Fall

@souba

第1話


「なんとか言ってくれ!」


平原ひらはらさーん!!」



 高峰たかみねの叫びに返事を寄越すものはいない。


 ここは7200メートルの急峻の山だ。標高が高すぎて、山びこさえ返ってこない。夏季で、晴れ渡っている。彼がへばりついている岩壁は、山頂に至るための最後の難所だった。


 それでも高峰は、彼を誘う山頂の方へは目もくれなかった。身体を支える、頼りないハーケンのことも見なかった。一心に下を見た。

 現実感がうすいほどの、目のくらむような高さ、牙を剥いて待ち受ける遠くの岩、岩、岩、溶け残りの雪……


 そして赤いジャケット。

 タロットカードの『吊るされた男』のように、ザイルロープ一本で、人間がぶら下がっている。


 宙吊りになっているのは、高峰 峻のザイル・パートナーで平原 なだらかという男だ──いや、平原なだらかのパートナーが、高峰 峻だ。いつも平原が最初にいて、高峰はそのサイドキックなのだ。

 平原なだらかが登頂したとき、いっしょに高峰 峻がいて次にそのピークを踏む。平原なだらかがカメラに向かって拳を突き上げるとき、そのカメラを持っているのが高峰 峻だった。


 宗教上の理由などで立ち入りを禁止されている山を除き、未踏峰で目ぼしい山は、世界にはほぼ残っていない。二人はこの山で、未踏ルートでの登頂を目指していた。

 未踏ルートとは、『この道筋で登った者はいない』という意味で、未踏ルートで登頂すれば、登山家にとっては名誉になる。どんな厳しい山でも、定番のルートは他の道筋を辿るのに比べて一番易しい。山のうちで登られたことのない場所を登っていくのは難しい。

 なぜ登られていないかというと、人類が登ろうと試したけれど途中で諦めたか──その度に死んだ場所だからだ。


「平原さん!」


 なにー?どうしたー?

 いつもならそうやって応えが返ってくるはずなのに、いくら呼んでも、返事はない。


 平原は滑落したのだ。

 彼は登山家で、岩壁登攀には目を見張るほどのセンスがある。野生動物のように登る。初めて見る岩、触る岩壁なのに、いつも通る通勤路の乗り換えみたいに躊躇いなく行く。

 彼は岩壁でも、雪山でも、パーティが遅れようとザイルパートナーがばてようと関係なく、自分のスピードで登りたがる。大人数での登山には向かないから、最小限での人数の登山ばかりやっている。


 彼は今日もそうして、高峰だけを連れてザイルを繋ぎ、がんがん登っていた。

 登頂への気持ちや山への執着というよりは、目の前の岩を掴み、ハーケンを打ち、足で岩を探って身体を上へと上げていく、自分の頭がちょっとずつだけでも上へとあがっていく、そのことそのものを楽しんでいる。彼は本当の意味での冒険家だった。


 同じ山でも、三回登って、四回目で死ぬ。四回制した山でも、五回目には復讐される。

 「あんなことをしていれば、いつかは……」と登山家は思われている。そして“いつか”、はやってくる。やってくるまでやめないからだ。

 ネット上の百科事典の、その登山家の記事の生年月日が、たとえば『19⚪︎⚪︎年⚪︎月⚪︎日─』と書かれていたのに、急に『─2024年⚪︎月⚪︎日』と書き足される。

 平原だって全然落ちそうになかった。誰が見ても驚くような確かさで登っていたのに、急に落っこちたのだ。


 不意に風が吹き、高峰は背筋がぞっとした。風の勢い自体は、幸いなことに緩やかだった。岩の割れ目に自分が叩き込んだハーケンだけが、彼と、そして今はぶら下がった平原の体重も支えている。

