第16話 南から来た男
小屋の中へ入って来た男を見る。
千年を生きた大樹のような佇まいでこちらを見る、賢者の如き男だ。
圧倒されるような想いでエラお嬢様を庇い立った私達を見ても、彼は特段不快に思うでもなく、ありのままを受け入れていた。
焼けた肌の色。
そして何より、あの長衣。
冬の間に調べた情報とも合致する。
あぁ、と納得を得た。
「失礼ですが、貴方は南方の国のお生まれではありませんか?」
「はい。しがない村の出身ですので、こちらの方はご存じないでしょう」
「その、アラムさん、でよろしいですか」
言うと男は目尻をくしゃりと歪め、笑った。
「はは。今はただのアラムです。こちらにいらっしゃるのは、領主様とその直属の家臣の方々と伺っています。どうぞ、気安くお呼び捨て下さい」
「申し訳ありませんが、出来れば敬意を払わせて下さい、アラムさん」
その呼び方すら不遜だろうとどこかで感じながらも、まずは力を抜いた。
緊張のし過ぎで身体が痛いほどだ。
彼は武器を持っていない。
あの肉体なら格闘術も使えそうだが、敵意は感じなかった。
本当に、話をしたくて来たのだろうと思う。
「面映ゆいですが、そう仰るなら」
「それで、どんな御用でしょうか。こう言ってはなんですが、禄に開拓もされていない、来るだけでも大変な場所ですが、入植ならば歓迎しますよ」
「それは有り難い。ただ、なんと申しますか、私も少々慌てているのですよ」
全くそうは見えないが、もしかすると本当なのかもしれない。
この手の人物は自己評価に嘘を吐かない。
常人視点ではそう見えなくとも、本人視点では変化があると、判断していることが多いように思う。
あまり分かったようなことを言えるほど理解出来てはいないが。
彼は温和に微笑みながら、ふと小屋の壁に目をやった。
そこには、荒野で見付けた死体から回収した、貴金属が吊るされている。
「なるほど。なるほど。なんとも、ここまでとは」
一体何を納得しているのか。
アレはベルヴァが死者の弔いと言って勝手にやっていることだ。
とはいえ、このアラム氏の身に付ける長衣と、荒野の死体が身に付ける長衣は、全く同じものに見える。
やはりあれは南方からの旅人らしい。
「約束の地カノア」
呟きは染み渡る様な響きを伴って広がった。
「はい」
そう。それが私達の目的地だ。
けれど彼はどうして?
南方にも同じ伝承が存在するのか?
「貴方がたは、その地へと続く道を作ろうとしていらっしゃると、そう伺いました。多額の私財を投じ、人々を率いて……まだまだお若いというのに」
「事情はありますが、それについては。ただ、カノアへ繋がる道を作ろうとしているのは本当です」
応じるとアラムさんは感じ入る様に目を閉じ、やがて胸に手を当て、深々と頭を下げた。
老爺らしい、整えられた白髪が目に映る。
砂塵と共に生きると言われる南方の民、彼らの礼式を熟知しているとはいえないが。
それが敬意を示すものであると、私達は感じずにはいられなかった。
それほどの強い想いが彼にはあった。
「すみません。一方的に話を伺っていても分からぬこともあるでしょうから、まずは私の事情をご説明致しましょう」
「はい、どうぞ」
立ち話もなんですからと椅子を薦めたが、彼は慣れているのでと遠慮した。
さすがにいつまでも警戒したままではいられず、エラお嬢様をメェヌと共に椅子へ付け、私は立って彼へ応じることにした。
「簡単に申しますと、我々の土地では古くより最後の巡礼の地としてかの地が語られているのですよ」
「それは……その、死後に渡っていく場所としての意味でしょうか」
「多くは、そうですね。ただ、私の様に年老いた者は、自ら故郷を離れ、血肉を持ったまま旅立つことを是とする考えがあるのです」
それは、ある種危うさを孕んだ風習ではないか。
