第15話 大逆転
斧で木の幹へ斬りつけたような亀裂の奥、あの断崖もかくやという切り立った地形を
先に飛び降りたメェヌが松明を掲げてくれているが、一歩間違えば大怪我するだろう危険な場所だ。
入口では未だに神父の洗礼を受ける者達が屯しており、まだ少し掛かりそうかと嘆息する。
「受け止めますから、どうぞ」
「お願いね……っと!」
最後の段差を飛び降りてきたエラお嬢様を抱き留める。
かつてのように名残りを惜しむことも無く、けれど短い感謝と微笑みを残して離れた私達を見て、後ろにいたグィンが心の底から妬ましそうな顔をしていた。
「あー、おほん。そこの使用人、飛び降りる今日の主賓を受け止めてみせろ。脚から行くから気を付けろよ」
「勝手に降りて来い。第一、主賓どころか御願いされたから仕方なく連れてきてやったことを忘れるな」
彼の後も続々と人が降りてくる。
まだ整地も不十分な環境であると前以って説明しているのに、それでも乗り込んで確認したいと言ってきた、都市周辺の商人達だ。
幾人か職人も混じっており、彼らは総じて寡黙に行動し、誰よりも冷ややかにこの洞窟を確認している。
「こちらへどうぞ。足元に気を付けて」
松明を手に先行するメェヌの足元で、僅かながら水音がした。
薄く、湿らせる程度ではあるが、常に水が流れ込んでいるのだ。
そうして、かつてここへ流れ込んだ溶岩が冷えて固まったのだろう、波打つような独特の地面を進んだ先に、それはあった。
「ほう……」
感嘆は、ここまで一言たりとも喋らなかった、最も年嵩の職人だ。
「灯かりをくれ」
彼はかすれた声で良い、壁を舐めんばかりに顔を近付ける。
そこから突き出している、闇を閉じ込めたような真っ黒な鉱石を指で撫で、慣れた様子で道具を取り出す。
と、大きな塊は避け、足元の小さな突起を打ち割り、破片を掲げる。
挙句齧った。
「うん。いい黒曜石だ。北の産物よりも綺麗な光沢をしておる」
「気に入って頂けたようで何よりです。この奥にはまだ同種の鉱石を始め、銅の鉱脈も確認されています」
「昔から火山付近は鉱脈の宝庫と聞くが、こんな場所でよく掘り当てたな」
心よりの賞賛を受け取り、改めて商人達へ向き直る。
個人でやってきている者もいるが、殆どは商会からの使い。
同行している職人に、こちらで採取した鉱物を見せ、現地を見分してもらうのが目的だ。
入口の状態から察せられる通り、まだまだ未開拓の状態で、どれだけの埋蔵量があるかははっきりとしていない。
ただ、地理的な特徴や、洞窟内から確認できる地層などを考慮すると、かなり有用なものである可能性が高い、と見ている。
「どうでしょう。細かい数字は今後の交渉、いや、皆様の提示した条件次第となりますが、ファトゥム家は領内での採掘権に加え、権利者には三年間の関税撤廃をお約束する考えです」
採掘権の販売、とだけ話していたので、関税撤廃には多くの歓声があがった。
実に良い反応だ。
他に何一つ無い領地とはいえ、領地権限を持つ以上、関所の設置は当然の権利だ。そして塩などと同様、関税はいつだって商売を悩ませる。
三年という短い期間ではあるが、数字に強い者なら十分に利益を生み出せるものであると理解できるだろう。
「はは、随分と気前がいいじゃないか。奴隷の扱いといい、貴族にしては弁えとるな」
先ほどの職人が満足そうに笑う。
気難しそうな人に思えていたのだが、一度気を許すと結構仲良くできる人なのかもしれない。
まあお嬢様はともかく私は貴族ではないし、ちゃんと裏のある条件だから、ここは笑って賞賛を受け取っておこう。
「買いだ、買い。悩んでる連中をさっさと締め出して、採掘権とやらを買い取ると良い」
