始まらないと終われない

λμ

始まらないと終わらない

 激しい頭痛が瑛太えいたの意識を覚醒させた。意識は戻った――はずだった。

 しかし、首を巡らせても闇が広がるばかりでなにも見えない。


「クッソ……なんだ、ここ……おー……い?」


 瑛太は声をかけつつ手を伸ばそうと試みるが、腕は硬い金属で拘束されているらしく、手首に痛みが走っただけだった。


 いったい、なにが起きているのだろう。


 瑛太は頭痛に耐えながら記憶を辿った。最後に覚えているのは夕食代わりに立ち寄った居酒屋だ。焼き鳥を肴にビールを一杯、鍋焼きうどんを食べて、ジンライムを頼んだ。アルコールは薄く、甘すぎて、呼びつけた店員に作り直すよう言って、断られて――そこでぷっつりと途切れる。


「ぅぁ」


 と、ふいにうめき声が聞こえ、瑛太は音の方へと首を巡らす。やはり闇だ。

 

「あ、ぅ……あ? ここは?」


 女のようだ。瑛太は思わず声をかける。


「あの。大丈夫ですか?」

「ヒェ!? え? な、なに!? 誰!? どこですかここ!」


 女はパニックに陥ったようだった。瑛太は、落ち着いてくれと、俺もわからないんだと、何度か繰り返してから諦めて女が黙るのを待った。そうこうするうちに、また別の方向から今度は男のうめき声が聞こえた。


 待っていたのはパニックの連鎖だ。


 口々に騒ぎ立てる三、四人。瑛太は頭蓋の奥で跳ね回る混乱に顔をしかめ、やがて耐えきれなくなり声を張り上げた。


「うるっせぇぇぇんだよ! 落ち着けっつってんだろが!」


 ピタリ、と部屋に沈黙が戻った。ふと空気が震えたような感覚があり、女の鼻をすする声が聞こえた。泣きだしたのだろう。瑛太はため息を吐いた。


「――大声で出して悪かったよ。俺も起きたらここで捕まってて……そうだ、どなかた動けますか? 俺はなんか変なもんで拘束されてるみたいなんです」

「私、無理です……」


 と、女の涙声が聞こえた。


「わ、わたしもです」「僕も」


 中年の男と、若い男の声がつづいた。

 四人いて四人ともかと瑛太は首を垂れた。いったい、誰が、何の目的でこんなことをしているのだろうか。


「あ、あの」


 少し離れたところから、先程も聞こえた若い男の声がした。


「僕、ビトウっていいます。尾っぽに東で尾東です」


 こんな暗闇の中で自己紹介か。瑛太は鼻を鳴らした。けれど、目は利かない躰は動かせないでは他にできることはない。


「根津瑛太です。さっきはホント、大声を出して――」

「わ、私、滝沢椎奈といいます!」


 瑛太の声を遮るように女がいった。そして、


「わたしは――」


 中年らしき男が声を発した途端、ガン! と部屋の照明が点灯した。暗闇に慣れたところでの不意打ちに目を眩まされ、瑛太たちは呻きながら瞬きを繰り返す。やがて部屋の全容が輪郭を取り戻すと、彼らは一様に言葉を失った。


 鋼鉄――だろうか。黒鉄色の壁に囲まれた十メートル四方の箱のなかにいたのだ。

 瑛太たちはおよそ二メートル間隔で壁際の棒に押し付けられ、独特の靭性を持った金属の帯のようなもので固定されている。


 正面の壁には大型のディスプレイが一枚設置され、瑛太たちとのあいだに腰の高さほどの奇妙な柱――台があった。台の上のにはパソコン用のキーボードが一つと、その奥に、わざとらしいくらい大きな赤いスイッチがみえる。


 ぶつん、とディスプレイが灯り、人影が映った。暗闇のなかにいて、顔はおろか性別すら判然としない。


『おはよう、諸君。そろそろ自己紹介は終わったかな?』


 ボイスチェンジャーを通した機械的な声に、いましてたとこだよバカ野郎と口の中で罵りながら、瑛太は他の面々を見回した。左隣には椎奈、右隣に尾東、その奥に背広姿の中年男がいた。


「お前、誰だ!? 何のために僕たちを――」


 尾東が叫んだ――が。


『君たちにはこれからゲームに挑戦してもらう』


 ディスプレイに映る人影はまるで聞こえていないかのように言葉を続けた。


『命を賭けたゲームだが、やるべきことはごく単純だ。君たちの前にキーボードと赤いスイッチがあるだろう? そこに君たちが犯した罪を入力し、スイッチを押すだけでいい。それが正しい答えなら良し、間違っているなら罰を与える。私が君たちに与えられた苦しみをね』


 ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。

 瑛太たちは互いに顔を見合わせた。みな、目が合うと首を振った。瑛太自身もそうだ。ディスプレイで語る人影が誰なのか、まるで想像つかない。

 

『答えは一人につき一つ。君たち四人は、それぞれが異なる罪を背負う。自らの罪を告白し、懺悔のスイッチを押すのだ。


 ――私は悪魔ではない。

 君らが正しく罪を認識し、答えることができれば、すぐに開放しよう。


 ――私は無慈悲な神ではない。

 何度でも、痛苦に耐えられる限り懺悔する権利を与えよう。


 ――もっとも、三度も耐えられれば浄化された魂が天に昇るだろうが』


 ガシュン! と金属質な音を立て、瑛太たちを拘束する金属バンドが外れた。よほど長いあいだ拘束されていたのか、筋肉は強張り、立っているのがやっとだった。


『願わくば、君らが懺悔を終えて外に出られることを望むよ。――では、私はお先に失礼しよう』


 いって、ディスプレイの人影が深い溜め息とともにこめかみに何かを押し当てた。銃声。激しい閃光が顔を映したようにも見えたが、記憶に留めておくにはあまりに短すぎた。ディスプレイが消え、椎奈が悲鳴とともに膝から崩れた。


 ――クソが。


 瑛太は胸の内で悪態をつき、尾東に目をやった。彼は難しい顔をしてディスプレイを見つめていた。

 男たち三人は中年男――出井でい幸雄さちおの提案に従い、ひとまず椎奈が落ち着くのを待ってから行動に移った。部屋の調査だ。


 部屋は壁も天井も隙間なく鉄板で覆われており、相当な厚みがあるのか叩こうが蹴ろうがびくともしない。振動しないことから土中にある可能性も捨てきれない。


「――でも、電気はきてるんですよね?」


 椎奈がつぶやくようにいった。まだ顔は血の気が薄いままだが、平静さは取り戻したらしい。

 尾東が小さく頷き答えた。


「ですね。じゃなきゃディスプレイが動きません」

「バッテリーってことはありませんか?」


 出井が尋ねると、尾東は低く唸った。


「どうでしょう? ――でも、だとしたら大変ですね。ここでじっとしてるうちに電気が消えたりとか」

「でもあの、たぶん、警察とか、気づきますよね?」

「そう願いたいところですけど――」

 

 相談しあう三人をよそに、瑛太はキーボードと懺悔スイッチに歩み寄った。見た目には普通の無線式日本語キーボードだ。スイッチはオンになっている。


「どう思います? 瑛太さ――ちょっと!? なにやってるんですか!?」


 尾東に呼びかけられ、瑛太は肩越しに振り向きいった。


「とりあえずなんか入れてみないとかなって」

「なにいってるんですか! さっきいってたじゃないですか! 間違ったら罰があるって!」

「そ、そうですよ! 勝手なことしないでください!」


 と椎奈も続いた。出井はオロオロしているだけだ。

 瑛太はいった。


「大丈夫だろ。耐えられる限りって言ってたし、それになにか分かるかも」

「な、なにかって!?」


 怯える椎奈に、嘲るような笑みを送って瑛太は答えた。


「罰を与えるためには、この箱のなかのどっかが動くわけでしょ? 可動箇所が分かればやりようもあるでしょ」

「――そうか」


 尾東が感心した様子でいった。


「穴でも開いたらそこに物を押し込んでやればいい。なにかを流し込んでくるにしても機械類が出てくるにしても、それは箱の外に繋がってる」

「そういうこった。穴があるのが分かればやりようもある」

「うん。やってみる価値はありますね」


 同意する尾東に、椎奈が声を震わせた。


「そんな……でも、罰が……」

「どんな罰があるのかもわからない。一度だけ、試してみましょ」


 笑い、瑛太はキーボードを叩いた――が。


「……ん?」

「ど、どうしたんです?」

「いや、ん?」


 瑛太はひとまず自分の名前を入力した。

 しかし、何の手応えもない。 


「えっと……これ、入力内容わからないんですかね?」

「それまずくないですか?」


 はっ、と出井が顔をあげた。


「私、入力とか苦手で……」

「いやそれは誰かに代わりに打ってもらえばいいんだけど……名前だけ打ち込んで懺悔なんて絶対外れだもんな」


 ばっさり切り捨てつつ瑛太は顔を歪めた。

 出井が不満そうに眉を寄せたが、すぐに気を取り直したのか腕組みしていった。


「逆にいいんじゃないですか? 罰がくると分かってるわけだから、私らで準備をしておけばいい」

「たしかに」


 尾東が頷き、シャツを脱いだ。


「いちおう、皆さん靴だけは履いておきましょう。なんか液体を流し込まれる可能性もありますから」

「あの、私は……」

「椎奈さんはいいですよ。パンプスだと走り回れないだろうし、よっぽど近くにでたときなにか振り回すとかしてくれれば」

「あ、じゃあ、これで」

 

 と、出井がネクタイをほどき、椎奈に渡した。

 瑛太は自分も上着を脱いで懺悔スイッチに手を置いた。


「んじゃ、いくぞ?」


 みなが頷くのを待って、瑛太はガチンとスイッチを押した。すぐに一歩離れて上着を構える。自然と三人も背中合わせになって部屋の四方に意識を張った。


 いつくるのか。いや、すでに始まっているのか。わからない。

 どれだけそうしていただろう。

 瑛太は下唇に湿りをくれながらスイッチに手を伸ばした。


「押しがたんなかったか?」

「……つくった奴以外にわかりませんよ、そんなの」

「押すぞ」

「はい」


 ガチン、と今度はしっかりと押し込んで、また態勢をつくる。

 ――しかし、待てども待てどもなにも起きない。


「っだよ! これぇ!」


 瑛太は半ギレになってスイッチを連打した。


「ちょ! な、なにやってんですか!」


 尾東が慌てて羽交い締めにして引き剥がし、


「て、手伝います!」


 と出井も加勢に加わる。騒動の陰で、椎奈は胡乱げにキーボードを見つめ、いくつか叩いた。やはり何の反応もない。壊れているのだろうか。椎奈はキーボードを持ち上げ、ガッシャガッシャと振りだした。


「ちょちょちょ! そっちはそっちで何をしてるんですか!」


 慌てて振り向く出井に、尾東が力を抜くなと怒鳴り、瑛太は顔を真っ赤にして離せと怒鳴り散らした。椎奈は散々っぱら揺すったキーボードを台に戻してでたらめに打鍵した――と。


「あ!」


 椎奈が嬉しそうに声をあげ、瑛太たちの騒動も止まった。

 ディスプレイに、赤字で『じふぉ』と表示されていた。

 さらに、その上には『input=0』と。

 椎奈はいくつかキーを叩き、首を傾げ、思いついたように裏返す。電池ボックスを開いてゴロゴロと回して蓋を閉じ、また叩いた。


『あああああ』

「直りました!」


 破顔する椎奈。尾東と出井は顔を見合わせ固まる。


「……いい加減、離せよ!」


 瑛太は乱暴に二人を振りほどき、キーボードの前に立った。椎奈が怯えた様子で離れる。


「……なんもしねえよ。あんがとな」


 照れくささを隠して礼をいい、瑛太はバックスペースキーを連打して表示されていた文字列を消し、新たに入力した。


『相澤誠の鼻を折った』


 そう打ち終えると、他の面々がぎょっとするのを背中に感じた。

 瑛太はため息まじりに振り向いた。


「ガキの頃の話だよ。……逆にいや、たぶん外れってこと!」


 いって、瑛太は乱暴にスイッチを叩いた。

 尾東たちは大慌てで準備にはいる。

 ――が、しかし。やはり何も起こらない。


「……あ! あれ!」

 