思いつつも言葉にはしなかった。
なにより彼自身が納得している。
「私も長く生きました。こう見えて、今年で八十になります」
「それは……とても若々しくていらっしゃる」
本当に驚いた。
彼と比べたら、村に居る五十六十前後の老人達など腰が曲がり、腹はたるんですっかり老いさらばえている。
けれどアラムさんは朗らかに笑った。
「見栄を張っているだけですよ。年々、身体のいろんな所にガタが来る。とまあ、老人の事情などは良いでしょう。私は老いた。老いてこそ得られたものもありますが、もう十分以上に幸福を得て、報われてきたと思ったのです。そうして、はは、お恥ずかしながら最後の巡礼に旅立とうとこの地へ来て……貴方がたのことを知りました」
彼が出会った当初から瞳に宿しているもの。
それはまごう事無き敬意だ。
「正直、自分自身がどれほど身勝手であったか思い知らされました。老いさらばえ、家族に別れを告げて、もう自分にやることは無くなったからと、ただ一人巡礼へ旅立とうなどと、本当に自分の事ばかり」
異国の事とはいえ、彼ほどの人物なら私達の事情も察しているだろう。
けれど、その上で、と彼は言う。
「ですが、貴方がたは一人世界の果てを越えていくのではなく、そこへ通ずる道を作ろうと言う。後に続く、誰かの為に。それを知ってはもう、自分の為だけの巡礼に旅立つなどとは言えなくなりました。いやはや、本当に数日程、頭を抱えて悔やんでいたのですよ」
「それは、しかし私達は」
「私共の一方的な感傷ではあります。ですがやはり、思い知ったのですよ。どうして我々は、四百年もの時を経て、私は、八十もの人生を経て、同じ考えに至れなかったのか、と」
そうしてアラムさんは私達を見回した。
彼は心からこちらへ敬意を払ってくれているが、その様子は教え子達を前にした教師そのものだ。
もしかすると、本当に何か、大衆を導くような立場にあったのではと思えるほど。
「良い目をしていらっしゃる。あぁ、これで決心が付きました。皆々様、どうかこの老骨に、貴方がたのお手伝いをさせてはいただけないでしょうか」
私は咄嗟にエラお嬢様を振り返った。
けれど彼女は、既に私達の主として在った少女は、まっすぐに彼を見返していて。
「はい、喜んで。アラムさん、どうぞよろしくお願いします」
立ち上がった彼女が歩み寄り、また彼も一歩を踏んで、その手を取り合った。
「よろしくお願いします。貴女がエラ=ファトゥム様でよろしかったでしょうか。なるほど灰色の髪を持つ天女の如き美女、太陽の祝福を思わせる素敵な笑顔、お噂に違い無く、実に素晴らしい友をもお持ちだ」
「あの、その、それについてはあまり気にしないで頂けると助かります……素晴らしい友人なのは間違いないですがっ」
どうやら都市で噂を聞きつけたらしい。
エラお嬢様の勤めていた宿屋では相当な人気だったそうだからな。
応じた言葉の後半が妙に得意げなのは、臣下として誇りに思うべき所でいいんだよな?
「よろしくお願いします。あちらがエラ様ということは貴女様こそ冬の化身と謳われるメェヌ様でよろしいですか?」
「いいえ、そのメェヌは違うメェヌですので二度と呼ばないで下さい」
「畏まりました。ではただのメェヌさん……おや、貴女随分と精霊に好かれていますね。素晴らしいことです。なるほどなるほど」
などとメェヌとも笑顔で握手をし。
「よろしくお願いします。貴方がカーリ様ですね。おやおやおや。やはりとても恨まれておいでで。ここと、ここと、ここ、おやこんなところにまで呪いが」
「すいませんどこまで本気で言ってます?」
はははと笑い、私の身体を払っていく。
メェヌの体質に気付いたことでもあるし、アラムさんも精霊に愛されているのかもしれない。
だとすると呪い云々も笑えなくなってくるのだが、祓って貰ったんだからもう平気だよな……?
