桜の花

「おはよっ」

私が声をかけると、新たなクラスメイトはびくっと肩を揺らしてこちらを仰ぎ見た。その子は一年生のときにクラスが一緒だった子で、面識はあるはずなんだけど、何故か初めて見たかのような不信感を顔に全面に押し出している。負けるな負けるな…と心のなかで気合を入れ直し、口を開く。

「それ、4月から始まる新しいアニメの原作だよね?ちょっと興味があって見ようと思ってるんだけど、どんなとこがおすすめとか、教えてくれない?」

どうかな、と最後は弱気になっていた私に対して、その子は顔を綻ばせてみせた。

「嬉しい!この話、誰かにしたかったの!長田さんが興味があるなんて意外。」

よかった。ひとまず胸をなでおろして、ううん、と首を振る。きょとんとしたその子に私は言った。

「長田さんとかやめてよぉ。桃世、でいいから、ね?」




今年のクラスは、なかなかバラエティーに富んでいる。昇降口に貼り出されたクラス編成を見たときにそう思った。

「長田、一緒になったらしいな」

え?と背後から聞こえた声に驚いて振り向くと、そこには白石くんがいた。苦味を含んだ表情で、少しいらっとする。そんな顔でさえも妙にキマっているから、余計にいらいらっとする。私と一緒なのが不本意なのだろうか。

「何で?私と一緒なのが嫌?」

「や、そんなわけじゃないけど、

…その、あんだけの振る舞いを見たあとだから、何となく、気まずいと言うか、」

頭はもう痛くないの、とナチュラルに髪を触られそうになって、私は機敏にその手を避けた。今気づいたけど、女子の視線が痛い。こういう思わせぶりなところも乙女心をくすぐる、のか?

「狂人ならそれはそれで。」

ぼそっといったあとに、そっと耳打ちをする。他の人には絶対に聞かれたくない、けれど絶対に直接言いたい言葉だった。


「ありがとう。何とか、仲直りできた。」


本人もそれを待っていたのかもしれない。ふっとほんの少しだけ口角を上げて、表情をほころばせてみせた。

…珍しい。この人、笑うんだ。

胸が高鳴りかけた気がして、それを振り払うように首を振る。今はまだ、そんな気分になれない。

「皐月のこと、これからもよろしくな。

…その髪型、似合ってるよ」

白石くんは、なぜか頬を少し染めて耳打ちすると、足早に駆けていった。

…何だったんだ、あれ。


白石くんが去って、よし私も行こう、なんて思ってたら、背後からどんっと衝撃が走った。「いった…」と男の子の声が目の前から聞こえる。誰よもう!

「ちょっと…」

「ごめんなさい!」

私が文句を言う前に、その人は潔く頭を下げた。その声の大きさに面食らっていると、さっと立ち上がり、手を差し伸べられる。

「大丈夫っすか?」

「あ、いや…って、あっ」

その大振りな動きが、つい最近、誰かの瞳の中にあったことを思い出す。浅黒い肌に坊主頭が似合う、その人だった。

ついまじまじと顔を見つめてしまう。白石くんほどではないけれど、かなりいい顔立ちをしているかもしれない。まつ毛なんかふさふさだ。猪突猛進なところはいただけないけれど、こうやってすぐに謝ってくれたり、手を貸してくれたりする感じからして、いい人なんだろう。

だけど絶対に、私がこの人を好きになることはない。お門違いな考えを押し付けてしまうけれど、もしこの人があの気持ちに気づいていれば、もう少し、満たされたかもしれないのに。

「どうしたんすか?」

固まってしまった私に対して、彼は不審そうに声をかける。その困り顔を見て、ようやく名前を思い出した。

「東くん。」

「はい?」

手を避けて、自力で立ち上がる。きょとんとした少年の顔をしている彼に、私はそっと言葉を投げた。


「罪な人だね。」


へぇ?と素っ頓狂な声を上げた東くんを置いて、私はさっそうと歩き出す。仕返しはこれくらいにしておこう。別に嫌いではないんだし。




三年目にもなると、新学期最初のHRなんて結構暇だ。ラッキーなことにあてがわれた窓側の席で、すっかり桜の花に移り変わった学校の並木道を見ながら、私はぼんやりとしていた。自然と、昨日のことを思い出す。

あのあと、私と皐月はファミレスでご飯を食べた。沢山これまでのこと、そしてこれからのことについて話した。皐月は、高校を卒業したら、就職するつもりらしい。頭のいい皐月が学業の路を歩まないことは少しだけ惜しいけれど、皐月なりに考えがあるらしい。きっとうまくやるだろう。かくいう私は、相変わらずの日々…のはずだった。でも、これからはそばに皐月がいない。嫌がらせをされても愚痴を言う相手はいないし、守ってくれる人もいない。この2年間、友達と呼べる人は皐月しかいなかった。そのことを小さく言うと、皐月はいつも髪の毛をポニーテールに結んでいる紺色の髪ゴムをとって、私にくれた。

「これをどうするかは、桃世次第だねぇ」

にやにや笑う皐月は、小さい子の成長を見守るみたいな表情だったので、少しいらっとした。その髪ゴムは地味な紺色ながらも、丁寧に何本かのゴムが組み合わさっているしっかりしたものだった。どうしよう、どうしようと一晩考えた、その結果がこれだ。

これまで高校に入ってからずっと下ろしていたミディアムの髪の毛を、皐月と同じ位置でくくってみた。首がスースーして心許ない。皐月はいつもこんな気分だったんだ、と妙に納得している。


それから別れた私たちは、今日から、別々の道を歩む。皐月は携帯を解約して、また新しく作り直すらしいから、連絡先も分からない。寂しいけど、何となく、これはこれで私たちらしいから良いのかもしれない、とも思っている。

 





思い出す。

髪ゴムをとった皐月の髪が、春の暖かい夜風に広がったあの光景を。


「お別れだね。」

「うん。寂しくなる。」

「きっとなるようになるよ。どんな大人になったって、結局私たちはわたしたちだから。」

「皐月からそんな言葉を聞くなんてね」

「ふふ、子供のままでいることはできないけれど、子供の頃と同じ気持ちで大人になることはできるでしょ。」

だからお互い忘れなければ、きっとまたどこかで。


そう言って私たちはもう一度だけ抱きしめあった。皐月が無意識に背負っている大きな荷物が少しでもなくなるように、何度も何度も背中を擦った。

最後に私が皐月の手のひらに押し付けたのは、桃の花びらを加工して作ったペンダントだった。壊れないように、丁寧に作った。


もう言葉はいらなかった。皐月は、あの団地の方へ歩いていく。振り向いてくれないかな、とまだほんの少し弱い私は思ったけれど、そんなことはしなかった。

あぁどうか、皐月が笑っていられますように。

私の親友が、春に咲く花になれますように。






皐月は変わった。周りの変化に折れるのではなく、立ち向かうことを選んだ。

さぁ、私はどうする?

高校生活最後の年を、どうやって生きる?

時間はない、走り出すなら今しかない。




髪ゴムをきゅっと絞り直した私は立ち上がった。

桜の花、見てて。桃の花だって綺麗ってところ。

私だって、変われるんだってところ。



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