大事なものを守りたいなら

依月さかな

偉くなれ。

 まだガキだった俺は誰かを守れるほど強くなくて、何度も無力を痛感し、涙を流した。


 力が欲しい。誰でもいいから、大切な人を守れるくらい強い力を。

 雲が晴れて銀砂のような星と満月が見える夜。俯く俺に、あの人はこう言った。


「大事なものを守りたいなら、偉くなれ」




 俺の故郷、ゼルス王国は弱肉強食の世界だ。闇組織ギルドが点在し、政治にまで手を伸ばし影響を与えている。

 この国は力こそすべて。力なき者は強い者に服従し、従わなければならない。自由を得たくば力を手に入れるのは必須。

 彼が偉くなれと助言したのも当然だ。偉くなれってことは、色んな力をこの手にすることだもんな。


 だから俺は決断した。ついに成人し、一人前だと認めたもらった二十歳になった年。

 今まで世話になった闇組織ギルド《宵闇の導》を抜けることにしたのだった。




「あぁ!? 組織から抜けたいだと?」


 鋭い目ですげえ睨まれた。やべえ、めちゃくちゃ怒ってる。


 顔が映るくらいきれいに磨かれたデスクの上で、腕を組んでいる男は俺の上司だ。煌びやかな金の装飾が施された布を重ねた独特の衣装、長い黒髪を肩に流した美丈夫。つった両目はきつい印象を覚えるというのに、俺をはじめとして部下や子供たちの誰も彼を怖いと思ったことはない。

 この人の名前はハルティア。この《宵闇の導》のリーダーで、俺がガキの頃から世話になってる。

 ハルティア——、いや、ハル様は不機嫌そうに眉を寄せた。そりゃ怒らないわけがないよな。手塩をかけて親なしの子供を一人前の構成員に育てたっていうのに、いきなり組織を抜けたいと言い出したら、闇組織ギルドおさなら怒るに決まってる。

 ハル様には悪いけど、覚悟はとっくに決まってんだ。


「まだ十一のガキだった俺を《宵闇》に入れてくれて、ハル様にはたくさん世話になった。剣を教えてくれたし、商売について学べたのもハル様のおかげだ。おかげで人脈は広がったし、すげえ感謝してる。こうして一人前になったからこそ、俺は《宵闇》を抜けてえんだ!」


 眉間に皺を作ったまま、ハル様は俺から視線をそらさなかった。夜空みてえな紫紺の瞳が俺を見透かすように見てくる。

 たぶん、これは試されてる。そう思ったから、俺はハル様から目をそらさなかった。あくまでもこっちは真剣なんだ。

 緊張の糸を最初に切ったのはハル様だった。彼はため息をついて立ち上がった。もしかすると呆れられたのかもしれない。


「ここから出て行っておまえはどうするつもりだ、エリアス」

「新しい闇組織ギルドを立ち上げるつもりだ。……ルーファスと、二人で」


 本音を言うと、独りでと言いたいところだった。けど、養父でもある彼が一緒じゃないと縁を切ると言うのだから仕方ない。


「ルーファスと? ははっ、そりゃあいいな!」


 なのにハル様ときたら、俺の苦い気持ちを推し量ってくれなかったばかりか、なんと吹き出して笑いやがった。ひどくねえか!?


