第27話 ギター少年
昨日の雷雨が嘘のようだった。地元の駅で降りると、激しい日差しが俺を待ち構えていた。入院している母親の面会で月に1度は地元へ帰ってはいたが、墓参りという発想はなかった。考えてみれば、もう7,8年は墓を訪れていなかった。駅から墓場まで歩けば30分はかかるので、さすがにタクシーを利用した。タクシーの中で、昨夜の事を思い出した。あれは果たして夢だったのか、夢なんだろうけども、絵美里ちゃんが俺の前に姿を現した。そんな事は今まで一度もなかった気がして、何かメッセージのようなものを感じた。俺は昨晩、ずっと記憶から消えていた、未開封の絵美里ちゃんからの手紙の封を切った。内容は、ある程度は想定内のものであったが、感謝の気持ちが多く綴られていた。その文面から、人間として、そして女性としての魅力が痛いほど伝わってきた。
懐かしい景色が次から次へと通り過ぎて行く。タクシーの窓から外を眺めていると、この街も変わったのは駅前くらいだと気づいた。駅からほんの少し離れれば、住んでいた頃の面影は十分な程に残っていて、中学校の横の大きな公園も、一つしかないスーパーも、仲が良かった庭が広いあいつん家も、みんな同じじゃないか。おそらく刹那的なものだとは思うが、帰りたいと感じてしまった。それが故郷というものなのだろうか。それとも、この照りつけるような昼下がりの日差しが、俺の脳をバグらせてしまったのか。
昔住んでいた実家であるアパートは、別の誰かが住んでいた。公務員宿舎である目の前の8棟ある団地は、空室が目立ち寂れかけていた。しかし、その宿舎の敷地内にあるこの懐かしの公園は、ガキで賑わい活気があるようだ。夏休みか。だとしてもこのクソ暑い中、よくもサッカーなんてできるな。今の時代お家でゲームじゃないのか?小学生で携帯持ってるガキもいるしな。なんだかこいつらを見てると、自分がガキの頃を思い出してしまった。家からすぐ近くのこの公園で、皆でよく野球したっけか。そうか、そういや季節なんて関係なかったな、ミンミンと喚くこの蝉の鳴き声に負けないくらいはしゃぎ回ってたな。俺もこいつらと一緒だ。
幸いにもベンチが日陰であったため、ここを陣取る事にした。生い茂る木々のお陰で、日差しだけは避けられた。墓参りを終えて、飯を食って、帰ろうかなとは思ったのだが、なんとなく地元を徘徊してしまい、ここへたどり着いた。サッカーではしゃぐガキを眺めながら、絵美里ちゃんの事を考えた。立派な墓で、「浅野絵美里」と鮮明に刻まれていた。その隣には、早世した弟のあゆむ君が眠っていた。俺は両方の墓に花を手向け線香に火をつけ合掌した。絵美里ちゃんには煙草を差し入れたが、あゆむ君の分を忘れてしまったのは申し訳なかった。一体あゆむ君は何が好きだったのだろうか。面識はなく、写真の中の小さな頃の彼しか俺の記憶の中にはなかった。
コロコロとサッカーボールが転がって来た。俺は足で受け止め、独り佇む少年のもとへ蹴り返した。
「ありがとうございます」
と少年は恥ずかしそうに言うと、一人でボール遊びを再開した。先程からなんとなく視界には入っていた。わいわいとサッカーを楽しむ少年達のグループには入らず、独りぼっちでサッカーボールを転がしている。
「皆と一緒に遊ばないの?」」
と俺は思わず声をかけてしまった。
「入れてもらえないの」
と少年は答えた。そうか、そういう事か。俺も鈍感だな。
「ねぇ、ちょっとボール貸してよ」
と俺はベンチから腰を上げ少年に言った。うんともすんとも言わず、少年がボールを俺の方に転がした。俺は数回リフティングをすると、蹴り返した。すると、少年もまたボールを蹴り返して来た。
「葵小?」
と俺はキャッチボールを続けながら聞いた。
「うん」
「いくつ?」
「9才」
「じゃあ、小3くらい?」
「小4」
「小4か。あっ、名前聞いてなかったね。名前は?」
少年が勢いよくボールを蹴り返した。歳のせいか、ボールを弾いてしまった。
「まさる」
と少年はボールを取りに行く俺の背中に向かって叫んだ。
「まさる?おじさん、マサト。1文字違いじゃん。超偶然」
と俺はようやくボールを捕まえ、まさるへ蹴り返した。
「おじさんも葵小行ってたの?」
「そうだよ。ず〜っと昔だけど」
「おじさんいくつ?」
「38歳」
「じゃあお母さんと一緒だ」
「へぇ〜そうなんだ。お母さんもまさか葵小?」
「違うよ」
「そうだよね、もしかしたら知ってるかなって思って」
「東京から来たんだって」
「へぇ〜、じゃあおじさんと逆だ。お父さんは?お父さんも東京?」
「お父さんは東京じゃないよ」
「そっか。お父さんは何のお仕事してるの?」
「エンジニア」
「すっげぇ。かっこいいね。まさる君は将来サッカー選手になるの?」
「びみょう」
「微妙なんだ」
まさるの返答に思わずニヤけてしまった。
「ぼくね、ギター弾けるんだよ」
「えっ、ギター弾けるの?凄いじゃん」
「お父さんがね、サッカーは教えてやれないけど、ギターだったらいくらでも教えてやるって」
「あっそういう事ね」
「お父さんギターすっごい上手なんだよ」
「だろうね。けどサッカーは下手っぴなんだ」
まさるが無言で首を横に振った。
「ん?」
「歩けないの」
「え?」
「車椅子なの」
「・・・・・」
「ちっちゃい時に事故にあったんだって」
転がって来たサッカーボールを受け止める事はできた。けれども、蹴り返すという発想には至らなかったみたいだ。
「どうしたの?」
とまさるが不思議そうな顔で言った。
「お父さんのギター弾いてる姿かっこいいでしょ」
「うん。いつもね、まさるがギター本気でやりたいなら、絶対に諦めちゃダメだって言うの」
「そっか」
「お父さんのおバカのおともだちがね、大好きな事をね、ず〜っと諦めずに続けてるんだって」
「・・・・・」
「いつかぜぇ〜ったい有名になるから、まさるも見習えって」
「・・・・・」
言葉の代わりに涙が溢れ出た。
「おじさん?」
「おい、川島、入れてやんよ」
と一人の少年が叫んだ。まさるがその少年を振り返る。
「え?ほんと?」
「ほんとだよ。早く入れよ」
まさるが嬉しそうに俺を見ている。俺はよかったなとジェスチャーで表現した。まさるは飛び跳ね、ジャーンとギターを弾く真似をして走り去った。ギター少年の背中が遠ざかって行く。
「うまくやれよ、川島」
と俺は呟いた。
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