夫だろうか。女の子の好奇心は侮れない。ぼくがジュースとスナック菓子をお盆に載せて部屋に戻ってくると、佐藤瑞はさっき部屋を出た時と、同じように行儀よく座っていた。ぼくは持ってきたジュースとスナック菓子を勧めた。友達を部屋に呼んだこともなかったし、ましてや女の子と二人切りになるとは思いもしなかった。だからどうしていいか分からず、間を持たすためにぼくは慌てて押し入れの中からアルバムを取り出した。小さい頃のアルバムは人間のように年を取って出てきた。数冊あったが、どれを見ようかと悩んでいると、佐藤瑞が助言した。

「トラウマになるくらいだから、小学校低学年じゃない」

 確かにそう言われれば、ぼくも納得した。それで小学校の頃のアルバムを開いて、一ページずつ二人で眺めた。小さなぼくが現れた。

「わー、可愛い」

 佐藤瑞が写真を見ながら、黄色い声を上げた。予想はしていたが、それより幾分か増しな反応だったことに、ぼくは安堵した。ほとんど開いたことのないアルバムに、ぼくも他人の子供を見るような目で覗き込んだ。そこに写っていた体の小さな子が、ぼくかと一瞬疑った。体操着に赤白帽子を被って、嬉しそうにこちらに手を伸ばしている。

「運動会の写真だな」

 しばらく二人で眺めて、あっと気付いた。

「こんな事してたら、終わらないよう」

「そうだね。急いで見よう」

 ぼくたちは次々にページをめくった。どの写真もじっと見詰めていたくなるような、興味深い物ばかりだった。しかし、その時の記憶がぼくには抜け落ちていた。こんな時あったかなと、頻りに首を捻る。しばらく見ていると、アルバムの中程のページで佐藤瑞の手が止まった。ぼくはそこに貼られた一枚の写真に注目した。古い家だ。田舎の祖父の家らしい。その二階のベランダに出て、こちらに手を振っている。ベランダにいたのは、ぼく一人ではなかった。従姉の百合さんがいた。

「二階だけど、高い所に上った写真はこれしかないわね」

 この後、どうなったのだろう。写真を頼りに記憶を手繰り寄せる。嫌な記憶というものは、いつも高い所にぶら下がっていて気付かないようでも、ふと見上げればいつでも思い出せる特異なものかも知れないと思った。

「そう言えば、この後百合さんにベランダの扉の鍵を閉められたんだ」

「それがトラウマになったのね」

「いやそれだけじゃないんだ。その後、ぼくは屋根を伝って窓から入れないか試して、危うく落ちそうになったんだ」

「誰が写真を撮ったの?」

「祖父かな。屋根に上がったぼくを見て、びっくりしただろう」

「これで解決ね」

 佐藤瑞は数学の難問が解けたみたいに清々しくアルバムを閉じた。ぼくは佐藤瑞を見て、何だか腑に落ちなかった。そろそろ帰るねと腰を上げた佐藤瑞を、玄関まで送った。扉を開けると、外はすっかり日が落ちていた。これから段々と景色が闇に包まれていく。

「ここでいいよ」

「そう、じゃあ。気を付けて」

 佐藤瑞に手を振られ、ぼくも小さく手を振った。その日見た夢は、いつもの校舎の窓の外からしがみ付いている夢だった。何も解決していなかった。むしろ何か棘のような物が胸に刺さって、取れなかった。その日、ぼくは決心をした。それは冷静になって考えてみれば、愚かな決心だった。学校に行って、休み時間が来た。ぼくは騒がしくなった教室から廊下に出ると、窓に近づいた。丁寧に窓を調べた。窓には鍵が掛かっていた。ぼくは何の躊躇いもなく鍵を開けた。それから窓も開けた。冷たい風が吹き込んできて、ぼくの体を震えさせた。ぼくの愚かな行動だった。ぼくは跳び上がって、窓の枠に足を掛けた。それだけで終わらず、そのまま窓の外に出たのだ。三階の高さだ。下を覗くと足がすくんだ。少し歩いてみようと、なぜその時思ったのか、今考えても分からない。少しだけ。少しだけ行って戻って来よう。そうしてぼくは無謀にも窓の外を歩きだしたのだ。休み時間は短い。慎重に窓の出っ張りを歩いていたから、五分はすぐに過ぎた。もう戻ろう。一通り気が済んだ。この行動に得られる物はないと分かった。それで満足した。ところが戻ってみると、開けていたはずの窓が閉まっている。ご丁寧に施錠までしてある。ぼくはとんでもない窮地に立たされていた。このままでは力尽きて、地面に落下してしまう。ぼくには素手や靴下を履いた足で硝子を割る勇気が無かった。死の宣告を告げるように、予鈴が鳴った。先生を呼び止める前に、先生は教室に入っていった。もうどうすることも出来ない。寒さで手がかじかんできた。落ちるかもしれないと思った時だ。教室の扉が開いて、佐藤瑞が出てきた。ぼくを見つけると、血相を変えて駆け寄ってきた。ぼくは何とか助かった。あと少し佐藤瑞が来るのが遅れれば、地面に転落していただろう。そう考えるとぞっとした。

「何て馬鹿なことしたの?」

 佐藤瑞は泣きそうな顔で、ぼくを罵った。全くその通りだ。それからもぼくは、時々あの夢を見た。しかし、その夢には必ず佐藤瑞が出てきて助けてくれた。

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