「笑うなよ!」

「俺はてっきりエリアスが一人で抜けると思っていたからな。スノウも一緒だろうと思っていたが……」


 俺は幼なじみのスノウに恋をしている。恥ずかしすぎるその気持ちを俺は誰にも話したことがねえのに、なぜかハル様は知っていた。


「そうか、ルーファスまでついていくのか。まったくルーファスの奴、俺になんの相談もなかったぞ。まあ、逆に安心したけどな」

「ええ、マジか……。つか、なんで俺一人だと心配なんだよ!」

「心配に決まっている。おまえは強くなったし、俺やルーファスからの教えも十分身につけた。だけどなエリアス、おまえは基本的に脳筋だ」

「は!? の、のう……きん?」


 今なんつった。のうきん。脳……筋? 脳の筋肉ってことか? いや、違うか。たしか脳みそが筋肉っていう意味だっけか。


「ハル様、ひっでえよ!!」

「嘘は言ってないぞ。おまえはスノウのことになると頭が血がのぼるし、思考が停止する。なにも考えられなくなるだろ?」


 うぐ。何も言い返せねえ。俺はスノウの姿を見かけただけで、スノウのことしか考えられなくなる。


「……それは、そうかもしれねえけど」

「エリアス、おまえは策士にはなれない。根本から向いていない。だが、この世界で自由に生きていくためには腹の探り合いから始めなくちゃならねえ。特に、他の組織の奴らと渡り合っていくためにはな」

「他の組織の奴ら……。それって、国王——《黒鷹》ともやり合うってことかよ」


 この国の王は《黒鷹》という闇組織ギルド総帥そうすいだ。魔王とも呼ばれている、おそろしく強い吸血鬼の魔族だとか。

 玉座に座り、国の実権を手にした《黒鷹》はゼルス王国内に点在する闇組織のトップと言ってもいい。それほどに国王は白亜の城で絶大な権力と富を欲しいままにしている。


 俺が組織を立ち上げれば、《黒鷹》とは無関係ではいられない。

 だけどな、俺は怖気付かないぜ。スノウを守るためにも、俺はあの《黒鷹》にだって負けないつもりだ!


「おまえは何を聞いていたんだ」


 拳を握って気合いを入れた途端、ハル様に額を小突かれた。結構痛ぇんだけど。加減してくれよ。


「殴ることねえだろ!」

「俺は、〝渡り合っていく〟って言ってんだ。誰がやり合えと言った。おまえのような新参者が《黒鷹》に勝てるわけねえだろ」

「うう、そりゃそうだけどさ」


 額をさすっていたら、またため息をつかれた。


「出て行く前からこれでは先が思いやられるな。……ルーファスがそばにいるなら、まあ大丈夫だろう。ルーファスたち一家とエリアス、おまえたち四人が《宵闇》から抜けるのを認めてやる」

「マジか! ありがとう、ハル様」


 まさか、こんなあっさりオーケーもらえるとは思わなかった。さすがハル様、心が広い。裏界隈の避難場所とか孤児院と噂されてるだけあるぜ。

 話は終わったとばかりにハル様はデスクに戻った……、と思ったがどうやら違ったらしい。引き出しを開けると、大きな箱が出てきた。腕に抱えるほどの大きな、青い包装紙の箱だった。丁寧にリボンまでかけられてて、まるでプレゼントみたいだな。


「これをおまえに贈ろう。餞別だ」

「——へ?」

「開けてみろ」

「……お、おう」


 目の前でハル様はきれいな笑みを刷いて、そう俺に命じた。笑っているのに、有無を言わせないと感じるのはなんでだ。命令だからか? というか、これ、俺へのプレゼントだったのかよ。

 俺はハル様の視線に見守られながら慎重にリボンを解いた。包装紙を剥がし、デスクの上に箱を置いてゆっくり開ける。

 中身は服だった。つか、これコートだ。襟元に金色のファーが付いた黒のコート。しっかりとした厚みがあって暖かそうだ。袖の部分にはベルトがついている。しかも裏地は鮮やかな赤だ。


「うわあ、すっげえカッコいい!」

「組織を立ち上げて人を率いるつもりがあるなら、それなりのものを身につけておけ。そのコートには幸運のまじないがかけられているらしい。きっとおまえの役に立つだろう」

「うわあ、すげえ嬉しい! ありがとうハル様!!」

「本当は成人祝いに用意したものだったんだがな。ま、大した違いはないだろ」


 喉の奥から熱いものが込み上げてきた。プレゼントの箱を抱えて大袈裟に喜んでみたけど、俺よりはるかに経験を積んでいるハル様にはバレたかもしれない。

 やべえ。めちゃくちゃ嬉しい。嬉しすぎて泣きそうだ。まさか、ハル様が俺へ成人祝いの贈り物を用意してくれていたなんて、思いもしなかった。

 彼は決して暴君ではないが、優しいばかりの人物でもない。俺はこの通りすぐにカッと熱くなって突っ走ってしまうからよく説教をくらっていた。俺にとっては厳しい上司だった。