「お待ちをっ。我が商会もこの件は購入を前提にやってきています!」
職人さんが連れの商会主を焚きつけていたら、グィンが負けじと食って掛かった。
まあその手の争いはどれだけやってくれてもいい。
最も良い条件を出してくれた人が、最も良いお客様だ。
「折角なので、もっと面白いものもお見せしましょう。メェヌ、大丈夫か?」
「平気。でも足元気を付けて」
「分かった。あまり広がらず、こちらへ来て見て下さい。黒曜石だけでなく、この辺りではまず見掛けない、とびきりのものがありますよ」
少し脇道を進むと、途中で一気に気温があがった。
独特の匂いと、心地良い熱気。
「なんとこの鉱山、温泉付きです」
※ ※ ※
二日掛けて戻って来た断崖の拠点で、私達は後をベルヴァに任せて商人らと別れた。
感触は良好。
あの職人、おそらく親方が絶賛してくれたおかげで、他の商会も本格的に購入を検討してくれるだろう。
小屋へ戻って来た私達は、この拠点で作られた椅子へ腰掛け、ささやかな祝杯を挙げていた。酒を飲む者が居ないので、果実水だけになるが、ここしばらくの切り詰めた生活では考えられないほどの贅沢だ。
「全く、メェヌ様様だな」
「あーはいはい、それはもう聞き飽きました」
洞窟を掘り当てて以来、私やエラお嬢様だけでなく、傭兵や奴隷達までメェヌをひたすら褒め称えてきた。
なんだかんだと、皆も事業の成否を案じていたのだろう。
職や居場所と理由は様々だろうが、ここを続けていきたいと思ってくれている証拠だ。
だからこその熱烈な賞賛に、最初は林檎みたいに赤くなって照れていたのに、今や構われ過ぎた猫みたいに刺々しい。
だが本当に助かった。
この発見が無ければ、今頃私達は犯罪奴隷を隣領主へ謝礼と共に引継ぎ、何処へ逃げるかと相談している所だったからな。
「黒曜石、売るなら南へ持っていくのよね?」
「えぇ。南方の需要が高いですから」
実に大きな商売となるだろう。
なにせ、事の本質は需要と供給だけに留まらない。
「この黒曜石の鉱床発見は、ブレイダルク王国にとっても重要な意味を持つでしょうね。ずっと黒曜石は北の国から産出されるものに依存していましたから」
「なんだか変な言い回ししてますね。白状しなさい。何の悪だくみをしてるんですか」
悪だくみなんてとんでもない。
この領地がとても価値あるものになったという話だ。
「いいですか。黒曜石は、近隣の地域ではここから北の国でしか産出されていません。そして南の国にとってアレは、常に需要の尽きる事が無い、宗教上でとても重要な資源です。こういうのを異国の学問では、戦略資源と呼んでいました」
二人が揃って言葉を反芻するのを聞きながら、言葉を続ける。
「簡単に言えば、国家間の交渉をする際、販売量や価格が交渉材料になるということですよ。増やしたり、減らしたり、高くしたり、安くしたり。そういうものの主導権を握れると強い」
今までは北から運ばれていくものに関税を掛けて嫌がらせしているだけだったが、こうなっては北からの黒曜石は全て入国を拒否されるだろう。
そうしてブレイダルク王国産の黒曜石のみを南の国へと売り込みに行く。
元より陸路にしか販路を確立出来ていなかった以上、連中に打つ手はない。
精々戦争を吹っかけてくることくらいだが、今回は黒曜石の供給をチラつかせて南から圧力を掛けて貰うことも出来ない。相手にとっては辛いものとなるだろう。
「加えて、この領地を治めるエラお嬢様は、黒曜石の扱いについて王と交渉することが出来るようになりました。この国は私有財産の保有権という概念が無いので少々危ういものではありますが、余程無理を言わなければ大丈夫でしょう」
「既に喧嘩売ってる人は気楽ですね」
