人はいいぞ

@souba

第1話

「ほら、このコだよ」

「やだ!こっち見てる!かわいいね〜!」


 二人はスタバで話している。ハロウィンの時期限定のフラペチーノは一瞬で次の味に変わってしまうので、ハロウィンが二人のもとに百回訪れたとしても、実際に味わえるのは二回くらいがせいぜいだ。


 清正は、ウルィーュル・テヘーヤートース・田中・ルフスカラヌァ・プロースペピピ=オ=ソヒョン・シュヌップハーゼ・ジミンメュリア・シュマルシュティムヮ・マッユィレーニ・アダ=チ・クヲヲが差し出したスマートフォンの画面を覗いて目を輝かせた。

 清正は、目の前の同種族の名前の、後ろの方に『アダチク』が入っているので、この友人のことを人間に紹介するときは足立区と呼んでいる。足立区さんだよ〜!


「でも、身の丈に合わないところへすぐ行こうとする」


 ウルィーュル・テヘーヤートース・田中……足立区はほとんど表情を動かさずにそう言った。


「どこへ行っちゃうの?」

「山の上。何千メートルもあるところ」

「えっ心配〜。やんちゃさん!そういうコは元気いっぱいだよね。丈夫なタイプ?」

「まだ若いから、検診以外で病院に連れていったこともない」


 二人は、ほぼ不老、おおよそ不死の長命種である。雌雄の別はない。


 長命種は人間に触れると、生命の大切さだとか、時間の重要さ、有限の命の温かさなどを思い出すことができる。人間と暮らすと、大変なこともあるけれど癒される。長久な人生の中で潤いを感じるために、人間と暮らすことは推奨されている。


「相手を見つけてあげようかと思ってる」

「いいかもねっ!人間は結婚させてあげると、そういうとこには行かなくなるコが多いって聞いたよ」

「ものによるけど、もしかしたら繁殖するかも」

「じゃあ生まれたら見せてね。ちっちゃいうち見たいなぁ〜」


 足立区がふと顔を窓の外へ向けたので、清正は目線を追って振り向いた。


「あれ!松本くん!」

「迎えに来たみたい」


 スタバのウィンドウの向こうで店の中を覗き込んでいるのは、清正が家族に迎えている人間の松本だった。

 人間の男のコで、36歳だ。誰にでも愛想を振り撒くタイプではないが、清正にとって、世界でいちばんの人間だった。インスタを見ても、YouTubeを見ても、どんな美人さんだと言われた人間を見ても、松本には敵わない。この前清正は、松本の36歳の誕生日をパーティして祝ったばかりだ。




「金曜の夜までに帰るって言ったじゃないですか」

「ごめんごめん」

「なんで日付超えて土曜の夕方になってるんですか」

「歩いてたら」

「歩いてたら?」

「夜も朝も昼も超えた」

「詩的なことを言わないでください」

「フラペチーノは二杯飲めた。ハロウィンの。ちょっと甘かったけど、美味しかったな!」


 そう空気が綺麗でもない昼の東京を、清正と歩きながら、松本はため息をついた。


「松本くんは今日ずっと寝ているかなと思ったから出かけたんだよ。でも、寂しかったよね?」


 松本は仕事が忙しく、残業が多いため、たしかに休日である今日は朝寝坊をしていた。しかし昼には起きる。昨日の夜に帰るはずだった清正が翌日の昼まで帰っていないので、見守りアプリを双方向の設定にして──人間と長命種が、お互いにどこにいるかわかる設定にして──探しに行ったのだ。


「どっか行ったのかと思いましたよ」

「あらあら、不安だったよね。ご飯は作ってあったけどひとりでちゃんと食べられたかな?」

「まあ」


 長命種は、人間では考えられない行動に出ることがある。『ちょっと行ってくる』とコンビニに行ってくるみたいなノリで言い置いて五年帰ってこないとか、そういう類のことだ。

 彼らは悪気がないので、いちいち細かく言って気づかせなければならない。別に松本は、金曜に清正が帰ってこなくたって支障はない。けれど、細かいことから意識させないと、長命種というのはうっかりしてしまうものなのだ。

 

 松本は、仕事人間である。シゴトニンゲンという種族があるのではなく、人生のリソースを仕事に多く割いている人間だ。彼が長命種と共に暮らすようになったのは、仕事ばかりしていたい、という理由があったからだ。

 長命種からすると、人間はすぐ死ぬ動物のようなもので、世話をする対象だと見なすのが主流なようだった。そんなの嫌だと言う人間も少なくはないけれど、松本はしめたと思った。だから清正のうちのコになった。


