第5話 瞬く黄色を追って

 結局のところ、なにが悪いかと言えばなにも悪くない。 強いて言うなら自分。機会はこの数日の内に何度もあったのにそれを全部ふいにして、いまもこんな中庭の奥まったところにある木の陰で一人きりの昼食を摂っている。

 それがもう三日続いていた。

 陽が当たらないので薄暗く肌寒い。この場所はみじめさを後押しする。

「……何やっているのかな、私」

 里美は弁当を脇に置いて、一緒に持ってきた画材を広げた。スケッチブックと魔法の色鉛筆。あの日以来、持ち歩いているが使うことは……絵を描くことはなかった。

 正直、あの白いコートの男のことはどうでも良かった。彼に担がれていたとしても、実害があったわけじゃない。期待して損をしたくらい。

「ぁ、」

 鬱々とした気持ちで顔を上げると、視界に何かが飛び込んできた。鮮明な黄色……蝶……キアゲハ? 一瞬そう思ったが違った。

 それは、色づきはじめた銀杏の葉だった。

「あれ?」

 上に視線が行く。わかっていたことだけれど、この木は銀杏の木じゃない。だとしたら、風もないのにどこから来たんだろう。

 スケッチブックの上に落ちた木の葉は、揺れることなくそこに静止していた。里美はそれに手を伸ばそうとして、色鉛筆の箱を開けた。

 ごく自然に手が動いていた。

 何も考えず、それが散々期待を裏切ってきた魔法の色鉛筆だと言うことも忘れて、白の一面に思うがまま色を走らせた。

 陽当たりの悪い木陰で、スケッチブックの白が鮮明に浮かび、彼女の指先が導く色が徐々に一つの形を描き出していく。

「え?」

 いつのまにか目の前に一匹のキアゲハがいた。

 紙面にはなにもない。


 ——絵に描いたものがその通りのものに、そう本物になるんだ。


 白い男の言葉。

 いままで何枚も描いていたけれど、こんなことは一度もなかった。だからもう全然信じていなかったのに。

 思わず目をこする。

 今度は落ち葉じゃなかった。

 キアゲハは季節外れの姿をそのままに、宙を舞っていた。やがて、はらはらとその場から離れていこうとする。

「あ、待って」

 慌てて追い掛けようとすると、絵に描いたはずの蝶は存外素早い動きで、すっと先へ行ってしまう。

 あれも魔法?

 そんなことを考えながら中庭に出たとき、

「山川さん?」

「え?」

 声に振り向くと一人の女子がそこにいた。 確かクラスメートの……。

 蝶やら魔法やらで散乱してしまった思考を収集して、里美は最近の記憶を探った。

「……佐山、さん?」

 自信がなかったのでおっかなびっくりそう言うと、彼女は顔をほころばせた。

「憶えていてくれたんだ……よかったぁ」

 好意的な反応。でも、里美は戸惑ってしまう。

「……えっと、その、私になにか?」

「あのね。 いつも……ていってもここ三日くらいしか知らないんだけど、お昼のときにどっか行っちゃうから……気になって」

 そこで佐山はばつの悪そうな顔をした。

「実は昨日、こっそり追い掛けてみたんだけど。結構、距離取ってたから、中庭でわからなくなっちゃって……今日も同じパターンだったわけ」

「全然気が付かなかった……」

「え、そう。えっとまぁそれはごめんね。こう見えてもあたし初対面って結構苦手……というか、クラスの中でそれやると何か遠巻きに見る人がいて、それがなんか嫌でねー」

 要領の悪い話になっていたが、彼女の言いたいことはなんとなくわかるような気がした。

 転校生とは、要するに異分子だ。

 つまり、興味を無くしたふりをして異分子自体を注目するのと同時に、異分子に関わる者にも注目している。もちろん、全てが全て出そうではないだろうけれど、そういう傾向はあるのだ。女子なら特に。

「……だからね。声を掛けるチャンスを探していたってわけ。かっこわるい話だけどね」

 その言葉に里美は驚いた。自分に声を掛けるためだけに、そこまでするなんて。自分だったらそんなことはしない……できない。クラス内で声を掛けづらいと思ったら、声を掛けないままでいるに違いないから。

「そんなこと、ないと思う」

「そうかなー。 ………あ、そうだ。それでね。お昼一緒に食べない?」

 購買で買ってきたらしい調理パンを見せたところで、なにかを思い出したらしく佐山の手が止まる。

「あ、もしかしてもう……食べちゃった?」

「ううん、まだ。ちょっと………!」

 言い掛けて里美ははっとして周りを見回した。 件の蝶はもうどこにもいなかった。

「どうしたの?」

「ううん、何でも。……えっと、じゃあ昼休みが終わらない内に食べよ」

「そうだね。そういえば、山川さんはいつもどこで食べてるの?」

「ん……」

 中庭の奥に立ついつもの木に行きかけた視線を流して、

「特別に決めてないの。中庭の適当なところで」

 そう答えた。

「そうなんだー。それじゃ、あすこのベンチにしない。あったかそうだし」

「うん」

 垂れ下がっていた髪を払って、里美はうなずいた。画材とお弁当を持ち直し、一歩先にいた佐山の隣りに並ぶ。

 明日から髪留めをつけてこよう。

 そんなことを考えてながら。

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