第6話 かくて仕掛け人は去る

 いまにして思えば、彼女は自分のためにあんな面倒なことをしたのかもしれない。

 教室の中。豪快に黒板を消している姿を見ていると、とても周りを気にするタイプには見えなくて、読んでいた文庫の影で里美はくすりと笑った。

 あのあと、キアゲハすぐに見付かった。せがまれて見せたスケッチブックの中。 里美が描いたとおりの姿で、白い紙面に色鮮やかなはねを広げていた。

 あれは、幻覚だったのかもしれない。でも、もしかするとそれが、魔法だったんじゃないかと思う。

「里美ー」

 正面からの呼びかけに、物思いはそこで終わる。

「なに読んでんの?」

「『グスコーブドリの伝記』」

「うわ、それ何語?」

「何語でもないと思うけど……」

 あえて言うならイーハトーブ語といったところだが、二人ともそこまでその作者について知らない。

 里美は栞を挟んで文庫本を置いた。

「由宇子。今日の午後は暇?」

「ん、空いてるけど」

「じゃあ、買い物付き合って欲しいんだけど……いい?」

 そこで由宇子は、ああと思い出したようにうなずき、

「うん、いーよ。約束どおりいろいろ案内するから……それじゃ昼ご飯も外にする?」

「え、制服はまずくない?」

「あ………」

 里美のもっともな指摘に、由宇子はしばし固まる。

 そんなところで、三限開始のチャイムが鳴った。



 その日の放課後。

 午後の予定をあれこれと話しながら、里美と由宇子は他の生徒たち混じって下校していた。

 だからか二人は気づかない。

 黄色くなりかけた木々の回廊からそれる路地に、銀色のアタッシュケースを持った白い人影がいたのだけれど。

 彼は二人の後姿を見送ると、路地の奥へ靴の先を向けた。饒舌なこの男には珍しく無言のまま、両脇の塀が落とす影の先へ消えていく。

 その横顔は新しいスタートを切った少女の姿に、満ち足りたような笑みを浮かべていた。




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素描が導く先に 蒼桐大紀 @aogiritaiki

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