下 始まりの日


 ボスの殺害を決意してから半月間、俺は水面下で組織の情報を集めていた。自分で動く事もあれば、メッシュに手伝ってもらう事もあった。

 あいつには、競馬場か女と寝てくると、嘘をついて出掛けていたが、一度も疑われたことはない。ただ、暇な時間を持て余したあいつが、裏カジノに入り浸り、尻の毛をむしり取られるまで負けて、俺に泣きついてきたのが三回目に達した時は、流石に殴り殺そうかと思った。


 そうして、月の終わり、ボスがとあるビルにあるサウナへ行くという確かな情報を手にした。メッシュによると、完全なプライベートなので、警備も薄くなるらしい。その日に賭けることに決めた。

 大一番のレースを見に行くと言って、夕方にあいつのいるアパートを出た。その足で、ボスのいるビルの真正面に建つビルへ向かう。そこの屋上から狙撃するつもりだった。


 何事もなく、目的のビルへ着いた。途中のコインロッカーで回収した肩下げ鞄内のライフルと非常階段を登り、屋上へと続くドアを開ける。

 直後、ノブを握っていた右手、肘の内側に痛みが走った。そこの部分に、草刈り用の鎌が刺さっている。反射的に左側を見ると、その鎌を持った男が立っていた。


「いけない、いけないよ~。咥え煙草クン。あろうことか、ボスを『刈る』なんて」


 黒いコートの痩せ細った男が、大袈裟に俺を見下ろして首を振った。会ったことはないが、知っている相手だ。ボスのお抱えの殺し屋、通り名「庭師」だった。

 俺は舌打ちしながら、奴に蹴りを放つ。庭師は後ろに飛び退いて避けたが、俺の腕から鎌が抜けた。その隙に、ドアを閉めようとするが、庭師が足をその間に入れて押し通る。


 庭師は、その通り名が表すように、庭での作業でしか使わないような道具が獲物で、拳銃などは一切持たない。しかし、大きな買い物で組織に勘付かれるのを恐れ、支給品しか持っていない俺も、奴に抵抗出来るとは限らない。

 それを誇示するかのように、バック走で階段を下りながら、リボルバーで撃った俺の弾を、庭師は軽やかに躱していた。余裕綽々な顔つきに腹が立ちながらも、相手の集中力を削ごうと、話しかけてみる。


「なんで俺の計画に気付いた?」

「君たちがこそこそしていたのは、バレバレだったよ、咥え煙草クン」

「君?」


 俺が立ち止まると、鎌を振り回していた庭師も立ち止まり、プレゼントを開けるかのような楽しそうな笑顔で、ズボンの後ろポケットに手を回した。

 ポケットから出した手には、オレンジの髪の束が一房、掴んでいた。


「メッシュクンは中々強情でね。随分『剪定せんてい』することになったが、『枯れる』前に全部話してくれたよ」

「普通に『拷問』『死ぬ』って言えよ、クソナルシストが」


 俺が吐き捨てるのを、満足げに聞く庭師。だが、その余裕が隙となった。

 まだ弾が残っているリボルバーを、庭師へ投げる。流石に目を丸くした庭師に、鞄の中から取り出したライフルを向けた。


 だが、庭師は髪から手を放し、代わりにペンチを取り出した。それがライフルの銃口を掴み、ご丁寧に、俺の顔の方へと捻じ曲げてきやがった。

 その細腕のどこにそんな力があるんだよ。心の中で悪態をつきながら、庭師に押し付けるかのようにライフルを捨てる。そして完全に彼へ背中を向けて、一気に階段を降り、ビルから飛び出した。


 これで尻尾を巻いて逃げてくれたと思われれば万々歳。だが、庭師のようなサド野郎は、このまま追ってくるだろう。だから、相手に見えるようなスピードで、とある角を曲がる。

 そこは木材置き場だった。あらかじめ、その木材に紛れさすように、もう一丁のライフルを隠していた。ライフルの支給は一人一丁のため、庭師も知らないが、メッシュのライフルを譲ってもらっていた。


 庭師が角を曲がってきたのと、俺がライフルを構えて、安全装置を外したのは、ほぼ同時だった。このまま、引き金を引けば、決着がつく。

 ……何も起きなかった。目を見開く俺をせせら笑い、庭師が、枝切り鋏を、この首で挟み込んだまま、停止させる。


「な~にも知らないと思っていたのかい? 君の行動は、昨日から監視してたんだよ、咥え煙草クン」

「クソったれが」

「良い最期の言葉だよ、咥え煙草クン」


 庭師がゆっくりと頷いて、俺は死を覚悟した。

 結局何にも出来なかった。あいつに合わせる顔がない。


 ……笑ったまま止まった庭師の首から、刃が生えてくるのが、スローモーションで見えた。

 倒れた庭師の後ろに立っていたのは、何も知らずにアパートにいるはずの、あいつの姿だった。いきり立った時の癖で、太陽のような笑顔を浮かべ、庭師に突き刺した状態のマグロ用包丁の柄を握っている。


