最終話 エンドロール

 部屋中に原稿用紙が散乱している。冷房の風がその一部を小さくなびかせている。俺は畳に倒れ込んで動かない。開いていないウィスキーのボトルが視界に入る。今日からもう飲んでもいいわけだ。だって、今さっき書き終えたから。お盆は大分過ぎてしまったが、夏が終わらぬ内に俺は脚本を完成させた。書き終えてしまえば、なんだこんなものか、といった感じだが、悪くはないんじゃないか、という自負は今のところはある。『ロックン・ロール アクター』と題した俺のこの処女作を必要とする人間は必ずいるはずだ。と思い込むようにした。

 俺は起き上がると、部屋着姿のままサンダルを履き表へ出た。茹だる程の暑さではなく、夜風が心地よかった。向かう所はただ一つ、いつもの緑道だ。あそこで1人で飲む酒が俺は好きだ。心が落ち着く。特に今日は気分が良いかもしれない、1人完成祝いってとこか。少し寂しい気もするが。


 こんなところで呑気に酒を飲んでいる場合ではない事も事実だ。人々は変化して行く。俺は何か変われたのだろうか。

 バイト先のりんちゃんは、俺が冗談半分で言った芸能プロダクションのオーディションを本気で受けて、受かって帰って来た。それなりに大手の事務所だが、りんちゃんの飛び抜けたルックスと明るい性格なら、埋もれる事もない気がしている。竜二は竜二で、新しい相方を見つけ、『キングチョコレート』っていうコンビ名で活動している。相変わらず名前はダサいが、この前ライブを見に行ったら、確実にクオリティーは上がっていて、素直に笑ってしまった。年末から、地方で農業をするという企画に抜擢されたらしく、1年間は東京から消えるらしい。その間飯は食えるらしく、あいつからしたらかなりの出世だ。

 出世と言えば、遠い昔俺を使ってくれた山城監督も、金をまだ返せてない宇田さんも、今や映画界では名の通った存在になっている。宇田さんに関しては、今年のアカデミー賞の助演男優賞にノミネートした程だ。テレビでそれを拝見した時、当時の俺なんかと関係を切ったのは大正解だったな、と自嘲してしまった。宇田さんも山城さんも、ちゃんと進むべき道が見えていたんだと思う。それに伴う未来も。俺はきっと何も見えてなくて、あともう少しのところで逃げ出したんだ。そのツケが大き過ぎて、もがく羽目になったってわけさ。

 人気のない静かな緑道、夜風、缶ビール、煙草、最高の組み合わせだが、もうそろそろ行かないとな。明日も変わらずバイトだし、脚本を売り込まなきゃならない。来月締め切りの大きなコンクールがあるから、それ用に何部かコピーして郵送、手書きをパソコンで打ち込んでデータ化して、まだ繋がりのある映画関係者にも送らなきゃ。流石に山城さんは無理だろうな、もう遥か遠くの存在だ。最終手段は、自主制作。だとしたら金の問題が発生する。誰が俺の映画なんかに金を出す?けど、あたって砕けろさ。まずは、マスターだな。昔雇ってもらってた池袋の居酒屋のマスターが、今となっちゃ都内に十数店舗を構える居酒屋の大社長になったんだ。俺がいた時はいつもガラガラで、しょっちゅう呼び込みしてたのに。けど、そん時に言ってた、絶対ボロ儲けしてやるからなって、口癖のように。有言実行じゃないっすか。俺はポケットからスマホを取り出した。最後にマスターと連絡を取ったのは7〜8年前で、ラインでは繋がっていなかった。電話番号の連絡先をスライドさせると直ぐにマスターが見つかった。いや、今連絡するのはやめとこう。今日は少し休もう。俺は立ち上がり缶ビール片手に歩き出した。

 緑道を抜けて通りをしばらく歩いていると、味のあるバーに差し掛かった。ここは老舗のロックバーで、この街では有名だ。遥か昔に宇田さんに連れてきもらった事がある。表には映画のポスターやチラシが沢山貼られていて、かつてはそういった業界人の溜まり場だったらしい。中に入ることはほとんどないけど、俺はたまにこうして立ち止まり、ポスターを眺めることがある。別にその映画に興味があったり、観に行くわけじゃないけど、吸い寄せられるというか、無視できない時がある。その度に思う事が二つあって、「俺ここにいないんだな」って。そんで、「俺ここにいたいんだな」って。