 平原だってしっかりとハーケンを打っていたはずだ。平原の技量が不確かだったとは思えない。

 岩は自然の産物だから、強度が保証されているわけでも、耐荷重は何キロまで、と張り紙がされているわけでもない。どんなに確認しても、岩はふとしたときに気まぐれに剥がれる。『やっぱりやめた』といって冷酷に割れる。人間の命がかかっていたってお構いなしだ。

 

「平原さぁん……!」


 赤いジャケットを着た平原の身体は、高峰が見ていてもぴくりとも動く気配がない。弱い風に、不安定に揺れ続けている。ハーネスのついた腰から仰向けにのけ反るように脱力し切った手足が見える。表情までは見て取れないが、首が仰いている。


 平原は、高峰より先をいっていた。高峰より高くから、今ぶら下がっているところまで落ちた計算になる。

 今日も、平原はペースを落とそうとしなかった。彼の速さは、身を守るための術でもある。好天ならできる限り速く進む。ぐずぐずしているとそれだけ危険が増す。時間をかければ天候も変わり、体力も浪費する。速さこそ正義というのが彼の持論だ。


 高峰は、そのとき、しんどくて歯を食いしばって顔を伏せるようにし、必死で岩壁にとりついていた。だから一瞬、横を通ったそれが落石かと思った。あまりに静かだった。

 それからザイルロープへがくんと大きな衝撃があり、落ちてきたのが赤い大きな石なんかではなくて、平原だと気づいたのだ。


 落ちる前の段階で上から落石があり、平原の頭に当たったのかもしれない。落ちる間に岩壁にぶつかった可能性もあるし、落ち切ってロープが張った衝撃で気を失ったのかもしれない。ただ単に落下すること、そのもので気絶したのかもしれない。ビルから飛び降りる人間は、地面に接する前に意識を失うという。


 または、平原は意識はあるけれど動けず、応答できない状態にある。あるいは……。


 高峰は、平原の胴体についたハーネスにどれくらいの衝撃が加わったのか考えた。それでも首を振ってその考えを押しやった。

 そんなはずはない。あの人は頑丈だから。





──みなさんの応援が、平原さんの山を登る力になっているんでしょう?


 そう平原が雑誌で聞かれたとき、平原はこう答えていた。


『違います。人の応援によって前に進めるという人間は、今まで自分を過小評価していたか、今まさに自分を過信し始めたかのどっちかです。人間の力は、応援によって倍増したりしません。でも、金銭的な面では、そうです。』


 平原は、他の登山家たちよりも顔と名前が知れている。

 しかしよくこれで、ここまで注目される登山家になれたな、と高峰は思う。十年か二十年前までは、応援される人間の種類が違っていた。だんだんと世の中は変化していく。


 僕は頑張るので、夢を与えたいと思っているので、みなさん応援をお願いします、という人間が注目を受けるのではなく、平原が奇妙に耳目を集める。『頑張る!』とにこにこする人間を応援することの是非や危うさのようなものをみんな知っていって、それを避けた結果かもしれない。


 平原が迎合しないことはクールだと言われたり、炎上することを目的にやっているのではないか、と思われたりした。

 平原のことを好きな人間も多くいたし、嫌いだという人間もたくさんいた。平原はそれを気にしなかった。



 なんでそんなこと、言っちゃうのかな。でも、本当にそう思っているんだろうな。

 こいつはほんとすごいよ、馬鹿みたいにすごいんだよ。

 本当はそんなにすごい奴じゃないよ、持ち上げられているだけだよ。


 どんなことを言われても、平原はただ山だけを見ていた。





 『単独、無酸素』

 という言葉には、特別な意味がある。


 自分一人の単独行であり、酸素ボンベを使わないこと。それが昔ながらの、本物の登り方だ、とされている。それを尊び、他は所詮邪道で二流、登山家自身の力ではない、とまでする風潮もある。


 『単独無酸素で、平原なだらかが登頂を……』と書いた記事が出た。取材不足のばかな記事だった。平原はそのとき高峰と、他一名と共に登っていた。単独行でもないし酸素だって使っていた。単独無酸素だと宣言したこともない。

