帰巣本能

佐久村志央

帰巣本能

 君たちにこんな経験はないだろうか。

 仕事や外出のために家を出発する時間が迫るなか、クローゼットの中をいくらかき回しても靴下が見つからない。いや、大抵の場合は全く見つからないわけではなく、引き出しの奥からぽつぽつと発掘されるものはあるのだが、どれもこれも片方しかないせいで左右のワンセットが揃わない。

 そんな時、君は右足(あるいは左足)の分しかない靴下の山と刻々と迫る時計の針を見比べて「ええい、どうせ靴を履いたら外からは見えんだろ」と割り切って左右で違う色の靴下にその素足をやけくそ半分にねじ込むかもしれないし、「なんか萎えたわ。もう仕事とかどうでもいいわ」とその場で会社に仮病の電話をかけるのかもしれない。しかし、ここでは君のその判断については議論の範疇ではない。

 

 問題は、見つからなかった方の靴下の行方である。


 かねてより、生物は「帰巣本能」というどれだけ見知らぬ遠い場所に渡ったとしても元々過ごしていた場所に戻ることができる能力を持つと知られている。この本能はおおよそ全ての種類の生物に確認されており、サカナ、鳥類はもとより、人間においても、わざわざ航空機や船舶が必要なほどの距離を移動した後でさえ最終的には元の場所に帰る習性があることが分かっている。なお、この行動は人間においてのみ「旅行」という別の名称が用いられることもある。

 この帰巣本能は、当然ながら靴下にも備わっている。

 靴下は地球の磁力を察知して現在地を察知できると分かっており、つまり、彼らにとってはどれだけ不慣れな場所からでも巣に戻ることは容易いはずである。しかし、実際は君のクローゼットをいくら探しても靴下は揃わない。

 これはどういうことか。


 聡明な君達であれば少し考えればお気づきだろうと思う。

 彼らは正しく本能に従っている。ただし、靴下の故郷は君のクローゼットではないのだ。

 彼らの真の故郷を見定めるためには、靴下の根本から考えるのが良いだろう。

 靴下の構成成分は、綿、アクリル、ポリエステル等である。綿は植物由来、アクリルやポリエステル等の合成繊維は石油などから化学的な変化を経て誕生している。石油はかつての地球の地下深くに貯蔵されていた燃料の一種で、人間がそれを採掘してエネルギー源としていた歴史は周知の通りである。植物とは、かつて地球上にまんべんなく存在していた光合成によって生存していた生物を指す。現在の生物観ではイメージが難しいかもしれないが、植物というのは生物でありながらも特定の地面に根を下ろし、地下の栄養素を根から吸い上げる機構を取っていた。一度根付くとその場から動かず、声も持たず、花を咲かせ次の世代を生産するだけの生物である。

 そのような生き物が繁栄できたのは、当時の地球の環境が穏やかであったことの証左であると著者は考えるが、当時の人間が私利私欲のために御しやすい生物を優遇していたと主張する研究者も存在しており、その真相はまだ明らかにはなっていない。その点については、是非君たちの手によって今後解明されることを期待している。

 話がわき道に逸れたが、要は靴下の起源は地下にあるということである。

 彼らは普段、君達のクローゼットに収まり、時には靴と足の隙間にその居場所を移しながらもじっと静かにただ周囲を窺っているが、ひとたび外に出たとき――つまり、君が洗濯機から取り出した瞬間に手からこぼれ落ちたとか、昼寝の最中にうっかり脱げてベッドの隙間に挟まるとか――に、本能に従い移動を開始するのである。

 彼らにとっての故郷である、地下に向かって。


 まあ、君がそれを知ったところで「なぜそれが片方だけなのか?」「彼らは左右で手と手を取り合って戻らないのか?」という疑問が湧くだろうことは想像に難くない。そこは人間の夫婦がおしなべて仲睦まじいなんてことはないように、彼らにも相性があって意見が揃わないこともあるのだろう。または、左右一緒にクローゼットから消えた場合は君がその靴下の存在を思い出すこともないため記憶に残っていないだけかもしれない。

 

 故郷を目指し移動を開始した靴下は、彼らが元来有していた習性を思い出す。

 まず地下を掘り進め、空洞をつくる。そこに彼らの体を覆う細かな繊維と体内の水分を使ってその穴の内側を固め、巣へと変える。

 生物としては、このような靴下の巣が無数に発生し偶発的にその穴が貫通することで巣の規模や個の数を増やす仕組みとなっているように考えられているが、それほどの数の靴下が帰巣できる環境にない場合、故郷に帰った靴下は巣の中でその生涯を終えるのがほとんどである。

 

 しかしここで、ひとつイレギュラーが発生した。

 二十六世紀以降、地下の石油の枯渇により合成繊維が希少なものとなった。その結果、人間が靴ではなく下駄を使用するようになったのである。

 下駄はそのもの自体に防寒、防塵、防毒の機能があるため、人間は靴下を履く必要がなくなった。

 履かれなくなった靴下たちは折を見てひとつまたひとつと帰巣本能にしたがい、地下に巣を作った。するとどうなるか。帰郷した靴下同士が出会い、繁殖を始めたのである。

 

 靴下の生涯はそう長くない。早ければ半年、長くて二年ほどのサイクルで世代交代が進む。

 生命の進化とは不思議なもので、靴下の数が増え、世代が変わるにしたがって彼らは意思疎通の方法を手に入れた。

 それは体表を擦り合わせることで発生する摩擦を利用した簡単なものであるが、コミュニケーションが可能となった生物がどのように成長するのか、それは君たちが生物学や歴史学で学んできた通りである。

 彼らは地下の巣を寝床として使うほか、エネルギー源を確保し、個々の役割を分担し、教育を構築した。そしていつしか、それは文明と呼ぶに遜色ないものにまで成長した。

 もはや、地下は彼らの国だと言ってよいものになった。


 ――これが、のちに人類に替わって地球を統べる存在となる繊維軟体生物「モノイウソックス」のコロニーの始まりである。

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