「ボス殺しなんて、面白い遊び、一人ですんなよ。酒臭いな」

「水臭いだ」


 溜息が出る。ライフルを下ろして、とりあえず平常心を戻そうと、煙草に火をつけた。生きているから、今日も紫煙が旨い。


「……いつから気付いてたんだ?」

「んー、結構前から。オレとお前の仲だろ、いつもと違う動きは分かるって」

「変に鋭いな」

「だろ? 馬鹿を馬鹿にすんなって」

「頭痛が痛くなるような言い方だな」


 俺の皮肉を聞き流し、あいつは庭師から包丁を抜こうとするが、変な所に入ってしまったのか、苦戦していた。柄をグリグリ動かしながら、「取れねぇ」と舌打ちしている。


「あ、やっと抜けた」

「なら、早くずらかるぞ。あとから誰か来るかもしれねーし」

「何言ってんだ、お前。絶好のチャンスだぞ」


 俺が口元から離した煙草を、すいっと奪い取って、あいつは咥える。当然のように笑った。


「このままボスをるぞ」

「は?」

「ボスは何があっても計画を変えないっていうのは、本当らしいな。雨が降ろうと、ヤニが降ろうと。さっき、あのビルに入っていくのを見た」

「ヤニじゃねえ、槍だ」


 この日一番の溜息が出る。

 ただ、あいつの顔を見た瞬間から、そんな予感はしていた。






   ▣






 俺が右腕を負傷していても、あいつが「正面突破だ!」と馬鹿みたいな作戦を実行しても、ボス殺しは完遂された。むしろ、最初の予定よりも早く終わったくらいだ。

 そうして今、例の骨董屋に入って、家探しをしている。互いに血塗れのまま、着替えずにここまで歩いてきたが、誰にも止められなかった。ここはそういう町だから。


「なあ、これからのオレたち、どうすんの?」

「わかんねー。特に考えてない」

「じゃあ、依頼を受けて殺しをしたんだから、これから殺し屋にならないか? 今日がそのスタートの日、ってことで」

「殺し屋ねー。そう上手くいくか?」


 互いに背中を向けて、何があるのかを探りながら話していた。

 あいつからの提案に、俺は眉を顰めた。そう簡単な仕事ではない。しかし、俺たちには殺すことしか能がないのも、確かだった。


「殺し屋に転向して、金稼ぎまくろうぜ。そんで、毎日フカヒレスープ食うんよ」

「痛風になるつもりか、阿呆め。金入ったら、まずは武器の調達だろ」

「それもそうだな。オレ、今の獲物、気にいってるけど」

「支給品か、その辺で買ったものだからな。今度こそ刃物二本で、二刀流を名乗れよ」

「今度こそ?」

「あー、忘れてるなら別にいい」


 ただ、あいつはこの調子だから、職を変えても日常はさほど変わらないような気がしてきた。それが心強いかどうかは分からないが。


「となると、名前を考えないとな。お前はどうする?」

「……じゃあ、ジョッキーで」

「ああ、お前、ガキの頃、騎手になりたがっていたからか」

「どうでもいいことに、海馬かいばを使うなよ、間抜け」


 適当な返答に、意外な返しが来て、思わず照れ隠しの悪態をついた。騎手になりたいなんて、身の程知らずなガキの戯言だったのに。なんで覚えているんだ。


「オレは……なんにしようかな」

「おい、何見てんだ」


 振り返ってみると、あいつはどこかで見つけた植物図鑑をめくっていた。ややあって、ある一ページに目を留める。


「これいいかもな。ローダンセ」

「ただの花に見えるが」

「響きが気に入ったんだよ。ローダンセ。悪くないだろ?」

「まー、シケモクよりマシか」


 あいつから植物図鑑を受け取り、そのページを眺める。ローダンセは、ピンクの花びらをした、菊に似た花だった。

 よくよく見ると、ページの片隅に「花言葉・終わりのない友情」と書いてあってギョッとした。まさか、あいつがこれを見て、名前にしたとは思えないが……。


 ただ、その花言葉に意味を足したいなんて、らしくないことを思った。

 もしも俺たちが、バラバラに死んだとしても、その時はまた地獄で会おうぜ。


「……何、にやついてんだ?」

「うるせー」


 こちらを覗き込むあいつの顎に、思いっきりアッパーを入れた。


















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その言葉に意味を足したい 夢月七海 @yumetuki-773

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