 ただ高峰と他一名が写真に写っていなかった、酸素を使ったと明言していなかった。それが曲解されて”単独無酸素”だと記事が書かれたのだ。

 平原が訂正や言及をしなかったせいで、本当にこいつは単独無酸素なのか、と世間が調べ始める。

 

『嘘だ。一度も単独でやったことがないのに、そう見せかけている。誤解するよう誘導している。こいつはいつもこうだ』

『所詮はタレント、アイドル登山家。何十人もサポートがついていて、荷物を全部持たせてる』

『共に登ったメンバーの写真が世に出ないよう、言論統制を敷いている』


 SNSでは批判が吹き荒れた。


 平原は、性格が良いとは言えない。自分のペースで登ることを最優先し、他人に対する奉仕精神も薄い。有名な登山家は性格に一癖も二癖ももつことが多いが、その中でも平原は敵を作りやすい。


 タレント、アイドル登山家、なんていうが、平原はその実タレントに向いた資質を持っていない。自分の持っている魅力で人をどうにかしてやろうというサービス精神がない。スポンサー側の認識も本人とずれている。

 応援され、人の視線を受けると輝く人間がいる。平原はそうではない。人が見ていようが、誰も見ていまいが、彼は同じだけ進み、進むのが無理なら撤退する。

 応援されれば応援されるだけ、頑張って進める、という人間は危険だ、と高峰は思う。危なすぎる。少なくとも登山家には向いていない。

 

 平原に魅了されるなら、魅了される側が勝手にそうなっているだけだ。彼は陽気でも明るくもない、人懐こさとは無縁だった。ただちょっと、へんな奴ではある。クールなのでも、迎合しない強い自分を演出しているわけでもなく、平原はただ無遠慮に平原なのだ。過酷な環境に身を置くちょっとへんな人間は、話題にはなりやすい。

 平原が携えている、純粋な興味、冒険心。そのあまりの強さと、無垢なさまに、ひとは恐ろしさを感じる。その恐ろしさは、遠くから見ていれば希釈されて、おもしろさとして受け取れる。遠くの山で、わざわざ大変なことをしている奴は、ぬくぬくと家で何かしらの画面を見ている人間にとっては、おもしろい。


 山の近くにいる人間ほど、登山をやる人間ほど、彼のことは恐ろしく感じる。

 やっていくうちに濁るもの。大人になったときに手放してきたもの。それらが濁らず、それらを手放さずにいる平原のことを、恐ろしいと思う上に厭わしいと思う人間も多かった。

 登山家としての自分がいかに濁っていて、いかに持っておらず、いかに持ちすぎているかを痛感するからだろう。人間は本来、何千メートルもの高所で岩壁を登るのには適さない生き物なのだから。

 


 決定的だったのは、”単独無酸素”だと”偽った”と話題になったときに、高峰ではない、パーティのうちのもう一名がコメントを発表したことだった。

 

『エベレストのときは単独行ではないし、無酸素でもありません。酸素ボンベを使っていたし、パーティには僕もいました。なんでか、写真には写っていないけど(笑)

僕は、彼を登山家として褒めることができません。いつもの振る舞いからして、彼が意図的だとしても誰も驚きませんよ』


 そんなコメントを出したこの人間は、平原に思うところがあったのだろう。かろうじて、嘘も言っていない。

 仲間が疲れ果てていても待たない平原。高峰の方を向いて『いつものように二人なら登頂だってもっと早かった。時間をかけすぎて危険が増した』と、この人間の前ではっきり言った平原。こんな対応をされて、我慢できなかったに違いない。


 登山仲間がこんなことを言うのだから、実際、相当悪辣な人格なのだろう。前々から変な感じはしていたし──平原のことを、世間はそう解釈した。

 平原がこれまでにしでかしてきたエピソードが発掘され始めた。その四割程度は事実に則さなかったが、人を置いてでも進みたがることも、協調性がないことも、彼とはとても組めないと他の登山家たちに言われてきたことも事実だった。『彼とは組めない』は、称賛を含んだ言葉だったはずだが、このときは反対の意味をもって受け止められた。