 入口の扉が開き年配客が1人出て来た。俺ももう行こうと歩き始めた。

「あっ、あの」

と背後から声が聞こえた。

「はい」

と俺は振り返った。

「人違いでしたら申しわけないのですが、以前、煙草と酒を恵んで頂きませんでしたか?」

「・・・・・」

何のことかわからなかった。

「あっちの緑道で」

と年配の男が指を差した。緑道で?あっ、えっ、えっ、嘘だろ。

「えっ、あの時の?夜の緑道?」

「はい」

と男は嬉しそうに笑った。ぱっと見ではわからなかったが、声や雰囲気で思い出した。あの時の浮浪者だ。格好は大分マシになり、安物だとは思うがスーツを着ていた。髪も切られそれなりに整えられていた。あの状態からたったの2、3ヶ月でこうも変われるのか。

「その節はありがとうございました」

と男が言った。

「いえ、とんでもないです。でも、随分お変わりになられましたね」

「お陰様で、多少はマシな暮らしができるようになりまして、贅沢にも酒を一杯引っ掛けてしまいました」

と男は謙遜するように言った。

「良かったですね。このバーはよく行かれるんですか?」

「えぇ、かつてはよく世話になっていました。ここのオーナーとは長い付き合いがありまして」

「そうなんですか、ここは業界の方が多く来られるみたいですね」

「えぇ、過去の話しにはなりますが、私もその業界の中の人間で、映画のプロデュース業をしておりました」

「えっ、そうだったんですか?」

「昔の話しです。映画に心を奪われまして、プロデューサーとして数多の作品に関わって来ました。しかしながら、良い時期はいつの間にか過ぎ去り、時代は代わり、映画産業は衰退して、気が付けば多額の負債を抱えていました。お見苦しい姿をお見せしてしまったと思います。本当に申しわけなかった」

「大変だったんですね・・・」

「自業自得です。あの、そう言えば、あの時何かお書きになられてるとおっしゃっていましたね。詳しくお聞きすることができなかったように思えます」

「あぁ、別にいいんですよ。ただ、実は私もその業界の中の人間を目指していまして、アマチュアですが映画のシナリオを書いています。俳優としての活動も多少していまして」

「やはり。あなたを見た時、ピンと来るものがありました。もしよろしければ、今度シナリオを拝見させて頂けないでしょうか。今の私には何の力もありませんが、ツテでしたら多少は残っています」

「ありがとうございます。手書きですし、処女作なんで、気持ちだけで書いたようなものですが、そんなんでよければ」

「いえ、処女作はそれでいいんです。気持ちを大切にして下さい」

男がポケットを弄り名刺を取り出した。

「よろしければ。印字されてる社名は、以前所属していたプロダクションにはなりますが、携帯の番号とメールアドレスは変わっておりません」

俺は名刺を受け取った。聞いた事のあるプロダクションの名が印字されていた。名前は、新田 源二か。

「ありがとうございます。ニッタさんでいいんですかね?私は、柏原 優斗といいます」

「柏原さんですか。是非、連絡をお待ちしております」

と男が微笑んだ。

「はい、必ず。『ロックン・ロール アクター』というタイトルの、私自身をモデルに描いた作品になります。今度お渡しします。では」

と俺は頭を下げ踵を返した。

「ロックン・ロールですか?」

と男が投げかけた。

「え?」

と俺は振り返る。

「いいですね。ロックン・ロールは降って来ましたか?」

「・・・はい?」

「ですよね。私も当時は同じ反応でした。まだ私がかなり若い頃の話しになりますが、先輩でもある、とあるロックミュージシャンと仕事をしていた時期がありまして、その先輩にいつも言われてたんです」