「あんまりそういうのは避けたいわ」
「いっそ辺境伯の位を寄越せくらい言ってもいいと思いますよ。鉱山資源を担保に南から金を引っ張ってきて、それで傭兵を雇うことも出来ます。森や断崖という障害があるので、結構攻め辛い土地ですしね」
とまあ、流血を好まない、罪を犯さないが我らが領地の方針なので、あくまで冗談ですよ。
「本当に……?」
「もしあの鉱床を一方的に取り上げると言って来たら、脅しくらいはしてもよろしいですか?」
どうせ反乱直後の王権なんて土台ごと不安定になっているんだ。
故に強権的な行動を取る場合もあるが、王都からも離れた辺境の地、世界の果てまで出兵なんてすれば、反対側に反抗勢力が立つこと請け合いである。
因みに私は全力で唆す。
「……駄目よ?」
「はい……」
頬を摘ままれてしまったので自制しよう。
それはそうとして、恥ずかしいのですが。
「ふふっ」
目を逸らした先で半眼のメェヌが居たので幾分冷静になれた。
「まあそういうのはもう少し後の話ですね。もっと近い部分の話をするのなら……これでようやく、本当の意味での道を作っていけます」
道とは、ただ人が通れるように均した場所を指すのではない。
人が、目的をもって行き来する場所。
それを道と呼ぶんだ。
「黒曜石を運ぶ人達の為にも、頑張って作れないといけないわよねっ」
「いいえ? そこはもう殆ど放置で大丈夫ですよ?」
あ、二人が固まった。
理解が追い付いていない時の反応だ。
「どういうことです?」
先に動いたメェヌが問うてくる。
考えるより感じる派なので、即自力理解を放り投げたらしい。
「採掘権同様、ここから先は買い取った商会にお金を出させて道を作らせることが出来ます。あくまであの鉱床までの道ですが」
利益は色々なものをひっくり返す。
黒曜石の重要性について、おそらく商会の主だった者ならば気付いている筈だ。
それこそ領主であるお嬢様は勿論の事、その採掘権と販路を持つ商人にだって、爵位授与の可能性まで出てくるからな。
「この土地はエラお嬢様のものです。そこに許可無く道を作ることは許されません。輸送の効率を考えれば、どう考えても道は無くてはならないものですからね」
「だから、あの人達の誰かがこっちにお金を払って、道を作ってくれるの? そういうのでいいのかしら……?」
駄目ですよエラお嬢様。
私達も森に道を作るのに、領主へお金を払っていたんですから。
それもこれ以降は連中に任せられる。
「だからこその三年間の関税撤廃です。本来ならばお嬢様、私達は領地の境に関所を設置し、関税を取る権利があります。それが領地を運営する資金にもなり、この先へも道を伸ばしていく土台となります」
「収入……そうね。確かに、必要だわ」
「それを三年間も取らずにいてあげるのですから、購入者は死に物狂いで採掘環境を整え、道を作り、少しでも効率良く稼ごうとするでしょう」
自分達は何一つ現場に出ることなく、許可を与え、税を取る。
本来の領主とはそういうものだ。
「採掘権も、一括の前金を要求する代わりに、採掘量に対する税率は抑えたものとなっています。まあ、流石に美味しい商売とはいえ、この土地を均す所から始めなければいけませんからね」
「本当に、あの鉱床一つで何もかもが変わるのね……」
「まだまだ。もっともっと面白くなりますよ」
「まだあるの……?」
むしろここからです。
「さて、鉱床は見付かって、坑道を掘るなり、道を作るなり、その労働力はどこで確保すれば良いでしょうか?」
「ええと、雇って?」
「こんな最果てまで来てくれる労働者は残念ながら居ないのです」
ところが!
なんとびっくり!
この石以外なんにもない土地に労働力を確保している方が居ます!