 平原がもう少しだけ、人懐っこく微笑むことができていたら。心にもないことを、たまには言えていたら。こんな騒ぎにはならなかったのかもしれない。




 世論は平原の敵にまわった。

 スポンサーが降りた。単独行か否か、という問題と並行して、平原のイメージそのものが悪くなった。


 エベレストで使う酸素ボンベだって、単独行ではなく二人で行くことだって、『より遠くまで確実に行けるから』平原はそれを選んでいた。いつもそうだ。彼はより遠くまで確実に行く可能性を探る。

 彼は、ジャケットの機能が良いから、という理由で赤いジャケットを着続けていた。平原が今も着ている赤いジャケットは、スポンサーだった企業から提供されたものだ。こんなふうにスポンサーに降りられれば、大きなロゴの入ったジャケットは脱ぐのが普通の感覚だが、平原は機能面でこのジャケットを気に入っていて、ずっと使っている。


 平原はこの騒ぎについて、ただ、『単独無酸素か。』とだけ言った。苦しんでいる様子はなく、ただ、それに惹かれた、という感じだった。

 そう、彼はそれに惹かれ始めていた。もしかすると、前々からその展望はあったのかもしれない。

 一人で行く。そういつ平原が言い出すのかと、高峰は怯えた。いっしょに行きたい、という気持ちもあるが、彼が単独行を選んだ途端、死ぬような気がした。誰かが見ていていないと、ふと山か、雪の一部になってしまって、帰ってこないような感じがする。あまりに一心に進むから。


 高峰には、平原はただ、人間界に間借りしているだけに思える。そのうち、仮住まいするのをやめて帰ってしまうかもしれない。厄介なのは、そんなところが好きでもある、というところだ。それでも高峰は平原に、『より遠くまで確実に行けるから、二人で行くし、酸素も使う』と言い続けて欲しかった。


 今回、平原が滑落したことを考えると、この予感は合っていたのだ。一人だったらそのまま死んでいただろう。




 

 今、彼が死んだら。何故死んだのか、と人々が話し始めるに違いない。

 

──岩壁のスペシャリストというのも嘘だったのか?

──どんな壁だって登ってきたというのに、何故今回落ちたのか。もっと難しいところも登ったはずなのに。


──たやすい岩壁で落ちたなら、詐欺師だと批判されたことを苦にしたのではないか?

 

 高峰が一番許せないのはそれだった。そんなことを苦にするわけがない。平原はもっとたくましい、予想もできないほど強い。

 お前らの言うことなんて気にしない、お前らがあの人をどうこうできるわけがない。落ちたのはまったくの偶然なのだ。

 たやすいだと?手で岩を掴み、身体を持ち上げたこともないくせに。


──私たちのせいではないか。世論が登山家の、平原なだらかの命を奪った


 ばかなことを言うな!


 世間が、平原のことを、自分たちのものみたいに扱って悼んだり、悔やんだりするのも、高峰は絶対にいやだった。

 



 このままにしておけば、いずれは二人とも落ちてしまう。

 意識がない人間を抱えてこの断崖を降りるなんて絶望的だ。


 平原に繋がっているザイルを切断すれば、高峰は生還できる。高峰一人なら、なんとか慎重に、来た道を降りることができるかもしれない。岩壁を斜めに進めば、休めそうな岩場がある。

 ここから降りていくことが難しいなら、一人でさらに上へ進むことだってできる──頂上を経由しての下山。そうしたら登頂だ。仲間を失いつつも未踏ルートで山を制した、という登山家としてのステータスが手に入る。