「松本くん、お仕事の調子はどう?他のコと相性はいいのかな」

「いや、悪くもなく良くもなく、ですよ」

「足立区がね、今日、家にいる人間の話をしていたんだけどね」


 足立区は清正と同じ種類の長命種で、清正の友人だ。足立区のことを聞いたことはあったが、面と向かって松本が会ったのは、今日が初めてだった。 


 長命種というのは、銅像みたいになっていく。感情の起伏が失われて、ちょっとやそっとのことではこころが動かなくなっていく。足立区にもその気があって、今現在、すでに絵みたいな人だった。清正にはどう見えているかわからないけれど。

 足立区はフラペチーノをひと口だけ飲んで、残していた。足立区の中に美味しいという気持ちがあるのかどうか、まずいとまだ思えるのかどうか、松本には判断できない。


「足立区はかなりの愛人家なんだけど」


 愛人という言葉を清正が使うたびに、松本はどきりとする。愛猫とか愛犬みたいなものなのに。

 清正は松本に、足立区が家族にした人間がよく山の上などの危険な場所へ行ってしまうのだ、ということを話した。

 足立区がその人間の写真を送ってくれたのだと言って、清正は端末の画面を松本に見せた。


「うわっ、この人知ってます!なんか詐称したって言われて炎上してる登山家ですよね」

「そうなのう?」

「俺あんまりこいつ好きじゃないんですよ……ていうかこいつのことを推してる奴らが無理っていうか」

「え〜かわいいけどねぇ」


 松本は、はっとして口をつぐんだ。芸能人の噂をするような気持ちで、好きじゃない、と言ったが、足立区にとってはかわいいうちのコなのだ。

 登山家や冒険家が長命種の家族になるのは、よくあるパターンだった。登山には金がかかるから、長命種のうちのコになってサポートを受ける。


「足立区、他にも人間を家族にしようかって言ってた。松本くんは、正直どう?つがいとか、欲しい?婚姻したいかな?」

「え」

「清正が甲斐性なしでごめんね。二人人間を置いておくのは、ちょっと難しいんだ」

「いや、それはほんと、人間側にも個人差がありますから」

「でも、他に人間が家にいなくちゃ寂しいよね。清正が足立区みたいに城とか、土地とかたくさん持ってたらなぁ」

「足立区さん、城、持ってるんですか」

「海外のね。持ってるよ。農場も持ってる。清正は会社しか持ってないからさ」


 それに、二人に万全の愛情を注げるかなって考えちゃうから。清正は呟くようにして付け加えた。


 長命種はだいたいそうだが、リッチである。長命種はもともと最低時給で永遠と働いたって金が儲かるのだ。人が八時間労働で死にかけるところ、八十時間働いたってへこたれない。株価が長い時間をかけて上がったり下がったりするのをつかまえることができるし、小さかった会社が業界ナンバーワンになるところを利用することもできた。高騰した金の値段を利用して稼ぐことも。

 松本と清正が住む家だって広々としており、何不自由ない生活ができる。松本は自己実現として働き、会社で競争していたいだけだ。あと、欲しいものは自分で買う。


「今の暮らしで十分ですよ、清正さん」

「ほんと!?松本くん癒される〜!守りたーい」


 清正は松本に抱きついて頬擦りした。松本は、こういうのちょっと困るな、と思う。何が困るかはわからないでいようと思う。清正にとって松本はベイビーで、いつまで経っても、じいさんになってもばぶちゃんなのだから。


「足立区さんは清正さんと比べて、歳上ですか」

「いや、同期くらいかなあ。30年くらい離れていた気もするけどね」

「そうですか……。よく会うんですか」

「そうだね。260年前に会って、それから今日会ったから」

「エッ!?」

「あ、250年くらいかも」


 そんなに久しぶりだとは思わなかった。松本は、二人が会っているところに割り込んでいったのは身の程知らずの行いだったかもしれないと思った。


「すいません」

「なんで」

「お二人がスタバで250年越しの再会を祝っているとは思わなくて」

「またすぐ会えるからいいんだよぉ。また日本に来ると思うし」

「海外なんですか」

「持ってる城のうちの一つに住んでるからね」


 この前から250年前後期間が空いたということは、次に会うのは250年後かもしれない。それなのに、清正は『じゃあね』と軽く手だけ振ってスタバを後にしたのだ。


 松本は、自分が足立区と会うことはきっと、もう二度とないだろうと思った。


「足立区さんって、本当はどんな名前なんですか」

「ながーい名前。松本くんにとってはね」

「どういう名前?」

「名前を覚えること、無駄な時間になるよ」


 “清正”だってそうだ。清正という名前は、もちろん本名ではない。

 清正という名前は人間の中で流行ってる。有名人の名前は流行っている名前が多いから、あるいは有名人の名前をみんな真似て人間につけるから、有名人の名前は流行っているよね。


