その言葉に意味を足したい
夢月七海
上 運命の日
ベッドの上で、女に土下座されるのは、初めての経験だった。
しかも相手は初対面の売春婦で、もう行為が終わった後だ。枕に肩甲骨を乗せるように横たわり
煙草を吸っていた俺は、シースルーのネグリジェ姿のまま、真正面で頭を下げる彼女に対して、眉を顰める。
「そういうプレイは注文していないんだが」
「あなたに頼みがあります」
女が顔を上げた。目が印象的な女だった。大きいわけでも、形がいいわけでもないが、顔の他のパーツや体つきよりも、最初に目を見てしまう。
「あなたは、ここを治めているファミリーの構成員ですね?」
「構成員と言っても、下っ端の下っ端の下っ端だけどな」
わざと大きな口を開けて煙を吐く。女の方に白煙が流れて行ったが、彼女は真剣な表情を一切変えなかった。
敵組織の女ではなさそうだ。俺は目を細めて考える。仮に、何か思惑が合って近付いたとしても、こんな下っ端に対しては意味がないだろうし、俺は女に対する嗅覚が敏感だった。
「三か月前、あなたのファミリーのボスが乗った車が、接触事故に遭いましたよね? そして、運転手の男性が捕まり、敵組織の刺客かもしれないと、拷問を受けた末に、亡くなった」
「ああ。勘違いされた不運で可哀そうな堅気の男か」
「彼は、私の恋人でした」
苦笑交じりに動かした口を噤んだ。しかし、彼女の射竦めるような目線に根負けし、言い訳がましくまた開く。
「いや、俺はその場にはいなかった」
「ええ。知っています。だから、あなたにお願いしたいのです」
「だから、何を」
「ボスを殺してください」
「……」
今度こそ、沈黙するしかない。俺はボスに対して恩義も何にもなく、ただ金払いが悪くないから付いて来てるだけだが、流石にそんな無茶は出来ない。
すると、女は立ち上がり、自分の鞄の中から何かを取り出す。そして、行儀よく先程までの正座の姿勢に戻ると、俺に一つの鍵を差し出した。
「これは?」
「彼が経営していた骨董屋の鍵です。引き受けてくれたなら、そこの中身を好きにしていただいても構いません」
「俺は殺し屋ではないんだがな」
苦虫を潰した顔をしつつも、俺はその鍵から目を話せなかった。拷問で殺された男は目利きのいい骨董屋だったという噂は、俺のようなもんの耳にも届いている。……知らず、鍵を手に取っていた。
「まあ、この件は保留だ」
「あなたはやってくれますよ。必ず」
女は、この部屋の光を全て吸い込んだかのように輝く瞳で、ろくでもない予言をしやがった。
▣
夜明け前。売店に寄ってから、住んでいるアパートの一室に帰ると、ソファーであいつが寝ていた。正確には、ソファーから上半身がずり落ちて、頭がギリギリ床に着いた状態でも、イビキを掻いていた。
売店で俺が買ってきた競馬新聞や煙草を、あいつの目の前にあるローテーブルにドサドサ置いても、全く起きない。もうそろそろ時間になるからと、俺も放っていると、「フガガ」と喉に何か掛かったかのような声を出して、あいつが目を開けた。
「……あれ、今、帰ってきたんか?」
「おう。おはようでただいまだ、天地無用男」
あいつは逆さまのまま、不機嫌そうな顔をした。「天地無用」の意味が分からなかったらしい。しかし質問はせずに、半回転してソファーに座り直す。
時計を見ると、出発予定の一時間前だった。あいつはアラームを使わずに寝ても、丁度良い時間に起きる。知識も知恵もない代わりに、そう言う野性的感が研ぎ澄まされているのだろう。
「珍しく帰りが遅かったな。二、三人とヤッたのか?」
「一人だけだ」
「その割にだな。盛り上がったのか?」
「そんな感じだ」
一人の女から、ボスの殺害を頼まれたとは、あいつにも言えない。まだ受けるかどうか決めていなかったが、例の鍵は持ったままだ。普通の悪党ならば、受けるふりをして骨董屋を荒らすのが一番だが、俺は変なところで律儀らしい。
渋面のまま、咥えていた煙草をテーブルの灰皿に押し付ける。手を放すとすぐさま、あいつが手を伸ばし、それを口に運んだ。こいつは俺の吸い殻だけを吸うので、「シケモク」と呼ばれていた。
「今日の仕事、何だっけ?」
「覚えとけよ、馬鹿が。閉店後のプールバーでの裏取引を襲撃だ」
「人数は?」
「少なく見積もって、十人」
「朝の運動にぴったりだな」