 逆だったらどうだろう、と高峰は考えた。

 高峰がぶら下がっていて、どうにもならなくて、平原は岩にしがみついているけれど、いつかは共倒れになる。そうしたら、高峰は自分のザイルを切ってくれと願うだろう。平原のことを巻き添えにするなんてごめんだ。自分で切ることはできないかもしれない。平原に、切ってほしい、かもしれない。


 実際、そういう話しをしたこともある。

 ザイルを切らなければいけないなら、切る。望みのない方を切り捨てる。それでお互い恨みっこなし。そう取り決めをしたはずだった。

 

 平原は、きっと取り決めどおりにする。あまり躊躇わないのではないか。ナイフを取り出してザイルを切りおとす。時間を無駄にはしない。彼の冷酷ともいうべき強さはそういうところでも発揮されると思う、そしてそうであったら彼らしくて嬉しいと高峰は思う。

 下を見ている平原が、きらりと太陽の光をナイフの刃に反射させ、無駄のない動きでザイルを切る。高すぎる標高のため黒ずんだ青空と、平原。それがきっと、高峰の見る最後の光景になる。


 でもこれは、高峰の方が宙吊りになっていたら、という話である。今は意味がない。

 なぜあんな取り決めのことを、高峰が守らなければならないというのか。


 絶対に諦められない。結果として、ここでふたり終わったっていい、と高峰は思った。運命の紐で繋がれて、平原と共に落ちるならそれでもよかった。けれど平原のザイルを、自分のナイフで切るなんてことは考えられなかった。

 

 高峰は、冬の山で、二人でオーロラを見たことを急に思い出した。印象的だった。オーロラは見事だったけれど、オーロラそのものよりも平原のことが思い出される。

 音一つしない雪の、夜の中で、二人で空を見上げた。誰も迷惑がる者はいなかったのに、話すときは不思議とひそやかな声になった。

 

『電磁波のくせに、なかなかやる』


 平原が言った。

 きれいとか、すごいとか、緑色だとかではなくて、電磁波。ゴーグルをとった平原の目がオーロラをひたと見上げていて、高峰はその目を見ていた。冒険家の目だった。


『なあ、高峰は、俺と写真に写るのがいやなの?』


 唐突な質問に、高峰は少し驚いた。そういうのを気にする心の部分がこの男にもあるのか、と思ったのだ。


『みんなが見たいのは平原さんの写真だ。平原さんが頂上に立っているところ』


 実際、それを見たいのは高峰だった。だが高峰と同じ気持ちの人間が多いだろうから問題ない。

 ピンの写真がいい。自分とのツーショットは、平原が雪山で一人でぽつんと立っている写真よりも、素敵ではなくなってしまう。

 平原は単独行だ、と信じた者がいたのは、こういう理由かもしれない。平原が山にぽつんといるのが、何より映えるから。他の人間に近くにいて欲しくないという気持ちをうっすらと持つ人間が多かったのではないか。


『でもそれ違うんだろ?”とはいえ”なんだろ。本心では一緒に写真に写りたくないけど、角が立つからそういうこと言うんだ。俺と一緒にいると思われるのいやなんだろ。何かあったときに巻き添え食う」


 平原は、いつのまにかオーロラではなくて高峰の方を見ていた。言った言葉と裏腹に、どこか自慢げにしている。最近は冒険だけではなくて人間の言語も習っているんだ、そろそろ習熟してきただろ!と言わんばかりだ。

