迫り来る危機

暗闇坂九死郎

「危機一髪」

和登わと、僕の推理を聞いてくれないかな?」


 私が座っている車椅子を背後からゆっくりと押しながら、家崎いえさきシャイロックは十九年前と全く同じ穏やかな声音でそう言った。


 木枯らしが吹きすさぶ午後の公園は人気がなく、風に揺れるブランコのキィキィという鎖と鎖が擦れ合う音だけが耳に響いていた。


「……シャイロック、君は名探偵だ。今更、私になど話さなくとも君の推理が正しいことは折り紙付きだ。君は度々私を訪ねてくれるが、私の足の怪我のことなら君が気にする必要はない。名誉の負傷ってやつさ」


「いいや、そうはいかないね。名探偵であるからこそ、万が一にも僕の推理に穴があってはならない。これでも僕は君の法医学の知識を結構当てにしているんだぜ? それに僕がここに来るのは、単に友人に会いに来ているだけで、君の足の怪我のことは関係ない」


「……わかったよ。君がそう言ってくれるのなら、友人として君の推理を聞こうじゃないか」


「そうこなくっちゃ。名探偵の推理を最初に聞けるんだ、光栄に思ってくれよな」


 現在シャイロックが扱っているのは、とある四階建てのオフィスビルの屋上で起きた殺人事件だ。殺害されたのはこのビルで働く運送会社社長の、もり秋紀あきとし、五十八歳。森は腹部を刃物で複数回刺されて死亡していた。


 ビルに取り付けられた監視カメラには、黒いジャンパーに黒のニット帽を目深に被った不審な男が映っていた。警察はこの男が森を殺害した犯人だと目星をつけたが、男はビルから出てくることはなく、まるで煙のように消えてしまったのだった。


「和登、最初に確認しておきたいのだが、ビルの屋上から飛び降りた場合、犯人はどうなる?」


 私は脳内から事件現場のオフィスビルの記憶を呼び起こす。


「……まず無事では済まないだろうな。屋上から地上までは高さ10メートル以上ある。運よく助かっても両足の骨はベキベキにへし折れるだろうし、内臓にも深刻なダメージを受けることになる」


「ふむ。ならば、答えはひとつ。犯人は段ボールの中に隠れて荷物として発送されたのだ」


「……どういうことだ?」


「森は運送会社の社長だ。会社には当然、多くの荷物が出入りする。犯人はそこに目をつけて、自分を荷物の中に紛れ込ませて現場から脱出することにした」


「だが、人間一人が入れる荷物などあったら目立つだろう? 不審に思われて中を調べられでもしたら一巻の終わりだぞ」


「ああ。そこで犯人は自身の影武者を用意したんだよ」


「……影武者?」


「黒尽くめの男は実行犯ではない。会社の社員がわざと不審な格好でビルに侵入し、トイレで制服に着替えたのさ」


「なるほど、おとりということか。ならば森を殺したのは誰なんだ?」


「トロイの木馬さ。実際に森を殺害した犯人は、荷物としてビルに届けられたんだ。極端に体が小さい人物、おそらくは子どもだろう。犯人は森を殺した後、再び段ボールに入り、共犯者の黒尽くめの男が梱包して郵送した。体の小さい子どもなら、荷物に紛れても目立つことはない」


「…………」


 勿論、シャイロックの推理は事件の真相とは大きくかけ離れている。

 防犯カメラに映っていた黒尽くめの男の正体は、運送会社の社員などではない。何を隠そう、この私なのだから。


 十九年前、私はシャイロックを庇って両膝に銃弾を受けた。歩行が困難になった私は、それから十九年間車椅子での生活を余儀なくされたが、秘かにリハビリを続けて、少しの距離なら歩けるくらいにまで回復していた。


 私はナイフで森を刺し殺すと、屋上を飛び降りた。さっきシャイロックにした説明に嘘偽りはない。私の両足の骨は粉々に砕けたが、医師である私は局所麻酔で足の感覚を麻痺させておくことができる。植え込みに隠しておいた車椅子まで這って移動すれば、何食わぬ顔で逃走できるというわけだ。


 名探偵の死角。それは私との友情だった。もしもシャイロックがこのトリックに気が付いていたならと思うと肝が冷えた。正に危機一髪だったのだ。


 ……ちなみに、危機一髪だったのは私ではない。もう少しで私は二十年来の親友を手に掛けるところだった。

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迫り来る危機 暗闇坂九死郎 @kurayamizaka

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