 でもな、俺、今回のことでわかったんだ。ハル様は俺が悪ガキの頃から見守ってくれてたんだよな。


「……ありがとう、ハル様。大事にする」


 感謝を込めて、俺はハル様に頭を下げた。きっと、この恩は一生忘れないだろう。


 俺は親を知らない。顔も覚えていない。物心ついた時は、ゼルスの貧民街スラムで独りだった。なかなか食い物にありつけなくて、飢え死にしそうになったこともあったっけな。

 親なしだった俺の養父になってくれたルーファス、そして子供だった俺を組織に迎え入れてくれたハル様のおかげで、こうして生きている。さびしいなんて思ったことはない。俺は十分愛されているし、大事にされている。そりゃ、こんな危険な国で何事もなく安全に過ごせたわけじゃねえけど、成人した今まで寝食に事欠くことなく、五体満足でいられた。


 頭を上げると、ハル様は満足そうに微笑んでいた。そうして、俺にこう言ったんだ。


「エリアス、大事なものを守りたいなら偉くなれ。金を稼ぎ、人付き合いを大事にして人脈を広げて、力を手に入れろ」

「それ、ガキの頃にも言ってたな。ハル様」


 いつか大人になったら独り立ちしよう。そう決意したきっかけでもある。


「おまえも知っての通り、世界は優しいように見えて残酷だ。この国は力を手に入れないと自由は手に入らないぞ。スノウを守りたければ、おまえは偉くなるしかない。がんばれよ、エリアス」

「ああ、わかってる。俺、頑張るよ。ありがとな」


 巣立つ俺にハル様は激励を送ってくれた。これだけ上司にエールを送ってもらったんだ、これから頑張らないとな! スノウが安心して暮らせる国を作るために。

 俺はハル様の目の前でコートをはおってみた。袖を通してみるとサイズぴったりだ。すげえ、さすがハル様だ。なんで俺のサイズわかるんだよ。


「ところで、立ち上げる闇組織の名はどうするつもりだ?」


 そういや、組織に名前が必要だよな。《宵闇の導》だって、たぶんハル様が考えた名前だろうし。


「なかなか決まんねえんだよなあ。俺、センスねえしさ。だから〝赤獅子〟にしようと思ってんだけど」

「そのままじゃないか。それは、おまえの通り名だろう」

「ははは、やっぱそうだよなー」


 やっぱり、俺ってセンスねえよな。ハル様みてえなネーミングセンスがあればなー。

 己の才能のなさにため息を吐くと、ハル様はくすりと笑った。人が落ち込んでんのに笑うのひどい。


「おまえらしくていいかもしれないな。目標を大きく持つのは悪くない。百獣の王のごとく、数ある闇組織ギルドの帝王になれよ」

「いや、それ無理だろ! 《黒鷹》に敵うわけがねえってハル様が言ったんじゃねえか。あー、でもやっぱ、夢を大きく持つのが男だよな!」


 よし、なってやるぜ。《黒鷹》を黙らせるような闇組織の帝王にな!

 ずっとスノウと一緒にいられるような、安心して暮らせる国にする。誰からも理不尽に奪われず豊かな暮らしができる国に。

 それがガキの頃からの、俺の夢だ。《赤獅子》はそのための組織だ。


 格別の餞別と力強いエールを受けて、この日、俺の新生赤獅子は始まった。

 ハル様の「偉くなれ」という言葉は、宰相の地位にまで上り詰めた今も、深く胸の中に刻まれている。

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