 ぜんぜんダメだ。それって角が立つからそう言っているだけで、本当はこうなんですよね?と聞いたら全部ダメになるじゃないか。ゼロ点。


『違うよ。受け取り方が歪んでるよ。あんたの努力は認めるけど……こんな場所でまで頑張ることじゃない』


 こうやって甘やかすのがいけないのかもしれない。けれど高峰には、オーロラが見えるほどの極地にいて、平原がそんな努力をしないとならないのは不条理に思えた。


『"高峰 峻"って名前、いいよな』

『急だな。話題の方向転換は緩やかに行えよ。それじゃみんなついてこれない』


 二人は相変わらずひそひそと話す。


『登山家向きのかっこいい名前。それに比べて、平原なだらかってなんなんだ』


 “平原”という苗字も、”なだらか”という名前も、彼は気に入っていないのだ。彼の性質とは正反対の名前だ。なだらかと呼ぶと怒る。


『あげようか』

『なに?』


 ここに来るまでずっと二人きりだったから、平原のおかしさが高峰にまでうつったようだった。


『平原さんにあげよっか』


 高峰 峻を、あげてもいいと思った。


 平原は首を傾げるよりも先に『じゃ、もらっちゃおかな』と言った。悩んだり考え込んだりするよりも先に、こういうことを言ってしまう。

 単独無酸素を騙ったと言われても、傷ついたり反論したりするよりも先に『じゃあ単独無酸素をやってみたらどうなのかな』と考える。

 平原はそういう人間だ。そんなところが平原の命を繋げてきた。彼は冒険家だ。


 この名前も、彼の方が似合っている。高峰は、彼がそう望むなら、自分がしゅっと音を立てて消えて、彼が高峰 峻になってもいいと思えた。高峰 峻をあげる。ばかな発想だが、オーロラが空一面に広がっていて、人類は他にいなくて、だから仕方ない。


『苗字をくれるってこと?』

『え?』

『結婚するってこと?』


 平原は、オーロラのことを指差した。まさにロマンチックなシチュエーションだと言いたいらしい。


『俺が”高峰なだらか”になるって?法律が整ったら』

『それじゃ、なだらか部分が解決してないよ』

『結婚したら、危険なことはやめるんじゃないかって言われた』

『平原さんが?』

『俺がだよ』

『誰に言われたんだ』

『……』

『そんなのあり得ないと思うけどな……』


 でも高峰とじゃだめだなあ、と平原は笑った。


『高峰と結婚したんじゃ、ますます登るよ』


 高峰は、ちょっと言葉が出なかった。嬉しいのか、驚いたのか、よくわからないままに、息を吸って、次に吐いた。平原ももうそのときには空を眺めていて、きっと高峰の心境については気づいていない。


『寒い。テントへ帰る』


 あっさりと平原は言い、それでオーロラもその夜もおしまいになった。



 高峰が考えてみると、彼と命を預け合うザイルパートナーでいられるのだから、結婚も無理ではないように感じる。

 でもあまり意味がないとも思う。ザイルで繋がれていることは、他の何かの関係性で結ばれているよりもずっと強い。物理的な一蓮托生、自分の死が相手の死とつながり、自分の生が相手の生へつながる。ただ、一本のロープで。この世にそれ以上は存在しない。

 それに、結婚したって平原なだらかのなだらか部分も解決しない──メリットは、身元引受人になれることくらいか。




 高峰は、高峰 峻を、くれてやろうと思う。


 自分の命を賭けて、ぶら下がっている平原のことをなんとかする。近くまで行って、自分の身体にくくりつけて背負う。

 途中で二人ともだめになっても、高峰 峻はもともと平原にあげちゃったものだから仕方がない。平原も”もらっちゃおかな”と言った。平原はこの会話を忘れているかもしれないが、高峰の中ではこれは合意だ。


 ザイルを切ろうという取り決めについては、きっぱり反故にする。平原は、『えっ?』と言って驚くだろう。でも、あんなもの信じるほうがわるい。これこそが”とはいえ”だ。平原はもう少し人間界の風習に馴染んでもいい。


 すでに死んでいるかもしれない?そんなはずはない、しぶとい人だから絶対大丈夫さ。

 きっとまたオーロラを見て、電磁波のくせになかなかやるとつぶやくはずだ。

 

 高峰は息を大きく吐いて、絶壁を下へと降り始めた。眼下はるか彼方に待ち受けるあの岩に、平原が落ちていっていいわけがないのだ。   


 高峰は、この山にも、世間にも、平原をくれてやるつもりはない。



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