ふりだしにもどる

佐藤山猫

ふりだしにもどる


「ある時は警察官。またある時は気象予報士。これな〜んだ?」


 運転席に座った男は、極力茶目っ気があらわれるように気を払って言葉を発した。


「なにそれ。なぞなぞ?」


 助手席に座った女は、機械で合成されたような感情のこもっていない声で返事をした。


「正解は僕だよ。あるいは僕らだよ」


 男は横目でちらりと女を見た。女は人形のようだった。冷たい目。程よい朱に染まったままの頬。永久に艶やかな唇。風に吹かれても固まったままの髪。

 男は嘆息する。


「ハンドルを離しても足を動かさなくても、この車は勝手に進んで勝手に止まるだろう? それにさ」


 フロントガラスのスクリーンに映し出されるサイコロ。出た目は六。応じて六回分、車は進んでは止まりを繰り返した。そして現れる「振り出しに戻る」の文字。


「またやり直しだ」


 心底うんざりした様子で男は言った。


「じゃあね。1008番目の奥さん」


 無言のまま、女は立ち消える。そして運転席に座ったまま、男はまたスタート地点に戻された。


「やれやれ。せめて窓の外の景色くらい変えてくれないかな」


 古いアニメに出てくるような絵柄の、ビルや家屋が並びそびえる。ルームミラーに映る自分の顔だけが、唯一この世界で人間らしさを保っている。


「どうしてこうなったのかな」


 窓を開けてタバコを蒸したい気分だった。窓は開いたが、タバコは手元になかった。


 きっかけは、家族三人で行ったすごろくだった。

 正月休みにすごろくを行うのは、男の家族のささやかな習わしだった。


「ああ、また『振り出しに戻る』だ」


 一人息子はこの日、奇妙なほど運に恵まれなかった。

 男とその妻が、自分に見立てたコマを進める中、ひとり「振り出しに戻る」のマスを引き続けた。「おみくじは大吉だったのに」と息子は不貞腐れていた。


「すごろくの神様に愛されてないのね」


 妻はくすりと笑った。


「パパとママだけずるい。ゴールしちゃダメ」


 難しい注文をする、と男は息子に苦笑いをするのを隠せなかった。


「勝つまで続けるの?」


 妻も困ったように言い、「そろそろ夕食を作らないといけないんだけど」と言った。既におせちは食べ終えていた。


「え!? 勝ち逃げはダメだよ」


 息子が駄々をこねたところまでは記憶がはっきりしていた。

 そして、そこから眠りに落ちたような心地と僅かな頭痛がして、気が付いたら車の運転席に座らされていた。何をしても、或いは何もしなくても、ひとりでに動く様子に、男は「すごろくのコマになったようだ」とぼんやり思った。悪い夢を見ているようだった。


「どうしたらここから抜け出せるのだろう」


 息子の執念がこの状況を生み出したのだとして、息子がゴールすれば解放されるのだろうか。そもそも息子や妻は、同じくサイコロのコマと化しているのだろうか。それとも……。


 難しく考えてはこんがらがり、男は痛む頭を押さえた。

 ふと顔を上げると、助手席側の車窓に色の違う自動車が停まっていた。食玩のような見た目の車だった。

 妻だ。

 男は直感し、窓を開けて妻の名を叫んだ。


「あ、あなた!」


 運転席側の車窓を開け、妻も男に応えた。その表情と声色だけで、妻もまた、男と同じ状況と困惑の最中だということが分かった。

 夫婦は夫婦たらしめる絆で瞬時に互いを理解したが、事態はまるで変化しなかった。気が滅入るほどの試行回数を経て、ようやく同じマスに止まったにも関わらずだ。


「運転席から出られないの」


 妻の悲痛な報告に、男も難しい顔で「知っている」と言った。

 サイコロの回る映像がフロントガラスに映され出した。


「次のマスは結婚のマスよ」


 結婚マスは、どの目を出してもそこで止まらないといけないマスだった。

 妻の言葉に、男はふと閃いた。ゲームのルールと違うことをすれば良いのではと考えたのだ。


「僕は次のマスで、結婚相手に君を指名する」


 男は妻に呼びかけた。


「だから君も、他の男を乗せないでくれ」




 果たして、結婚マスに止まった男は、考え得る限りの手段で──時に暴力も交えて──乗車してくる妻役の女を拒み続けた。後ろから妻が追いついてくるまで、頑なに。


 そしてとうとう妻の車が追いつき、妻が夫役の男を拒み、そしていま、助手席には妻が座っている。

 何かが変わるかもしれない、と期待を抱く男に、妻は残念そうに言った。


「覚えてないのね。あなた。こうやって二人同じ車に乗るの、6255回目なのよ」

 

 男の顔が奇妙な笑顔に歪んだ。











「やっと勝てた」


 既にソリティアと化していたすごろくに興じていた彼らの息子がとうとう運を味方につけたのは、すごろくを始めてから二日後のことだった。


「最後はめちゃくちゃすごろく運良かったな」


 これまでの苦労が報われたばかりか、デメリットのマスに一度たりとも止まらず最短で駆け抜けることができた。


「今ならどんなすごろくでも負ける気がしないや」


 両親の返事がないことを、彼らの息子は全く気にしていなかった。それどころか、まる二日も寝食せずにすごろくに興じてなお、平気な様子だった。

 すごろくの神様に愛されずとも、すごろくの神様に憑かれることはできるのだ。

 キョロキョロと首を巡らせる。次の対戦相手を探している。すごろくの神様は、誰にだって取り憑くことができる。ニマリと笑い、コマとサイコロを手に取っていざなう。


「ミイツケタ。ネエ、スゴロクヤロウ?」

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ふりだしにもどる 佐藤山猫 @Yamaneko_Sato

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