あいつは、全く味のしないシケモクを旨そうに吸っていたが、さらに目を細めて笑った。
「オレが全員軽くひねってやんよ」
▣
爽やかな朝日を浴びるドア、その内側では、地獄が繰り広げられているようだった。銃声、悲鳴、あいつの「ギャハハ」という馬鹿笑い。中を覗かずとも、何が起きているかは想像できる。
「シケモクの野郎、絶好調だな」
「あんま調子に乗りすぎると面倒だが」
俺の隣に立つ男、左側の前髪を一房分オレンジに染めた通称・メッシュは、苦笑いしながらそう話しかけてくる。対して、左肩にライフルをかけた俺は、これ見よがしに溜息を吐いた。
「つーか、俺は元々見張りだけどよ、お前は中に押し込む係だろうが。何こんなとこにいるんだ」
「仕方ねぇだろ。あいつが一人で殺るって。そうなったら、咥え煙草の言う事しか聞かねぇから」
「これで俺と同じ給与なんて、納得いかねーな」
「そう思うなら、シケモクを説得してくれよ」
これ見よがしに溜息を吐いたが、メッシュはまた苦笑するだけだった。
ちなみに、このファミリーに入った時点で俺たちは全員元々の名前を捨てる。出世して新しい名前を付けられるまでは、互いに見た目や特徴で呼び合う。俺は、見たまんま、咥え煙草と呼ばれていた。
「そういや、お前知ってるか?」
「何だ? 次の穴馬の情報か?」
「ちげぇよ。今度人員削減される話だ」
「あー、確かに、ここ潰したら、抗争もぐんと減るからな。ありえるか」
「その第一候補が、シケモクだって」
「マジか」
競馬新聞を読みながら、適当に話を流していたので、思わずメッシュの顔を見た。彼は真剣な顔で頷く。冗談のつもりではないらしい。
プールバーの窓を覗いてみる。丁度、壁際に追い詰められた敵組織の男が、あいつの巨大ハンマーに頭を叩き割られる瞬間だった。血と脳髄で窓が汚れてしまい、中が見えなくなったので、元の位置に戻る。
「信じられねーな。俺らレベルで一番働いているだろ、あいつが」
「この前、『一足す一が二なのは分かるんだけど、一かける一が一になんのは分からん』と言っていたのを、幹部が耳にしたから。こんな頭悪い奴、いらねぇよってさ」
「あー、それは、まあ、うん」
抗議の言葉が見つからないどころか、納得してしまった。あいつとは物心つく前からの付き合いの俺だって、「大丈夫か、おい」と思ってしまった発言だった。
もっともらしく「人員削減」とは言うが、用済みの奴は殺される。組の外に情報が漏れるのを防ぐためだ。残酷だが、効率的なやり方だと思っている。
あの女の依頼を受けるか。あいつにも気付かれぬよう自室に隠した、骨董屋の鍵を思い出す。あいつが生き延びるためには、ボスを殺すしかない。それも、あの女は見越していたのだろうか?
深い迷宮に入ってしまったかのように、考え込んだ俺の横で、プールバーのドアが開いた。マグロ用包丁と杭打ちハンマーを腰に差したあいつが、返り血を浴びても無傷なまま、満足げな表情で出てくる。
「終わった」
「おう。今日もいい仕事っぷりだったな」
あいつとメッシュがハイタッチする。あいつは右手を上げてこちらを見たが、俺ははっきりと首を振った。
「血で汚れる」
「なんだよ、ノリが悪いな」
あいつは口を尖らせるが、それ以上追求しない。代わりに、俺が差し出した携帯灰皿から、シケモクを一本貰った。
そのまま、三人で歩き出す。無音のプールバーを振り返り、メッシュはその惨劇を他人事のように眺めていた。
「シケモク様様だな。今日も俺たちの仕事はなかった」
「そうだろそうだろ。今日もオレの二刀流がさえ渡っていただろ」
「お前な、二刀流名乗るのなら、二本の刀を持てって、前から言ってるだろ」
「は? そうだっけ? 今のが最初じゃないか?」
「自分の都合の悪い事ばかり忘れやがって。脳味噌の代わりにプリンでも入っているのか?」
「最近食べてないから、入ってはいないな」
歩きながらあいつとそんな言い合いをしていると、後ろから耐え切れずに噴き出す笑い声が聞こえた。振り返ると、メッシュが数歩後ろで立ち止まっている。
「お前ら、相変わらずだな。安心するよ」
「どこがだ」
「え、ほめてるの?」
俺とあいつが同時にそう言うので、メッシュは再び噴き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます