第17話 月見酒①
採掘権の買い取り主が決まった夜。
昼間から飲み続けていたというのに、未だに人々の笑い声が絶えない。
断崖の拠点がこんなにも明るい場所になるなんて、想像したことがあっただろうか。
黒曜石、あるいは鉄や銅などの鉱床があるとは思っていた。
火山地帯は地下資源の宝庫だ。
異国ではそういった場所へも足を運んで、現地の様子を見てきたことがある。
だから、何もかも好調に進んだことで拠点が発展していくことは考えていたが、そこで生きる人間のことは全くの慮外だった。
人が、目的を持って行き来する、それが道だ、なんて言っていた癖に。
喧騒から離れた断崖の上で、星を眺めながら涼んでいた。
いつもの小屋も、拠点の外れも、探し出されて酒を薦められるからだ。
あまり雰囲気を壊したくないので強く拒絶することも出来ず、こうして上の方まで逃げてきた訳だ。
だというのに、どうして貴女は私を見付けるんでしょう。
「主賓がこんな所に来ていてよろしいのですか?」
腰を下ろしたまま振り返り、エラお嬢様へ声を掛ける。
私も相応に浮かれているのだろう。
あるいは、昔を思い出していたからか。
普段ならちゃんと正対しようとする。
「グィンさんなら酔い潰れて運ばれましたから。後はメェヌやアラムさんに任せました」
「そうでしたか」
「私としては、功労者がこんな所に居る方が問題だと思います」
功労者などと。
それを言うならメェヌだ。
あの子が洞窟を発見してくれなければ、今の光景は無かった。
「メェヌだって、カーリが作ってくれた土台が無かったら無理だったって言ってたわ」
すぐ隣に座ったエラお嬢様が、吹いてきた荒野の風に、灰色の髪を靡かせる。
無防備で、力の抜けた横顔。
晒された首元やうなじが、月明かりを受けて白く輝く。
全く。
愛おしい。
「どうですか、外の世界は」
誤魔化す様に言った言葉に、彼女は大きなため息をついた。
まるで話そうとした想いが大き過ぎて、言葉にするのを失敗したみたいに。
まだ夜は少し冷える。
けれど吐息は熱く、笑みを帯びていた。
もう一度、と息を吸って。
「楽しいわ。何もかもが、知らない事ばっかりで、とてもキラキラして見える」
「それは良かった。本当に」
良かった。
ずっとあの狭い使用人の部屋へ押し込められ、自由などまるで無かった彼女が。
ようやく始まったのだ。
始まったばかりなのだ。
それを潰してしまわずに済んで、本当に良かったと思う。
「もっと、もっと色んな景色を見てみたい。色んな人と話してみたい。とても大変で、困ってしまうこともあるけど、どうしてかしら……興味? そういうものが尽きないのね」
「好奇心、でしょうか」
「そう。そう、好奇心よっ。昔、カーリに文字を教える時に読んだ冒険の本、あれにも負けないくらいの大冒険をしていると思うわ、私達」
そうだろうか、そうなのかもしれない。
きっと最初に持っておくべきだった感情。
私はそういうものを置き忘れたまま、ただただ数字と線を睨み付けていた。
「あの山の向こうに、本当に言い伝えられる約束の地カノアがあるのかは分からない。だけどね、あの峰を越えた先に、ここと同じ死の荒野が広がっていたって怖くないの。だってその時、あんなにも過酷で遠い場所まで一緒に辿り着いた、カーリや、メェヌは勿論、アラムさんやグィンさんの様に仲間になってくれた方も大勢居るんだから」
当初の緩めな条件から交渉を始め、がっつり利益を持っていかれる契約を結んでしまったグィンは今、ヤケ酒のせいでぶっ倒れているのだろう。
アラムさんはあっという間に溶け込んで、面白おかしい、けれど興味深い南の小話などで宴に華を添えていた。
ベルヴァも当初は酒を控えていたが、勝負事を始めた熱のせいか、しばらく前にぶっ倒れて奴隷の娘に世話を焼かれていた。
