十八時です。時間になりました。
えんがわなすび
3 - B
こめかみから流れ落ちる汗が頬をゆっくりと撫でる。ぞわぞわとしたその感触が責め立てられているようで、俺は生唾を飲み込んだ。
装飾もないモノクロの壁掛け時計が十七時五十八分を指した。
あと二分。
俺は学校指定であるジャケットの裏に忍ばせたナイフの存在を確かめた。
どうしてこんなことになったのか。
それはいくら考えても分からないし、きっと今周りで同じように息を詰めて立ち竦んでいるクラスメイト達にだって分からない。
ほんの四日前までは普通に生活していたんだ。
朝起きて、学校に行って、クラスメイトと馬鹿な話や流行りのエンタメなんかを貪って、時間になったら帰って寝る。そんな普通の生活だったのに。
「……っく……ひぅ……死にたくない……」
教室の後ろの方から押し殺した悲鳴が漏れ聞こえた。
それは、この場にいる二十六人全員が思っていることだった。全員が思っていることだったから、誰もその言葉に返せなかった。
四日前。その日から突然、俺のクラスで殺し合いが始まった。
もちろん、クラスの誰もそんなことは望んでいなかった。
なのに授業が終わって気づいたときには俺たちのクラス三十人が学校に取り残されていて、敷地から出ようにも校門はガチガチに封鎖されている。
しまいには放送スピーカーから聞こえてきたアレだ。
『皆さんには今日から、命を賭けた鬼ごっこをしてもらいます』
最初は理解できなかった。何かのイベントか、それか誰かが質の悪い悪戯をしているんだと思った。高校生にもなって、ましてやこんな日本のど真ん中で。
でも、最初にヤジを飛ばした立花って俺らのクラスのリーダーみたいな陽キャ男子がいつの間にか消えて、その日の内に校舎のどこからでも見える運動場のど真ん中に太い槍みたいなもので尻から脳天まで貫かれてぐちゃぐちゃになった死体になって帰ってきた時にはもう、事態は一変していた。
見せしめみたいだと思ったし、実際そうだったんだろう。
同時に、本気なんだと思った。本気でこのイカれた遊びをやろうとしているんだと思った。
スピーカーから聞こえたきた声は、大勢の老若男女を混ぜ合わせたような耳障りな声だった。
スッと体の横に近づいてきた気配に、咄嗟に息を殺してジャケットに忍ばせたナイフに手をやろうとした自分に驚いた。この四日で簡単に刃物に手を掛けようとしている自分にだ。
「結城……」
潜めるような声で話しかけてきたのは山岸だった。四日前まで俺の斜め後ろの席に座っていた園芸部に所属していた男だ。
園芸部と言われてなるほどと納得してしまうくらい、彼は虫も殺さないような温厚な性格をしている。それが悲痛な表情で横に立っていた。
「こんなの、いつまで続くんだよ……」
それは俺も聞きたかった。ここにいる全員が知りたいことだった。
どうして俺たちだけがこんな目に遭わなければいけないのか。けれど、スピーカーの主は回答よりルールを提示した。
・毎日十八時になったらくじを引く
・引いた紙に赤丸があれば鬼
・鬼は翌朝六時までの十二時間の間に誰か一人を殺す
・鬼が時間までに一人も殺せなければ鬼が代わりに死ぬ
ふざけた内容だった。
それでも、今日まで毎日十八時になればいつの間にか教壇の上にくじ引きの箱が置かれているし、鬼が殺したクラスメイトがいつの間にか運動場の突き刺さったままの立花の横にご丁寧に並べられている。
俺達は、その日誰が鬼だったか分からない。みんな、たぶん自分が死にたくないから殺している。罪悪感というものが薄れていく。
スピーカーの主も不明のままだった。
一度放送室を含め校舎内を見て回ったが、俺達以外誰かが忍んでいる気配はなかった。
それでも時間になれば教壇に箱が置かれるし、調理室には溢れかえるほどの食料が詰まれ、構内のいたるところに誰かを殺す用の武器が隠し置かれている。
俺のナイフもそれだった。手に取った時は護身用と言い聞かせていたつもりだが、今となっては分からない。さっき一瞬でもナイフに手を伸ばそうとしていた自分が、もうここにいる。
スピーカーの向こうで手を叩いて誰かが死ぬのを嗤って見ているような奴の望んだ姿になっていく。
誰かのすすり泣く声が聞こえる。
都会のど真ん中なのにスマホが常に圏外を表示するこの構内で、また夜が始まる。
「結城、俺……鬼になっても絶対誰も殺さないから……」
助けを求めるような顔で山岸が俺を見る。
俺はそれに、「ああ……」と曖昧に返すしかなかった。
装飾もないモノクロの壁掛け時計が、十八時を指した。
教壇の上に箱が現れる。
スピーカーからラジオを合わせるようなノイズが入り、そして――
『時間になりました。スタートです』
最悪の鬼ごっこが、今日も始まる。
十八時です。時間になりました。 えんがわなすび @engawanasubi
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