「・・・・・」

「『新田、お前にはロックン・ロールが降って来たのかよ。俺には降って来たぞ。いつでも24時間どんな時でも降り続けてるぞ。だから俺はロックに選ばれてんだよ』って」

「・・・・・」

「当時はよく意味がわかりませんでした。ですが、今ならわかる気がするんです」

「そうですか」

「すみません、余計な事を言いましたね。失礼します」

と男が俺に背を向けた。

「僕もわかる気がします」

男が振り返る。

「今この瞬間の事じゃないですかね、ほら」

と俺は上を見上げ、両手で小さく雨を感じるような仕草をした。

「僕には見えるし、いつでも聴こえてるんですよ、ロックン・ロールが。だから、やっていけるんです。僕ミュージシャンじゃないっすけど」

新田さんは微笑み頷くと、一礼をして去って行った。俺も背を向け歩き出す。左手の缶ビールを一気に飲み干すと、自販機の横のゴミ箱ヘ捨てた。新田さんの生命力は半端じゃないと思う。あの状態から這い上がったんだ。あの人こそロックン・ロールだと俺は思う。俺はどうだろう?ロックと言うか、ロクな生き方はして来なかった気もするが。有希はどうなんだ?結婚して子供がいて、もうロックなんて忘れ去ってしまったのだろうか。それならそれで別にいいが。あいつの人生だ。

 角を曲がると、俺はポケットからスマホを取り出した。十年以上の時を経て、なぜかあいつと連絡が取りたくなった。俺は足を止める。マスターと同じであいつとはラインでは繋がっていない。電話番号のメモリーであいつを探す。出るだろうか。出なきゃ出ないでいい。だが、あいつはきっと出る。そもそも俺の番号はまだ登録されているのだろうか。されていなかったとしても、あいつなら出る気がした。見つけた。スマホを耳に当て、俺は家路を再び歩き始める。

「トゥルルル」1コール。

「トゥルルル」2コール。

「トゥルルル」3コール。

「トゥルルル」4コール。

「トゥル、もしもし」

「おぅ久々だな。俺だよ、わかるか?」

「わかるよ。久々だなマサト。元気か?」

「元気だよ。十何年ぶりか」

「そんななるか」

「結婚して子供いるんだってな」

「まあな。お前は独身か?」

「独身だな。まさる君は元気か?」

「なんで知ってんだよ」

「さあな。なんでもお見通しなんだよ」

「そうか。元気だよ。それよりさ、俺もちょうど連絡しようと思ってたんだよ」

「何だよ」

「お見通しじゃねぇのか?」

「ん?」

「俺さ、お前が東京行ってからも地道にライブしてたんだよ。ソロで。でも、もうソロは飽きたな」

「・・・・・」

「なぁマサト」

「あ?」

「バンドやんね?」

「は?」


 とりあえず、俺の物語りはここで終しまい。この先の事は誰もわからない。明るい未来かもしれないし、地獄ヘ突き落とされるのかもしれない。有希の未来も。ただ、あいつはずっとギターを弾いて歌ってたんだ。バンドやんね?だって。笑っちまうぜ。変わってねぇな、あいつも。けど、嬉しかった。俺らはきっと、そんなんでいいし、それくらいが丁度いいんだよ。未来なんて本当は興味がないのかもしれない、あいつも俺も。

 いつだったかあいつに、「もし、役者をやる事で、人生がバッドエンドになる事が前もってわかってたとしたら、それでもやる?」みたいな事を聞かれたのを覚えてる。俺は「うん」て答えたはずだ。そんで確か、「俺にとってのバッドエンドは、役者をやらずに終わる事だよ」みたいな屁理屈をかましたと思う。若かったなって思うよ。けど残念ながら、その考えは1ミリも変わってないんだな。恥ずかしいけどさ、それが俺にとってのロックン・ロールだと思うんだよ。だから俺にはさ、降って来るんだ、ロックン・ロールが。きっと、あいつにも。もう、ぶっ壊れたっていいんだ、覚悟はできてる。


「やろうぜ、ベース頼むよ」

「いや、ちょっと考えさせてくれよ」

「ベース買ってやるからさ」

「マジ?」

「どうせお前貧乏だろ?」

「・・・・・」


 いや、やっぱりぶっ壊れるにはまだ早いな。売れて金を手に入れてやる。見てろよ、有希。このくそったれが。

 なんちゃってね。


END











 

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ロックン・ロールが降る夜に スケアクロウ @J69

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