メェヌはすっかり崇められている。
なにせこの領地を救った英雄だ。
冗談交じりではあるものの、黒曜石でメェヌ像を作ろうと企む一派まで出来ている。いかんな、ここの最大派閥はエラお嬢様派だというのに。
作るならエラ=ファトゥム像だ。
「たしかに、気付けば色んな人との係わりが出来ていて、この先もきっと増えていくのだと思えます。それは……確かに楽しい」
「えぇ。だからあの先がどんな場所でも、そこが私にとっては理想郷、約束の地カノアなのよ」
「ふふっ、本当に。えぇ」
「あーっ、今ちょっと馬鹿にしたでしょ」
「いえいえ、そんなことはありません。微笑ましくはありましたが」
「もうっ。そうよ、カーリも飲みなさい! お酒全く手を付けていなかったでしょう?」
言って取り出したのは、酒瓶と小さな杯が一つ。
何か持っていると思ったが、それでしたか。
「なるほど、お嬢様も少々酔いが回っていたのですね」
押し込められていたとはいえ、潤沢な水にも恵まれた土地で生きてきただけに飲酒の習慣はない。だが、安全な水を求めて酒を主たる飲み物とする地は意外と多い。
お若い身の上で過剰に飲むのは勧められないが、咎められるものでもない。
「ふふっ。酔ってないわよっ」
身を大きく揺らし、二の腕辺りへ頭突きをしてくる。
これは酔ってますね。
「カーリも酔えばいいのよ。そうしたらおあいこでしょ?」
「いえ、その理屈はおかしいのですが……あぁ、酒がこぼれます。私が注ぎますから」
夜風に当たっているのに酔いが回ったのか、ちょっと手元が怪しい。
手酌を止め、酒瓶を取り上げて杯へ注いでやる。
けれど身体を揺らして頭突きを繰り返しているせいで、いえそれ自体は全く痛くないのですが、とにかく手元が揺れて酒がこぼれる。
「んー」
餌を待つ鯉のようにしてくるので、仕方なく口元へ誘導した。
そうして酒で唇を濡らし、喉元を鳴らして嚥下する、月明かりに照らされたお嬢様のお顔を見て、猛烈な衝動と共に顔が熱くなるのを感じた。
「あーっ、カーリが酔ってるー」
「……違います。酒など一口も飲んでいません」
「じゃあ飲んで?」
気が逸れていた隙に酒瓶を奪い取られ、持ったままの杯へ注がれた。
いえ、この杯で……? だってこれは今し方お嬢様が口を付けた…………。
「…………嫌?」
駄目だ、断れない。
しかし酒には良い思い出がなく、あの酒精混じりな汚水が頭に浮かぶ。
とはいえだ。
「いただきます」
一口、舐めた。
「…………うん?」
「えいーっ」
頭突きをしてきたお嬢様がそのまま凭れ掛かってくる。
その事に心乱しながらも、残ったものを飲み乾す。
「……おいしい、ですね」
「ふふふっ。でしょー? はい、もう一杯」
「ああっ、と」
勢い任せに注がれた酒をどうにか溢さず口元へ運ぶ。
美味い。
酒とはこんな味のするものだったか。
「カーリ」
「はい」
「カーリぃ」
「ええと、はい」
「ふふふふぅ……!」
腕を抱かれた混乱から逃げる様にまた酒を煽り、夜空へ視線を逃がした。
だがその先には美しい月が飾られていて、つい視線が縫い留められる。
「綺麗ね」
「はい」
「お酒、ちょっと癖になりそう」
「控え目にしましょう……確かにこれは危うい」
ややも冷静さを装いながら、私達は飽きることなく月を眺め、寄り添い合っていた。
一杯の酒と共に、静かな夜を越えて。
明日もまた、目指す先へと踏み締めていく。
※ ※ ※ ※ ※ ※
第一章 完
いかがでしたでしょうか。
世界の果てで、灰かぶり あわき尊継 @awaki0802
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