第9話 探偵(もどき)の誘拐 捜査編Ⅲ

 夕暮れ時。冬を感じさせる澄んだ空に輝きだした星々。


 そんな風景に趣を感じるでもなく、雪は事務所のソファで横になって本を読んでいた。その怠惰な姿に入って早々、柹藍は溜め息をついた。


「先輩、来てくださったんですね」


 本から顔を上げて、にこにこと柔和に微笑んでいる。柹藍は持ってきた手土産をソファの横にあるダイニングテーブルに置いた。


 置いて手を引っ込めようとした瞬間、雪が手を掴んだ。服の袖に顔を近づけ、ひくひくと鼻を動かす。


「先輩、煙草の匂いがします」


 不満があるのか口元がむっとしている。


「あー、一緒にいた友達が吸ってて」


「私はいつもの匂いの方が好きです」


「そう?」


 特に動揺した様子もなく、柹藍は首を傾げた。彼は昔からはっきりしているところはしているのである意味、雪も気兼ねなく接していた。


「それで、何かあったんですか? 先輩がわざわざ来るほどのこと」


「いや、大したことじゃないけど」


「そうですか」


 この人が言わないことは聞かない。深入りしても言ってくれないし、聞く必要がないから。


 先輩も私の言わないことは聞かないし、話したことは聞いてくれる。その距離感は変わらないようでいて、近づいた証にも思っている雪だった。


「蓮花、頼んでいた依頼者の情報はあった?」


「はい。29歳、アパレル店の店員です。学生時代は裏で稼いでいたとか」


「なるほど。売春で補導されたこともあるのか」


 写真と経歴を見比べていた雪はおもむろに顔を上げた。


「この女の子は首に黒子があるでしょう? でも依頼者の彼女にはなかった。監視カメラにも映ってると思うよ」


 獲物を捕まえる肉食動物の如く瞳孔が細められ、唇は愉快そうに弧を描いている。


「つまり━━━━アレは偽者だったということになる。大胆だねぇ、最近の誘拐というのは」


「……何の話、これ」


「あぁ、先輩のこと忘れかけてました。ごめんなさい」


「兎に角、濡羽さんに連絡を取っておきますね」


「よろしく頼むよ、蓮花」


 蓮花が退室するとさて、と雪は柹藍の方へ身体の向きを変えた。


「簡単に概要を話しますね。私が誘拐されまして捜査も何もしない予定だったのが、同じように誘拐されたという依頼者の方の所為せい……否、お陰で調査することになりまして」


「大変だったね」


「まぁ色々と。そしてつい先程依頼者が偽者と判明しましてまた仕事が増えました」


 話終えたところで蓮花が戻ってきた。


「雪さま、あの女の頭を爆破してきても……?」


「駄目だよ。何を言われた?」


「危険だが被害者の集まりに来い、と言われました。ただでさえ雪さまが狙われているかもしれないというのに」


 柹藍は見て見ぬ振りを貫いている。誰でもそうしたい状況だ。


「それが最善だからね。まぁ、攻撃されたら蓮花の体術を見られるし」


「なら行くしかない、ですね」


「日時は?」


「明日の16時、濡羽さんの自宅です」


「もどき対決とは中々面白そうだ」


 そして追いつけていない人が1人。珍しく雪が柹藍のことを放っておくので蓮花は優越感に浸っていた。


「まさか雪さまが柹藍さんより私を優先してくれる日がくるなんて感動です……」


「優先してるのはね、蓮花じゃなくて事件だよ」


 その言葉に蓮花は大ダメージを食らっている。労災を下ろせとまで言う始末。これには流石の柹藍も爆笑。


「勿論普段は先輩のこと優先してますからね!」


 褒めて褒めて、と尻尾を振る子犬のようにきらきらと柹藍を見つめている。


「そうだね」


 やはり笑顔で押し切る男、水影柹藍。そこそこに扱いが酷い。


 そんな雰囲気に水を差すようにスマホのコール音が鳴り響いた。


「げっ、闇医者」


「雪さま、私が出ましょうか?」


「私が出るからいいよ。面倒だけれど」


 まぁまともな服じゃなくてもいいし、と退室して通話ボタンを押した。


「もしもし」


「もしもし探偵さん? そっちが偽者って聞いたけど?」


「そっちはちゃんと"本物"なの?」


「黒子の位置とか確認したけど多分ね」


「そう。明日は期待してるよ」


「それは仕事を減らせって意味なの?」


「さぁ。それじゃ」


 ブツッ。電話を一方的に切って柹藍と蓮花に向かって親指を立てた。


「どういうこと? ほんとに」


 混乱気味の柹藍とダメージが回復しない蓮花だった。

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