はい、お嬢様。
「え、私?」
「はい。書類上、あの犯罪奴隷達はお嬢様の所有物です」
「……そっか。え?」
「技術者は呼び込んでくるでしょうが、単純労働者は彼らで十分です。この地での道づくりならば最も慣れていると言えますしね。なので、あくまで貸与という形を取りますが、彼らの労働力を販売します。二食休憩付き、非道な扱いは当然ながらエラお嬢様の財産ですので許されません。どうです?」
全てを貸与してしまうと先の道を作る者が居なくなってしまうので選別はするが、以降、商会に預けた奴隷達の世話は商会がすることになり、食費が浮くどころか金すらこちらへ転がり込んでくる。
「ええと……ちょっと待って。ちょっと待って? 領地にある黒曜石を掘らせてあげるだけで、物凄い額のお金と、掘った分だけお金を貰えて……お金を払って貰って道を作って貰いながら、そこで働く方々を提供することでまたお金を貰える……?」
「その通りです。全ては黒曜石の鉱床があるかないか、それだけで、ここまで変わります」
「今まで全部自分達のお金を使ってやっていたことなのに?」
「はい」
「ん、んんん~???」
おそらく理解も出来て整理も出来ているのだろうが、押し寄せる利権の波に目を回していらっしゃる。
いけませんよ、領地運営とはとてもお金の掛かることなのです。
今でこそ道一本、利権も纏めれば一つだけと単純構造ですが、もっともっと鉱床が発見されたり、利権そのものが多様化していけば、そこを維持管理するだけでかなりの費用が掛かります。
それこそ、小さな利権一つ逃さず確保したくなるほどに。
「私はそれよりも、あの温泉をどうするかが楽しみですよ」
「あぁ……反応は微妙だったみたいだけど……」
それはここまでの道が長すぎることが原因でしょうね。
湯治の文化は古くからあるとはいえ、ブレイダルク王国では蒸し風呂が主流で、水に浸した布で肌を擦る程度の者も多い。まして、入浴なんて贅沢はそうそう望めない。
「深さ的に汲み上げて使うことも十分に可能だと思うんですよね。地上に大きな宿を作って、風呂場を提供する! 恒常的に浴場を提供することは感染症の対策にも繋がるそうですし、なによりあの湯に浸かった時の心地良さは天上へ登る様な心地ですからね……」
行軍中はさておき、異国では入浴の文化が一般的だったので、私もすっかりアレに馴染んでしまった。
正直言って、今の環境はあまりに辛い。
汗を拭う布すら薄汚れていて、肌を吹き上げているのか、砂を塗り込んでいるのかも分からなくなる時がある。
「エラお嬢様にも是非体感して頂きたいのです。メェヌ、お前は絶対に気に入ると思うぞ」
「ふぅん」
「うん。分かったわ」
くそう、微妙な反応をされているが、今に見ているがいい。
まずは木材の選別からだ。
浴槽の材質で湯に浸かった時に立ち上る香りも変化するし、裸で凭れ掛かったりする部分なら柔らかいものの方がいいよな?
「楽しそうね」
「当然です。何も無かった領地から、ようやく収入を得られるようになったんですから。これからは定期収入を土台に予算を組んで、より計画的に開拓を進められます。もしかすると、本当に約束の地へ辿り着けるかもしれません」
景気が良ければ気分も上向く。
我ながら単純だとは思うものの、これまでの苦労が報われたのはとても嬉しい。
「ちょっと、森の方へ行って木を見て来てもよろしいですか? 浴槽に合いそうなものがないか、長さなども含めて色々と見て来たいのです、が――――」
「失礼します」
聞き慣れない声だった。
三人が一斉に戸口を見て、私とメェヌが素早くエラお嬢様の前へ出る。
何故そうしたのかは分からない。
ただ、その声には警戒を抱かせるだけの、何かとても強く、しっかりとした何かがあるような気がしたんだ。
「おぉ、こちらで正解だったようですね。初めまして。私は、アラム=ドゥア=グリストォランと申します」
入って来たのは、どこかで見た覚えのある長衣を纏った、痩身の老爺。
けれど村や都市で見る老人達とは明らかに違う。
曲がる所の無い堂々たる歩み。
歩を進めて尚も揺るがない姿勢。
重心が地の底に埋まっているのではないかと思えるほどの、千年を生きた大樹にも似た佇まいの男。
頭の中で次々と浮かび上がる、異国で出会った傑物達の姿と重なる。
「団らん中に申し訳ないのですが、少しお話を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
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