「さてご挨拶も済んだ所で、冗談好きの
彼はちらりと壁に掛かっていた地図を見やり、懐から取り出したものを、ばさりと広げる。
「っ、っっっ!?」
「え…………」
「まあ!!」
驚愕し、絶句し、感嘆を漏らす。
それほどまでのものだった。
「私が六十五年ほど前、最後の巡礼に同行した師より受け継いだものです。お役に立てればよいのですが」
それは、地図だ。
方眼紙という、縦横の線で細かく区切られた升目のある紙面。異国でも見た覚えのある大きな植物紙に、この一帯の極めて詳細な地図が描かれている。
「こ、これ……等高線、ですか?」
「おやご存じですか。いやはや博識でいらっしゃる」
「測量はそれなりに。こちらでは道具が無くて出来なかったのですが、異国で城壁の高さを割り出すのに便利でしたから……」
「はははは」
笑っているけどこの爺さん、絶対何かとんでもなく高い地位にあった人だ。
そうでもなければこんな地図持っている筈がない。
技術もそうだが、測量には極めて高度な学問と地道な積み重ねが必要になる。場所こそ死の荒野に限定されているから、確かに価値は低いと言える。だがこんな精度で地図を作られたらブレイダルク王国なんてあっという間に呑み込まれるぞ。
もしコレが王都周辺の地図であったなら、北の国は巨万の金を叩きつけてでも買い取ろうとするだろう。いや、どんな手を使ってでも、手に入れたいに決まっている。
「水場……凄い、水場の場所も書いてますよコレ」
「本当っ。アラムさん、本当にこんな貴重なものを見せて頂いて良いのですか?」
「ははは、仲間に入れて頂いたお礼です。差し上げますよ。元より貴方がたの領地と伺っております。今後も考えると必要でしょう?」
「えぇっ、はい! ありがとうございます!」
三人の会話を余所に、私は頭の中に入っている地図とそれとを結び合わせ、ゆっくりゆっくりと東へ視線を流していった。
地図には最果てへ至る複数の経路が記されており、けれど全てがある一点へ収束する。
「…………お気付きですか」
「はい。失礼ですが、アラムさん。これは未完成品ですね」
「はい。ここに書かれている、私達が勝手に定めの丘と呼んでいる場所。ここで六十五年前、私は師と別れ、引き返しました」
「この先には何が?」
「清めの渓谷と呼ばれている裂け目がありました。そこは猛毒の霧が満ちており、二晩雨が続いた時のみ越えていけると言われています」
地図はそこ以外に道がないことを示している。
距離的に言えば、黒曜石の鉱床が見付かった場所から、ほんの一日程度の場所だ。
探索時には近くまで行った者も居ただろう。
猛毒の霧が今も立ち込めているのなら、気付かず、深みへ入り込むこともなく戻って来れたのは奇跡と言える。
「この地図は門下の者に受け継がれ、時折人を派遣しては更新を続けてきたものです。ここ最近の地震による変化も、ある程度までは対応している筈です」
「えぇ、私の記憶にある地形とも一致しています。この地図を得られたのは途轍もなく大きい。本当に、感謝しかありません」
「果てへと至る最後の道は巡礼に赴いた者のみが知る事。その為、目的を完全に果たし得るものでないのが、心苦しいですが」
「いいえ」
と、強く首を振る。
そんなことはない。
「つい最近まで、私達は当て所無くこの大地を彷徨い続けていました。そしてようやく足掛かりを得られた所にこの地図。次にやるべきことは決まりましたね」
振り返り、エラお嬢様とメェヌを見る。
二人もうんと頷き、両手を握っている。
「まだしばらくは鉱床付近にしっかりとした拠点を築くことを優先しますが、それが終われば、この定めの丘に赴き、清めの渓谷を越える手段を探す」
方法は分からない。
まだ取っ掛かりを得ただけ。
それでも心は沸き立っていた。
「誰もが安定的に通ることの出来る、行き来する事の出来る道を作る。渓谷の先に何があるのかは分かりませんが、一歩一歩、踏みしめていきましょう」
道は険しく、目的地はまだまだ先にある。
そこを均し、歩んでいく事の出来る道、それを私達は作っていくのだ。
切っ掛けは王の気紛れ、嫌がらせの一つだったのかもしれない。
けれど踏み出したその先で、自らの目的を見い出せた。
「えぇ、楽しみね。カーリ!」
エラお嬢様が、かつて灰かぶりと呼ばれた、灰色の髪を持つ少女が、日輪のように笑っていた。
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