 椎奈の声に、男たちは慌てて振り向く。指差す先にはディスプレイがあり――


「なんだよ。なんも変わってねえじゃん」


 呆れる瑛太に、椎奈は首を振った。


「なにも変わってないのが問題なんですよ! ほらあそこ、『Input=0』ってなってるじゃないですか。あれたぶん、スイッチを押した回数だと思うんです」

「だから?」

「だから……スイッチ、壊れてるんじゃないですか?」

「スイッチが壊れてるって……」

「だ、だってほら、キーボードの電池も切れかけだったし、この装置自体が壊れかけてるのかも!」


 ――沈黙。耳が痛むほどの静寂のなか瑛太たちは顔を見合わせ、やがて誰ともなく、


「フ、フフフ、ウハハハハハハ!」


 と、笑い始めた。まったく馬鹿げた話だった。拐うところまで首尾よく勧めて肝心の装置が壊れているのでは話にならない。

 瑛太は爆笑で目尻に浮かんだ涙を払いながらディスプレイに吠えた。


「バカ! バァーカ! ぶっ壊れてんじゃねえかこの装置! なあにが懺悔だよバカ野郎! オノレの不手際をあの世で嘆けってんだ! なあ!」

「アハハハハハ! ホントですよ! めちゃくちゃ間抜けな――」


 そこまで罵りかけ、尾東が目を明後日の方に向けた。

 あ? と瑛太をはじめ全員が視線を追う。黒くて硬そうな壁しかない。


「どした?」

「いや、あの……そうなんですよ」

「あ?」

「いや、黒幕、死んじゃってるじゃないですか」

「……だから? ザマーミロって話……」

「そうじゃなくて! ゲーム不成立で解放って線が消えたんですよ!」

「――あ!」


 瑛太は顔を青ざめた。装置が壊れていても、黒幕がどこかから監視しているなりすれば別の手段でゲームが続くかもしれない。しかし、主催者はすでに死んでいる。死ぬところを全員で見た。


 ゲームが続くならば勝利して解放という可能性もあった。しかし、装置が壊れているのであれば、ゲームは続けられない――と、いうより。


「デスゲーム……始められないじゃん」


 瑛太が誰にいうでもなく呟くと、みなが服をまさぐり、それぞれ部屋中に目を凝らして持ち物を探しはじめた。スマートフォンがあれば――と誰もが考えていた。無論、頭の片隅で理解している。たとえあったとしても周囲は鋼鉄の箱だ。電波が入るとは限らない。いや、それよりも――


「ま、まあ悪いことばっかじゃねえよ! これで救助を待つほうに絞れるしさ!」


 瑛太は足元に忍び寄る怖気を払うようにいった。すでに上着のポケットもズボンもシャツや下着のなかまで確認した。あったのは財布が一つだけだった。

 尾東が一度探し終えた上着をもう一度ひっくり返しポケットを引きずり出して、なにもないと悟ると足元に投げつけた。


「いつ来るっていうんですか! 僕たちが拐われてから、行方不明届けが受理されて、そこから捜索が始まって――ここが土の下だったらどれくらいかかるっていうんですか!」

「ば、バッカ! 十メートル四方の大穴なんてすぐ見つかるっつーの! 常識で考えろよ常識で!」

「水の下だったら!?」

「水って……それこそねえよ! こんなデカい鋼鉄の箱どうやって運ぶんだよ! 水の中で作るか!? バレバレだ!」

「……建物のなかなら?」

「それは……それは、監視カメラかなんかに……」


 気づけば、尾東は涙を流していた。ぐしゃぐしゃになっていく顔を拭おうともせずに、いまにも砕けそうな声で続けていった。


「十メートル四方ですか? 知ってます? 人間って、一日で一万五千リットルの呼吸をするんです。わかります? 十立方メートルって一万リットルなんですよ!?」

「な、そ、だから――だからなんだってんだよ!」

「わかんねえのかよ! こんな狭いところ四人もいたら空気が足りねえんだよ!」


 尾東は泣きながら瑛太に掴みかかった。しかし、体格の差もあって喧嘩にもならない。瑛太が投げ転がし、また尾東が叫んで掴みかかった。もう付き合いきれねえと瑛太は尾東の顔を張り倒した。それでも、彼は泣き叫びながら立ち上がる。そして、椎奈が大声で叫んだ。


「もうやめてください! 出井さん! 二人を止め――出井さん!?」

 

 気配の違う椎奈の声音に、瑛太と尾東は喧嘩の手をとめ、振り向いた。

 出井は懺悔スイッチに取り付いて、四方を周りながら観察していた。


「……うん。大きいだけで単純なスイッチだ。たぶん」


 言って、出井がスイッチの台座に手をかけ、躰を揺さぶりはじめた。

 椎奈は目を瞬いた。


「な、なにしてるんですか?」

「いえね? よっ、と、私、こういうの得意なんです、よっ」


 瑛太は襟ぐりを掴んできた尾東を突き放し、いった。


「だって、おっさん、さっき入力は苦手って……」

「ええ、まあ、そういうのはね。でも――こういう、電子工作、はっ!」


 ベゴン! と大きな音を立て、懺悔スイッチと台のあいだに隙間ができた。ほんの一ミリか二ミリかという、小さな隙間だ。

 出井は額に汗を浮かせながらいった。


「だれか! カードかなんか、挟んで!」


 尾東が慌てて床を這いずり、瑛太の財布からクレジットカードを引き抜いて台座の隙間に挟んだ。出井が手を離すとメリメリと嫌な音が鳴った。

 

 しかし、隙間は開いたままだった。


「みなさん、喧嘩はやめましょう。まだいけますよ、きっと」


 出井は額の汗を拭い、笑った。


「みんなで力をあわせて、デスゲーム始めましょう」


 

 

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