 そう清正は言った。


 清正という名前が流行っていると感じたことは、松本にはない。有名人というのが戦国武将の加藤清正だということで間違いないなら、そしてそれがもし流行ったなら、400年以上前の流行りだ。

 清正は松本城を作ったよね。君は松本くんだからさ、ばっちりだね。

 そうも清正は言ったけれど、松本城を建設したのは石川数正という人間らしい。ぜんぜん間違っているな。

 とにかく、清正は”清正”という感じではないのだ。松本は、思考を断ち切って、なるべく明るい声で清正に話しかけた。


「映画でも観ますか?ジョン・ウィックの新作はどうですか」

「えーあれ……人が死ぬかどうかってサイトで、すごく死ぬって書いてあったよ」

「犬は死なないらしいですよ」




 長命種の人生は半永久的に続くけれど、それから逃れる術がないかというと、そういうことでもない。

 長命種の死因第一位は、自殺である。だってそれ以外では死なないのだから。たとえ何百年に一例あるかどうか、という数でも、それが死因第一位になる。


 松本は、清正のことをみずみずしいひとだなと感じている。足立区に会って、その感情が深まった。長命種として、清正はちょっと変わっているのだ。

 感情が豊かだ。清正は泣いたりもするし、料理がうまくいったら喜ぶし、失敗すると悲しむ。フラペチーノはいまだに美味いと言う。

 足立区は、家族に迎えている登山家が死んでも、清正が人間を喪ったときほどには引きずらないだろう。


 清正は留守にしている。松本は、家にある一室に入った。そこは大小さまざまなものが収められている、納戸のような部屋だ。別に入るのを禁じられてはいない。

 清正が人間と暮らすのは、松本が初めてではない。何人もいたのだ。人間が写った写真が何枚もあったし、肖像画もある。いろいろな年代の人間たち。意味のわからないものもある。きっと清正とその人間にだけは、それが何なのかわかるのだろう。

 手紙もかなりの数あった。この日までにすでに松本は、手紙のうち半分ほど読み終えていた。初めて人間の誰かから清正への手紙を読んだときは、罪悪感と好奇心で心がいっぱいだった。しかし、今となっては心理的な胃もたれのようなものを感じ、読みたいと思わなくなっていた。

 その手紙は、みんなこんなふうだ。

 

──私のことを忘れないでよ

──この日には、必ず俺を思い出してください

──生まれ変わったらまた会いに行きますから、見つけてね

──あなたの見る花が僕です、あなたを濡らす雨が僕です


 いったい何を言っているんだ、という憤りと嘲りに似たようなものが、松本の心に苦く広がる。花だって、雨だって?ちょっと笑える。

 こんなふうに書いていては、清正は年がら年中、365日、誰かのことを思い出して過ごさなかればならなくなる。たった100年足らずではない。長久のときを、そう過ごさなければならないのだ。


 こんな手紙もあった。

 

──あの映画を一緒に観ましたね。続編を観ることがかないませんが、あなたは観て、どうだったか確かめて


 映画を一緒に観たことを書いたら、その映画を観るたびに清正は思い出してしまうではないか。

 例えば、自分が『ジョン・ウィックを一緒に観ましたね、殺し屋ってのは大変ですね。犬死ななくてよかったですね』と書くか?

 ジョン・ウィックの続編が、あるいはリバイバルが、もしあるとしたら、そのたびに清正を自分の思い出に引き戻すのか?キアヌ・リーブスが他の役で何かの映画に出たのを観たって、思い出すかもしれないじゃないか。キアヌ・リーブスが死んでもフィルムは残る。


 足立区や他の長命種が銅像や絵のようになっていくのは、自然にそうなっていく、ということもあるだろうが、他の理由もあるにちがいない。

 あれは、自分を守るための防護壁なのだ。感情にさらされたり、心をたびたび動かされていたりすれば、長い人生を歩むことはつらくなる。

 何百年先か、何千年先でも、清正はできるだけ健やかにいたほうがいいのだ。


 松本は、納戸にある品々たちを、捨ててやろうか、と思う。少しずつ捨てていけば、清正は気づかないのでは。ものがなくなれば、忘れていくのでは。死者が恨みに思おうとも、そんなもの知るもんか。けれど松本はまだ、踏み切れないでいる。


 死ぬときに弱気になって、俺はこんな手紙は遺さない。清正さん、俺のことは忘れてくれと言ったきり、死ぬ。

 できれば最期のときまでには清正の本名を突き止め、やっぱり本名のほうがあなたに似合っていてすてきですね、と言ってやる。


 それが松本の、今現在の決意だ。

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